ちらちらと舞う雪の白と、その合間に見える黒ずんだ灰色。色のない寒々とした石造りの建物たちは、ノエの父が治めていた街と異なり、重厚感があると同時に来訪者であるノエたちに圧迫感を与えてもいた。
以前から、この地域の村や砦は黒みがかった建物が多いと思っていた。それは、この近辺で採掘できる石の色によるものだとルーシャンは語っていた。この街も同じように、近くで採掘された石を使用して建物を建てているのだろう。
(だけど、それにしても……)
「なんだか、重苦しい空気がある街だね」
ノエの考えを先読みしたかのようなヤルマルの言葉に、ノエも追従して頷く。
イシュガルドに入国してから訪れた大きな街としては、皇都を除けばこの『シュガーグレイヴ』が二つ目だ。
そして、同規模の街であるために、どうしても一つ目であるノエの父・ベルナールが治めていた街と比べてしまう。
「街に領主がいないから、空気が沈んでいるのか?」
「それもあるのかもしれませんが……」
オランローの言うように、領主の不在が街の人々の間に影響している可能性はある。
だが、それを抜きにしても、漠然とした目に見えない不安のようなものが、薄く人々を覆っているように感じてならなかった。
そのせいか、旅人であるノエたちに向ける視線も、歓迎よりも警戒の色が滲んでいるように思える。明確に睨まれたり噂されたりするようなことはなくとも、ちらと向けられる視線に好奇心と不安がどのくらいの配分で混ざっているかぐらいは、旅慣れた者には伝わってしまう。
「この街では、オランローはあまり外を歩かない方がいいだろうね」
「ああ。以前も奇異な目で見られることが多かったが、この街ではより一層警戒されるだろうな」
「アウラ族について、宿の主人や騎士の隊長の方は知っていたようですが……やはり、容姿で誤解する方もいるようでしたからね」
先だって門の前で起きた騒動については、ノエもよく覚えている。年若い騎士は、オランローとサルヒを目にした瞬間、明らかに警戒の色を強めていた。
そこまで話していて、ノエはふと思う。
「門にいた神殿騎士団の隊長の方は、ララフェル族でしたね」
「ああ、そうそう。あれって、イシュガルドの中ではかなり珍しいよね」
「そうなのか? 隊長に就任しているぐらいだから、数は少なくとも受け入れられているのかと思ったが」
今回がイシュガルド初来訪となるオランローに、ヤルマルとノエは揃って首を横に振ってみせた。
「ララフェル族は、イシュガルドでは滅多に……というか、ほとんど見かけないと思います。外部から商人として来ているならともかく、そこに住み着いている人となると、存在すら怪しいと思っていました」
「ボクも一時期イシュガルドにいたことはあるけれど、目にするのはエレゼン族とヒューラン族ばかりだね。ボクもかなり奇異な目で見られたから、ミコッテ族のように耳が獣に似た種族も少ないんだろう」
「僕の師のウヴィルトータさんはルガディン族でしたが、クルザス地方の村々でも何度か変わった肌色のヒューラン族と誤解されていました」
国や地域によって、種族の分布は変わる傾向がある。
ノエたちが滞在していたグリダニアは閉鎖的な都市国家ではあったが、他国から訪れた冒険者を受け入れる気風はあった。そのため、エレゼン族やヒューラン族、ミコッテ族が多い傾向はあれど、他種族が行き交う場面も多々見られた。
だが、イシュガルドには『冒険者』のように、他国からの来訪者の身分を保証する制度がない。おまけに、イシュガルドという国そのものが入国にすら手続きを求めるような閉鎖的な国風だ。
そうなると、他種族が来訪する機会はあっても、そのまま居着くという結果には至りにくい。ウヴィルトータのように流れの傭兵となることはできても、一人の人間として身分が保障された上で、イシュガルドに住み着く例はかなり少ないだろう。事実、これまでノエたちは、イシュガルド国内でヒューラン族やエレゼン族以外の人間を目にしていない。
「そうなると、あのララフェル族の女はかなり異例の存在なんだな」
「ええ。ララフェル族は、僕たちから見ればかなり小柄な種族です。……言い方は悪いですが、子供のように見える種族でもあります」
ララフェル族は、大人であってもその体がノエたちエレゼン族よりもかなり小さい。大人のエレゼン族と並べば、膝にその背が届くかどうかというほどだ。
そのせいで、駆け出しの冒険者たちはよく彼らを侮るが、ララフェル族が子供のように非力で矮小かというと、そんなことはない。
彼らなら、その小さな体を巧みに利用して敵の懐に飛び込み、急所を狙える。それに魔道士としての才能も優れており、エオルゼア地域における魔道士ギルドの一つ――呪術士ギルドの長は、ララフェル族だと言われている。
とはいえ、それでもララフェル族が幼子のような見た目をしているという特徴そのものが覆るわけではない。
「体格差がそれだけあれば、見た目だけで侮られることも多かっただろう。よく部隊長にまでなれたものだ」
オランローも、古巣であるガレマール帝国軍を思い出してしみじみと呟く。彼の嘗ての上司は種族問わず公平に振る舞う稀有なガレアン人だったが、他種族に対する蔑視や揶揄は他部隊では頻繁に見られることだった。
「苦労して上り詰めた隊長様、という肩書きの割には……ボクたちには嫌がらせみたいな滞在費を請求していたけれどね」
「何か事情があるのだと思います。それに、結局、僕らが彼らの仕事を手伝うことで差し引きゼロにしてもらいましたから」
「そうはいっても、タダ働きだろう?」
ヤルマルがぎゅっと眉を寄せて、しかめ面を見せる。彼女は人助けを好む性格ではあるが、流石に「無償で働け」と面と向かって言われれば不愉快にも思う。
「とはいえ、彼らは僕らに法外な通行料をふっかけて、困っているさまを笑うような真似はしていませんでした。確かに横暴ではありましたし、権力を傘にしていた要求だとは思いますが」
「よほど財政難なんだろうか。街の人も豊かで恵まれているというわけでもなさそうだ」
ヤルマルがちらりと見やった先、擦り切れた防寒具で己を抱きしめるようにして家路を急ぐ親子がいた。裏通りの暗がりを見やれば、廃材を組み合わせて即席の篝火を作った一団が火の周りに集まっているのが見て取れる。
(明確な線引きがされているわけではなさそうだが……この街にも流民がいるのか)
火の周りに集まり、生きているのか死んでいるのか分からないほどに身動きしない一団。彼らは、寒さを凌ぐための家を持たないのだろう。
ノエの父が治めていた街にも、竜に家を破壊されて逃げ込んできた流民はいた。だが、彼らには空き家や宿の部屋が仮の家としてあった。
(寒さを凌ぐための建物を用意できたのは、父さんが手配したからこそだった。じゃあ、この街では困っている人に手を差し伸べる貴族はいないのだろうか)
為政者が手を差し伸べなければ、今を生きるのに精一杯な人が手を差し伸べるわけがない。どこか気詰まりな街の空気の理由が、そこにあるような気がした。
*
「さて、と。教えてもらった商店はこの辺りかな。買うのは、薪と日持ちしない食材と、補修用の漆喰と……」
ヤルマルがお使いのために取ったメモを確かめつつ、商店が軒を連ねる通りに足を踏み入れたときだった。
「なあ、町長さん。やっぱりどうにかならないのか?」
「このままじゃ、俺たちの蓄えが底をついちまう。羊たちだって、この寒さのせいで調子を崩しっぱなしなんだ。せめて、土地だけでも何とかしてくれないと」
「そうはいってもなあ。ご機嫌を損ねて、派遣してくださっている騎士様が撤収されでもしたら、今度は魔物に襲われてしまうし……」
「子供がいなくなる事件も起きているんですよ。もしかしたら、すでに魔物が入り込んでいるんじゃないでしょうね」
通りの端で、まだ綻びが少ない防寒具に身を包んだ柔和そうな男性を、町人と思しき若者や夫婦が引き止めて嘆願しているのが目に入ってしまった。
漏れ聞こえる言葉から察するに、寒冷化による貧窮の改善を求めているようだ。一方で、街の責任者と思しき男は、厳しい顔をしながらも首を横に振っていた。
「あれも、日常の一幕になってしまっているのだろうな」
オランローがつぶやいた理由は、押し問答をしている人々の周りの様子だった。
通りすがりのノエたちにも聞こえるぐらいの声量であるというのに、誰も足を止めたり、様子を伺ったりしていない。ちらりと見やる様子もないのは、彼らにとってあの押し問答すら日常茶飯事となっているからだろう。
「……この街を治めている者は、現在の情勢を知らないのでしょうか」
「知らないわけがないだろう。今の言葉からわかったが、あの騎士たちは貴族が派遣したものなのだろう?」
いつまでも彼らを見ているわけにもいかないので、再び歩き出しながらオランローが呟く。
「騎士ならば街の巡回程度はしているはずだ。それなのに、知らぬ存ぜぬを貫き通しているのなら、貴族も騎士様も街の様子を知りながら放置しているってことだね」
「そうなると、この街の空気がどこか暗いのも、騎士のせいなのでしょうか」
「いや、どうだろうね。ボクが見て来た限りは、どこも似たり寄ったりだよ。寒冷化が進んでいるかいないかの程度の差はあるにしてもね」
短い間ではあったが、ヤルマルはイシュガルドに滞在していた時期がある。期間だけで言うならノエの方が長くとも、幼少期に父の用意した箱庭で育って来たノエに比べれば、よほど知見が広い。
さりとて、今ここで足を止めていても、何かができるわけでもない。そう割り切っているからこそ、ヤルマルとオランローは先に足を進めていたが、
「ノエ、どうかしたのかい」
「……いえ。なんでもありません。たしか、漆喰と食料でしたよね」
お使いの話題に切り替えながら、ノエは思う。
自分が竜に変じた少年を殺めたときから、イシュガルドに残り、この場所で何かをしたいと願う衝動は強くなっていた。
それはまだ形も定まっていない、目的すら曖昧な願いだ。だが、ほんの少しの小さな力であっても、何かを変えたいと願う気持ちはノエの中で芽吹き、育っている。だからこそ、ノエはイシュガルドに残るとオデットに宣言したのだから。
(何かを始める前から諦めるつもりはない。でも、この国を覆っている『どうしようもなさ』は、僕が想像している以上に大きくて複雑に絡まっているのだろうな)
道ゆく人たちの陰鬱な表情を目にして、ノエは改めて自分が立ち向かおうとしているものがどれほど困難か、思い知らされたのだった。
***
人々のざわめきは幾分か控えめであっても、さすがに商店が並ぶ通りは相応の賑わいを見せていた。
太陽が空から姿を消し、鈍色の雪雲に覆われた夜が訪れても、暗闇を吹き飛ばすランタンの灯りは道ゆく人々の心も照らしていくようだ。夜が訪れ、黒い石造りの街並みが闇に沈むからこそ、照明の輝きはより一層強く眩く感じられる。
ノエたちはお使いを果たすために、まばゆい照明の中に並ぶ店の軒先を一つ一つのぞいていた。
この街に来たばかりのノエたちには、どこにどんな店があるのかも分からない。どのみち、明日には自分たちの買い物も済ませないといけないので、お使いのついでとはいえ、こうやって足を使って店の場所を把握するのはノエたちにとっても意味があった。
漆喰については料金を前払いして配達の手配を済ませ、同じように大袋をいくつも購入する必要があった粉類についても宿に届けるように依頼する。残りは野菜や肉類など傷みやすい食材と調味料である砂糖やスパイスだ。
「食材はボクたちの方で買っておくよ。漆喰の店の隣にあったところで買い揃えられそうだったからね。数が多いから、オランローはボクが借りていくよ」
「じゃあ、僕は香辛料を扱う店に行きます。買い終わったら、この場所で再集合でいいでしょうか」
「うん。迷子にならないように気をつけるんだよ」
「子供ではないのですから、大丈夫ですよ」
ヤルマルはぽん、とノエの肩を叩き、オランローを連れて食料品を扱う店へと向かう。
一人残ったノエはふうと白い息を吐き出してから、踵を返して目星をつけていた香辛料の店へと向かった。
(少しずつ、人通りが少なくなっている。夜だから、だろうか)
普段から賑やかなヤルマルと、気の置けない友人であるオランローと共にいるときは気づかなかったが、商店を行き交う人々の数はゆっくりと減っていた。
日が暮れても、以前滞在していた街では酒場に集まる労働者や農夫がいたが、ここではその数も多くないらしい。
酒を飲む余裕もないほどに食い詰めているのか、あるいは酒場が酒を用意できない事情でもあるのか。自分が気を揉んだところで街の現状が変わるわけがないと分かっていても、じわじわと沈んだ空気が染み込み、ノエの心を暗くしていく。
けれども、香辛料の文字を看板に吊るした店にたどり着くと、店の中からは賑やかな声が響いていた。
どうやら、この店では砂糖を扱うついでに砂糖菓子も売っているようで、店から出てきた子供たちの手には、鮮やかな砂糖菓子を棒に刺したものが握られている。
「僕も、師匠にお菓子を買ってもらったことがあったっけ」
あれは、皇都で星芒祭に参加した頃の話だった。華やかな砂糖菓子は、子供たちの注目を浴びる人気の品だった。
ノエが今目にしているものは、皇都の屋台で作られる華やかな菓子と比べれば、パンに砂糖を塗り込んだだけの質素なものだが、子供達にとっては甘い味だけでも十分だ。それは、非日常とそれに伴う喜びを与える鍵でもあるのだから。
子供たちが音高く閉めた扉に手をかけ、ぐいと引く。リンリンとドアベルが鳴り響き、扉の向こうからふわりと暖気がただよい、ノエを迎えてくれた。
ヒト一人分がやっと通れる大きさの戸の先、ノエを待っていたのは、
「あら、いらっしゃい。ごめんなさいね。今、見ての通り手一杯で、少し待ってもらうことになるのですけどよろしいかしら」
「構いませんよ。どうぞ、ごゆっくり」
カウンターから出て来ていた中年の女性が、申し訳なさそうにノエに頭を下げる。
彼女が頭を下げた理由は、ノエにもすぐ分かった。なぜなら、
「おばさん、わたしまだもらってない!」
「おれも、おれも!」
「うそつき、カルロはさっきもらってたじゃないー!」
店の片端では、小さな子供たちがひしめきあって店員の女性に群がっていたからだ。
女性の手にはお盆があり、大皿の上には先ほど外に飛び出した子どもたちも持っていた砂糖菓子が並んでいる。どうやら子供たちの集団にお菓子を渡したいが、一筋縄ではいかないという状況のようだ。
子供たちのそばには、保護者と思しき人物がいるが、一人ではわんぱくな子供十名近くの相手は荷が勝ちすぎている。
(邪魔にならないように、僕は下がっておこう)
店頭で待つと焦らせてしまうかもしれないと、入口の隅に控えてノエは子供らの様子を見つめていた。
イシュガルド皇国ではよく見られるエレゼン族の子供とヒューラン族の子供が、肌の色もさまざまに集まり、お菓子へと手を伸ばしている。保護者役の人物が並ぶように言いつけているようだが、話を聞いているものは果たしているのかどうか。
「……懐かしいな」
思わずそうこぼしてしまったのは、つい数週間まで孤児院の近くで生活していたからだ。
隣が孤児院だったために、朝も昼も子供たちの声がノエたちの部屋にもよく響いていた。世話役の人たちの子供を叱りつける声も、全くめげずにやり返している子供の姿も、ノエたちにとっては日常茶飯事だった。
そこにいた、無口で物静かな少年のことも、ノエはよく覚えている。他ならぬ、その友人に彼がどんな人物か教えてもらったのだから。瞼を閉じるだけで、一言も漏らさずに木剣を振っていた細い背中が思い浮かぶようだ。
胸の片端に刺さる抜けない痛みに、僅かに瞑目を挟み、再び瞼を開く。
瞬間、ノエは入口の隅から駆け出していた。
「危ないっ!」
押し合いへし合いしている子供たちのうち、一際小柄なエレゼン族の少女が年上の子供に押されて転びそうになっている。それを目にして、ノエは咄嗟に手を伸ばしていた。
少女が頭から倒れ込む前に、どうにかノエの腕が彼女の体を包みこむ。
「ベス、大丈夫か?!」
数秒と置かずに、保護者として連れ添っていた人物が声を上げた。
周りの大きな声と緊迫した空気に気圧されたのか、ベスと呼ばれた少女はくしゃりと顔を歪めると、声をあげて泣き始めた。
「えっ、あの、どこか怪我をしたのでしょうか。なら、癒しの魔法を」
「ああ、悪い。気にしないでくれ。この子は人見知りな上に怖がりなんだ。ほーら、大きな声を出して悪かったな。もう大丈夫だから」
保護者役のその者は、子供をあやすための柔らかな声音を即座に作り上げて、ノエからベスを受け取り、難なく抱き上げた。軽く揺らしながら語りかけるその姿は、この手の対応に慣れていると示している。
ベスがしゃくりあげながら落ち着いた頃、その人物は恐々と様子を見ていた他の子供たちに視線を移すと、
「アンディ、自分より年下の子はお前よりずっと怪我しやすいんだから注意しろっていつも言ってるだろ。それと他の奴らもだ。俺は、散々並べばちゃんと貰えるって言ったよな?」
これまた子供を叱責するのに慣れた物言いが、悄然とした少年少女たちに降り注ぐ。彼らはお互いに顔を見合わせ、どうしたものかとそれぞれの反応を伺っていた。
「分かったなら、ベスに謝って、そっちの兄さんにお礼を言ってから、お店の人の前に並ぶこと。一人ずつ順番に、だぞ」
「えっ。僕はお礼は別にいいのです、が」
自分としては当然のことをしただけだと言う前に、子供たちは次々にノエの元にやってきては、「ありがとうございました」の嵐を投げてくる。ノエは目を白黒とさせながら、それに一つ一つ頷くしかなかった。
緊迫した空気のせいで、子供たちの喜びを拭い去ってしまっていないかと危惧したが、少年少女はノエの数倍逞しかった。悄然としていたのは、結局最初の五分ほどだけ。年長の子供たちが取り仕切りつつも、再び似たような賑わいを見せながら、子供たちは店員の前に並び始めた。
どの子も汚れた服を着ており、決して裕福ではないとわかる。それでも、荒んだ空気もなく、子供独特の活気に満ちているのは、きっと周りに良い大人がいるからなのだろう。
目を細めて、小さな子供の手を引く年長の子供の様子をそれとなく見守っていると、
「先ほどは失礼しました。子供たちがご無礼を」
先だって子供たちを叱りつけていたときとは打って変わって、落ち着き払った声がノエの耳に飛び込んでくる。子供らの保護者である人物が、ノエの前に立って改めて整った一礼をしてみせていたのだ。
「いえ、無礼というほどでは。むしろ、あの子に怪我がなくてよかったです」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。とはいえ、元々駆け回るのが好きな子供たちですから。多少の擦り傷程度なら日常茶飯事ですよ」
ノエが気にしすぎないようにだろう、その人物はあえてからりとした物言いをしているようだった。
改めて正面に立たれて、ノエはその者の容貌を確認する余裕を得られた。店の照明を吸い取るような色素の薄い髪の毛は、動き回りやすいように一つに結ばれている。今まで街で目にした町人と似たような、分厚いが色が抜けつつある防寒具がその人物の体を覆っていた。
だが、何よりノエが驚いたのは、
(……この人、ハーフエレゼンなんだろうか)
エレゼン族独特の上背の高さや長い手足が見られず、かといってヒューラン族のように丸い耳を持っているわけでもない。その姿は、ノエには否が応でも自分が連れている少女を思わせた。中性的な要望と曖昧な血筋が重なっているせいか、ノエは目の前の人物の性別すら掴み損ねていた。
とはいえ、貴族のように血筋にこだわらなければ、ヒューラン族とエレゼン族が結ばれること自体に大きな問題はない。あまりじろじろ見るものでもないと、ノエが視線の置き場に困っていると、
「街では見かけない方のようですが、もしや旅人の方ですか」
「ええ。つい先ほど来たばかりなんです」
「それはそれは。来て早々、騒がしくして申し訳ございません」
その人物は、再び頭を下げてから、
「この街は、この地域では一番大きい街なので、旅支度を整えるのにうってつけです。……少々、流通が滞ってしまいがちなのは否めませんが、それでも他に比べれば圧倒的に商人の行き来が多いのは保障しますよ」
「流通が滞っているというのは、騎士団が通行料を取るからですか」
先だってのやり取りを思い出して、ノエは問いかける。その人物は目を軽く伏せ、ノエの予想通り渋い顔をしてみあせた。
「たしかに、他の街ではあそこまで徹底的に徴収するのは珍しいかもしれませんね。割り引いて取引させてほしいと商人に交渉していると、聞いた覚えもあります」
「神殿騎士団が、そんなことを……」
神殿騎士団といえば、イシュガルド皇国においてもっとも権力を持つイシュガルド正教お抱えの武力組織だ。ノエの伯父が所属している異端審問局と並列の組織でもあり、ノエも幼い頃は『教皇に仕える清廉な騎士』の姿に憧れていた。
貴族のお抱えの土地で見かける騎兵と並んで、神殿騎士団の存在はイシュガルドで生まれる少年少女にとって最もわかりやすい憧れの象徴である。
だというのに、皆の憧憬でもある組織が、一介の商人と取引するにあたって値引きを求めたり、街に滞在するだけで追加の代金を徴収するとは。ノエとしては、幼い頃に抱いていた曖昧な憧れの念だと分かっていても思い出に傷をつけられたような不愉快さを覚えてしまう。
「騎士団が権力を傘に、横暴な振る舞いをしているのでしょうか」
ノエはできる限り心に平静を促しながら問いかけると、その人物は「そういうわけではないようです」と返した。
「彼ら自体は、町の人から気の良い隣人として受け入れられているようですよ。もっとも、最近は町の中で見かけること自体が少なくなってしまっていますが」
「確かに、警備をしている騎士の方をここに来るまで見かけませんでしたね」
「竜の動きが活発化していますから。一度は蒼の竜騎士が抑え込んだにも拘らず、再び邪竜が目覚めて竜たちを扇動しているとかで、竜の目撃情報が増えているんです」
イシュガルドという国内において、最も竜の戦いに特化した知識と武芸を身につけた騎士――それが竜騎士だ。その中でも最も強いと言われている者が、蒼の竜騎士と呼ばれている。
そのような特別な力を持つ者であっても、長らくイシュガルドを苦しめてきた邪竜を退治するには至らない。それが、今のイシュガルドの状態だ。
「騎士たちも、外部の警備に手一杯……ということですか」
「恐らくは、ですけれどね。私も騎士団の人事については――」
「ねえねえ、みんなおやつ貰えたよー」
保護者役の人物が子供の裾に引かれ、話は中断を余儀なくされる。彼ないしは彼女には、まだ子供たちの世話をするという役目があるのだと、ノエは軽く会釈だけをして道を譲った。
その人物は、同じようにノエに軽く頭を下げると、今度は子供たちへと視線をやり、
「よーし、全員分揃ったな。じゃあ、入り口の前に集合。俺は店員さんに支払いしてくるから、勝手に外に出るなよー」
きびきびと子供たちを誘導してから、宣言通り支払いを済ませて、子供たちと共にその人物は夜の雪降る町へと姿を決していった。扉越しにも聞こえた賑やかな声が、少しずつ遠ざかっていく。彼らは、あの後各々の家に戻るのだろうか、それとも。
「あの子たち、街のはずれにある孤児院の子供たちなんですよ。時々、ああやっておやつを買いに来てくれるんです」
「そうなんですね。……皆、とても楽しそうでした」
「私が手遊びで作ってくれたお菓子を、気に入ってくれているみたいで、来るたびに大騒ぎになってしまって、付き添いの方が大変そうっていつも思うのですよ。でも、私も娘が小さいときを思い出して、ついつい楽しくなってしまうから、お互い様ってところかしら」
女性は年数を感じさせる、少し皺のよった顔に笑みを浮かべるとカウンターへと戻っていく。こほんと咳払いを一つ挟んでから、
「それでは、改めまして。シュガーグレイヴ唯一の香辛料店にようこそ。お買い求めは何かしら」
「では、こちらの品をお願いできますか」
ノエが宿の主人からもらった買い物メモの内容を読み上げると、彼女は「ああ、あの宿の」と呟き、すぐに必要な香辛料を布袋にとりわけ、てきぱきと口を結ぶ紐にメモを挟んでいく。この手の買い出しはよくあることのようだ。
料金の支払いを済ませ、ノエが荷物袋の中に品物を入れていると、
「先ほどの司祭様とのお話、つい聞いてしまったのだけれど」
「えっ? あのかた、もしかして司祭様だったのですか」
「ええ、そうですよ。子供たちの面倒を見るときは、動きやすいように司祭のローブは脱いでいるようですけれどね」
道理で、子供たちに対してはともかく、自分に向き合ったときの言葉遣いや挙措が丁寧だったのかとノエは納得する。司祭としての礼儀を身につけているからこそ、あのように粛然とした振る舞いができたのだろう。
「それで、先ほどの話だけれどね。騎士様が街中の巡回をしなくなっているみたいなのは、どうやら本当のようなのよ。うちの旦那は、夜中に近所の人とよく飲みに行くからね。そういうことだけは、すぐに気がつくんです」
「そうすると、警備をする者がいなくなるのではありませんか」
「ええ。だから、昼間はともかく、夜はあまり出歩かない方がいいわよって言いたかったの。特に、どこから来たかもわからない連中が住み着いた区画が、街のはずれにあるのだけれどね。その辺りには昼間でも近づく人はあまりいないわ」
「わかりました。教えてくださって、ありがとうございます」
ノエは店員の忠言をありがたく受け止め、一礼する。荷物をまとめて外に出ると、とっぷりとした夜の闇と、冷気を混ぜた外気がノエを包み込んだ。
鈍色の天蓋を見上げると、この街に来ただけで自分が味わった濁った感情が去来してしまう。
(街を見回る騎士がいないから、街を管理している貴族が情勢を把握できずにいるのだろうか。それとも……)
それについて考えるのは自分の仕事ではないとわかっている。それでも、困っている人を目の当たりにすると、自分が何かできないかと考えてしまう。
「いや、まずは買い物を無事に完了させないと」
寄り道をしがちな自分を戒めるため、ノエは己自身に呼びかける。ゆるゆるとかぶりを一つ振り、
「よし、待ち合わせ場所に戻ろう」
今の自分が為すべきことを口に出して、己自身の背中を押すように、彼は雪道に一歩を踏み出した。
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