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椎那わたる
2024-09-04 21:43:30
2795文字
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言伝
【夙夜夢寐】 MDZS・CQL合同非公式アンソロジー企画~藍忘機空白の年月の物語
参加作品です。原作軸ベース(少しだけ陳情令)で書きました。
忘羨ワンドロワンライで書いた「十三年後」に大幅加筆したものとなります。
※戒鞭の傷、琴の弦、焼き印による流血・負傷表記があります。
あの日から、藍忘機の周りを流れる時間の流れが急激に早くなった。
正確には彼の周りは通常で、彼の時間だけが止まってしまったのだ。
毎日、毎夜、毎時間、当て所なく探す視線の先に彼の姿はない。「失せろ」「恥知らず」と言い続けてきた後悔と自責の念が奔流のように押し寄せる。もっと、言いたい言葉は他にもあった筈なのにと唇を噛む。
これは『罰』なのだ。そう自分に言い聞かせないと、気が狂ってしまいそうだった。
否、既に
……
狂っていたのだろう。
友を最後まで信頼できなかった罰。
共に同じ夢を実現できなかった罰。
供なわず彼の理に沿えなかった罰。
痛いくらいに傷ついたのは彼の方が先だった。戒鞭を受けたのは、彼の痛みを少しでも共有したかったから。しかしまだ足りない。ならば。
己はそれ以上の苦しみを味わうとしよう。藍忘機は家規に縛られ酒が飲めぬ身体で彼が好んだ酒を浴び、彼に押された烙印を自らの手で己に科す。
狂気の沙汰だと思われた。それもそうだ。雅正そのもののような存在の含光君が、何故そんなことをと誰からも言われた。兄はただ見守ることしかできず、叔父は大きな溜息をついた。
一年目は虚無に終わった。
時折聞こえる彼の声が幻聴だと知るも、何処かにいるのだと信じて疑わない藍忘機を兄が必死でなだめていた。傍目から見れば、夢を見て彷徨う亡者のようだった。
二年目、視界から色を失う。
彼が投げてよこした枇杷の鮮やかな橙も、蓮花塢に咲いている目の覚める紅色もわからない。白と黒で構成された景色は、修真界そのものであった。
三年も経つとその姿すら忘れかけられ、「夷陵老祖」の悪名だけが千里を走る。
市井では似ても似つかない禍々しい姿絵が飛ぶように売れていた。藍忘機はそれらを全て引き取り、火鉢の中で灰になる様子をただじっと見ていた。
四年目。夢の中で彼の最期を看取る。
ある晩は彼自ら崖を踏み外し、仄暗い不夜天の底に消えた。ある日は乱葬崗、伏魔殿の奥で人知れず息絶えていた。死の際で、彼は何を思ったのか。今となっては何もかもわからないままだ。骸さえ見つからぬのだから。
五年経過するまで、藍忘機は毎日同じ時間に問霊を繰り返した。琴の弦が切れても、指先を傷つけてしまっても、その音色を絶やすことはなかった。しかしそれでも、応える弦振はない。
六年もすれば指先や背中の傷は癒えるが、心に負った傷は癒えることがなかった。「彼」のいない世界は虚ろだった。しかし後を追うことは、決して許されなかった。
『失せろ』
その一言が突き刺さる。きっと彼岸に旅立ったとて、彼から追い返されてしまうのだ。
七年後、傷が塞がった指先は更に硬くなった。琴の弦を弾いている間、考えることはただひとつ。この感情が、どういうものなのか知らなくても構わなかった。
「かえってきて。魏嬰」
ただ、それだけが望みだった。
八年も経つと、かつて乱葬崗で拾った幼子が姑蘇藍氏の門弟として頭角を現した。
翌年には拾い子と同年代の内弟子が雲深不知処にやってきた。夜狩の腕は中の上、しかし頭の回転が早い彼は、雰囲気がやや彼と似ていた。雲深不知処には僅かに活気立ち、賑やかになるもしんと静まり返った藍忘機の心は、内弟子ですらほぐす事は叶わなかった。
十年目の朝。藍忘機は蓮花塢の畔に立っていた。
雲夢江氏に届け物があるついでに立ち寄ったその場所は、かつて彼が泳ぎ、はしゃいだであろう故郷である。一面に咲く蓮の花、この景色を彼と分かち合いたいと思った頃には既に遅かった。時間の流れは凶器にも似て、藍忘機を深く傷つける。しかしその痛みもまた、藍忘機だけのものであった。
十一年。一体何の為に生きているのかすら分からなくなる。いっそのこと狂ってしまいたい、感情を失ってしまえればいいのにとすら思ってしまう。しかし自分の立場では、もう後戻りできないのは分かっていた。
それを世間は、姑蘇藍氏は、あの男は許さないだろう。自らを檻に閉じ込め、ただ「生きる」ことにした。
十二年。内弟子たちが自分たちだけで夜狩りに行くと告げた。弟子たちの成長は目まぐるしい。今年は再び、雲深不知処に若者たちが集うことになった。ならば自分はどうすればいいのかと冷泉に映る自分に問う。それでも水鏡は何も応えてくれなかった。自ら生を見出さねば意味がない、とでもいうかのように。
十三年後。何時もと同じ東風が吹き、同じ方角からようやく春が訪れた気がした。相変わらず藍忘機の玻璃のような瞳は何も映していないように見えるが、兄の傍から離れることなく雲深不知処の執務を淡々とこなしている。雅正を尊び、清廉潔白を身に纏う。そこに「含光君」がいる限り、門弟たちは迷うことなく修練に打ち込み雲深不知処に安寧が続いた。
ようやく元の藍忘機に戻れたのだろう、と誰もが安堵した。そうでなければ、毎夜響く美しい琴の音は紡がれない筈だ。
没後十三年も経てば、夷陵老祖の存在を語るのは講談師ぐらいしか居なかった。
「夷陵老祖は死んだはずだろう?」
「しかし骨は見つからなかったと言われている。それに奪舎されればわからないな」
彼がそのような行動を起こすとは思えなかった。誰よりも優しく、臆病で、自らの犠牲を厭わない男だから。
ふと夜空に、大輪の花火があがる。それは姑蘇藍氏の信号弾で、先日邪崇退治に行った内弟子たちが打ち上げたものだろう。
「
……
」
己の為すべきことを成す。今日までそうして生きてきた。
藍忘機は避塵を手に携え、楼閣から飛び降りた。
× × ×
深淵の縁から誰かが呼びかける。その存在を忘れては居ない者が他にも居たのだ。
長い年月を経た今、眠りを妨げられたかの亡霊は顕現する。献舎によって術者の命と引き換えに。
どう足掻いても無理やり起こされるのならば、もう一度生きてやろう。
莫玄羽として。痴れ者の振りをして。憎しみを願いに変えて。二度目の生を足掻いてみせる。
しかし出だしで躓いた。耳の奥で聞こえた琴の音を、忘れたことはなかった。あれから十三年後の彼は、ちっとも老けてはいなかった。変わらぬ美しさのまま、品行方正で邪を憎む、白い衣を纏った仙師。
無意識のうちに彼の号を呼ぶ。死ぬ間際、脳裏にこびり付いて離れなかった存在を。
× × ×
「魏嬰、きみなのか」
その背中に見覚えはない。しかし藍忘機は目を見開いて、初対面なのに何故かそうだと確信している懐かしい男の名を呼んだ。最後まで叫び続けたその名を。彼が消え、二度と呼べなくなってしまったひとりの青年を。
十三年前。
あの時果たすことのできなかった、己からの言伝を。今度こそと、胸に秘めて。
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