かなすい

合鍵

 マスターキーからスペアを作った。
 二回目であった。

 ねりねりと念入りにココアを練りながら、かなえは緊張していた。
 グレートーンに整えている自身の住居で、寿衣がクッションを抱えてちょこんと落ち着いているからだけではない。寿衣がいてくれるときは喜びが零れ桜のように咲いて足元さえも鮮やかに染まる心地だし、この後どうやって引き止めるか如何にして泊まってもらうかを考えて糸で絞られるように頭がきりきりしたりもするのだが、今回はどうしてもしたいことが別にあってかなえの鼓動は速くなっているのだ。
 どきどきと主張の激しい心臓を抱えたままかなえは自分一人のときよりも多めに砂糖を加え、牛乳を注いで二つのマグカップに移す。くるくると木匙で混ぜて出来上がり。ふう、とひとつやり切ったような息が零れた。
「お待たせ……
 両手にマグカップを持って声をかければ、ヴェルディグリのクッションを撫でていた寿衣がぱっと顔を上げた。さらりとアシンメトリーの髪が揺れる。
「あ、ありがとう……っ」
 マグカップを受け取ろうと手を伸ばす寿衣に「熱いから」と言ってテーブルに置く。
「火傷しないようにね」
「うん」
 そろそろと安全確認するようにマグカップをほっそりとした指がなぞるのを見て、丁寧に塗られた爪のよく似合っていることとかなえの目尻が下がる。
……ふふ、なぁに?」
 あまりにもかなえがじっと見つめていたせいか、寿衣がくすぐったそうに吐息を転がす。甘やかにココアが香り、ほんのりと頬を染めた水蜜桃のような笑みに蟀谷がじんと痺れた。
「きれいだなって見惚れてる」
 機嫌を取るための言葉ではない。
 だから、寿衣が耳まで赤くなって目をうろ……っと揺らすのを見て浮かぶ笑みは揶揄ではなく、夢を見るように蕩けたものだ。
「あのね」
 ふわふわとした心地に揺蕩う声で、かなえは「あのね」と繰り返す。
「渡したいものがあるんだ」
 きょとんとした寿衣に「持ってくるね」と言って立ち上がる姿は、傍目にはつっかえたところがなかったかもしれない。なにも気負わず堂々としているように見えたかもしれない。寿衣から格好いいと思われたいかなえとして願ったりであるが、いまは自分がどう見えるかなど絹糸一本ほども思考を割く余地がない。
 寿衣に渡したいものがあるのだ。
 大きくもなければ重くもない。
 手のなかに握り込めてしまう小さなものを持って、かなえは寿衣のもとへ戻る。
 かなえの顔とぎゅっと握りしめたかなえの手を交互に見やる寿衣の前、あと一センチあれば丁度百九十センチの身長を丸くするように座り、大きく鳴る心臓に蹴飛ばされるような心地で開いた手のひらを見せた。
 銀色の鍵。
 ここを住居とした際に元々設置されていたものから付け替えたディンプルキー、そのスペアである。
「えと……いつでも来てほしくて、好きなときに来てくれたら嬉しくて……
 ディンプルキーはマスターキーからでしか合鍵を作れない。自分が持ち歩く用のスペアを作ったきりしまっていたマスターキーを持って鍵屋を訪ったとき、かなえはなんだかデート用の服を買いに来たときのような気持ちになった。店員は凄まじく寡黙だしBGMは耳を劈くような強烈な金属の摩擦音であったけれど。
……受け取ってくれる?」
 だめだろうか、迷惑だろうか。
 じっと窺うかなえの前で合鍵を見つめていた寿衣が、カメラのシャッターを切るようなまばたきをしてから視線を上げる。桃花眼と云うのだろうか、寿衣の潤んだようにも見える目に捉えられるとかなえは睫毛も揺らさず見つめていたくなる。
「いいの……?」
 熱と水気を含む声音に、知らず強張っていたかなえの体から力が抜けた。
 かなえは寿衣から「いいの?」と訊かれることが好きだった。これを望んでくれているのだと分かり、それを叶えてもいいという魔法の合図のように感じていた。
「うん、いいよ。受け取って」
 自分よりも小さな寿衣の手を取って、今度はその手に鍵を握らせる。つるりとした爪をそっと撫でれば寿衣の手は熱いものに触れたように跳ねたが、逃げて引っ込められることはなかった。寿衣はどうしてか自分から近づいてくれることは多くないが、かなえが伸ばした手から逃げずにいてくれる。恋をしているかなえにとってはきつい酒を脳に注がれるよりもくらくらするのだが、きっと寿衣は知りやしないのだろう。
 かなえがどれだけ寿衣を好きかだって、伝わり切らない。
「──自由に使ってね」
 寿衣から自分のもとへ来たいと思ってほしい。寿衣から自分を訪れてほしい。
 自分の住処を寿衣の居場所にしてほしい。
 とろとろと溢れる欲を優しい声に潜ませて、かなえは寿衣の手を鍵ごと両手で包んだ。