大人が二人でベッドの上にいて、肌の一つも重ねないということを笙祠は理解できない類の人間であった。そこまでの状況にあるなら抱けよと思っていた。
だが、人間とは変わるものである。
規則正しい寝息。
己の胸にぴたりと頬を寄せて眠る喰斑を抱きしめながら、笙祠は彼の呼吸音を聞いていた。
色のある夜を過ごすことの多かった笙祠であるが、喰斑とはただ寄り添って眠るだけの日も多い。最初は慣れずまんじりともしない時間を過ごしもしたが、人肌と静かな寝息は自然と眠りを誘う。疲労に沈むように眠るのとは違う目覚めも心地良く、悪くないなと思うようになったのは存外早い。性に奔放とはいえ相手のことがどうでもいいなどあるわけもなく、喰斑の隈が気になれば笙祠からも添い寝に誘うことが増えた。
「いいの?」となにかと他者を気遣う喰斑は言ったが、したくもないことは口にしない。喰斑にもそのように伝えれば、彼は眠たそうな目をゆるりと細めた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
先にベッドへ横たわり、広げた腕のなかへ深く潜り込む喰斑がほう、と息を吐くのに合わせて笙祠は彼を抱きしめる。己よりも小柄なせいか、痩せたように感じる背中をやわく叩いていれば喰斑の体から力が抜けていく。彼が寝入るまでは早く、とろりと落ちた瞼を見る笙祠は微笑む。なるべく深く眠れたらいい。元より寝ている相手を起こす嫌がらせなどしようとも思わないが、眠りを守ってやりたい気持ちになるのも珍しい。
他者とベッドにいて相手以外を思い浮かべるのは礼に失するが、瞼が重くなるまでの間に以前ならば、と笙祠はぼんやりと思考を手繰る。
以前ならば、相手が先に眠っていれば煙草の一本や二本呑む時間もあっただろう。支払いを済ませて帰っていることもある。不満があってのことではない。ワンナイトには必ずしも甘ったるい事後を必要としないだけ。
それが、喰斑と過ごす場合は違うのだ。
喰斑とは肌を濡らす時間を過ごす日でも、終わればいまのように穏やかな時間に続く。ベッドの上に二人でいて、相手がすうすうと寝息を立てて眠っていることを喜ぶ時間が。
笙祠は思考にどこでもない場所を眺めていた視線を、眠る喰斑の顔に向ける。
元々のものか、寝不足のせいもあるだろう白い面に走るのは、再生した皮膚独特のより白い傷跡。右目の上を走る傷跡は平素前髪がかかって目立たないが、見えないわけではない。事故か事件か、訊いたことはない。ただ、左目とは色が異なるのを見れば、笙祠は喰斑の隣に立つ際に左右どちらにするか状況によって変えはした。いらない世話かもしれないが、態々口に出さなければいいことだと思っている。
痛かっただろうな、と考えると眉根が寄るので、笙祠は意識的に解く。感情のざわつきは気配として煩わしいものだ。喰斑を起こしたくない。乱れた思考を落ち着けるのに常ならば煙草を手繰るが、いまは両腕を動かしたくない。睡眠によって体温の高くなった喰斑の体をそのままにしていたいのだ。
ふ、とひと呼吸。目を閉じて笙祠は喰斑の呼吸音と体温に集中する。そうすれば眠りが訪うことを彼はもう知っていたので。
「──今日もいいの?」
その日も隈を作って眠たげにしている喰斑に、笙祠は苦笑いを抑えて尊大に鼻で笑う。
「嫌なら言わねえよ。前も言っただろ」
「そうだけど……」
いいのかな、と考えているような喰斑に「理由もある」と言えば、彼はぱちりとまばたきをした。
笙祠は端末を取り出して、メッセージアプリの画面を喰斑に見せる。
「新作の時期なんだろ?」
画面には喰斑からの知らせ。笙祠好みのデザインと、それを的確に伝える内容。買う、店に行く、とはすぐに返信したが、その前にRooMで喰斑と会ったのは偶然だ。
「ふふ、そっか……今回も気にいるんじゃないかな。要望とかある?」
「全部任せる。お前の腕は信頼してるし、感性も気に入ってる」
喫煙室ではないので取り出せないが、煙草リングもしっくりと指に馴染むほど愛用している。いま、笙祠の耳を飾るのも喰斑が作ったピアスだ。
「しっかり応えなきゃね」と言う喰斑の嬉しそうな顔に、笙祠は「期待してる」と微笑んだ。思うままに作って、こだわってほしい。
「そのためにも十分に寝てくれ」
「分かった。でも、笙祠君もしたいときは言ってよ」
「我慢はしねえよ」
そうして、会話が一秒途切れる。視線を交わし、どちらともなく席を立った。スタッフに言えばすぐにホテルの鍵が渡される。
今夜もただただ穏やかな時間を過ごす。
──悪くない以上の満足があった。
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