稲穂の狐に愛される

pixiv再掲
農家の北さんのところへ半年に一回オフの一週間をまるまる捧げる侑の話です
侑→←北←?

(北)

 広い公道をバスが走って、秋の突き抜けるような高い青空の下を真っ直ぐに道路がひたすら通っている。もうすぐ終点のバスの営業所がある。聞き慣れたバス会社のアナウンスは、今年はやや声が若くなった。まばらに乗っている人々は窓の外を眺めて目を細めていて、侑もそれに倣った。なぜならやがて見えてくる黄金色の稲穂の、さらさら揺れる姿はいつ見ても圧巻だから。
 雨上がりのぬかるみのある土の道を、バスから降りた途端に靴で踏んで汚れたけれど、そんな高級な靴などここでは履いてこないのがルールだ。侑はそれを良く知っている。
「侑」
 やや低い、伸びのある声で自分を呼ぶ声に振り返って、手を振る作業着姿の青年がいた。
「すまんな、こんなカッコで」
「ん、泥、ついてますよ」
「ああ、お前に付いたら、悪いな」
 そう言って遠慮して後ろに身を引いた彼の腕を捕まえて、侑はぐいっと自分の胸に引き寄せた。「わ」と短く口を開けてよろける農作業用の長靴の先が下に見えるけど、そこにつく飛び散った泥の新しい跡も、ポケットに無理やり突っ込んだせいで今の動きで一つは落ちてしまった汚れた軍手も、彼のこめかみを走る汗も、少し乱れている息も、侑は丸ごと抱きしめて口元がゆるゆると歪むのを止められない。
 急いで、来てくれたんやなぁ。
「ああ〜……北さんやァ〜……
「あつ、む、人が見とる、やめ」
 バスから降りる何人かはくすくすと笑いながら二人の横を通り過ぎていく。北は赤くなって会釈するけど、こんなぎゅうぎゅうの腕の中で頭下げても見えんよな、と思い直して、もう早よ去ってくれ、と目を瞑る。
「北さん、ちゅうしよ、ちゅう」
「こら、侑、お前チームメイトに感化されすぎや」
「えぇーだって」
 今のチームメイトの底抜けにオープンな性格の周囲に合わせて、侑は少し変わった。飄々と斜に構えていた高校の頃から脱皮して、何でも全力で甘えてくるし、随分素直になった。「厨二病からの脱却」と侑の双子の兄弟は電話越しに話していたことがある。その治にも店で愚痴を吐いていくようになったと言うから、ちゃんとストレスとうまく付き合えている証拠だと、北は笑って治に返した。
 ……でも北は、ほんの少し侑に内緒にしていることがある。その電話で治が、ボソッと一言告げたこと
『あんま萎えたことしとると、俺が北さんもらってまうぞ、って思うて話聞いてます』
 耳元で聞いたから、余計に脳裏に焼き付く治のあの声。今の侑とそんなに変わらないはずなのに、低くて滑らかでゾクリとする。今も頭の横で「北さんの匂いや」と犬っころみたいにスリスリ頬寄せる金髪の侑の横で、その重なる銀髪の彼の声を無理やり忘れるようにフッと笑った。
「侑、飯は?」
「まだ! もー腹減って腹減って」
「行こか、俺もこれからや」

 ごちそうさまを告げる声が朗々と響いて、北の家の食卓の皿は空になった。「お粗末さん」と言いながら箸をまとめてシンクに置き、北は水道の水を流す。
「俺やりますよ」
 侑の声かけに気を良くし、「そうか、ならお願いするわ」と体をずらした時に、その体の厚みを真横で見た。
 また、筋肉つけとる。
 侑の胸はさっき抱かれた時もそうだと感じたが、客観的に見て改めてわかる。半年前の休みにやってきた頃よりもしなやかに逞しくなった。重いと跳ぶのに負担だから、あくまで侑の体に見合う程度の。この腕、肩、胸からあんなボールが飛ぶんやなあ、と、側でプレーしていた頃よりもさらに見違えた侑を眺めて、北はふと、半年前を思い出す。
 半年前、この家の、俺の寝室で、二つ敷いた布団があんのに、こいつは潜り込んできて、そんで、
『北さん……ッ』
 思い出にぼんっ、と赤くなった北に、侑は首を傾げて、「北さん?」と心配そうに覗き込むおまけつき。
……何でも、あらへん。あっちに、おる」
 縁側へフラフラ歩いていく北の後ろ姿を見遣って、侑はますます首を傾げた。

(侑)

「終わりました〜」
「ありがとうな」
 手を布巾で拭いて、侑は縁側で麦茶を飲みながら、座って涼む北の側へ近寄る。
 ぴったり着込んだ作業着のファスナーを下ろして中のタオルを抜き取っていた北の、汗をかいた体が見えて侑はどきりとする。肌にくっついたTシャツの襟ぐりを上から掴んでパタパタと「暑いな」と、息を細く吐く北の胸元が上からちらりとのぞき見えた。
 少し遅めの昼食に、二人で飲んだ熱い味噌汁は確かに体を温めた。侑も汗をかきそうなくらい。良い出汁に良い味噌、そして北の味付けはいつも美味い。
 そんな風に食事を振り返る方へ気を紛らわせないと、侑はやってられなかった。
 見えとる、北さんの乳首。
 上から無理やり片手突っ込んで、さっきの洗いもんで冷えたこの手で縮こましたい。それとも下から包んでこねる? 抱っこしてから?
 うんうん唸る想像の世界は、しかし大好きな人の前では紳士であらねば、と侑の理性が大きく勝ってちゃんと北の正面に座った。二つ淹れてくれていた麦茶を両手で行儀良くもらって、するっと啜る。
「皆、元気そうやな。前の試合、録画見たわ」
「ほんまですか?俺のサーブ見ました?」
「サーブ?」
「新しいのん、閃いてん。でもまだ未完成でーー」
 ああ、とぽんと手を打つ北は、ついかの人の名前を出す。
「治から聞いた、憧れとるのがある、って」
 ……全く同じ顔の兄弟なのに、この時は似ても似つかない顔をした。口を尖らせ眉間にシワを寄せて、ぶっすぅと音が出るような顔で、
……北さん、治と仲良えもんな。俺から、北さんに直接言いたかったわ」
 思わずツーンと顔を背けた侑に、北は驚きで目を見開いた。
……し、かたないやろ、営業、先やし」
「ほんま? ほんまにそれだけ?」
……ほんまや」
 侑は、堪えきれずに北の太ももにそっと手を置いた。身を乗り出して北の顔に己の顔を近づけて、目の奥を見透かすように捉えてくる。北には息を飲むことしかできない。少しばかり欲に負けている目がぎらついて、北を離さない。
……北さん」
 あんな大舞台の、派手な歓声を浴びるこの男が、たった一人の寂しい男に不安げに瞳を揺らしている。北はますます頭が沸騰しそうだった。
「ま、だ……汗、かいとるから
 そっと自分の腿に置かれた手をよけて、北は立ち上がる。
 ……ただただ、沈黙が続く。耐えられなくて、北はテレビをつけた。愛想笑いをするキャスターが白々しく見える。
「北さんのあほ」
 縁側に取り残された侑が投げつけた言葉は、北の中に重く流れ込んだだろうか。

(北)

 晩飯は、なまりを噛んで飲み込んでいるみたいだった。せっかくの新米も味がなく感じる。向かい合わせで食べていても、合わない視線と無い会話に、北はまた一つ鉛がストンと着実に腹に溜まるのを感じた。
 洗い物は今度は北が行い、その間に風呂へ行く侑の背中を見送って、今日はもう話せへんかもなと諦めて、自分の寝室へ歩いていった。
 あるいは、あれに気づいたら。
 いや、無いかもな。北は首を振って、寝室のふすまを閉める。
 夕方早くに先に風呂をもらっていた北の、明日の朝は、農業ヘルパーを頼んでやや遅めにしてもらっている。
 一人なら、夜更かしはしないしやることもない。一人なら。
 敷いた一組の布団の上でぽつねんと正座をして夜を流していく。墨を塗ったような、真っ暗な夜空が窓から見える。かといって雲のせいで星一つも瞬かない、つまらない景色。
 ああ今の、俺やわ。とため息をついた。
 寝る前の浴衣に着替える。そろそろ冷えてくる夜だ、服もスウェットに戻そうか、蚊帳も外そうか、まだ虫はくるか。そうしてくだらないことで頭を悩ませていたら、遠くからだんだん、だんだん鳴り響くドスドスドスという音に気づくのが遅れた。
 あ、気づいたか。
 焦って蹴つまずいて、「痛っ!」という侑の存外に大きな声がした。濁点混じりのその慌てぶり。北はこれまでの鬱々としていた気持ちが、ほんの少しだけクスリと笑うことで浮上してきた。
 ガラリと勢いよく開いたふすまは、大して乾かしてもいない髪で帯もまともにしめきれていない浴衣を着た侑を現れさせた。
「北さ……っ、これ……!」
……おう」
 驚きで見開かれた大きな目は、北にとってやや眩しい。気恥ずかしくなって下を向いて、首筋をかいて説明した。
「その……前に、品種改良について、京都で学会あってな。そん時に」
 ──周りの学会で一緒だった人や、農家仲間が先を歩いていく中で、北はふと見つけた呉服屋に惹かれた。先行っとって、と手を振って後々の合流を伝え、夏の暑い京都で一目惚れをしたその浴衣。着物は高いがこれならば。
 着る者の身長、特徴、どんな体格かを話す内、どんどん侑の顔や声が浮かぶ。
 その日から今日まで、北は侑が来るのを柄にもなく心弾ませて待っていた。侑が乗ったというバスを迎えに行くために、作業もそこそこに走ってバス停へ向かうくらい。
「めっちゃびっくりした、何でこんなええやつ……
「似合っとおよ」
 やっと、顔を上げて侑のことを見てニコリとできた。再び俯く北に、侑はすとんと座って同じように正座する。
 ……二人、小さい布団の上で向き合ってしばらく沈黙を有した。先に話し出したのは侑の方だ。
……俺、喧嘩しにきたわけちゃいます。北さんと」
「侑、俺もや。大人気なかった。……ああ、浴衣、着れてないやん」
 左右が逆やで。北は、少しは日に焼け高校の頃よりも厚くなったはずの自分の手を、侑の浴衣の併せ部分にかける。
 けれど。
「き、北さん?!」
 するすると手を胸に差し込んで、右の肩口から浴衣の袖をすとんと布団へ落としてしまう。侑のはだけた胸板は、予想通り半年前よりきれいな筋肉をつけていた。
「ちょっ……
「侑、知っとる?」
「な、何を……?」
 もう片方の襟を掴んで、さらに体を侑に預けるように前へ進む。片膝を立てて、きっちりと着込んでいたはずの北の浴衣が、はらりと白い太ももを露わにしてしまって侑ははあと息を吐いた。そこに下からこっそり手を入れられて感触を楽しまれると、「ん……」と北が反応する。
「男が、相手に服、贈る時の意味や」
 知っとる? ともう一度北は、喘ぎと共に消えそうな声で言う。
 侑は悪戯な手を尻へ持っていく。小さいまるい尻が、侑の大きい手に少しずつ揉みしだかれた。浴衣の、手の形に浮いた布地が、ゆっくりゆっくり尻の形に沿って蠢く。
「知っとる。北さん、脱がして?」
「そんな、こと、しとったら……脱がされへん……っ」
「エロいこと、言うんやもん……つい」
「つい、やないわ、もう……
 は、はと呼吸を無理やり整えて、ゆっくり侑の唇に合わさる冷えた北の唇。吸って、舐めて、少し齧るようにして。何度もしてきたキスなのに、いつも北はこの瞬間が緊張した。いかにも、これから卑猥なことをするんだ、と体に言い聞かせているようだった。
「あつむ」
 舌たらずに相手を呼んで、太い首に手を回す。刈り上げの髪に、サリサリと指を這わせた。
「たくさん、愛してや」
……ッ!もおぉ……、心臓に悪いわ……!」
「ふふ」
 もう一度、今度は頬にキスをする。珍しくぎゅうと抱きしめたのは北の方だった。
 ほら、こんなに侑のこと、甘やかしてまう。離れるなんて無理やわ、治。
 侑の膝の上に乗っかった北が少し腰を擦り付ければ、お互いの熱が明らかに浴衣越しに触れて、脈打った。
 北の肩から、浴衣がすり抜ける。少し横目に目をやって窓を見れば、雲間から星が密やかに数個、煌めいていた。やがて月も出て、暗い部屋に光をぼんやり漏らす。
 もう少し、暖かい日が続いたらええなあ。せめて、侑がいられる日までは。そんなことを考えて、北は静かに目をつむった。