今までどんな相手からの攻撃も防いできたヘクトールの鎧は魔剣バリサルダに呆気なく貫かれた。鋭い刀身を脇腹に深々と突き立てられたことによる激痛が自分に誤魔化しようのない“死”を容赦なく突き付けてくる。
(くそ、こんな…ちくしょうが…!!)
戦意。高揚。自信。傲り。
決闘前は確かに己の中に存在していた筈のそれらは開ききった傷口から鮮血と共に流れ出していて、それでもこのまま息絶えるなど到底許せなかった。
ただただ見苦しいだけの意地がボロ切れのような死に体を突き動かし、デュランダルの柄を辛うじて握る手に最後の力を込めさせて、
「ロジェロォォォォォッッ!!!!」
鉄の味が喉奥からせり上がってくる不快感を承知で吐き散らすのは業火の如き怒号。眼前のいけ好かない男の脳天を目掛けて不毀の刃を全力で振り下ろし──そこで俺の命運は尽きた。
『ローランが決闘を放棄した瞬間をお前たちも見ただろう?このデュランダルは俺様の物だ!文句がある奴はこいつの試し斬りに使ってやるよ!!』
『テメェ、ロジェロとか言ったか。その盾に刻まれた紋章がトロイアを示すものと知って身に付けてるってんならそれは貴様には不相応な代物だ。…あァ、言葉の意味が理解できねえみたいだな?そいつを俺に渡せってことだ…!』
『ヘクトールの鎧に、名馬ブリリアドーロと絶世剣デュランダル。この三つを手に入れた俺に最早敵はいねえ!!』
いっそ消えたい。
目を覆いたくなるほどに傲慢な振る舞いの記憶は英霊の座へと召し上がられた後も自分を責め苛み、まるで針の筵に素足を縫い付けられている気分だった。
──独裁で以て進める政こそが正しいのだと信じて疑わなかった粗暴極まりないタタールの王。
──放棄されたデュランダルを前にして我欲に取り憑かれ、騎士の誇りを捨て去った薄汚い野良犬。
──他者の一切を省みずに諍いの火種を振り撒き続けて自業自得の末路を晒した惨めで愚かなやられ役。
……こんな三流英霊を喚ぶのは何処のどいつだ。俺を求める者がいるというのか。
《ッはは、》
ああいいぜ。その乞いに応えてやろう。だが召喚した後に「そんなマイナー英霊なんて知らない」と落胆してくれるなよ、まだ見ぬ契約者。
最初に感じたのは魔力パスの繋がり。そしてエーテルで編まれていく己の肉体。
これで俺は、■■■■■■■として現界する。
「──サーヴァント・セイバー、マンドリカルドだ!この俺様を喚ぶなんざいい度胸じゃねッ、」
「っ、ごめんなさッ…やだ、こわい…!」
「ぇ、か……?」
【問1】自分を召喚したマスターが年端もいかない少女で、両腕で頭を庇うような動作で怯えられたサーヴァントの心情を簡潔に述べろ。
答:俺は何もしてない……。
◆
『初めまして、可愛い嬢ちゃん。驚かせてごめんな…。こっち向いて俺とお話ししてくれるか?』
威圧感を排するためにそっと身を屈めるのは勿論、生前に拐った王女を口説いた時のように甘い声で語りかけた甲斐あって自分を喚んだマスターらしき少女の心をどうにか解きほぐすことに一応成功した。
そして召喚早々に怯えられた理由がうっすらとだが分かってきた。膝上に座らせた当人の小さな背中をポンポンと撫でながら数十分前のやり取りを思い返す。
『あー…っそうだ、今ここにマスター…いや、嬢ちゃんの家族はいないのか?親でも兄弟でも』
『お母さんはお仕事だけど…今日は帰りが遅いって……』
『そうかー。じゃあお父さんも仕事か?』
『ううん。お父さん…私のことが嫌いだから、ずっと前にお母さんとケンカしていなくなっちゃった』
『…………は?』
聖杯と魔術とサーヴァントを否定するだけに留まらず、聖杯を宿して生まれ落ちた娘までも忌避して妻と決別し、この家を出ていった父親。どんな馬の骨かは知るよしもないが全くもって気分の悪い話だった。
(クソッタレの腰抜けクズ野郎が。まあ話を聞く限りマスターの母親はそういうものに対して偏見は無いようなのが不幸中の幸いか)
俺は召喚に応じる時に聖杯からだいぶ重要な情報を三つほど与えられている。
・十数年前に大きな戦争があった。
・戦争は終わって平和になった。
・今では誰もが心臓に聖杯を持ち、自分のサーヴァントを喚ぶ。
些か信じられないがこの世界においてサーヴァントや聖杯は人々にとってありふれた存在らしい。
(……それにしても…。嫌い、か…)
父と母。世界で二人だけの存在。その片方に拒絶された娘への憐憫と、はからずも初対面で怯えさせてしまったことへの負い目が少し。
此度の現界における主が戦いなど知らないただの子供で、聖杯戦争の参加者ではないとしても。もう今の俺にはそれらは些細な事柄だった。
「なあ嬢ちゃん、サーヴァントってのはマスターに喚ばれて現れるのは知ってるだろ?俺は嬢ちゃんに喚ばれたから此処に来たんだ」
「私がお兄さんを、」
「そう、お兄さんの名前はマンドリカルド。嬢ちゃんを守るサーヴァントで嬢ちゃんは俺のマスター。ご主人様ってわけ」
──それなら。
「お母さんも守ってくれる…?」
「ッ、」
それはほんの一瞬の、甘く痺れる不純な快感。あどけない唇が紡いだ縋り付く言葉にぞわりとしたものが背筋を妖しくなぞる。何にせよ俺の返答は決まっていた。
「もちろんだ。俺の可愛いマスター…」
ちゅっ。
右手の甲に口付けを落とすと小鳥が戯れるようなリップノイズが二人きりの居間に零れ落ちた。
赤く色づいた頬の愛らしさに思わず抱き寄せた可憐な肢体は澄んだ泉の岸辺にひっそり咲く花とそう大差無い。
柔く、脆く、力加減を誤れば簡単に手折ってしまうであろうそのか弱さが、この未知数な世界に降り立ったばかりの俺にはひどく心地よかった。
「手にちゅーするの、王子さまみたい…。お兄さんって王子さまなの?」
「ン"ッ……そ、そうだな…」
手の甲とはいえ至極自然にキスをしてしまったが良かったのだろうか。なんだか妙なイメージを植え付けてしまった気がする。確かに俺は王ではあったが俗に言う暴君とかそういう感じのアレで、間違っても邪悪な怪物から姫君を救って凱旋するような輝かしい英雄ではないのだから。
「まあ実際王子だったり王だったけどな?嬢ちゃんが考えてる王子様とは多分違、」
「じゃあお馬さん乗れる…!?」
何とも言えない葛藤が滲むぼやきは年相応の無邪気な言葉に遮られ、騎乗スキルを持つセイバーに対してそれを問うのかと愉快で笑ってしまった。そして目の前の彼女は魔術師の家の生まれではない、本当にただの子供なのだと改めて認識する。
「そりゃあ乗れるとも!騎馬民族の王ナメんなよ?あんたが望むなら俺の馬に乗せて草原でも荒野でも好きな場所を走ってやる。どうだ、乗りたいか?」
「乗りたい!」
「おーし、じゃあ嬢ちゃんのお母さんが帰ってくるまでいいこに留守番してようなぁ」
じきに帰宅するであろう彼女の母君に俺のことをどう説明するかを今から考えておかなければならない。それでも多分この俺はサーヴァントとして上手くやっていける確信めいた予感があって、座で卑屈に膝を抱えていた時よりかはずっと晴れやかな気分だった。
………召喚されて初めての働きが、まさか夕食の手伝いだとは思うまい。
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