笙祠と兎佐伎さん

寝落ち

 鉦叩きの声を庭に聴く夜、障子を引いた笙祠は顔にかかる冷えた空気に目を眇め、すぐにゆるりと眉から力を抜く。
 広い部屋にもしっかりと目立つ慧の大きな体がのびのびと寝転がり、健やかに肩を上下させていた。
「ふは……風邪引くぞ」
 互いに忙しくしており、慧が笙祠の家に遊びに来たのは久しぶりだ。先ほどともに熱中していた携帯ゲーム機から響く軽快なBGMに、笙祠は自身が一瞬席を外した隙に慧が見事な寝落ちをしたのを察した。
 せっかく進めたデータが飛ばないように慧のゲーム機をそっと操作して電源を切り、笙祠は「さて……」と慧の寝顔を眺めた。
 自分が知る人間のなかでも飛び抜けて愛嬌と素直さに満ちた慧をこどものように可愛がっている笙祠であるが、寝落ちした慧をこどもにするようおぶって運ぶのは少々難しい。大変素晴らしいことに慧はすくすくと育った成人男性であり、笙祠よりも体格がいいのだ。これが緊急事態となれば支点力点作用点、身一つで運ぶ方法はある。けれども、このすやすやと安らかな寝顔を保つことはできないだろう。
 さて、さて。考えながら笙祠は慧の顔にかかる髪を払う。無表情で黙っていれば威圧感すら発しそうな奕奕と整った当世顔は、上がり気味の口角が愛想の良さを隠せていない。
(保護者に連絡いらねえのだけ楽だな)
 未成年であれば流石に家に招いてもいないだろうけど。
 意味もなく自身の顎を撫で、笙祠は「おい」と慧に小さく声をかける。
「体痛くなるぞ」
「んー……
……だめだな」
 唸り声にもならないような声を上げただけで眉すら動かさない慧を見て、笙祠は早々に起こすのを諦めた。元より疲れて寝ている人間を起こしたいとも思っていないのだ。
 このまま夜中まで起きなくても、そのときは自分が車で送ればいい。
 そうと決めたら笙祠は障子を開けっ放しにして部屋を出た。
 この部屋の押し入れに布団はないので。

「起こしてよ、そうしさん!」
「起こしにいっただろうが」
 ぴかぴかの太陽が顔を出す朝、笙祠は味噌汁を啜りながら怪訝な顔をする。
「もうちょっと早く起こしてほしかったなー……
 しゅんとする慧はどれほど疲れていたのか、寝落ちしてから今朝まで起きなかった。朝食ができる頃に笙祠が起こしにいけば、くしゃっと鼻に皺を寄せたのも一瞬、笙祠が仰け反るほどの勢いで飛び起きて混乱を露わにしていた。
「お前なら予定ありゃ事前に言うなりアラームかけるなりしてるだろ。寝かしといてなにが悪い」
「う……布団とかありがと……でも、久しぶりに会えたからもうちょっと遊びたかったなーって」
「可愛気の塊がよ」
 食事中でなければ笙祠は盛大に慧の頭を撫で繰り回していただろう。
 いつもの、ともいえる笙祠の言葉にようやく慧も笑みを浮かべ、ぱりぽりと奈良漬を食べる。
「疲れてんならしっかり休めよ」
「お陰様でもうしっかり寝たよー。そうしさんもちゃんと休んでる? なんか眠そうな顔してない?」
「寝ぼけた面ってか。この男前に向かっていい度胸だ」
 笙祠が片眉を上げれば「ちゃんと格好いいよ!」と慧が慌てて言う。互いに笑い声混じりの気安いやり取りだ。
「もしそうしさんが寝落ちしたら、今度は俺が運ぶね」
「頼むわ。抱き枕にされる前に逃げろよ」
「あはは、そうなったら一緒にお昼寝しよっか!」
 からからと明るい慧からはどこまでも夜の気配がしない。人柄としての清潔感とはつまり安心感である。慧が身近にいるだけで安堵を覚える人間はきっと多いだろう。
 平素は「添い寝」というものが物足りず理解できない笙祠であるが、目の前の大きな青年との「昼寝」は大層心地良いだろうと思えた。
……仕方ねえな。前払いは土地でいいか?」
「出た!!」
 慧が無邪気な笑い声を上げる。
 懐かしいほど久しぶりの、賑やかな朝食の席であった。