ひさね
2024-11-11 07:07:23
11080文字
Public 当該世界の余録と補遺
 

現状について

本編第3話。
現状整理の話。
後で改訂するかもしれない。

 薄暗いカフェに居る。丁度御八つ時だった。
 そのまま別れるのは味気ないという、レノの希望にロイとマコトが頷いたのでここに連れて来られた。
 カウンターでレノが店員と二言三言世間話をしていた。どうやらレノは通い慣れているようだった。
 日が中々差し込まない、照明も最低限のランプで済ませた店内の奥の席に通された。丁度二人並んで座れるソファがテーブルを挟んで、向かい合っていた。
 周りを伺えば、カフェに入り浸る時間のピークであろうに、人はまばらで、薄暗さが更に他人を隔てているようだった。ジャズ調の音楽とそのささやかな音量、装飾が凝ったアンティーク調のテーブルと黒緑のレザーが張られたソファ。それぞれが微妙に、ほんの少しだけ噛み合っていなかった。
 先を歩いていたレノとマコトが、それぞれ壁際に座ったのでロイがレノの隣に我が物顔で座った。殿を努めたわたしは空いた席、奇貨にもマコトの隣に着く。
「どうする? ここ、コーヒーとケーキが美味しいんだけど」
 席に着くなり、レノがここのおすすめを教えてくれる。気が利く所は変わりがないようで、緩く口角が上がった。
「じゃあコーヒーで。ブラック。ケーキはいいや。そこまでお腹減ってない」
「わたしはけーきせっとにします。こーひーは、しおんとおなじので!」
 迷っていても仕方がないので、レノが勧めてくれたコーヒーを頼むと、ロイもメニューを持ったまま口を開いた。
「決めるの早くない?」
「食事は即断即決がモットーだから」
 店員から貰った冊子を開かないまま、隣のマコトに受け渡そうとするとレノが苦笑した。
「まあ、ボク達も食べるもの大体決まっちゃってるから良いんだけど。ね、良いよね、マコト」
「ああ、何でも良い」
「じゃあケーキとコーヒーのセット三つとコーヒー一つで」
 結局手元のメニューを店員に渡せば、彼女はが畏まりましたと言って、奥のキッチンへと下がっていく。
 背中が消えたのを確認してから、何となく、周りが薄暗かったものだからそうすべきと何かを勘違って、若干声を潜めて尋ねた。
「それで、早速本題なんだけど」
「そこも即決なんだ? もうちょっと場を温めてからとかじゃなくて。最近どこどこでどうしてたとか、教えてくれるのかと思った。世間話したいって言ってたし」
「そうですよ。もっとゆっくりしてもだいじょうぶですよ」
 レノに同調するようにロイがぷくりと頬を膨らせる。レノが困惑するのは分かるが、余録と補遺の依頼者の代理たる彼女がゆったりとしていると漠然と不安になる。わたしも時間感覚が鈍い方であるから、ロイの事を言える資格はないのだが、それでも思うところがあった。
 根が何に由来するかは未だ分からなかった。
……アイスブレイクが必要な仲でもないでしょ」
「それはそうだけど。何か焦ってる?」
 焦っている。レノの言葉がぴたりと嵌まって、ドキリとした。
 わたしはどうやら焦っているようだった。予想外の事実が次々と出てくるものだから、自分の感情を整理する間がなく、辟易としているのかもしれない。今はまだ言えない事も多すぎる。旅を覚えているこの二人、マコトとレノもどこまで覚えているかを確認するまでは上手く話せない。それに明日集まる、かつての仲間達もどの程度覚えているか、それを把握しない事には時間を浪費するばかりだろう。一筋縄ではいかない面子も相当数思い当たるので情報は多いに越したことはない。
 兎角、現状を把握できていないのが、確かな不安要素の一つである事には間違いなかった。
「別に。急なアポで、わたしだけ何も知らないからさ。旅の記憶の話とか、早めに現状整理したいな~って。それだけ」
……まあいいや。それで?」
 取っ手付けた様な言い訳にレノは困ったように笑って、話の続きを促した。わたしの内心を察しているかは分からなかった。ロイがじっとりとした目でわたしを見つめているが、そっと目を逸らす。
「さっきの確認にはなるけど、レノとマコトは旅のこと殆ど全部覚えているんだよね?」
「そうだよ。だからここで良く話すんだよね。ちゃんと話せるのマコトしかいないからさ、お互い」
 ねー、とレノはマコトに目配せをした。おずおずとマコトが頷く。
「ソウもミカも覚えていないらしいから仕方なくやってるな」
「仕方なくって何ー? 何時も声かければ無理矢理でも予定空けて来るのに」
「単純にケーキ食いたいから。話は別に何でも良いんだが、そっちが旅の話ばっかするから恒例になっているだけだろ。共通の話題がそれぐらいしかないのもあるが」
「それは……まあ、そうかも。話すの大体ボクだしね」
 マコトの言い分に戯れ程度にキャンキャン吠えていたレノがあっさりとそれを認めて、一人で頷いている。彼の素直な性分は好ましかった。マコトも頬を掻いてコーヒーと何も置いていない空間を交互に見ながら、口を開いた。
「互いに仕事の話をする訳にもいかないだろ。守秘義務とかある訳だし。だから、その、それでも貴重な時間を過ごせて有難いとは思っている」
「おー、律儀」
「茶化すなら次から不躾に行くが」
「あはは、冗談。ジョーク! ありがとね」
 ぱちりとウインクを決めるレノに、マコトは緩く微笑んだ。
「げきまぶですね」
 やいやい話している彼らを横目に、こそこそ小声で話しかけてきたロイに、小さく笑う。
「まこともげんきそうだし、はじめよりかんじょうがあるってかんじで、良いですね」
「本当に良かったよ。わたしがいなくても生活できそうで」
 そう言えば、ロイはニコニコしていた顔を一気にしかめて、顔の全パーツを顔の中央に全て集めた様な凄い顔になった。そんな顔をされる程の事を言ったつもりはないので、背中が妙に冷えてくる。
 どうしようか、とまっすぐな視線に追い詰められながら言葉を探していると、丁度レノ達の話も切れ目の頃だったようで、くるりとレノがロイの方を見た。すると一転して普段のニコニコした人懐っこい笑みを浮かべるから大したものだ。
「さっきのはなしをきいたかんじ、みかとそうとは、いまでもあっているんですね」
 口火を切ったロイを眺めて、きっと帰ってきてから今日の宿屋で詰められるのだろう、と予測しつつ話の動向を見守る。
 彼女の言葉にレノは頷いた。
「そうだよ、二人とは同じ国に住んでるし、会わない理由もないからさ」
「げんきしてますか? ふたりとも」
「うん、元気そうだし相変わらず仲良いよ。ミカは変わらずに宿でバリバリ働いているし、ソウも教会の事務もやり始めたみたい」
「ああ、牧師辞めるらしいからな」
 マコトの言葉に思わず「おお」と声を上げる。
「やっと辞めるんだ。良いんじゃない、元々不信心だったし」
 不信心と牧師の取り合わせに難儀していた彼が決断するには、わたしがここを去っていた一年は人間からすれば長い時間だったのか、と反芻する。
「え」
 数拍遅れて、素っ頓狂な声を上げたレノを見て、マコトは「やべ」と漏らした。どうやらレノには話していなかったらしい。
「レノも知ってると思ってた」
「いや知らないよ。言われてないもん」
 目を見開いて至極当然の事を話すレノに、マコトは指を口に当てて少し考える仕草をした。
……ソウもお前が察してる前提で話してたから、帳尻合わせ頼むわ」
「その思い込みは本当に何?」
 文字通り頭を抱えるレノに、苦笑を返す。レノの言い分が正しいように思える。
「アイドルって大変だね~」
「アイドル関係なくない?」
「偶像ともいうじゃん? 人間味見せておかないと危ない目に遭うかもよ」
 軽い口ぶりで本心からの言葉を投げれば、彼はキョトンとした顔をした後に、それから右目を少し眇めて何かを考えて、ゆっくりと呟いた。
「それもそうだね。どうしたもんかな。ま、帰ってから考える!」
 白い歯を見せて破顔したレノに「ゆっくり考えなね」と返す傍ら、アイドルが染み付いているな、と感じてしまった。レノ自身がまっすぐで善性が強すぎる余り、たまに全てを見透かされたように錯覚する事がある。先程の間も、その前の「焦ってる?」や「まあいいや」が思い出されて仕方がない。ふとした時、思いも寄らない時、自己も他者も踏み越える瞬間がしばしば末恐ろしいと感じてしまう。
 ソウも似た様な感情を持っていたのだろうか。
 漠然とした思考がトリップする前に、場の支配権を握っていたロイが、やや息を荒げて次の質問を投げかけようとしている。あっと思ったが止めるより先にロイの言葉が出た。
「みかとつきあいはじめたりとかしてないんですか?」
 思わず、はあと溜め息が出た。ロイは妙にソウとミカの関係性を異様に気にかけている。その性状は仲間全員の共通項であるから、特段驚きはしていない。マコトは腕を組んでいるし、レノに至ってはけらけら笑っている。
「意地でもソウとミカを恋人にしたがるロイだ。変わってなくて安心する。でも付き合ってないよ」
「なんで?」
「こっちが聞きたいかも」
 また顔がしわしわになって凄い事になっているロイの背中をレノがさすっている。そこにマコトがポツリと言った。
「来年には二十歳と十七歳になるから流石に無理らしいって、ソウが」
「さんさいさのじじつはかわりないですよね?」
「ミカも同じこと言ってたわ」
「あとそれ、みかがはたちになっても、まだはやいとかいいますよね?」
「それも……まあ、そんな気がするが」
 流石にソウが居たたまれなくなってきたのでそっと口を挟む。
……二十代と十代の壁は分厚いんだよ。特に二十代側のプレッシャーは重たいから、ソウくんの気持ちも汲み取ってあげて」
「それ、しおんがいいます?」
「それは、まあ、分かるよ。ロイの言いたい事」
 対面の二対の目がじっとりとこちらをまじまじと見つめてくる。背中の冷えがふんわりと再発して、ない鳥肌が立ちそうだった。
「わたしに矛先向けないでよ~。平和的解決したし」
 抗議の声もむなしく、レノがマコトに目配せする。
「マコトは何か、せっかく本人もいるし、言いたい事とかない?」
「大丈夫、始めから期待してねえから」
「即答でカキと同じ事言うじゃん。それはそれでドライ過ぎない?」
「期待したくて好きになった訳じゃねえし」
「それもカキと同じ」
「ニュアンスは違うけどな」
 マコトの方を直視できずにテーブルの何もない真ん中を見つめる他ない。
「というより、元々当事者全員納得してのこの結果だから蒸し返すのはナシだろ」
「まことと、かきはそうかもしれないけど」
「わたしも納得づくですよ~」
 ロイの台詞を遮る様に釘を刺した。本当に、と雄弁に語る目を無視して、手をひらひら振る。
 まるでわたしに、わたし自身が選んだ選択に、しかも他者を巻き込んで今更どうにもならない選択と結果に後悔とまでは言わないでも、未練があると言いたげだった。そんな事実はない。結局の所、自然消滅の是非はともかく、マコトもカキも受容したのならそれで良い筈だった。だから、事実はない。
 事実がないのなら、何故ロイの顔を見据えられないのだろう。事実がないなら、わたしもマコトのようにふるまえば良かったのではないか。
 喉に引っ掛かりを覚えた。
 首を振る。こんな事を考えている暇はない。本題は別にある。
 気を取り直して、口火を切ろうとする。顔を対面の二人をまっすぐ見据えて、努めて言葉を声にして転がした。
「それより、二人って旅の事、覚えてるの?」
 ぷくっと頬を膨らすロイを横目に話を戻す。それを「どうどう」と宥めながらレノがさらりと答えた。
「お互いのことはちゃんと知っているんだけど、旅の事はさっぱり話が合わなくて」
「マリィよりは覚えてそうだね」
「確かにね。ぼんやり旅はしたかもって言ってたけど、でもそれぐらいの認識だから。覚えてないみたいって言って良いと思う」
 あっけらかんと肩を竦めるレノの表情は普段通りで、さほど残念そうではなかった。
 分かりにくい、と思った。言葉の裏の真意が掴みにくい。それに、ソウとミカは旅の存在自体は認識している。内容よりも、人間が存在自体を認識している事が問題なのだ。
 喉元に引っかかる何かが大きくなる。それが何かは知らない。
「お待たせしました」
 聞きなれない声にはっと我に返る。
 銀色の盆に乗ったケーキが三人分、コーヒーが四人分、目の前に並べられた。そして、一人分のミルクとざっくりと二人分の砂糖がマコトの前に置かれた。再び去る店員の背中を見届けて、マコトの方を見やる。早速牛乳と砂糖を全部自分のカップに入れていた。
 マコトとレノは、一年間という長い間、ここでずっと話していたのだろうと悟る。
 喉の閊えを胃に流し込もうと、湯気が立つカップをつまんで呷った。思った以上に酸味が強く、周りとはまたほんの少しだけずれている、と感じた。
 対面のロイと隣のマコトはケーキを黙々と食べている。特にロイはさっきまでの機嫌はすっかり直ったようだった。そもそも本気で不機嫌になっていたかは分からないのだが。
……そっか。ソウとミカ以外の面子とはどうなの? 連絡とか取ってる?」
 他の面子の情報、本当の住所不定なひとを除いて集めようと尋ねた。まだケーキを食べずにコーヒーを飲むレノが首を横に振った。
「ぜーんぜん。マリィはともかく、他の四人は住所不定か住所不明で連絡しようがないし」
「ケントとは会ってないの? アイツ、暇だからってちょくちょく来そうな気がしてたんだけど」
「あー、ケント兄と最後に会ったのは、何だかんだ半年ぐらい前になるかな」
「半年? 大分前だね」
「うん。その前は月一ぐらいでこっちに来て公園ぶらついてたんだけど」
「月一はまあ、適切か」
「適切じゃない? 日付感覚が若干がばがばなケント兄の割には」
 うん、と二人で頷く。
 会話の切れ目を敏感に察知したロイがコーヒーをちびちび飲みつつ問う。
「まことはあってないんですか? けんとに」
 尋ねられた彼は「会ってない。というか、避けられていた気もする」と言った。
「やっぱ公務員だからじゃない?」
 軽やかに笑いながら、揶揄う様にレノが続けた。
「ケント兄、いつも商人一派か旅人グループの一員だって騙って来てたから。万一追求されたら身元不明なのバレちゃうし」
……そもそも論、先輩曰く、一般論としては銀髪紫目の奴には近付くもんじゃねえって。砂漠のナントカって貴族と関連があるかもしれないから。あの、名前が馴染みなくて覚えらんねえんだけど」
「アリストス。独自の陰気な宗教と神秘で、最近は政権を牛耳っている家。海を越えても悪名高いから大したもんだよ」
「ああ、そんなんだったな」
 砂漠の方の二大貴族と呼ばれる家だった。今や、対抗馬となる二大貴族の片割れと王族は、片や後継ぎ争い、片や勢力の衰弱がじわじわと効いてきて、幅を利かせているのがアリストスだった。やる事が滅茶苦茶でさえなければ、初代当主は元々被差別民だった以上成り上がりの典型例になるはずだった。
「特定早いね。ただの髪と目の色で分かるもんなの?」
「アリストスの一族は全員銀髪で紫色の目をしてるんだよ。不思議な話、例外は一切ない。まあ、かなり特殊な例だね」
 レノの疑問に簡単に答える。統一された身体的特徴とそうなる原因をわたしは良く知っている。神として祀っていた何かだけは本物だった。そんな事、言えはしないのだが。
 そんな事より、若干純粋な気があるマコトにちゃんと公務員としてのラインを教えてくれる人が居る事が嬉しかった。自然と声が弾んでいた。
「だからこそ宗教的価値がある。政教分離も倫理もあったもんじゃない癖して、宗教そのものになれるんだから。公務員なら尚のこと近付かないだろうね。大事な事をちゃんと教えてくれるなんて、マコトも良い先輩と上司に恵まれたようで。結構結構」
「その辺はオレからは何も言えねえわ」
 マコトは眉間を押さえて深く息を吐いた。一般論と強調して言っていたので、公務員視点の事情は流石に言わないようにしているようだ。
 片割れでレノは目を眇める。声はやや震えていた。ケントについてちゃんと話すときのレノの癖だった。
「ふうん。でも、実態は単純に、ただの、いや、ちょっと変な顔がやたら良いスラムの兄貴分でしょ。流石にこれ以上属性盛られると処理に困るんだけど」
「残念。スラムで育ったアリストスの私生児とか捨て子だったらどうするって問題が付きまとうんだよね。しかもちゃんと無戸籍っていうおまけ付き」
 うげ、とアイドルらしからぬうめき声が聞こえた。こういう所は十四歳の男子学生だった。
「余所の国からしてみれば他国のごたごたそのもので、当事者の家からしても醜聞の種だし。血の繋がりがなくとも悪い外聞が更に地の底へ、繋がりがあるなら態々無戸籍にする程度に都合が悪い存在が居るって裏打ちされる。徹頭徹尾、全方位に厄介な存在だよ、彼奴」
……そんな奴、よく仲間にしたな」
 しみじみとマコトが言う。
「あれは勝手について来られたから、仕方なく。預かってくれないと国家転覆されるって先方に泣き付かれたのもあるし」
「だから凱旋のとき妙にお通夜ムードだったんだ、あっちの王様。まあ、ケント兄なら出来そうだから嫌」
「個人として信頼してるんだ」
 納得しながら、ぺろっと舌を出すレノに苦笑する。あながち、レノの言う事は間違いではないので反応に困った。
「てか何で国家権力に泣き付かれてんだよ」
 甘そうなコーヒーを飲みながらマコトが問う。
 当時を思い返す。砂漠の隣国では、ニアとハチとケントで、ある意味気の置けない面子で旅をしたものの、中々公式の正統な協力が得られずにほとほと困り果てて、やや強硬手段に出た事を鮮明に思い出した。
「あはは。当時の面子がロック過ぎて、ちょっとやりすぎた」
「おもしろかったですね。まっちぽんぷのきわみで」
……お前含めて体良く追い出したかったんじゃ」
 大体の所業を察したのであろうマコトの言葉を遮る。都合が悪い事は聞かないに限る。
「でも生還しちゃったから仕方ないよね」
「想像以上にロクでもない事してない?」
「してないよ~」
「白々しいなあ」
「しかし事実を踏まえると、避けられる方が楽ではあるか」
「まあそうだね。それなりに気を使ってたんじゃない? らしくもなく」
 コーヒーを啜る。中身は既に半分より少なくなっていた。
 それから、一応最後に会ったときの話も聞いておこうと思い立ってレノに尋ねた。すると彼はこう答えた。
「最後に会った、というかたまたま見つけたんだよね。町中歩いている所。その時は、ケント兄は直ぐにもっと遠い所に行くって言って、あんまり話せなかった。それきりだよ。今はスラムで色々やってると信じたいんだけど」
 彼はケーキを一口ひょい、と食べる。
「マリィが見つけていて、特に何も言ってないから多分向こうに居るでしょ。どのみち明日には分かるだろうけど」
「それもそうか」
「あと、カキはどうしてる? 手紙ぐらいは送りたいって言ってたと思ったんだけど」
「ボクは、本当に旅終わった直後に一通貰っただけ。筆豆じゃないのは想像つくし、住所書いてないのも割と分かるけど。でも返そうにも返せないのってなんか、良いのかなって忍びない感じになってさ」
「ああ、成る程。住所の概念ない所に居ついてるしね」
「やっぱり森の中だから?」
「それもそうだけど、エルフや精霊は個人の識別が得意過ぎて、居所に拘らないのが大きいね。あのひと達、割と移動しがちだし。カキ自身も気にしないから、居候先としては合ってそうなんだけど、どうにも浮世離れしていく所はある」
「浮世離れしてるのは今に始まった話じゃないけど、水が合うなら良いのかな、うん」
 一人で頷いて、「そういえば」と言葉を継いだ。
「マコトはちょくちょく貰ってなかった? カキから手紙」
 黙々とケーキを頬張っていたマコトは、ごくりと口の中身を飲み込んでから口を開いた。
「ん、ああ。レノと同じで返事は出せなかったけどな。エルフの所での居候生活も順調らしい。ただその手紙も半年前にぱたりと止んだが」
 ケントがぱたりと来なくなったのも半年前だったか。
「変な所でリンクしてる。内容は変わりなかった?」
「ああ、内容はいつも通りだった。時候の挨拶と簡単な近況報告に安息を願う文が簡潔に」
 マコトはそのままコーヒーを口にして、眉を寄せた。
「今思えば、色々忘れ始めたのも半年前だったよな。確か」
「言われてみれば確かに」レノもしきりに頷いて同意する。
「なるほど?」
 話を聞く限り、旅の存在が消え始めたのは半年前だったのだろう。漸く現状が見えてきて、マコトとレノが昨日時点で周囲の記憶喪失に大して動揺しなかった理由が分かった。時間薬というものは大したものだ。
 存在が消える際に前兆というものはないが、しかし、今回は存在が完璧に消えていないので聞いてみようと思った。
「半年前に何か変なこと起きなかった? 小さい事でも良いんだけど。魔物が若干多かったとか、天候が何時になく悪かったとか。そう言うレベルで全然良いから」
「んー、特にないかな。天気も悪くなかったでしょ」
 指を顎に立ててレノが答える。
 その時、マコトがちら、とレノを見やった。そして首を傾げた。
……オレも特に思い当たる節はないな。不審者がいたとも聞いてない」
「成る程。有難う」
 典型的な存在消失と変わりがなかった。前兆はない。半年前にあの旅の存在が消えて、覚えていない人間がいる。
 ただ今回だけ、全く違うのは。
 矢張り、あの旅の存在を認識できる人間が居る事だ。しかも内容まで、本当の最後までではないが、ちゃんと覚えている人間が二人もいる。ずさんな消し方、というには消えていない。
 そもそも何故世界が勝手に消したもので頭を悩ませなければならないのだろう。
「ニアとハチのことは聞かないの?」
 不意にレノの声が聞こえてきて、顔をはっと上げる。いつの間にかレノの皿は何も乗っていない状態になっていた。一瞬視界に映ったロイも同様らしかった。
「別に、典型的な住所不定コンビだから聞かなくて良いかなって。二人とも会ってないだろうし」
「それがハチとは先週会ったんだな。こっちに来てるみたいで、クレープ奢って貰った」
 はて、と首を傾げる。マリィの調査の時系列が分からない以上、前後関係は不明だった。
「そうなの? そんな早く来てたの?」
「いや、その後どっか行くって言ってどっか行った」
 目的地を定めずにさすらうのが何とも彼らしい。思わず笑みが漏れる。
「相変わらず自由だな~」
「猫っぽいと言えば猫っぽいけどね」
 レノも肩を竦めて笑っている。気ままな行動に振り回されるのは常だったからかなり余裕があるようだった。旅を通してかなり肝が太くなったような気がする。
「もしかしてニアも直近で来てる?」
 レノの問い掛けにニアも含まれていたからきいてみれば、「ああ」とマコトが頷く。
「ニアは一昨日来た。職場に」
「ヤバい女のムーブしてるなあ。何で?」
「知らん。顔に見に来ただけつってたけど、すぐに警備呼ばれて素直にどっか行った」
「じゃあ顔見に来ただけだね。素直に帰ったなら多分そう」
 ニアはやりたいことはその場で全部やっていく性格だ。すごすご素直に帰るのなら、本当にマコトの顔を見に来たのだろう。意外にマコトの事を気にかけていたきらいもあったから、動機も分からないではない。
 とはいえ、何故一昨日行ったのかは不明だが。
「そうなのか」
「にあっていがいと、じぶんからはあくらつなことしませんよ。たのまれればするだけで」
「それはそう、かな~?」
 ロイの補足に素直に頷く事はできなかった。悪い事に関するノリはかなり良い方で、だからこそ極悪マッチポンプが成立した訳で。手段があれば、彼女の中で一番面白そうな手段を選ぶ愉快犯気質がある、というのが彼女に対する印象だった。
 とはいえ、ニアとハチはなぜ直近にここにいたのだろうか。本人たちの気ままな性質からして、どうしても来なければいけない明日に来ると思っていた。ここに用があったのか、他の国に行きたかったのかは分からないが。ともかく明日聞いてみる他ないのだろう。
「何だかんだ、皆会ってたんだ」
「完全に連絡も取れなかったのはシオンだけだよ」
「そうみたいだね」
 曖昧に笑えば、レノはくすりと笑った。
「シオンっぽいと言えばシオンっぽいけど。元気そうで安心した」
「それは良かった」
「でも今度はシオンの旅の事も聞かせてよ」
……機会があればね」
 言い淀んだのは、不条理に忘れていく世界の中で何の意味があるのか、と思っている訳ではない。何となく、断言をしたくなかった。
 それから、レノは手を合わせて「ごちそうさま」と呟いた。周りを見れば、何時の間にか全員食事を終えていた。
「わたしが最後じゃんね」と言いながら、ずっと手にしていたカップの中身を飲み干す。すっかり冷めたせいか、酸味が更に強くなっていた。
 そして伝票を手に取る。ちゃんと手持ちで払える料金だった。
「じゃあ今日はわたしが払おうか」
「お、良いの?」
「ふとっぱら!」
「色々教えてもらったし、そのお礼も兼ねて。あとロイの分は払わないとだから、二人プラスした所で誤差だよ誤差」
「じゃっかん、きんせんかんかくにぶいですよね」
「金あるのか?」
「あるよ~流石に! 子どもの皆は外で待ってて」
 やいやい言いながら席を立ってレジに向かう。そしてマコトとレノに外で待ってもらってつつがなく会計を済ませた。
 ドアを開けるとからんからんとベルが鳴る。日の眩しさはかなり和らいでいた。
 二人の下に行くと、「あれ、ロイは?」とレノが言った。それで後ろを振り返ればロイの姿が見えない。トイレでも行ったのか、と思った時、またからん、とベルが鳴った。
「おまたせしました」
「あ、来た。遅かったね」
「いちや、いたのでちょっとはなしこんじゃいました」
「イチヤ居たんだ」
 えへへ、と笑うロイに「今度は一声掛けてくださ~い」と小突く。
 全員揃った所で、明日もあるから、という訳で現地解散になった。
「じゃあまた明日」
 軽く手を振れば、レノは大きく、マコトは控えめに手を振り返してくれた。
 宿屋の方面、マコトとレノの帰り道とは全く正反対の方向へ歩いて行く。
 ロイがてこてこと先を歩く。
 情報量の多い一日だったが、明日に向けての最低限の情報はあるのだろうか。現状、半年前がキーになるのは分かったが、それだけで良いのか自信はなかった。だが、考えた所で知らないものは知らないままであるし、明日の集会の建前も情報収集であるのだから、それに存分に乗っかる事にした。
 ロイが黄色い道を左に曲がって路地に入っていく。後ろをついて曲がれば、灰色の小道には日差しもすっかり差し込まず、やや肌寒かった。