ネイあり

気をつけること

 ネイサンには可愛い恋人と接する上で気をつけていること、意識していることがある。

 ──ひとつ、不意打ちで明璃澄好みの格好をしないこと。
「おはよう、明璃澄」
「あ、おは……その服……
「うん、明璃澄が選んでくれたやつ。似合ってる?」
「っ……似合って、ます……!!」
 明璃澄は頬を真っ赤にして、潤んだ目はそのまま涙が溢れそうなほど見開かれてネイサンを凝視している。
 今日の服装は選んでもらったなかでも明璃澄が一押しという反応をしていたもので、ネイサン自身が選ぶ系統とは違う。つまり、明璃澄の好みに加えてこの姿のネイサンは珍しいのだ。
 ネイサンにファンのような熱意を向ける明璃澄は、仕事中でもしばしばネイサンを見つめて落ち着かなかった。デートのときに着ていればそのまま攫ってしまえたのに、とネイサンは大変口惜しくなった。

 ──ひとつ、鏡越しに笑いかけたり手を振らないこと。
 ウィッグを用いてカットの練習をしていたネイサンは、背後から視線を感じて顔を上げる。
 目の前には磨かれた鏡。店に設置されているのは、映ったものが細身で美しく見える自惚れ鏡。その効果を抜きにしても、惚れた欲目を抜きにしても、ネイサンにとって可愛い恋人である明璃澄が、じいっとネイサンを見つめている姿が映っていた。
 ネイサンを見ているということはネイサンの動きも見ているということで、鏡を見たネイサンに合わせて明璃澄も顔を上げる。鏡越しに視線がばちりと合って……さっと逸らされた。
 あたふたしながらなにもしていないと主張するように、散らかってもいない手元を片付けようとする明璃澄にネイサンは軽い笑い声を上げた。途端に再び明璃澄がこちらを向くので、再び視線の合ったネイサンは鏡に映る明璃澄へ向かって手を振る。
 明璃澄の手元でがちゃっと物が乱れる音。
 迂闊であった。刃物は幸いなかったが、下手をすれば明璃澄が怪我をしかねない。ネイサンは反省した。

 ──ひとつ、至近距離で見つめたり触れたりしないこと。
 壁に片手を突いて、ネイサンはやや下から明璃澄の顔を見つめる。少し顎を上げれば唇が触れ合ってしまうであろう距離。
「えゔ……っ」
「俺、明璃澄のその鳴き声好き」
 頬を染めるのが恋の色でなければ、まるでいじめられているような顔をする明璃澄に、ネイサンはそれこそいじめっ子のようなことを言う。けれど、本音だ。可愛いからいじめているようなものだ。
「ゔー……だ、だってネイトさんが……っ」
「俺が?」
 明璃澄の肩の上で突いた手を、そのまま下へずらす。明璃澄の肩に手首がとん、と乗る。そのまま外向きに回せばすぐにでも明璃澄の頬へ触れるだろう。触れていないいまだって熱いのが分かる真っ赤な顔。
「ネイトさんが見る……から」
 うろうろと視線を彷徨わせた明璃澄が咄嗟に俯いた瞬間、唇が触れる。
 まるで自分からキスをしたような状況に固まった明璃澄が逃げないうちに、ネイサンは明璃澄の唇を喰んで舌先で触れる。
 ネイサンの服をきゅうっと握る明璃澄は拒まない。ネイトも止まれなかった。

 ──ひとつ、愛情を惜しまず注ぐこと。
 自宅に恋人がいることを、嬉しく幸せだと感じないものは早々いないだろう。ネイサンは両手を挙げて歓迎するし、そもそも自分から明璃澄を招く。
 合鍵を渡していてもネイサンが直接誘うと明璃澄は「いいのっ?」と望外の喜びを得たように目を輝かせるので、ネイサンはもう彼が可愛くてかわいくて仕方がない。
「ほんっと可愛い……どうしようね?」
「え、どう……って、なにを……?」
 少しだって離したくなくてぎゅうぎゅう抱きしめるネイサンの腕のなか、自分からも抱きしめ返してくれる明璃澄が戸惑った声を上げる。
「明璃澄が好きで好きで……どうしたら伝わるかなって」
 どうしたらいい? と重ねて問うネイサンに、びくっと跳ねた明璃澄の体が熱くなる。鳴き声も上がった。可愛い。ネイサンは声に出して何度も繰り返す。ほんとうに可愛い。
 しばらくネイサンにぎゅうっとしがみついていた明璃澄がやがて口を開く。
…………た、たくさん触って、ほしい……
 明璃澄がおずおずと身を離し、ネイサンを潤んだ目で見つめてくる。眉はへにゃりと下がっているが、ほんのりと期待の色もある。自分であれば叶えると明璃澄に信じてもらえていたなら、ネイサンはどれほど嬉しいだろう。ネイサンは明璃澄が好きで堪らないが、明璃澄からも好きでいてもらいたいのだ。
……触っていいの?」
「うん……
「撫でるだけ、キスだけじゃなくて、明璃澄のナカも……いいの?」
 明璃澄が再び勢いよく抱きついてきてくれたので、ネイサンはあやすように揺らしながら上機嫌に笑い声を上げる。
……いいよ」
 耳元で上擦った声。恋人から許してもらえる、求めてもらえる言葉。
「ふふ、明璃澄。明璃澄、大好きだよ」
 ネイサンはずっと言い続けた。キスの合間に言ったし、明璃澄に深く触れる間もずっとずっと言い続けた。
 ──自分の「好き」で明璃澄が溺れて、上がってこれなくなるように。