しじみ
2019-01-04 11:00:31
1226文字
Public past
 

私の美しい怪物

奏渉
名前のはなし

 どの学校にも等しく怪談があるように、この夢の咲には怪物がいる。その歌を聴く者皆を魅了し、たましいを喰らうのだ。
 
「深い海の底で豊かに奏でる」
 噴水に浮かぶ友人を眺めながら、独りごちると、耳聡くそれをとらえられる。
「ゆたか、っていみがあるんですねえ」
「私の解釈ですけどね!いえね、なんとも奏汰らしい名前だな、と」
「ふふふ、ありがとうございます〜」
 ラッコのように胸の上に手を置き文字通りぷかぷか浮かんでいる。まだ春は遠いというのに水にたゆたうカナヅチの友人は、オフィーリアのように沈んでしまう可能性があるので目が離せない。
「わたるも、とってもわたるらしい、ですね」
 太陽が眩しいのか、目を瞑ったまま発せられた言葉の意図を一瞬考える。
 ひびきわたる。響き渡る。確かに、いつも朗々と話し、演劇部部長とは何たるかを全身で主張している自覚は渉にもあった。
「ふっふー、『響き渡る』、ですね?皆さん計らずも、歌詞に盛り込んでいらっしゃったりしますからね!嬉しいものです」
 大仰に頭を振り髪を靡かせながら、渉は両手から淡紅色の薔薇をいくつも出していく。それを奏汰は片目のみを開けてチラリと見遣った。
「ちがいますよぅ」
 抗議のためか、幾度か渉も触ったことのあるもちもちとした頬を膨らませる。なるほど、ハコフグのようだ。言わないけれど。
「まいにち、まっすぐに、こんなんをのりこえてすすんでいく」
 ぱちくり。渉は薔薇を出すのを止め、目を瞬かせた。
「ぼくのだいすきなひとを、ちゃあんと、あらわしてくれています」
 邪気も嫌味も何もない、真っ白な笑顔を向けられる。
「困難を」
「はい」
 水場の縁に腰を掛け、渉は頭をやや下げる。長い髪がその表情を隠す。
「乗り越えられていますかね」
……はい」
 下にいる奏汰からも、渉の表情を伺い知ることは叶わなかったが、一文字に結ばれた唇を見つけ、目許が更に和らぐ。
「わたるは、つよいこ、ですから」
 水飛沫を上げながら、奏汰は体を起こし、渉とは反対向きに腰を掛けた。濡れた手で、俯く渉の頭を撫でる。
「もう、私まで濡れちゃうじゃないですか」
 顔を上げることなく、渉は口先だけの抗議をする。体は、徐々に奏汰の背に沈んでいく。ひんやりと濡れている筈のそこからは、じわりと温かさが広がってくる。
「わたるはいつも、ぼくをかわかしてくれますから」
 今日は自分が乾かしてあげよう、と歌うように告げる奏汰に、渉の口元は漸く緩んだ。
「奏汰の声は、本当に綺麗ですねぇ」
 ねぇ、歌ってください。友人の甘えた声に応えるように、奏汰は口を開いた。誰も居ない中庭に響く優しげな歌声は、風に吹かれて渉以外には届かない。奏汰の肩口に頭を預けてうっとりと瞳を閉じる友人に、微笑みをひとつ。
 
「わたるの『たましい』は、とってもおいしそうです」
 
 空気が揺れるかどうかくらいの囁きは、美しい怪物しか知らない。