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みすず
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Arcana Catedral
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フォンタラ
卓上旅行
地図はなかなかに貴重なものである。
使用される場面が軍事的なものであったり、一般人には大規模で詳細なものより簡略されたもののほうが使いやすかったり。其処ここで手軽に入手できるものではない。
左様。手軽に、という話であって、必要とあれば集められ、揃えられるのだ。
「いや、我ながら便利すぎるな。地理の更新把握です、で済んだ」
フォンソは机の上へ筒状に丸められた紙と何冊もの本を置いて、おかしいそうにからからと笑う。軽々と持ってきていたけれど、本の厚みはちらりと見ただけでも相当な重量を察することができる。悪魔であるタラッタからすれば大した労にならないが、人間であることを考慮すればフォンソの膂力は相当だろう。
「随分多いな
……
」
机の前、椅子へ腰掛けていたタラッタが幾分目を輝かせるのに、フォンソもまた浮かれたように紙を留める紐を解いていく。
顕れるのは世界。
大陸を、島を、国同士を繋ぐ地図。街を仔細に描いた地図。見るものによっては飛びつきたくなるであろう価値ある紙は、これからタラッタとフォンソの巡遊に用いられる。机を離れることなく。
「あちこちから来る聖職者も、逆も多いからね。自然と多くなる」
なにを理由として、とフォンソは言わないし、タラッタも追求することはない。気まずいというよりも、重要なことではなかったから。
「これは?」
タラッタが指したのは、地図とは別の紙。透けるほどに薄く、茶色を帯びている。
「蝋引き紙。流石に直接は描き込めなくてね
……
」
「ああ、なるほど。俺も本の保存によく使ったな」
失ったものに対する傷を引っ掻いた様子はなく、ただ記憶をなぞったタラッタに「見習いたいねえ」とフォンソも大聖堂に所蔵されている本を思い起こす。全てがすべて厳重に管理、相応の扱いをされている訳ではない。多いのだ。量も、種類も。読書を目的として喜ぶものもいるが、貴重なものであるからこそ管理できる人間が少ない。難しいことである。
フォンソもタラッタと並んで椅子へ腰掛けた。まずは、と世界へと拡がる地図をふたりの前に広げ、蝋引き紙を上に重ねる。確認済みであったが、改めて地図をすかし見ることができて安堵する。
ふたりはこれから旅をする。世界中を巡る。国を渡り、街を気ままに歩き、見聞きしたものを共有する。
ふたりは、旅をする。
目的は別として、あるいは敵対するにも相応の理由で、フォンソの経験はタラッタと重なるものが多かった。
「──そろそろ北の山は白くなっていそうだな」
切っ掛けはひと言。なんのこともなく呟いたフォンソに、タラッタがきょとんとした顔をする。無防備ともいえる表情を見ていると、フォンソは交流という意味でタラッタが他者と接触したことが少ないのではないかと考える。自分とのやりとりからは信じられないことに。
「
……
行ったことが?」
意外そうに訊かれて、一拍。フォンソは自身が指した場所が限られていることを思い出す。いまの時期から雪化粧に急ぐ国は多くない。もちろん、万年雪を被っている場所はあるけれど、雪が溶ける山のなかでは珍しいのだ。
「うん
……
キーフィスというところ。夏ならよかったけど冬目前でね」
「
……
知っている。もう少し南によると湖の氷が溶けて暖かくなるんだ」
ぱっとタラッタの顔が明るくなった。金の目も星を乗せたように輝いている。
フォンソはタラッタの屋敷を思い出す。世界各地から集めたであろう様々なものがあった。それはもう、色で例えれば系統も濃淡も果てなく続くように。
「氷
…………
きみ、氷室に花を閉じ込めた氷柱を置いていたけど
……
あれ、確か東方のものじゃなかった?」
「知っているのか? ああ、氷貿易の関係で知ったんだ。遠かったし島国だったから手間もあったが
……
十分な価値があった」
連想して記憶の抽斗を叩いたフォンソに、タラッタは笑みさえ浮かべてやや早口で話す。その内容はフォンソの知識と合致するもので、だからこそフォンソは驚くのだ。件の島国は長く船に乗る必要があるほど遠く、噂ひとつ聞いて向かおうとは早々思わない
……
氷貿易の関係という言葉には何事もなかったように願う。人間の生活に使われる貴重品なのだ。
「東方でも大陸になると絵や詩が良い
……
こちらとは随分趣が違ったな。詩は読ませても難解だったが
……
真理を突いたものもあれば、歌ったものの率直な感情を起こしたものもあった。文具は岩絵具に近いのか? あちらでは珍重されていた」
フォンソが書物でしか知らなかったことを情感豊かに話すタラッタは楽しそうで、自然とうんうん頷きながら聴き入る。直接見聞きした者の話は活々としていて、聴いているほうも体験しているように感じるのだ。
知らなかったな、とフォンソはしみじみと感じる。
タラッタの話はフォンソにも聞き覚えがある。現地を訪うのに文化を知ることが重要であったから。悪魔の所在、所業を知るために、辿り着くために話を聞いた。文献に目を通した。全て人々の間を縫って歩くためだ。人々から排除されないためだ。タラッタに対して交流をなどとよくもまあ、とフォンソは内心苦笑いした。自分のほうがよほど人を避けていた。
「それから
……
」
タラッタの口が止まる。
眼前でぱちん、と手を鳴らされたような唐突さ。
「
…………
話しすぎた」
常にない饒舌、夢中になっていたことを自覚したのだろう。タラッタの照れた顔。その表情を見ることができるようになって暫くの間、言動と相俟って、フォンソは言葉にせぬまま「気が狂う気が狂う気が狂う」と情緒をかき乱されていた。だって、可愛い。「私をどうしたいんだ」と肩を揺さぶりたくなったのは一度や二度ではない。自分でなければ空の色も忘れるような囲い込み方をされると言い聞かせたかった。大聖堂には大義名分があるのだ。
いまは、信頼されることがただただ嬉しい。応えたいと思う。傾けられた心を呑んで、同じだけ、それ以上に返したい。
「きみの話は沢山聴きたいし、きみが話してくれるのはいつまでも聴きたい」
聴かせてほしい。教えてほしい。
タラッタが生きてきた時間に沿いたいと、フォンソは心から思うのだ。
「
……
じゃあ、もっと聞いてくれ」
眉を下げながらタラッタが話の続きを始める。先ほどよりもゆっくりと、穏やか歌、幾度もなぞった物語、なめらかに話す。
「北方に戻るが、とても欲しかったものがあるんだ
…………
持ち帰れないもので、どれだけ口惜しかったか
……
」
当時を思い出しているのか、初めてではないかというほど渋い顔をするタラッタ。渋いなどという言葉では済まないかもしれない。いまにも舌打ちをしそうだ。少なくとも指はかつかつと爪が音を立てている。
「
……
それは、なんだい?」
突かないほうがいい気もするが、敢えて訊く。
「極光だ」
声まで固い。
フォンソは色をまとって夜空をひらひらと揺らめく帯を思い出した。
「あれは、きれいだったな」
現地の人に強く勧められて見上げたのだ。
確かに持ち帰ることはできなかっただろう。光そのものは難しくとも、星であればタラッタは掴みに行っただろうか? もしくは、既に望んで叶わずいまのような顔をしたかもしれない
……
と思ってフォンソが窺うと、タラッタは打って変わってとても嬉しそうな顔をしているのだ。
「フォンソも見たことがあるのか。美しかったな。とても、美しかった
……
そうか、お前と同じものを見ていたんだな」
(きっと、きみと同じものではないよ。きみの目にはもっとずっと美しかったろう)
だが、フォンソもタラッタと同じものを見たということが嬉しかった。聴くだけではなく語り合うことができる。
「ブルトゥンに行ったことはあるかい?」
「ある。選ばれたものしか手にすることができないという剣を見に行ったし、気に入ったから持ち帰った」
「やっぱりきみか
……
突然消失したって伝説になってたよ」
タラッタが笑い声を上げた。珍しいことだ。余程おかしかったのだろう。
「俺は選ばれたものらしいぞ?」
フォンソも肩を揺らした。
「ただ
……
」
「うん?」
「飯は絶対に持ち帰る気がしなかった」
「分かる! 分かるよ。余所者への嫌がらせを疑ったね」
とうとうフォンソも大きな笑い声を上げた。大いに同意する。ブルトゥンの料理はひたすらに不味い。はなるべく早く調査を切り上げようとしたことを思い出し、そうだろう、と言うタラッタに何度も頷き返した。
「茶葉は
……
まあ、持ち帰ったんだが」
「うん
……
紅茶は信用できたね」
大聖堂でもブルトゥンの茶葉を愛用する者が多いし、主要となっている。
「
…………
弦楽器の奏者を連れ帰ったことがある。人間としては成人となっていなかったが
……
屋敷に多くの楽譜が残っている」
後ろめたそうな顔をするタラッタは、こればかりは聖職者にとって許し難い領域であると分かっているのだろう。それでも話す。それでも話して、フォンソへ聴かせた。
「アスターリアかな。音楽界の悲劇、歴史の損失。有名だね」
「
…………
そうか」
低くて苦い声を出して、後悔などはしていないだろうに。
フォンソは責めないのに。
「彼の曲はどうだった? きみにはどう聴こえた?」
沈黙。
「佳かった。素晴らしかった。あの弦が上げる音は絶対に忘れない」
「そうか。私は音楽の造詣が深くないけど聴いてみたかったな
……
そういえば、隣国には鍵盤楽器の
……
」
フォンソは口を止める。
ぽつりと一滴降ってきた雨を見上げるように、タラッタが視線を空に向けている。
寂しいとも苦しいとも
……
嬉しいともなく、ああ、となにかに気づいたような一瞬。
「
……
お前と行けたら、更に楽しいだろうな」
楽しかっただろうな。
重いものが乗ったようにゆっくりと伏せられていくタラッタの瞼。きらきらと輝いていた舞台、その終幕のように。
「
……
きみの望んだ形とは違うが
……
」
躊躇う。稚拙な代替案か。
「卓上旅行でもするかい
……
?」
地図を辿るだけでは、もう一度と、幕を上げてと願う声には足らないか?
「
…………
したい、お前と。そうか、その手が
……
!」
注目。指を弾く音のように。
空気を変えて色を変えて。
靴を鳴らす足取りよりも軽やかに!
「じゃあ、しよう
……
行こうか!」
世界は広い。
見たものも聞いた話もきっと一部でしかなくて、気づかなかったものも知らないものも沢山あって、目も耳も足りない。伸ばす手も数える指も足りない。それでも、ひとりでは零すものを掬うひとがいれば世界はさらに広がるだろう。
「ん
……
どこまでも」
優しい笑みを浮かべるタラッタ。その笑みが続くように、輝くように、手を引こう、手を引いてもらおう。
地図に足取りを残す。
ふたりは旅をするのだ。
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