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みすず
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Arcana Catedral
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リズマナ
リズベスが爪を切る理由
人間の真似をしていた。
これから必要になるのは人間の振りだ。
大聖堂では既に己の種族は把握されている。されていなければこの場にいない。
己の本性は見たことがないもののほうが多いかもしれない。いや、偶に人型が崩れて漏れ出したものから察せられている可能性はある。
悪魔と人間に限らない。種族が違うもの同士は完全に己の線上へ相手を置くことがない。出身地、流れる血ですら交差を拒むことが珍しくないのだ。
リズベスはがちん、がちんと硬い歯車を無理やり回すように思考する。
いつでも捨て去る、放り出すことのできた人間の真似事、皮一枚。保たなくてはならない。上達しなくてはならない。
そうでないと、あの子が可哀想だろう。
可哀想。
侮辱になるのだろう。
自覚する悪魔故の傲慢が消える日が来るのか、リズベス自身も分からないでいる。
リズベスはマナを後ろから抱きしめるのが好きであった。正面から小さな顔、大きな目、ふっくらとした唇を見るのも好きだが、全身をそっくり包みこめるのは背後からの抱擁であったのだ。
最初は驚いてひゃ、と声を上げることの多かったマナだが、最近は自身に回されるのがリズベスの腕だと分かっているのか驚くより喜色混じる声でリズベスを呼び、顔を見上げようと身を捩らせることが多いように思う。
「どうしたんですか?」
「マナちゃんがいたから」
何度も繰り返しているやりとりだ。他者がやっているのを見ればなんとも甘ったるく感じるが、当事者となると真実これより他に理由がないのだ。リズベスはそこにマナがいればてってけと近づき、その小さな体を自分の腕に収めてしまう。常識として刃物や熱いもの、液体を運んでいる際にはしない。
にこにことマナにだけ向ける笑みを造り、リズベスは彼女を寄り掛からせるように後ろへ重心をずらす。望んだ通りぽすんとリズベスへ背中を預けたマナは、顎を上げてリズベスの顔を見てくる。眼球を介さなければ、マナの笑う顔がはっきりと見ることができる。これは偶に顔が崩れそうになるけれど、意識すれば保てる。
「マナちゃんはお仕事中?」
「はい。お手伝いに呼ばれていて
……
」
ならば、リズベスが長々と拘束しているわけにはいかない。叱責を受けるのはマナなのだ。悪魔に絡まれたという言い訳は可能だろうが、マナが左様な方便を用いるとは思えない。素直、正直であることが損に繋がるのは、リズベスが見てきた人間社会に多いことだ。しかし、決して悪徳ではない。
「でも、大変な作業ではないようなので
……
! すぐに戻れると思います!!」
焦ったように、慌てたようにマナは小さく拳を握っている。リズベスの腕に引っかかって、猫の手に似ていた。
共に過ごすことを望んでくれるマナに、リズベスは「うん」と弾んだ声で頷く。
「うん。待ってるね。お手伝いえらいねえ
……
慌てないでね、怪我しないでね」
「ふふ。分かりました。心配してくださってありがとうございます」
鈴が鳴るような笑い声。そう形容される声。リズベスにはどんな鈴を指して当て嵌められたのか分からないけれど、きっと非才な詩人がどうにか捻り出した表現なのだろう。だって、マナの声はなによりうつくしい。
名残惜しく解いた腕。離れるマナも常より少し鈍い動き。少しでも体温が混じり続けていればいいのに。体温の調節など幾らでもできるリズベスは、いつもマナの体温と己の熱を同じくしない。そうすれば、よりマナを感じることができるので。一体であることは時に寂しくなるのだ。なんとも繊細な機微を得たものだと、おかしいのか呆れたのかリズベスは自身のことが分からない。
「では
……
行ってきます。あの、すぐですから! ほんとうにすぐ戻ってきますから」
「うん。大丈夫、どこにも行かないから」
何度かリズベスを振り返りながら、マナは駆け足気味に離れていく。
袖を振りふり見送ったリズベスは、造った表情を変えて冷いものを刷いた。
以前であれば、いつでもにこにこと機嫌の良さそうな人間の表情を造っていた。楽しそうな、嬉しそうな、弾む心に合わせて足取りも軽くなりそうな表情。顔。
リズベスがその表情を造る機会は格段に減っている。決して無表情、無愛想、白けたものではない。
体温と同じだ。
マナにだけ向ける笑み一つだけでは足りない。マナがいなければ自身は楽しくもなんともないのだ。「平素」に笑みは必要ない。楽しいから笑うのだ。嬉しいから笑うのだ。心弾む何をなくして機嫌など上がっているわけがない。
温度差、緩急をつけることによってリズベスは特別を強調する。
感性が平均からずれていなければ、人間の表情は一定のものにはならない。
──リズベスは人間の感性を造らなければ装えない。
人間ではない、人間に届かぬリズベスをマナは受け入れるだろう。それだけで可しとはできないのだ。
傷つけない。マナが笑っていてくれるように、幸いであるように。
化け物へ寄り添う彼女に嫌悪、侮蔑、悪意の石が投げられないように。
リズベスは己の手のひらに視線を落とす。尖った爪が指を越えている。
「また、切らないと」
人間と異なる爪で、マナが傷つかないように。傷つけられる理由にならないように。
「マナちゃん、早く戻ってこないかなあ
……
」
リズベスは寂しそうな表情を造った。
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