リズベス

大聖堂に来る前

 「──ねえ」
 大聖堂へ連れていかれる以前からリズベスは人間に話しかけることが多かった。
 悪魔という存在は忌避され、消滅を願われるものなので、当然リズベスが人間に受け入れられることはない。そも、リズベスの記念すべき人間との初遭遇時、彼は人型をしていなかった。
 生肉を積み重ねた塊が「ねえ」と話しかけたものだから人間は凄まじい悲鳴を上げて逃げてしまい、リズベスはこれはよくないと自身の姿を変える努力をした。人間に会う度に騒ぎになったのでは、聖職者がすっ飛んでくるに違いない。
 観察して、観察して、リズベスは人間の形を学ぶ。個体差が多すぎて形の採用が難しかったが、人間のなかでよくよく好かれている青年を見つけて人型の基礎にした。人間にとって好ましい容姿を使えば、それだけ人間との交流が円滑に進む。
 期待通り、リズベスは最初のように悲鳴を上げられることも逃げられることもなく、人間へ話しかけて会話をすることができた。
 悪魔だけでなく、人間にとっても短い時間だけのことである。
 形を造っても人体の動きが未熟で、会話中にも微動だにしない手足やまばたきをしない目に段々と気味悪がられたのだ。そのとき、リズベスは眼球の構造も曖昧で、視線を動かす仕草は眼球そのものではなく虹彩を強膜の表面で移動させていたほどである。
 藪を突いて蛇を出したくないのだろう。そそくさと去っていった人間を眺め、リズベスはさらに観察を重ねる必要があると判断した。ため息は存在の知識しかない。
 熱心に人間を研究、自らの形へ反映させるリズベスであるが、人間というものに惹かれる気持ちはない。人間に対して好きか嫌いかを考えたこともない。
 リズベスが人間へと視線を向けたのは、知り合いの悪魔が切っ掛けであった。
 人間に恋だかなんだかして干渉し過ぎ、聖職者のもとへ駆け込まれてからの大聖堂へ御用。
 馬鹿なのか?
 リズベスは冗談だろうと言いたくなる話に、これはもしや件の人間に対悪魔魅了能力でもあるのかと思ったが、耳を澄ませば聴こえてくる悪魔と人間の情愛。
 自分を騙すための大掛かりな仕掛けを疑った。そんなことを仕掛けるような知り合いはいなかった。
 人間という種の伸び代はリズベスの想像を超えているのだ。
 それからリズベスは人間のことを知ろうとして、現地調査として人間への接触を図ったというわけである。
 試行錯誤を重ねて人間種の容姿、人体の動きや自然な仕草を身につけ、悪魔であることに気づかれず人間のこどもと交じって遊ぶことができたときの達成感は凄まじい。このときの喜びが大き過ぎて、リズベスはこども遊びが大好きになった。どんぐりの通貨価値には現在も目を光らせているし、ぴかぴかの泥団子作りには自信がある。
 しかしながら、布一枚と皮一枚の差は大きかった。
 人型を得てから初めて見た人間の死体は、腹が裂けていた。
 以前ならば「人間が死んでいるな」で終わっていたが、人間を観察しているリズベスにとって死体は研究材料である。
 人間の死体から溢れているもの、人体に備わっている中身が自分にはないことにリズベスは眉根を寄せる。既に細かな表情の変化は身につけた。
 死体はリズベスが一番に見つけたものではなく、早々に処理されてしまったのでまじまじと調べることはできず、かといって墓を暴いたところで既にリズベスが知りたいものは土に還っているだろう。
 リズベスが求める最良の研究材料は限られていた。

「──それで、ぼくはここへ連れてこられたんだよ」
 大聖堂へ連行されるまでの経緯を語ったリズベスは、花瓶へ飾られた花をつつく。鋭利な爪と尖った耳は何度整えても人間の丸みを得ない。
「悪気はなかったんだよ。ぼくはただ、中がどうなっているのか知りたかったし、知りたいだけなんだ。医学書でもあれば違ったかな……いや、やっぱり足りないかな」
 見た目ばかりは申し訳なさそうに、リズベスは自分によって負傷した聖職者を見る。
「人間なら勉学へ励むことは推奨され、賞賛されるのにな……あ、ごめんね! ほんとうに傷つけたかったわけじゃないんだよ。怪我をさせてごめんなさい」
 ぺこりと頭を下げる姿は尊大で人間を見下す悪魔が多いなかではきっと珍しく、温和で人間に対して友好的な個体に見える。事実、温和で友好的なのだ。その行動が人間に受け入れられないだけで。
「お詫びに……なるかな? その傷に報いられるように頑張るね」
 人間を観察しながら何度も何度も見てきた姿の模倣。
 リズベスは聖職者の手を両手で包み、額同士を重ねる。愛しい我が子へ親がするように。
「ちゃんと中身ができたら見せてあげる!」
 聖職者の虹彩にリズベスの満面の笑みが映った。