フォンタラ

嫉妬をしない理由

 肌を重ねれば情が芽生えるのは珍しくない。
 悪魔の弱体化を目的とした行為であっても変わらないのか、大聖堂で聖職者と悪魔間による色恋の話を聞くことが少なくはなかった。悪魔への情により彼らの解放や大聖堂への二心を抱けば上は冷徹な対処をするであろうが、証明に至らずとも弱体化に影響を囁かれている現在は目を瞑っているようだ。

「嫉妬か……
 思い詰めた顔をする聖職者に声をかけたフォンソが聞いたのは、親しいらしい悪魔と他者の関係に覚える不安と悋気。固定パートナーとはなっていないが、その悪魔を憎からず思っているのは本人も自覚しているようだった。
 大聖堂に限らず、土地も時代も問わず聞く話。
 つまりは他人が嘴を突っ込むことではないと即断したので、話に頷き肯定的に励ますに留めてフォンソはその場を離れた。以前よりも薄情になったかしらと思わないでもなかったが、判断として間違ってはいないだろう。感情というものは方向を操作することは可能でも、根本に対して外部の音が響くことはない。
 そうして歩きながらフォンソはただ「嫉妬」という単語の名残りだけを転がし、共感しない己がいることを改めて認識する。
(嫉妬のしようがないしねえ……
 広い大聖堂を歩いてしばらく、見つけたタラッタの姿。遠目にも金糸の髪はきらきらと、黒髪と翼は艶々と。知らないところでなにかなければ、爪の先も欠けることなくフォンソの整えた通りだろう。
 フォンソはタラッタの端整な横顔を二秒ほど見つめ、先ほどよりも衣擦れのする足取りで彼へと近づく。
(お偉いさんの説法聞いてる若い子だって、もう少し楽しそうな顔してたな……
 タラッタが自分に気づくまでの短い時間、この瞬間くらいでしか見ることのないタラッタの表情に、フォンソは苦笑というには喜びの滲む笑みを浮かべる。己がタラッタにとって特別であり、例外である自覚がフォンソにはあるし、彼はそれを真正面から喜ぶのだ。
 恋に、愛に、謙虚である必要がどうしてあるの。
「タラッタくん」
 呼ばう色を乗せて名前をひとつ。
 物音に反応する猫のような素早さでフォンソを振り返ったタラッタの表情が、グリザイユに色を重ねたように鮮やかなものへ変わる。
 フォンソの見慣れぬ顔とフォンソのよく知る顔は、しかし彼に優越感というものを与えない。他者との比較が必要なものなど、他者の存在など、タラッタに関しては全く埒の外である。
 故に、嫉妬というものはフォンソに湧き上がることがないのだ。
「待たせてごめんね。変わったことはなかった?」
「ない。仕事は終わりか?」
「きみといられないものはね」
 そうか、と頷いて、側へ立ったフォンソへ身を擦り寄せるタラッタの仕草は淀みない。自然に行われた「当たり前」には、誰にと主張する意図を感じない。そも、タラッタは誰という外を認識することもしない。フォンソも必要とはしていない。なにを物語ろうと回る走馬灯に干渉することはできない。互いによって完結するふたりをそれこそ無関係の部外者は健全でないと唱えるかもしれないが、その部外者自体がふたりにとっては存在しない。いたとしても拘うに足るだけの認知が為されることはないのだ。存在は認識されて初めて成立する。フォンソとタラッタの間に、周囲に──世界にはふたり以外いなかった。