冬人と水樹さん

ハロウィン

 十月晦日。ハロウィンである。
 冬人は数日前からちまちまと日持ちのする焼き菓子を作っていた。菓子作りは本職でないものの、分量と作り方を守ればどうにかなるのが菓子作りである。焼き菓子であれば然程技術が拙くてもどうにかなるし、料理とは勝手が違うものの冬人の手際は悪くない。
 作る量自体は多くなかったが、菓子作りにおいて大抵のレシピは三、四人分からの量が大半で、単純に人数分を減らして割るとどうにも結果が崩れる。
 ならば、どうするか。
 誤魔化し応用の利く簡単お手軽レシピを使うのだ。
 時間短縮に簡略作業。冬人はハロウィン当日までに種類豊富な菓子を用意することに成功した。

「Trick or Treat」
 発音がやたらといいなあ、と思いつつ、冬人は期待に輝いた笑みを浮かべている水樹にバタークッキーの入った小袋を渡した。
 一瞬黙った水樹はすぐに分かってましたよ、という顔で数度頷き、クッキーを丁寧に受け取る。
「ありがとうございます。こちら頂戴して僕のおやつにします」
 芝居がかった厳かな口調だが、言葉通り水樹はクッキーをおやつにするだろう。バタークッキーなのでまだまだ少食な彼には重たいかもしれないが、その分枚数は少なめにしてある。
 ハロウィン当日、冬人は水樹が必ず合言葉を告げると予測していたので、きちんと作って用意したし、菓子はきちんと役目を果たした。
 世間の雰囲気か、楽しいイベントごとは全力で満喫するからか、おそらく後者が理由だろう。水樹は持参してきたジャックオランタン型の小ぶりなバケツにクッキーをしまう。
 ──Trick or Treat.
 ささやかながらもハロウィンにおける主役、メインイベントといってもいいやり取りを終えたが、ふたりのハロウィンが終わっていないことを冬人は理解している。
 それはこの後、ハロウィンフェアが開催されている店に赴いたり街並みを観て歩く予定があるからではなく、冬人から合言葉を言っていないからでもない。
 うんうんと重々しく頷き、まるで役目を果たしたとでもいうようにバケツに蓋をした水樹の次の言葉を、まるで昔覚えた歌のように浮かべることができるからである。
「冬人さん……Trick or Treat」
 店の催しであればルールとして定められているだろうが、民間において一人につき一回しか言ってはいけないとは厳格に決まっていない。暗黙の了解はあっても、言葉にして取り決めていないのであれば他者の善意に対する甘えでしかないのだ。
 左様。冬人はこの茶目っ気と遊び心に富む水樹の追撃を、あらかじめ予測していた。
「はい」
 よって、冬人はさり気なく脇に置いていた箱から新たな菓子を取り出し、水樹へ差し出した。スノーボール。
 粉砂糖をまとうころりとしたクッキーが数粒入った小袋に、水樹はすん、と静かな表情を浮かべ、すぐににっこりとして「ありがとう」と受け取った。
「これ冬人さんが作ったの?」
「うん。拙いのは見逃して」
「これで拙いって冬人さん、理想高い……? プロだから?」
「俺は料理が専門だから……簡単な作り方だし」
 簡単と聞いたからか、水樹が勢いよく身を乗り出す。
「先生! 僕でも作れますかッ?」
 きらっきらと星が瞬くような目でじ……っと見つめられ、少し顎を引いた冬人はぎこちなく首肯する。料理もだが、冬人は様々なものに興味を向けて実践していく水樹を応援したいと思っているし、なによりもこうして期待の眼差しを見つめられると「うん」「いいよ」と言ってしまうのだ。もちろん、冬人は嫌々などでは決してないし楽しくも感じるのだが、圧され気味であるのも否定できない。水樹のこの目に冬人は弱いのだ。あるいは甘いともいえるのかもしれない。
「プロの弟子名乗れちゃうな」
 顎の下へL字にした指を添えた水樹に他人のレシピを使ったとは言い損ねつつ、冬人はスマホで時間を確認して「そろそろ出かけようか」と促した。
「うん! 僕、まだかぼちゃプリンとかぼちゃのモンブランで悩んでるんだよね……
「俺が片方頼むよ」
「ううん、ここは敢えて冬人さんチョイスのを分けてもらいます」
 きっぱり。
 分け合うことに躊躇を見せない水樹に、つい彼の苦手なものはなんだったか、それは避けようと冬人は考えるものの、これは水樹にとって好ましくないある種のお節介だと考え直す。彼は自身が持つ選択肢と異なるものも楽しみ、尊重できる人間だ。それはさらりと当たり前に。
「分かった。じゃあ……俺は店に着いたら決めるよ」
「お楽しみが増えちゃったな……早く行こ! Trick or Treat」
 冬人はチャンクスコーンの入った小袋を水樹に渡した。
 ハロウィン終了まで、まだ十時間近くある。
 冬人の用意した菓子が尽きるか、水樹が諦めるか、攻防は続く──