冬人と水樹さん

草木染め

 ぺかぺかという擬音が聞こえてきそうな笑顔であった。
「冬人さん、冬人さん。ここ行かない?」
 水樹が指差す端末に表示されているのは、草木染めの体験会。「オリジナルの小物を作ってみよう!」と踊る文字を読んでから、冬人は期待をいっぱいに浮かべた水樹の顔を見る。
「うん、いいよ」
 冬人はいつものように頷いて、そのようになった。

 春の日差しにきらきらと輝く川の程近く、広々と開けた公園に設けられた仮設テント。こどもたちの賑やかな声がするなかに、まるで保護者の一部であるかのようにふたりの姿はあった。
「予約していた日永と立花です!」
「はい、日永さんと立花さんですね。こちらにサインしてお待ちください」
 受付けの札が置かれたテントに向かい、割烹着姿の女性に名簿を差し出された水樹が意味深に冬人を見てからなぜか得意気に立花の署名も済ませる。
「冬人さん」
「なに?」
「日永です」
 そそっと冬人の隣へ戻ってきた水樹の言葉に、冬人ははて、と内心首を傾げる。日永。水樹の名字だが、急な自己紹介とはどうかしたのかしら。
「知ってるけど……
「ふふん。僕も存じておりますよ、立花さん」
 立花は自分の名字であるが、ほんとうにどうしたのかしら。きちんと署名できたという主張かしら……と思ったところで、いつかの記憶がよみがえる。夏のこと。風鈴を作りに行った硝子工房でこんなやり取りをした。
 思い出せば懐かしく、おかしく、冬人は吐息を零すように笑う。冬人が思い出したことを察したのだろう、水樹が「もうすぐ風鈴出せるね」と気の早いことを言った。
「日永さん、この度の意気込みを聞かせてください」
「未知の経験となるので緊張はありますが、最大の目標は立花さんとともに楽しむことです。そこで出せた結果を皆さんにお見せしたいと思います」
 しかつめらしく言う水樹に、冬人は今度こそ肩を揺らして笑った。
「はいはい。皆さん、集まってください」
 拡声器によって僅かに割れた声が集合を促した。ぱっと走り出すこどもたちに混ざるように水樹が「行こ!」と手を引くので、冬人も早足で向かう。
 雑多ながらに自然と作られた列の正面に立つ男性は、こちらの背が伸びるほどしゃんとした背筋をしていて、拡声器を持つ手の指先は灰がかって黒ずんでいた。話に聞くいかにもな染め職人の指である。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。これから工程の説明をします。火も扱う作業なので、注意してよく聞いてください」
 硬く会釈をした男性の隣、進み出た割烹着姿の女性が広げる大きな紙を手で示す。手描きの絵で説明されている工程のなか、目に入るのはそれぞれにかかる時間。予約時に開始時刻から終了まで随分と長いと思ったが、冬人はなるほどと納得する。
「では、これから皆さんに染料を作ってもらいます」
 ざっと説明された後、いよいよ始まる作業。テントの下に案内されて配られたのは細身の枝であった。
「めちゃくちゃ枝」
 土などはついていないが、街路樹の下に落ちていそうな小枝を見て水樹が不思議そうな顔をする。
 軍手をして促されるまま植木鋏で細かく切っていく作業は文字通りさくさく進むが、時折硬い枝に当たった水樹が「に゛ッ」「ふん!」と上げる声が面白くて冬人は手を止めて笑いを堪える。
「なにがおかしいっていうんですか! こっちは真剣なんですよ」
「ごめん。違うんだよ」
「なにが違うっていうんですか!」
「ごめん。許して」
 刃物を扱っているからだろう、それだけ言うと水樹の表情はすん、と凪いで手元に集中する。冬人はその温度差に置き去りにされた気分になりながら、自身も鋏をぱちぱち鳴らした。
 枝を細かく刻んでも、作業はまだまだある。
「染色をする際に欠かせないものがあります」
 説明されたのは媒染剤というもの。
 アルミ媒染、銅媒染、鉄媒染。必ずしもその色が出るわけではないが、発色の系統が説明される。見本として掲げられる三色の布。アルミ媒染は僅かに褪せた桜色、銅媒染はもう少し鮮やかな薄紅、鉄媒染は濃い煤色だ。
「鉄媒染だけ分かりやすく変わるんだね」
「むしろ鉄媒染のほうがあの枝で染まる色として納得かな……
「あ、そうだね。他の思ったよりピンク。花弁なら分かるけど、枝でああいう色になるんだ」
 ふたり揃ってぽかんとしながら「へえ」と短く音を零す。自然が凄いのか、化学変化が凄いのか、相反するように思えるもの同士が交わる結果は馴染みのないものにとって不思議の魔法にも思えた。
「どうしよ……どれがいいかな。冬人さんはどれにする?」
……Tシャツを鉄媒染かな。ハンカチはアルミなら使いやすいかも」
 染めるものとして持参できるのは二点で、冬人はTシャツとハンカチ、水樹は同じくTシャツと風呂敷を持ってきていた。
 冬人の返答を聞いて水樹はうんうん頷き、うんうん悩み、うん、と厳しく頷く。
「Tシャツを銅媒染で風呂敷はアルミにする」
 見本通りに染まればどちらも落ち着いたピンクになるだろう。せっかくの桜なのだから、と張り切る水樹の顔は近くで作業しているこどもたちと同じくらい輝いている。
「冬人さんも模様つける?」
 染める際に布を紐で縛っておくと染まらない部分ができて、模様になるという。早速、Tシャツにぐるぐると紐を巻き付ける水樹の隣、冬人も「そのほうが染めたって分かりやすいかな」とこちらもTシャツに紐を巻き付けていく。どう巻き付けるかによって模様も変わるので、ふたりして完成系を想像しながら紐を巻き付けていく。藍染で思い浮かぶ花のような形に染め抜かれるのだろうか。
 ──煮出した染料は想像以上に濃く、赤に近い色をしていた。
 これに布を浸し、二十分ほど煮るのだという。
 むらにならないようにゆらゆらかき混ぜる時間はいかにも染め物をしている実感が湧き、冬人もわくわくと胸が弾んだ。冬人がこうなのだ。水樹は言うまでもなくはしゃぎ、しかし真剣な顔で「染まれ……染まれ……」と呟いている。
 煮出して、置いて、また煮出して、置く。なるほど時間がかかるわけである。見本を見れば染料がどれほど色濃くてもそのままの色になるわけではない。きっと一度染め置いただけでは想像以上に薄い色になるのだろう。
 置いている時間は漬け置く鍋の側にいる必要はない。自由に遊んでいてよろしいという案内に、こどもたちがわっと公園へ走り出す。
 燦々とした午後の日差しと、光を受けて白む草に小花。きゃらきゃらとそこかしこで聞こえる笑い声。白詰草を握るこどもが母親に抱きつく。
 冬人は広々とした公園で走り回るこどもたちを見る水樹の目が、老いたように澄んでいるのに気づいた。
……花冠でも作ってみる?」
「え、冬人さん作れるのっ?」
……ごめん、分からない」
 途端に笑い出した水樹が「じゃあ、あの子たちに聞いてみよっか」と側にいた保護者に目配せをして、笑顔で頷かれてから冬人の手を引いた。冬人から声をかけたとしても行動して走り出すのはいつも水樹であった。
「あ、待って」
 けれども、俯く冬人にだって変化はある。
「どうしたの?」
……見て、四つ葉」
 引かれる手を止めて、冬人はしゃがむ。その手が詰んだ四つ葉のクローバー。俯いた理由はこの幸運がないだろうかと探したからだ。
「あげる」
「い、いいの……? 霊験あらたかな四つ葉のクローバーさんですよ……?」
「あはは。うん、水樹くんが持っていて。普段から運がいいからもっと良くなるかも」
「宝くじ買っちゃおうかな」
 差し出した四つ葉のクローバーを受け取った水樹が嬉しそうに目を細める。
「ありがとう」
 その目は少年のようにきらきらと、浮かぶ笑みはぴかぴかと。
 片手に幸運を握り締める水樹が再び冬人の手を引く。今度は俯かなかった。

 干すに至り、日差しと風ですっかり乾いたTシャツ、ハンカチ、風呂敷。見本とは異なる色合いながら鮮やかな染まっており、その出来栄えに水樹が「おおお……」と感嘆の声とともに高く翳して矯めつ眇めつじいっと見入る。冬人も模様が染め抜かれて風情のあるTシャツに感動した。
「めちゃくちゃおしゃれじゃない? これ一張羅にしようかな」
 似合う? とTシャツを体にあてる水樹に頷けば、彼は「そうでしょう、そうでしょう」と満足そうにして、冬人もあてるように促す。
「ううん、伊達男ですね。冬人さんの正装にどう?」
「着ていく範囲が狭まっちゃったな……
「丁度いい機会があります」
 ぴっと水樹が立てる人差し指。
「お花見のドレスコードにぴったりだと思わない?」
 公園に植えられた桜の枝には、そろそろちらほらと花が咲き始めている。このまま暖かい日が続いて一週間もすれば華やかになることだろう。
「お弁当作ってさ。この風呂敷に包んで行かない?」
 悪戯っぽく水樹が見せるのは、Tシャツよりも落ち着いた色合いできれいに染まった風呂敷。大判のそれは重箱を包んでいる姿が目に浮かぶ。
「いいね。どこ行こうか? お弁当のおかずも決めないとね」
「これは忙しくなりますよ。シェフ、僕は卵焼きが食べたいです」
「卵液は作るから、水樹くんが巻いてみる?」
「スクランブルエッグじゃなくて卵焼きが食べたいんだけどな……
「水樹くんは器用だよ。自信を持って」
「シェフが言うなら才能あるのかも」
 欧米風に肩を竦めた水樹が吹いた風に片目を瞑る。
「あったかいね」
 少し前までひやりとしていた風は随分と穏やかだ。
 冬人は水樹の言葉を思い出す。
……金魚が泳ぐのも近いかもね」
 初夏を迎えれば青い空に硝子の金魚が泳ぐのだろう。その次は自分たちが海で泳ぐのだろうか。
 想像できる先のこと。しかしいま楽しみにするのは桜の盛り。ドレスコードは桜染めのTシャツ。桜色の風呂敷が包む弁当の中身は豊かに彩ろう。
「シェフ、ミニハンバーグも入れたいです!」
「うん、いいよ」
 冬人はいつものように頷いた。