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みすず
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創作
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冬人と水樹さん
ヴェネチア
Che bello!
Che bello!
Meravigliosa!
アドリア海の真珠をつまみ、水は豊かに麗しく。
道行くベッラに花束を。デミタスに残る砂糖を飲み干そう。
リアルト橋くぐるゴンドリエーレのカンツォーネ。パラッツォドゥカーレは見上げたか?
Che bello!
Che bello!
Meravigliosa!
いつか水底に沈んでも。
「おお
……
」
ヴェネチアングラスの金魚鉢を覗き込み、水樹が感嘆の声を上げる。金魚はもちろん、水草や気泡まで再現された硝子細工はひやりとしているだろうにあたたかく美しい。
「冬人さん、冬人さん。本物みたいじゃない
……
? さ、流石は水の都
……
金魚鉢という世界をこれほどまでの表現力で
……
」
「金魚の顔も一つひとつ違っていいよね。こっちの丸いのもいいな」
きっと珍しくはないだろうはしゃぐ日本人観光客を、硬そうな髭を蓄えた店主が眺めている。
──季節の風が暖かくなった頃、冬人と水樹はヴェネチアを訪れた。経由したローマ、スペイン階段で映画の真似をするのは禁止されていたが、ジェラートは大変に美味しく「こっちも食べてみてくださいよ」と自分のダークチョコレートフレーバーを差し出した水樹が「僕も失敬しますね」と自分の食べていたヘーゼルナッツをひと口もらっていくのに冬人が笑ったのは昨日のことだ。
「
……
我が家に新しい家族を迎えてもいいのでは、とは常々思っていたところで」
「ふふ
……
っ、どれにする?」
「威厳がありつつ尾鰭が可憐で生き生きとしながら水草と戯れてる子を探すの手伝って」
「
……
ちょっと、難しいかな」
水樹の拘りに添えるだけの審美眼に、冬人は自信がない。
大きめのびいどろ玉ほどの金魚鉢を真剣に吟味する水樹は、やがてひとつの金魚鉢を「これは
……
!」と恭しく手に取った。まあるい硝子の水の中、ずんぐりとして目の大きい、愛嬌満点の金魚が泳いでいる。
「この子は迷子になっていたうちの子です」
「行方不明だった家族に会えてなによりだよ」
ぴかぴかの笑みを浮かべる水樹に、店主は髭の向こうで嬉しそうだった。
外国の多くがそうだが此処ベネチアも例外ではなく、日本に比べれば随分と簡素な包装に水樹は店を出てすぐ慣れた手つきでハンカチを上から巻く。硝子細工であるから余計に心配なのだろう。鞄にしまう手つきも慎重なので、冬人は自身の使っていないタオルハンカチを貸した。足を伸ばす場所が遠くなるほどに、細々とした日用品の大事さを知る。
目に入った美しいヴェネチアングラスに夢中になったので、ふたりはこの水の都を殆ど見て回っていない。運河を優雅に渡るゴンドラは絶対に乗るのだと出国前から水樹が固い意志を決めており、冬人もせっかくヴェネチアを訪れるのだからと賛成している。だが、この美しい街並みを見ていると急いで飛び乗ることはないだろうと思うのだ。
「路地っていっても日本と全然違うよね。なんか探検してる気分」
鉄細工の柵が設けられた階段を楽しそうに渡る水樹の足取りは、まるで物語の登場人物のように軽快だ。美しい背景もあって、冬人が撮った彼の姿はアルバムを賑やかにする一枚となるだろう。
「
……
あ」
「どうしたの?」
路地のアーチの下を二歩、三歩と冬人より先に進んでは振り返っていた水樹が、前を向いてぽつんとした声を落とす。なにがあったのか、なにを見つけたのかと三歩の距離を埋めた冬人は、アーチから抜けて明るく広がる目の前の光景に水樹が落としたのと似た声を零す。
洗濯物が干されていた。それは一面の、といっても間違いではない。アパートとアパート同士で繋がれた洗濯紐に、シーツがまるで横断幕のように雄々しく風に翻っていた。並ぶ服はグラデーションを作って並べられ、まるで青空を画布にした絵のようであった。
ただの日常風景といえばきっとそうだ。このヴェネチアで水に舟に親しみ暮らす人々からすれば、なんてことのない日々の一つだ。
けれども、その日常はとても美しい。
冬人はいつかの日常であった光景を思い出す。
水樹に連れられ向かったアルビオンのように白い病院の屋上、さらに真っ白な眩しく陽光を吸い込む一面のシーツの波。明確に柵で区切られていたのに、あの一瞬はどこまでも広々として冬人の目を奪い、思考を透明にしたのだ。
あのときとは全く違う色、温度の洗濯物が冬人と水樹の前に広がっている。
「
……
ふふ! 干したばかりだったらこの下通るの大変かもね」
「そうだね。ああ、地面ちょっと濡れてる」
「ほんとだ。じゃあ、干しばかりのときと取り込む直前とだと、また違う色してるんだねえ」
それは白では作れない風景だ。これは此処でしか見られない色だ。
「あ! 冬人さん、ちょっと待ってて」
きょろ、と周囲を見渡した水樹が駆け出す先にはふくよかで愛情深そうな女性がアパートから出てくるところで、水樹は躊躇なく彼女に話しかけに行く。身振り手振りは激しく、冬人を指差し洗濯物を指差しカメラを掲げている。観光地であるから言いたいことが伝わりやすいのだろう、人の好い笑みを浮かべた女性がカメラを受け取るのと同時に、水樹が冬人へ大きく手招きした。
女性にとってはありふれた日常を背中に、冬人は水樹と並ぶ。水樹は満面の笑みで。冬人は控えめに。女性がイタリア語で合図してカメラを構える。正しく機械的なシャッター音が一度、二度。
「Thank
……
じゃない。グラッツェ」
「グラッツェ! グラッツェ! ありがとうございます!」
拙くイタリア語で感謝する冬人とは反対に、水樹は元気いっぱいだ。それが面白かったのか、女性は案外豪快な笑い声を上げる。
「Voi due siete molto uniti!」
ぱちんと様になったウインクをひとつ。去っていく女性がなにを言ったのかは分からず、冬人と水樹は顔を見合わせる。悪い意味ではないのは分かる。
「多分、僕と冬人さんはめちゃくちゃ仲良いね! って言ったんだと思う」
「そうかなあ」
「冬人さん、僕と仲良しじゃないって言うのっ?」
「あはは! うん、仲良しだよ」
「ふふん、でしょ?」
そうだ。だからこうして笑い合っているのだ。
異国の風を感じながら。どこかから届く異国の歌を聴きながら。良き日、幸いな日と笑い合っているのだ。
「あ。冬人さん、喉渇かない?」
「足休めにどこか入ろうか」
「はい。本場のエスプレッソが飲みたいです」
「それ、喉乾いたときに飲むもの
……
?」
「炭酸水も飲んでみたい」
花を模した柔軟剤の香りを聞きながら、したいことを話し合う。
あれをしたい、これをしたい。あれもできる、これもできる。
ああ、それはなんて。
──Meravigliosa!!
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