溶けかけ。
2024-11-11 00:27:14
3004文字
Public ほぼ日刊
 

舞台裏

えっちな誘惑をするフリーナの舞台裏の努力を見てしまったヌヴィレットのお話です。

「ふふっ……可愛いね、ヌヴィレット。照れているのかい?」
 ヌヴィレットの膝の上でフリーナが妖艶に微笑んだ。今宵の彼女は黒いベビードールにガーターベルトという、扇情的な装いをしていた。少し身動ぐだけでふわりと香るのはスメールローズと瑠璃百合を合わせた香水だろうか。──目に毒だ、ヌヴィレットはフリーナから視線をずらす。そうでもしなければ、今すぐにでも彼女を組み敷いてしまいそうだった。
「僕のことを見て……? そう、いい子だね」
 フリーナはヌヴィレットの顎に指を絡めると強制的に自身の方へと顔を向けさせた。強い力ではないにも関わらず、彼女の言葉や指に妙な強制力を感じてしまうのだ。
「好きだよ、ヌヴィレット」
 ちゅ、ちゅ、とリップ音をさせながら、フリーナの唇がヌヴィレットの額や耳、頬に触れる。細く白い腕が彼の首に絡みつく。ヌヴィレット、と甘やかな声が彼の名を乞うように呼んだ。
「ん……ふっ……
 互いの唇が重なり、深く舌が絡みあう。文字通りキスに夢中になっている華奢な身体をシーツへと横たえた。二人の間に銀の橋がかかり、ふっと途切れる。フリーナがヌヴィレットに両腕を伸ばした。
「いいよ……おいで、ヌヴィレット」
 それが合図。ヌヴィレットは彼女の腕の中へと身体を沈めた。

「じゃあ、今度は2日後に」
 フリーナが戸口で軽く手を振った。ヌヴィレットもそれに応じるように手を揺らす。
「ああ、フリーナ殿も元気で」
 ぱたんと閉められたドアに名残惜しさを覚えつつ、ヌヴィレットは踵を返す。夜を共に過ごした翌日のフリーナはいつも通りで、情熱的な一夜など存在しなかったかのような態度をとるのだ。ヌヴィレットとしてはもう少し、甘い雰囲気を楽しみたいと思う気持ちもあるのだが、彼女がそれを望まないというのであれば尊重するだけだ。考えながら、上着のポケットに手を入れたところで、いつも持ち歩いている万年筆がないことに気がついた。
「置いてきてしまったか」
 執務室には羽根ペンがあるため、困ることはないが、やはり、馴染んだ物が手元にないというのは落ち着かないものだ。ヌヴィレットは回れ右をして、フリーナの家へと戻る。玄関のドアをノックするものの、一向に返事はない。痺れを切らした彼が懐から鍵を取り出して、ドアノブを捻れば、いとも容易くドアが開いた。どうやら、鍵は初めからかかっていなかったらしい。──不用心な。
 ヌヴィレットは自身のことを棚に上げて、眉を顰めながら、ゆっくりと歩みを進める。どうやら、奥の部屋にいるらしく、僅かに開いたドアの隙間から話し声が漏れ聞こえてきた。
「こ、これはちょっと派手すぎないかい……? えっ……これくらいがお似合いです、だってぇ!? む、ムリムリムリ……こんなに卑猥なベビードール、きっと彼の好みじゃないよ」
 こちらに背を向ける形で立っているフリーナの姿が細い隙間から確認できる。彼女の周りにはサロンメンバーがいて、何事かを話していた。話題の中心はフリーナの手の中にあるインナーのようであった。
「フリーナ殿……
 声に出して、しまった、と思った。フリーナがこちらを振り返り、目を丸くする。そして、携えていたベビードールで自身の前身を隠して蹲った。
「うわあああ!? ヌヴィレット! なんでここに!? というか、ノックくらいしてくれ!」
「すまない。忘れ物をしたので戻ってきたのだが……何度ノックをしても君が出てこなくてな。鍵も開いていたので入らせて貰った」
 ヌヴィレットが部屋へと入れば、フリーナが一歩後ずさる。
「ところで──何をしていたのだ?」
「ななな、何のことかなぁ!? ほら、着替えるから出ていってくれ」
 フリーナはヌヴィレットにしっしっとジェスチャーをする。
 なおも食い下がろうとするヌヴィレットの視界に、「これを読めば、彼もあなたに夢中かも!? 〜異性誘惑メソッド〜」や「大人な女性に見える男性誘惑法」といったタイトルの本が飛び込んできた。恐らく、積まれた書籍の中身はどれも似たようなものなのだろう。
「み、見るなぁ!」
 フリーナは素早くドレッサーの上にあった本を回収すると胸に抱いて、背中を向けてしゃがみ込んだ。
「忘れ物をとったのならもう帰れよ!」
 必死で言い募るフリーナの服装もよく見れば、別れた直後とも違っていた。濃紺の総レースで出来たベビードールは柔らかそうな綿が印象的な白いキャミソールに変わっていた。装飾も胸元に小さなリボンがちょこんとついているだけの非常にシンプルな物だ。昨夜と別れた直後の服装が華美なものであるためか、今の服装がとても質素に思える。本来の彼女はこういった物の方が好みなのだろうか。ヌヴィレットは一つの可能性に辿り着く。その考えは直感だが、当たっているような気がした。
「フリーナ殿。もし、自惚れであるのなら訂正して欲しい──それらは全て、私のため、か?」
 フリーナは観念して頷く。ああ、一番知られたくない人に知られてしまった──幻滅されていたらどうしよう、と気弱な自分のしょんぼりとした声が内側から響く。大丈夫、ヌヴィレットはそんなことでは見限ったりしないはずだ、と主張する自分の声は随分と弱々しかった。
「って、うわあ!? な、何!?」
 フリーナの体が浮き上がる。ヌヴィレットに抱き上げられているのだと気付くのに少しだけ時間が掛かった。急な出来事に目を白黒させるフリーナをよそに、ヌヴィレットの足はベッドへと向かう。
 行き先に気付いたフリーナは手足を力いっぱいバタつかせた。
「な、何をするんだい!?」
「君が愛らしいことをするのが悪い」
 ぽふん、と軽い音を立てて、フリーナがベッドへと下ろされた。文句を言おうと僅かに口を開ければ、長い舌が彼女の舌を絡め取る。
「〜〜〜〜っ……!」
 思わず、目を閉じてしまうのは、習性のような物だ。歯列をなぞられ、ぞくぞくとしたものが背中を駆け上る。酸欠の一歩手前でヌヴィレットがフリーナの唇を解放した。荒く息継ぎを続けるフリーナの首筋に静電気のようなピリッとした痛みが走った。
「ま、待ってくれ! な、なんでそんなにやる気なんだ……!」
 キャミソールの隙間から侵入しようとする右手と太腿に置かれていた左手をそれぞれ捕まえて、指を絡めた。
「いじらしい君に触れたくなったのだ、仕方あるまい?」
 なんの躊躇もなく言い放ったヌヴィレットと絶句するフリーナ。彼は拘束が緩んだ手を解くと、白魚のような腕を頭上で一つにまとめ上げた。
「あっ、こら! 駄目だってぇ、言っているだろう……
 ヌヴィレットの自由な片手がフリーナの上半身を這う。情事の際と同じ触れ方にヌヴィレットに教え込まれた身体は健気にも反応を示した。身を捩って抵抗するフリーナにヌヴィレットが呼びかける。
「フリーナ」
 熱っぽい視線がフリーナに絡みつく。ずるい、とフリーナは唇を尖らせた。そんな顔をされたら、断れないじゃないか──。フリーナは頬を染めながら頷いた。
「うぅ……分かったよ。でも、朝だからあんまり激しくしないでおくれ」
 ヌヴィレットの瞳が細められる。捕食する前の肉食動物のように爛々と輝く眼に、今日一日はベッドの上で過ごすことになりそうだ──とフリーナは決意を固めるのだった。