フォンタラ

タラッタさんに呪いを解いてもらうフォンソ

 どこの馬鹿野郎がしでかしたのか知らんが「思っていることと反対のことしか言えなくなる」という呪いが聖職者の間で発生した。
 呪いにかかって単純に意思疎通に支障を来たすもの、普段は素直に言えないことをこれ幸いと嘘に乗せるもの、逆に険悪な相手にこれでもかと甘ったるい言葉を繰り返すもの……大聖堂は今日も賑やかである。
 幸いにも呪いにかからずに済んだ聖職者も少なくはなかったので、大聖堂の管理が困難になることはなかった。だが、呪いがかかったものにとっては不幸な事態に変わりない。
 フォンソはその不幸を被った一人であった。
 被った一人であったが、大騒ぎな大聖堂のなかでほとんど平時と変わらぬ時間を過ごしている一部の例外でもあった。つまりはタラッタと一緒にいて、彼に触れたり可愛いかわいいと繰り返しているわけだ。
 左様、フォンソはタラッタへ「可愛い」と常のように声に出している。思うままに、本音のままに。

 フォンソが件の呪いにかかったのは日々の少ない僅かな隙間、タラッタとともにいないときであった。
 筆記ですら思うようにいかない呪いを把握したフォンソは、口を「い」の形にため息を吐き、タラッタへ事態をどう伝えるか悩んだ。自分以外にはあまりにも無関心、目にも耳にも入らないタラッタのことをよく知るフォンソは、彼が周囲の騒ぎに気づいているかの段階で怪しいと思ったし、気づいたとしても「なんだか騒がしいな」程度で終わっているのではないかという想像が易すぎて頭痛を堪えるような顔になった。
 なにと備えることもせずにタラッタへ会いに行けば、フォンソはまず間違いなくタラッタへ暴言を吐くことになるだろう。どれだけ胸の内に愛しい可愛いと気持ちを湛えていても、呪いはすべて拒絶、嫌悪、侮蔑へと変えて音にするのだ。
 最悪だ。
 なんの事情も知らなければ、知っていたとしても自分から直接吐かれた言葉にタラッタは傷つくだろう。
 嘘だから、などと関係ないのだ。ほんとうは反対のことを思っているなんて、全く以って意味がない。
 言葉は時に一つで百の行動を覆す。それは否定的なものほど顕著である。本心は違うのだと承知していても、面と向かって唇を反されて平然とできるだろうか。それこそが情の証だとしても、耳に聞くものは意味に知るものを避けられない。
 さぁて、どうしたものか。
 呪いにかからなかった他者に伝言を、と思うが、その相手に話しかけられてタラッタは気づくだろうか。自分の名前を出せば意識を向けるかもしれない。そうしてフォンソの状態を理解して、それから。
 フォンソはめっきり手を出さなくなった葉巻……はないので茶煙草を咥える。雑にライターをつければ火の粉が散った。
 さぁて、どうしたものか。
 烟ったい顔の前を払ってもう一度。タラッタは間違いなく自分へ会いに来るだろう。フォンソが「呪いが解けるまで」と伝言に添えても、簡単に可しと承知しないだろう。フォンソが体調を崩した際にどうしても、と言って一時的に部屋を分けたときのタラッタは承諾に渋々であったし、なによりも落ち込んで寂しそうに萎れる姿は胸が痛んだ。
 病はよほどでなければ恨む相手も憎む仇もいないが、今回は違うのだ。呪いという明確な他者による加害なのだ。タラッタが黙っているわけがない。
 きりきり参った神経のように細く煙を吐き出して──フォンソははたと気づいた。

「誰がやった……いや、後でいい」
 大仰な主張も仄めかしのような小細工もなくフォンソは堂々とタラッタへ会いに行き、常よりも少し離れた位置で彼の名前を呼んだ。
 途端、年寄りの自慢話を聞く若者よりも感情の窺えなかったタラッタの表情は、喜色鮮やかにフォンソのほうへ向けられる。しかし、その表情は瞬時に苛立ちと不快と不満の色へ変わって上記の言葉へ繋がった。
 苦笑しながら無言で動かぬフォンソのもとへ真っ直ぐとやってきたタラッタは、紫煙を払うような仕草でフォンソの顔近くで手を振った。引っかかっていた蜘蛛の巣が剥がれたような感覚。
 呪いが解けるのは一瞬だった。
 自分のかけた呪い以外がフォンソへかかっていて、タラッタが黙っているわけがないのだ。
 フォンソが執るべきは、悩むよりもタラッタへいち早く助けを求めることだった。
「──すまないね、びっくりしたよね」
 流れるように私室まで連れていかれ確乎として離れるまいとするタラッタに、フォンソは体温も混ざるほど側にいられることの幸福を改めて感じる。
「フォンソは悪くないだろう」
「まあね……解いてくれてありがとう。悪趣味すぎるよねえ……どうしようかと思ったよ」
 抱きしめても足りないというように包み込まれたタラッタの翼のなか、フォンソは安心できる場所に張っていた緊張を解いて息をつく。
「悪趣味どころじゃない……どこのクソ野郎だ」
 忌々しさを隠さぬ表情でタラッタが吐き捨てる。
(クソ野郎とか珍しいこと言うなあ……
 自分の前では機会がないからかもしれないが、タラッタから聞くには珍しい罵言にフォンソは彼へ寄りかかりながら「そうだね……」と短く頷く。
 声にも表情にも怒りの滲むタラッタに、気にしないでなどと言うほどフォンソは無神経ではない。自分が大切にされているものを乱暴に扱われたとして、無事ならばそれでいいとはならないだろう。心にもないことを、舌を噛んでも言いたくないことをタラッタへ言わずに済んだからそれでいいなどと、フォンソ自身これっぽっちも思わない。
 タラッタの機嫌も気分も決して良くないが、悲しみと違って怒りは前向きな感情である。思う存分吐き出せばよろしい。事の下手人である相手と荒場を繰り広げることになるのは心配なので、止めたいところではあるけれど。
 言葉では制止をかけねど、フォンソの腕は自然と宥めるようにタラッタの背中へ回される。翼の間を這うように、付け根を辿るように撫でれば跳ねる体と「ん……っ♡」と反射で上がる声。彼は背中が弱いのだ。触れやすいものだから、フォンソがついついタラッタの体を煽ることは少なくない。
……態とか」
 タラッタの切れ長の目がじいっと見つめてくる。常は奕奕とした目が潤み、艶がかっていた。外へ向かう怒りにほんのりと逸れていたタラッタの視線が、ばしりと自分のみへ焦点を合わせていることにフォンソはきゅう、と胸が痺れるのを感じる。否定できない独占欲。
「態とではないね」
「違うのか……
「あはは。態とではないけどねえ……
 僅かにしょんぼりとしながらも身を擦りつけて甘えてくるタラッタに、彼が呪いを解いてくれて良かったとフォンソは心の底から噛み締める。
 だって、だって。呪われたままであれば言えないでしょう。叶わないでしょう。
「タラッタくんに触れたくないときはないよ」
 好きなひとの肌を貪る機会を、どうして逃したいと思うのか。
 獣欲も爛々と見つめ返せば「ぁ、は……♡」と零されるタラッタの濡れた息。フォンソはその吐息さえ奪うようにタラッタの唇へ噛みついた。
 百の言葉で乞うよりも貪婪な口付けであった。