フォンソ

大聖堂に戻る前の戦闘

 フォンソが悪魔と対するとき、彼が赤手空拳に向かうことは基本的にない。
 身体能力が低いわけではないが、拳ひとつで向かうよりも効率がいいのだからフォンソは道具を用いる。
 現在もフォンソは地を駆け、跳びながら悪魔と相対していた。
 強靭な顎を持つ悪魔は既にひとつの村の村人を全て呑み込んでおり、フォンソが駆けつけたのも助けを求めていち早く脱出した村人がいたからであった。
 生存者のいない、後始末ともいえる仕事は幾度体験しても苦い。もっと早く知ることができれば、到着することができれば、悔やむ言葉は百にも千にも及ぶ。
 後悔すらも全てが片付かなければ叶わないけれど。
 フォンソはひたすらに目の前の悪魔へ集中する。余裕があったとしても悪魔と遊ぼうなどと思わない。即断、速攻、須く討つべきだ。
 元は平和に暮らす村人の住処であった残骸を踏み、蹴って、フォンソは悪魔の顎を回避していく。
 悪魔の全身は四メートル程。村の規模を考えると全てを呑むには時間がかかる筈であったが、知らせを受けてから全滅までがあまりにも早い。消化、吸収、人体で比べるなど馬鹿馬鹿しい身体構造だ。異種族であることを見せつけてくれるなよ。
 凶悪な悪魔の構造を把握したとて、フォンソが冷や汗を流すことはない。知ることは良いことだ。どれだけ切迫していようとも、知識、発想こそが起死回生の一手に繋がる。
 現に、フォンソはこの悪魔に相対して退く必要なしと判断している。
 片手に小瓶。
 まだだ。
 閉ざす蓋は薄く脆い。
 ここではない。
 慣れた仕草で外套から取り出す燐寸。
 もうすぐ。
 燐寸が灯す火は瞬間的に高火力となる。
 誘き出せ。
「銀は魔を払い」
 小さな破砕音。
「火は魔を焼き尽くす」
 対悪魔に絶大な効果を及ぼす一手は、鼠の悲鳴に似ている。
 フォンソの正面、彼を飲み込まんと大きく開いた顎、鮫のように幾重にも並ぶ鋭い牙、血色に滑る舌、地獄の底のように暗い喉奥が見えた。
 お前を殺すに足りるのだと信仰を宣言し、フォンソは悪魔の顎へ燃やした水銀を蹴り込んだ。
「ああああ……まずいんだよ、これまずいんだよ……!」
 悲鳴のような声を上げ、フォンソはその場から全力で駆け出す。
 フォンソの背後で信仰に焼き尽くされのたうち回る悪魔は、燃やした水銀による毒そのものさえも吸収している。優れすぎた能力が自身を殺すのだ。
 だが、効果を理解して手法を選んだフォンソは、だからこそその場から逃げるように走るのだ。
 見えない猛毒は全て悪魔が飲み込んでいるが、近くにいて安全とは言い切れない。村人が皆殺しにされているからこそ執れた手段であったのだ。
「あ、死んだ? 死んだね!!」
 悪魔の絶叫が止み、ちらりと背後を振り返ったフォンソは灰のひとつも残さず消滅した悪魔に安堵する。なにも残っていないのなら、飲み込んだものごと消えたのだ。そうでなければ、村人の骨一片くらいは拾えただろうに。
 立ち止まり深いため息を吐いたフォンソは、その息で込み上げたもの全て吐き尽くす。
 無力も、後悔も、苦々しいもの全てをひと息に収める。
 そうして清かなる面で、フォンソは神の徴に触れる。
 死者への悼みと安寧を、心から祈った。

 フォンソは落ち着かないままに、次の場所へと向かわなければならない。
 この地での最後の仕事、生存者からの恨みを込めた罵倒、泣き喚く声と涙を受け止めての謝罪は終えた。フォンソを詰る言葉があるうちは、きっと生き続けてくれるだろう。その間になにか、立ち直る切っ掛けとなるなにかを見つけてほしいと、フォンソは願うことしかできない。
 立ち去り進みどれほどか、フォンソは悪魔をも燃やし尽くした燐寸を取り出す。
 ゆらめき漂う深い煙。
 やわい毒を含んだ葉巻、その香りに巻かれたフォンソは笑みを浮かべる。
 穏やかに。
 信仰に傅く聖職者に相応しく。
 笑った。