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みすず
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Rabbit in the RooM
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まそとお
穴子
「
……
どしたの、先輩」
何気ない会話の最中であった。
人手が多かったのとベテランが揃っていたことから開店まで余裕があり、スタッフ同士でだらだらと交わしていた会話。明日は毎年夏恒例の心霊番組が放送するらしい去年アレに地元出てきたことあるうちの小学校は花子さんいなくて太郎さんだった実家の裏にある井戸からカリカリ音するのまだ続いてんのかなこの店っておばけ的にエロパワーのデバフと人間の情念のバフどっちかかってんのなどの他愛無い雑談。
けらけらと笑いながら聞いていた真朱が突然深刻な顔をして片手で口元を覆ったので、すぐそばにいた兎織が気づくなり声を顰めて訊ねたのだ。
「
……
明日、ですけど」
「うん
……
休みだよね、俺たち」
「はい
……
そうなんですけど
……
」
真朱は心配そうな顔をする兎織に迷う素振りを見せてから、そうっと彼の耳元へ囁いた。
「──穴子、食べに行きませんか」
食欲の湧く匂いとタレの爆ぜる音がする店内で、真朱は兎織と向かい合って注文が届くのを待っていた。
「あのときびっくりしたよ〜
……
先輩めっちゃ深刻な顔してたもん」
苦笑いしながら冷えた麦茶を飲む兎織に、真朱は「そんなにでした?」と首を傾げる。
「急にこの
……
匂いを思い出したら居ても立ってもいられなくなって
……
」
「うんうん、お腹空くよね」
「月村さんが鰻派だったらどうしようって
……
」
「っふふ
……
うん、唐揚げとナゲットくらい違う、よね
……
っ」
肩を震わせながらも話を合わせて頷いてくれる兎織に、真朱は少しだけ恥ずかしくなって目を逸らす。あのときの自分はそう、確かに深刻だった。幸いにも兎織は絶対鰻主義者ではなかったようで、こうして穴子屋へ来ることが叶いなによりである。
「お待たせしました!」
然程待つこともなく運ばれてきた穴子はつやつやとタレをまとい、飯の上で煮穴子と蒲焼の両方が隙間なく並んでいる。柚子や胡麻などの薬味も添えられているが、使わなくても美味しいことは目にも鼻にも確実であった。
「うっわ、美味しそ
……
え、これにさらに骨酒来るの?」
「頼みましたからねえ」
日本酒が好きなふたり、真夏であろうとメニューに骨酒の文字を見て注文しないわけがないのだ。辛口冷酒しか飲まない呑兵衛であったとしても、鰭酒骨酒となったら別の話である。
昨日の真朱に劣らぬ深刻な顔で兎織が「やばいじゃん
……
」と呟き、ほとんど同時に「お待たせしましたぁ」と店員が骨酒をテーブルに置く。
「やばいじゃん
……
!」
嬉しそうに顔を押さえる兎織を見ながら、真朱も顔が緩んでいるのを自覚する。
「早くいただきましょ!」
舟形の土瓶から猪口へ酒をと、と、と注ぐ音がすでに耳にも美味しい。
「じゃ
……
かんぱーい」
「かんぱい」
真朱と兎織はそれぞれ猪口を軽く持ち上げ、一気に呷った。
トんだ。
キマッた。
ふたりが酒を呑む際は大抵賑やかで、笑いながら次々と呑むことが多いのだが、この瞬間のふたりはテストの時間の高校生のような顔をして黙り込んでいた。
芳醇な骨酒の深い味わいが舌に染み込み腹を灼き、ふっと呼吸をしようものなら濃厚な酒の旨味が胸を満たすので声を発するどころではないのだ。どちらともなくぎゅっと目を瞑っていたし、非常に困った事態に陥ったひとのように指を神経質に揺らしている。
「
……
あー
……
うん、ね」
「
……
はい
……
あ、はい、冷めないうちに
……
」
飲み込んだひと口の後味までも惜しむように堪能し、ふたりは名残惜しそうに猪口を置く。離したくなさすぎて手が震えそうだった。
真朱も兎織も目が据わっていたが、兎織が肝吸いの入ったお椀から蓋を取る所作はいつも通り美しかったし、三つ葉が好きな真朱は上品な香りに幾分かの理性を取り戻す。ひと口啜ったらまたキマッちまうのだが。
「
…………
あのさ、え、俺たちまだ本命食べてないんだけど」
「
……
冷ますのは冒涜ですよ
……
」
「
……
せーので食べよ」
沈黙。
「せーの
……
!」
──ふわふわと柔らかな煮穴子と、香ばしさも濃厚な蒲焼がタレを吸った飯と口の中で混ざり合う。
真朱も兎織も「理解っている」人間なので、言葉を発するより先に猪口へ手を伸ばした。
理解っている人間の叩き出す大正解。はなまる満点の最適解。
「
…………
うッッっっっっっま
……
!!」
「おいしい
……
おいしい
……
っ」
ようやく出てきた感想はとても単純で純粋で、心からの本音であった。
「先輩ありがと
……
連れてきてくれてありがとう
……
」
「おいしい
……
」
「聞こえてないや
……
」
「食べたがってたの先輩だもんね」とぬるく笑う兎織に、聞こえていないわけではかったのだが口を開けば「美味しい」しか出てこない真朱はかくかくと頷くだけで精一杯だ。
食べ、啜り、呑む。あっという間に食べ終わる。
店にいた時間は三十分あるかないかだというのに、真朱も兎織も非常に満ち足りた顔をしていた。店を出た瞬間の灼熱にさえ、その幸福が損なわれることはない。
「
……
行きたいところあります?」
出かける前はてきとうにどこか見ていこうかと話していたふたりだが、真朱は自分の顔にも兎織の顔にも浮かぶ満足感に答えを察しながらも訊ねた。
「んー
……
なんか思いつかなくなったなー。先輩は?」
「私もですねえ
……
帰りましょっか!」
「帰ろっか!」
家に帰ると決めれば不思議と足が弾んだ。
美味しいものを食べて腹も胸もいっぱいで、その充足感を抱えて真朱は家に帰りたかった。空調を効かせた涼しい家で今日は楽しかった、よかったと話しながら兎織とくっつき合いたかった。
「あ、怖い話って今晩だっけ。観る?」
「一緒にお風呂入ってくれるなら」
兎織が笑い声を上げながら「いいよ」と頷く。
善哉善哉、今夜も寝るときは互いの寝息を聴くだろう。
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