リズベス

アニマ様の悪戯

 意識してまばたきを一つ、リズベスは大聖堂の変貌に「きっっっしょ」と舌を動かさず喉も震わせずに呟く。
 広大な大聖堂でぐじゅぐじゅと肉を擦り合わせたような音がする。広大な大聖堂に爛れたような肉が這っている。脈打つ肉腕が獲物を求めてそこかしこから伸びている。獣というには醜怪に過ぎる生き物が狂乱している。
 親近感。人間の皮を剥ぎ取ればリズベスも肉の塊である。しかし、彼は「え、きっっっしょいんだけど……建築士のセンス疑う……」と不快感と嫌悪を覚えた。自分を棚に上げることに関して、リズベスは段位持ちなのだ。
「お知らせとかなかったと思うんだけど……責任者誰……? 怠慢じゃん」
 これが個人の家の改築であるならリズベスはなにも言わないが、リズベスは現在大聖堂で寝起きしているのだ。睡眠はそれらしく見せているだけだが、それでも大聖堂を屋根としていることに変わりはない。そして、それはリズベスの意思によって始まったことではないので、退去も儘ならない。やっていられない。
…………これ、人間の趣味じゃないよねえ。なんなら危ないでしょ」
 ぬめりを帯びて弾力のある肉であるが、人間にとってはガラス片をぶち撒けているに等しい状態ではないかと考えて、リズベスのなかに苛立ちも芽生える。
 リズベスには大切な子がいるのだ。その子は人間で、そのなかでもか弱い女の子なのだ。常識的に考えて、そんな子をこの危険を知らせる看板も立っていない場所に居させるわけにはいかない。まして、大聖堂はその子にとって家なのだ。他に頼るあてもないのだ。
 だというのに、この事前周知もない住居の改築、改悪である。
「あー……マナちゃんは文句とか言えないよねえ。言いに行くまでも危ないでしょ」
 ならば、ここはあの子の、マナの頼れる恋人として自分がビシッと苦情を伝えに行くしかあるまい。リズベスは頼り甲斐のある恋人なのだ。少しばかり頑丈だし、マナには内緒にしているがリズベスは実のところ、悪魔のなかでもそれなりに年配である。いざとなれば貫禄も発揮できるはずだ。多分。
「よぅし、頑張るぞ!」
 ぎゅっと拳を握る姿は人間の振りが板についていた。
 ──その拳が、頭上から「発生」した化け物によって持っていかれる。
 針のような歯を内部へ無数に生やした巨大な芋虫が、リズベスの腕をざくりと喰んだのだ。
「ありゃ」
 血も骨もない肉の棒となった腕を見て、リズベスは奥へ向かってずるずると這い進みながら自身の腕を咀嚼している芋虫を見る。
「あのさあ……結構頑張って作ってるんだよ? 返してよ」
 てけてけと歩く。歩調は稚い印象があるのに、芋虫へ追いつくのはあっという間であったし、芋虫が突如異様な痙攣をしてびたんびたんと跳ね回るのは同時であった。
 ぶよぶよとした芋虫の背中が盛り上がる。その様は沸き立つ湯のあぶくに似ていて、薄膜のように膨れ上がった芋虫の表皮もまた泡のように弾けた。
 飛び散る柔らかな赤色。リズベスの千切れた腕の断面とそっくりな肉の色。
 芋虫が咀嚼して擦り潰した分だけ細かく分けられたリズベスの肉が、一斉の芋虫の内側から飛び散って花のように芋虫を咲かせたのだ。
 肉の雨霰、いっそ薄紅の霧が舞う。それらは蕩けた肉に覆われた床へ、壁へ、天井へ張り付いて、大聖堂に張り巡らされた趣味の悪い「壁紙」を乱暴に破り、蛆のような動きでもぞもぞとリズベスへと戻ってくる。リズベスの足元から胴を這って、千切れた腕に集る。
 くちゃくちゃと品のない咀嚼音にそっくりな音が数秒。リズベスは再構築した人間の腕の形に満足そうな笑みを浮かべた。
「建築士くんちゃんさんの家族……子どもかな、愛玩用の畜生かな。なんでもいいけど、管理責任を怠ったせいでぼくは明確に損害を被ったわけだよね。大義名分しっかりばっちだ」
 リズベスはせっかく元の大聖堂の色形を再び侵食しようとする肉を踏み締める。
「泥沼のご近所争いってやつ開始。建築士くんちゃんさん聞こえてるか知らないけど、損害賠償と慰謝料求めに行くね! 示談はなし、体で払ってもらうねえぇぇ!!」
 ちゃらちゃらちゃらと鳴音を伴う奇妙な足音を立て、リズベスは肉筒のように変わり果てた大聖堂の奥へと駆け出した。