椎那わたる
2023-03-21 00:22:03
10586文字
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『紅に染まる花』

MDZSWebアンソロジー「落花流水」参加作品です。ラジドラ龍狐イメージで書かせていただきました。
幼少藍忘機×子狐魏無羨⇒白龍含光君×黒狐夷陵老祖です。
藍忘機誕生日に書き下ろした作品を大幅修正・加筆し、続きのお話も書いてみました。
ラジドラの世界観が好きなので、あえて読み方はそちらに合わせています。ご了承ください。
愉しんでいただけましたら幸いにございます。

 一面に広がる白の絨毯に、小さな足痕がついていた。
 足跡の主を見つけるため、静室から出ると庭先に小さな黒狐の子供がはしゃぎ回っているのが見える。黒い布を巻きつけた幼子の身体に、身の丈と同じくらいのふかふかな尻尾を揺らし、頭上に生えた大きな耳を小刻みに揺らしていた。

君は?」

 掛けられる声と気配に気付いたのか、子狐は自分よりも大きな存在を見上げて驚き、垂直にぴょんと飛んだ。かろうじて着地し、ぷるりと身体を震わせる。

「もしかしてがんこーくん?」

 興味津々と言った様子で観察するように見つめられ、含光君こと藍忘機らんぼうきは緊張した面持ちで一歩近づく。まだ少年特有の幼さはあるものの、姑蘇藍氏の美少年と謳われる程の整った顔立ちをしている。純白の校服に身を包み、額には抹額を巻き、一族特有の長い龍尾を校服の下から覗かせている。お互い初めて見る自分とは違う生き物に、何と声を掛けて良いかわからず、一瞬口を噤んでしまった。彼が緊張している様子を見て、子狐は短い手足を振りながら数歩近づく。

「おれはぎむせん!道にまよってうさぎちゃんたちに聞いたら、ここに行けって言われたんだ」

 にかーっと歯を見せて笑顔を浮かべる子狐に、静室の主である藍忘機は自分からも近くに寄って屈み込む。目線を合わせると魏無羨は大きな瞳で藍忘機の顔を見つめ、彼の頭上に生えている純白の双角に気付き驚くように声を上げた。

「わぁぁ!すごい!がんこーくんはほんとに神様なんだな!」
「神様ではない。ただの……龍人だ。わたしは藍忘機、藍湛と呼んでほしい」
「らんざんって、おまえの名前か?名前で呼んでいいの?」
「うん」
「そっか!!そうしたら、俺のことは『ぎえい』って呼んでいいぞ!」
「魏嬰こう?」

 藍忘機が雪の上に指で文字を書き、それを見た魏無羨は元気に「うん!」と返事した。藍忘機は小さな唇を綻ばせ、魏無羨の小さな手を取ってやんわり握る。

「寒くないか、魏嬰」
「へいきだよ。なれっこだもん!」

 魏無羨の手と足はしもやけで紅く腫れ、見るからに痛そうに見える。藍忘機は魏無羨を両手で抱き上げ、冷たく冷えた裸足を手の平でゆっくりと温めた。

道に迷ったなら、少し休んでいきなさい」
「ん!いいのか?」
「うん」
「でもほんとに?こうかいするかもよ?」
「大丈夫おいで」

 藍忘機が魏無羨の背中に腕を回し、軽々と持ち上げると魏無羨の小さな手が藍忘機の首に巻き付いた。強がりはしていたがやはり寒いのだろう、華奢な肩が震えている。そのまますぐに静室へと戻り、扉を閉ざすと魏無羨を降ろして寝台に座らせた。

「少し待っていて。君の手足が霜焼けしているから、軟膏を塗ろう。特に足が酷い」

 そう伝えてその場から少し離れ、藍忘機は行李から手拭きを取り出した。湯殿で手桶に湯を張り、手拭きを潜らせ軽く絞る。直ぐに戻って魏無羨の両足を丁寧に拭き、卓上の軟膏壷の蓋を外して指に掬い、魏無羨の足裏と指先に塗っていく。

「あははっ!らんざっ、くすぐったいよ!」
「魏嬰、少し動かないで

 子供の握力とは言えど、体格差のある藍忘機に足首を掴まれた魏無羨は逃れることができず、足裏と指の間に塗られる軟膏の感触に身悶える。指先で擽られるように塗り広げられては思わず堪えられなくなり、魏無羨は尻尾を逆立て背中を仰け反らせた。

「だ、だめだっそれ以上は元にんぁぁっ!」

 藍忘機の手を何とか振りこうとし、座ったまま両足をばたつかせていた魏無羨の足がたちまち大きく、長くなった。それに伴って藍忘機の肩に置かれていた小さな手指も、しなやかな大人のものになる。胴体や顔立ちはあどけない幼児のものから端正な美丈夫へと代わり、小さくふさふさとした尻尾は太くしなやかな九尾に増えていた。纏っていたぼろのような黒い布は上質な金糸の刺繍が施された黒衣へと変わり、腹帯には狐の面が着いている。長さの変わった艶を纏う黒髪の毛先を指先に巻きつけ、悪戯に失敗した子供のようにふてくされている。

!きっ、君は妖か!」
「だから言ったじゃないか、後悔するかもってな?それにここへ上げたのはおまえだろ?含光君」

 驚いた様子の藍忘機を見た魏無羨は機嫌よさそうに膝上に肘をつき、頬杖をついて妖艶に笑っている。先程抱き上げた子狐とまったく違う姿に驚いた藍忘機は、腰に佩いていた剣の鞘をぎゅっと握った。自分の身の丈の倍もありそうな姿に変化した魏無羨を、淡い色の瞳が睨みつける。

君は何者だ!」
「麓では夷陵老祖いりょうのろうそ、って呼ばれて恐がられてるけど、魏無羨と名乗っている。魏嬰と呼ぶのを赦しているのはおまえが初めてだよ、含光君」

 夷陵老祖、その名前に聞き覚えがない筈はない。百年以上生きている九尾の黒狐で、その美しさで里に下りては人間をからかって愉しんでいる妖狐だ。藍忘機はしてやられたと後悔したが、大きく深呼吸して心を落ち着かせる。今日で自分も1歳年を取り、少しだけ大人になったはずだと言い聞かせて対処の仕方に考えを巡らせた。

何故、雲深不知処に来た」
「山で迷ってたのは本当だよ。修行者に追われてたから逃げる為に霊力を使い過ぎて、一次的にああなってたんだ」
「それは……追われるようなことをしたからだろう?」
「ははっ!おまえもそう思うだろ?でも生憎、俺にはそんなの身に覚えはないんだよそれにあいつらは犬を連れてた。俺は犬が大嫌いなんだ」

 苦々しく吐き捨てるように言うと、魏無羨は小さく溜息をついて自分の足先を見つめた。姑蘇藍氏の霊薬の効能か、霜焼けの赤みも痛痒さもすっかり無くなっていることに驚く。ここに迷い込んだのは本当に偶然ではあったが、それでもありがたいことに変わりはなかった。

「まぁ霜焼けを治してもらったことだし、俺はもう此処には居ない方がいいだろ?祝いの場に、人身惑わす妖は居ない方がいい」
「待って、まだ君の手に薬を塗っていないそれになぜ、祝いの場だと?」
「んん?だって、おまえの部屋、あちこちに贈り物が置かれているじゃないか。春節飾りとも違うし、だとしたら今日はおまえの誕生日。そうじゃないのか?」
……

 藍忘機は指先に軟膏を掬い取り、ただ俯いておおきな魏無羨の手のひらに塗り込んだ。魏無羨の指先は霜焼けの他に赤切れや切り傷だらけで、見ているだけで痛々しい。両手に軟膏を塗り終えると、魏無羨は指先が癒えてきたのを感じたのか「ありがとう」と告げて藍忘機の頭を撫でた。
 静室内に置かれた贈り物の箱は、どれも一級品の菓子や高価そうな置物だったり、難しそうな書物ばかりだった。恐らく他の仙家からのものだろう、凝った装丁の割には何となく、慈しみや愛情を感じられないものばかりが並んでいるように見える。魏無羨は鼻を鳴らしてそれらを一瞥し、藍忘機の表情を窺うと彼は小さく頷くだけだった。

うん」
「どうした?なんでそんな寂しそうな顔してるんだよ」
父上は閉関していて、兄上は叔父上と清談会に行った私はまだ幼いから、門弟たちと雲深不知処に残っていることしかできない。贈り物は沢山あっても、欲しいものではなかった」
ふぅん?おまえ、母親いないのか?」
「ははうえは……母上は

 藍忘機は校服を両手で握り、俯いて下唇を噛む。声と肩が震え、今にも泣き出してしまいそうなその様子からすると、恐らく彼の母親はこの世界の何処にもいないのだろう。居るとしたら、それは手の届かない黄泉の国だ。
 魏無羨は何も言わず、腹帯の狐面を外して寝台の傍らに置いた。藍忘機の身体を後ろから抱き上げ、横抱きにし己の懐に収める。先程とは真逆の立場になった藍忘機は驚きの為か眼を丸くして、魏無羨の顔をじっと見つめた。

「ほらそんな顔するなって。今日は俺がずっと傍にいる」
ほんとう?」
「ああ。俺は人を揶揄うのは好きだけど、嘘はついたことがないんだ。それに礼のひとつも返さないと、おまえの泣き顔が夢に出てきそうだからな」

 魏無羨が優しく笑い、藍忘機の玉のように滑らかな頬を手の甲で撫でる。ふわ、と柔らかく温かい九本の尾で藍忘機の身体を包み込み、抱きしめた。自分と似た境遇でも、彼は姑蘇藍氏の第二公子で欲しい物品は何でも手に入る身分だ。それでも欲しいものが手に入らないというならば、それは物品ではなく人の心や優しさなのような、形に見えない不確かなもの。そう判断した魏無羨は、1日だけでも彼の傍に寄り添ってやりたくなった。気まぐれには間違いないが、ひとりぽつんと静室で兄たちの帰りを待つ彼を想像し心がちくりと痛くなる。彼はかつての自分であり、将来心に穴の空いた大人になって欲しくはない。とん、とんと規則正しく背中を軽く叩いてやると、藍忘機の瞼が少しずつ下がって来る。

「藍湛、ここ数日眠れてないんだろ?」
そんな、ことは
「ふふ、誤魔化すなよ。おまえとは出逢ったばかりだけど、どうも初対面には思えないんだ。俺にはうんと甘えていいだから、気にするな」


 次に魏無羨が言った言葉を聞かずして、藍忘機は両目を瞑り穏やかな寝息を立てはじめる。彼の母にはなれないが、慈しむように頭を撫でて可愛らしい寝顔に頬ずりをした。恐い夢を見ないように、寂しさで目が醒めないようにと願いを込めて額に口付ける。

「おやすみ、藍湛」
 またきっと、いつか何処かで。

 藍忘機が次に目覚めた時、自分の枕の傍には紙でできた狐の人形が置かれていた。

×   ×   ×

 とても懐かしい出来事をふと、思い出す。
 当時再会を願ってはいたが、心のどこかでそのあどけない寝顔にもう二度と会うことはないだろうと思っていた。その予感は的中して、記憶の中に出てきた彼の面影を朧気にしか憶えていない。

……そう言えば、そんなこともあったな」

 あの狐の紙人形はどうなったのだろうかと、想いを巡らせる。ただの折り紙だから、そう長くは持たなかっただろう。魏無羨は薄暗い酒楼の二階で、傍に侍らせた人ならざる乙女たちに囲まれ、卓上に置いてある天子笑の甕を掴んでそのまま呷った。
 当時まだ幼子であった含光君は、今や逢乱必出と謳われる程の技量と高名を世に知らしめている。夜狩りに赴いては影響の大小関係なく邪崇退治を行い、その地に住まう人々から大層歓迎されているらしい。その姿を見たことはないが、整った美しい顔立ちの青年だと伝え聞いている。もし、再び出会ったとしても彼も己のことを憶えてはいないだろう。何せ、含光君が幼かったのは何十年も過去のことなのだから。

(まぁ、妖狐だなんだと言われてはいるが今の俺は大人しくしているんだ。もう、会うことなんてないだろうな)

 唇から零れる酒を手の甲で拭い、空になった甕を床上に転がす。今日は久方ぶりに乱葬崗から街へ降りて来て、魏無羨は上機嫌だった。師姐と仰いだ女性の輿入れが決まり、真紅に包まれた晴れ姿をわざわざ見せに来てくれたのだ。
 婚礼衣装を纏った彼女はとても美しかった。山の中に籠る自分の為にと、わざわざ好物の汁物まで携えて来てくれたと分かって魏無羨は更に嬉しくなる。自分の椀に入れた分は全て飲み干して、その時一緒に乱葬崗から降りてきた青年に汁物の器が入った手桶を託し、人里離れ隠れ棲む彼らの一族に飲ませることにした。きっと彼らも気に入る味だろう。
 隠すのを忘れた尻尾がふさふさ揺れて、黒髪を結わえている赤い髪紐を撫でる。不意におおきな耳をそばだてていると、酒楼の外から歓声が聞こえてきた。

「んんなんだよ、騒がしいな」

 部屋の窓に掛かる日除け簾を持ち上げ、辺りを見下ろす。少し離れた街の通りには何かを見物しに来たかのような、大勢の人だかりができていた。操っていた屍の美女たちを下がらせ、こんな辺境の地へ誰が来たのだろうかと、目と耳を凝らして情報を集める。

『なんと実に美しいお方だ』
『ほら、いらっしゃるわよ! 』
『わざわざ夷陵まで来て下さるとは!』

(ん一体誰が来てるんだ?)

 魏無羨は窓に乗り上げ、見物する街の人々を眺めた。街の入口方向から、白い毛並みの馬に跨った人物が見える。沿道にはその人物を見物するために集まっているのだろう、大勢の人だかりができていた。
 当初は何処ぞの修行者なのだと思われたが、魏無羨は目を凝らして息を呑む。

(あれは人間じゃない)

 遠くからでもわかる頭部から聳える白い双角、白馬と一体になっているように見える純白の校服。姑蘇藍氏の者の証である抹額が、風にゆらりと靡いている。

まさかな。いやそれにしても護衛もつけずに一人で来るなんて、無防備過ぎる」

 魏無羨は口元に笑みを浮かべ、高みの見物をきめ込むことにした。次第に酒楼から見下ろせる距離へと近づいてくる白馬とその人物に、似合いの花でも投げてやろうかと企む。
 部屋に飾られどれほど経過したのか分からない一輪挿しから花を抜き取り、萎びた花弁に吐息を吹き掛け、口付けた。枯れかけているそれは桃色の可憐な花へと、巻き戻るかのように咲き誇る。そして花弁の縁から次第にひと目を惹き付ける、艶やかな真紅へと染まっていった。

まぁ、こんなもんか。綺麗なお兄さん、一人で歩いてたら危ないぞ?」
「!」

 窓から投げた花はそのまま、かの人物の元へと吸い寄せられるように飛んでいく。彼の手の中に着地すると同時に、白馬の歩みが止まった。
 そして、淡い琥珀色の目と魏無羨の視線が交わる。術で一次的に赤く染まった魏無羨の眼の色は、驚きですぐに鈍色へと戻っていった。

……!」
「もしかして」
……含光君
「魏嬰?」

 その瞬間、時が止まったような感覚に陥った魏無羨は尻尾を逆立て、慌てて窓から離れた。逸る胸元を鷲掴み、震える手で伝送符を懐から取り出す。足を止めた馬上の麗人──藍忘機は自分の目を疑って数度瞬きを繰り返した。沿道で眺めていた街の住民が怪訝な表情で、藍忘機に問いかける。

……旦那、どうしたんで?」
あの酒楼から、花を投げられて
「へっ?あの建物はもう十年以上も空き家ですぜ」
……そんな、筈は
「そんな筈も何も、あれはあっしの親父が手離した店でして」

 藍忘機が何度その場所を見直しても、先程と変わらない景色のままだった。ただ、先程見かけた人物の気配は忽然と消えてしまっている。
 胸元に収まった一輪の花だけが、その存在を裏付ける証拠となってしまった。

魏嬰、君はいつも私に贈り物を遺して消えてしまう

 項垂れるように俯いて、その花を見つめる。
 懐には色鮮やかな真紅の芍薬が、藍忘機を見上げるように咲いていた。

×   ×   ×

 笛の音が薄暗い山の中に響き渡る。
 その音色は悲しげで美しく、何処までも透き通っていた。

……何も言えなかったな」

 魏無羨が携えた黒笛を降ろし、岩だらけの地面に置いた。自分の黒髪を指先で弄び、何度目か分からない溜息をつく。傍で幼子をあやしていた女性は、澱んでしまいそうな空気を払拭するようにむっとして辺りを手で仰ぐ。しかめ面で魏無羨の頭を軽く叩き、抱えている幼子の耳を塞いだ。女性の頭部には黒くて禍々しい二本の角が生えているが、それは魏無羨と共に里へ下りた青年と同じものだ。

「魏無羨えんちゃんが心配するでしょう?」
「ふふ、大丈夫だよ。なぁ?」

 女性の名前は温情おんじょう。岐山温氏の傍系にあたる夷陵温氏の娘だ。彼女の弟である温琼林おんけいりん温寧おんねいは魏無羨と共に乱葬崗を下りて村に行った青年である。温情の腕の中でかわいらしい眼を丸くさせているのは温苑おんえん。苑ちゃんと呼ばれる、まだ幼い子供だった。彼にもまだ短くはあるが、灰色の角が生えている。
 温氏は代々頭部に黒々とした鬼角が生えている一族で、世界を混乱と狂気に陥れた先代宗主の温若寒おんじゃかん蜷局とぐろを巻いた鬼角だったと言われている。その温若寒も今や討伐され、平穏が訪れている筈なのに『家系が同じ』と言う理由で彼女たちは迫害されてきた。今まで迫害を受けてきた温氏の生き残りは、夷陵老祖と呼ばれている鬼道の始祖、魏無羨と行動を共にして、乱葬崗に隠れ住んでいる。

街でちょっと因縁のある奴と出くわしちゃってさなに、あいつはもう忘れてるよ」
「羨にいちゃんのおともだち?」
「うーんおともだちだったらいいんだけどな。何と言うか、息子みたいにそそっかしい奴で
「そっか!そしたらぼくのお友達になれる?」
ふふっそうだな。そうなると、良いな」

 温苑の言葉に噴き出すと、魏無羨は力なく笑みを零した。確かにこの子ならば、彼の硬い表情を解せるのかも知れない。心に刺さっていた棘が少しだけ緩んだ気がして、今度乱葬崗を出る時には彼を連れて行ってみようかと思案する。

その兄ちゃんは、俺が出会った中で一番綺麗な人なんだ」
「へぇ。その人のこと、すき?」
「んん~どうなんだろう。俺にもよく分からないなぁ」

 おどけたように言いつつも、脳裏に浮かぶのは高嶺の花、と言う言葉がぴたりと当てはまる美しいひと。
 何処か遠くを見つめながら、きっと好きなんだ、と魏無羨は小さく呟いた。

×   ×   ×

 ここにやって来たのは他でもなく自分の想い人を探す為。
 幼き頃、孤独に押し潰されそうだった自分に寄り添い、優しく抱きしめてくれた美しい人。今でも彼の置き土産である、狐を模した紙人形を肌身離さず大切に持ち歩いている。
 ほんの一瞬だけ見つめることができたあの眼差しは間違いなく、あの日に出会った妖狐だった。また何処かで、と寝入りばなに聞いた言葉に縋るように生きてきて、ようやく再会することが叶ったのにすぐ消えてしまった。会話は出来ずとも、彼から受け取った芍薬の花を押し花にして、また再び彼を探しに行く。押し花のように、彼をこの手の中に閉じ込められるなら。たった数度しか顔を合わせていないのにも関わらず、藍忘機は彼に惹かれ、求め続けた。
 
 ほんの少しでも会いたい。恩返しがしたい。
 ただ隣に寄り添い、肩が触れるだけでいい。彼がそれを望まないなら、一言だけ「ありがとう」と伝えたかった。あの時目が覚めて彼が居なくなったと分かった瞬間、溢れる涙が止まらなかった。しかしそれと同時に、己を律することも出来たのだ。泣いてばかりではきっと彼には会えないままだろう。今の自分があるのは、魏無羨が温もりを教えてくれたからなのだと。

……魏嬰、君は此処にいるのか」

 藍忘機は迷うことなく、再び夷陵の街へと足を向けた。


×   ×   ×

「せんにいちゃん」
「んん?」
これ欲しい
「あぁ~、わかった見るだけな?」
 
 魏無羨は幼子の手を引いて、夷陵の街並みを歩いている。鮮やかな菓子売り、素朴な草でできた玩具売り、いい匂いのする惣菜屋までがひしめき合った賑やかな通りだ。
 
 一度街を見てみたい、と温苑が目を輝かせ、温情に問えば可能だと言葉が返ってきた。両親のいない温苑をいつもあやしている温情や温ばあさんに、少しでも休息を摂ってもらいたいと思っての事だった。黒狐の耳と尻尾を術で隠し、ヒトに紛れて雑踏を歩く。
 しかし財嚢の中身には限りがあり、頼まれた食料品も購入しなければならない。無駄遣いは決してできないでいた。落胆する温苑を慰める言葉が見つからず、何か良い方法は無いかと考えをめぐらせている。
 すぐ傍で見掛けた菓子の屋台を眺め、その横にある野菜売りの露店へ向かう。温苑の手を一瞬だけ離し、野菜の品定めを始めた。

「なぁ、今日の夕飯は何がいい?お土産が野菜の種だけじゃ寂しいよな。おまえはどっちが

 しかし、魏無羨の声に返事は無い。振り向いた途端、温苑の姿が忽然と消えている事に気がついた。全身から血の気が引いて、急に背筋が凍えるように冷たくなった。

苑ちゃん?」

 少し目を離しただけではぐれてしまうとは思わず、魏無羨は掴んでいた野菜を放し血眼になって辺りを見渡した。しかし何処にも見当たらず、人波を掻き分けて探し始める。何処かにいるならまだしも、人攫いに遭っていたらと思うと気が気ではなかった。
 何処かで子供の鳴き声が聞こえた気がして、隠していた狐の耳を露わにし欹てる。周りが驚愕する声など耳に入らず、その場所目掛けて歩みを早めた。

   ×

「っひっく……

……とうちゃん」
………

 背の高い龍人と、彼に縋りつく幼子の周りに人だかりが出来ている。
 しかし彼、藍忘機は人目を避けることができなかった。足元には見知らぬ幼子がしがみつき、しきりに父親だと訴えている。しかし藍忘機には全くもって身に覚えがなく、故にただその場に直立不動となってしまっていた。

あらまぁ、綺麗なおひとだこと!」
「角が生えているから本当に親子みたいだな龍人か?」
「あの方は含光君なのでは」
「まさか隠し子?」
「そんな筈は

 ざわめきが広がり、幼子の腕が更に深く藍忘機の脚に絡みつく。早く保護者を探さねばと思案して、そっとその幼子の頭を撫でる。そしてすらりと括れた腰を屈め、幼子を軽々持ち上げた。幼子は驚きで目を丸くし、じっと藍忘機を見つめる。

私は君の父君ではないが君の泣いている顔は見たくない」
「ううぇ……
「ひとりで来たのではないだろう?」
「んにいちゃんと一緒でも、おもちゃ買ってくれない
「にいちゃん?」

 まるで過去の自分を見ているようで、放っておくことはできなかった。そのにいちゃんとやらを探せば、きっとこの幼子も笑ってくれるのだろうか。その前にと、乾坤袖に手を入れて少しくたびれた紙人形を幼子に持たせる。

「これ、なぁに?」
私が幼い頃、寂しくなった時に優しいひとがくれたもの。大事に持っていて」
「うん!きつねさんだぁ!」

 にこにこと笑い始めた幼子の様子に、藍忘機も思わず口元に笑みを浮かべた。幼子の頭部に生えている角は、龍の一族ではないと分かっている。仮に鬼の一族だとしても、彼を護ってやらねばと力強く抱き締めた。
 すると何処からともなく、誰かの名を呼ぶ声が聞こえてくる。

「苑!どこだ!」
「せんにいちゃん!!」

 人の群れを縫うようにやって来た青年に、幼子が大きな声を張り上げる。青年が二人の元にやって来ると、目を丸くして目の前の光景を見つめた。藍忘機は抱いていた子を青年に引き渡すと、青年は幼子の無事を喜びきつく抱きしめ、顔を上げる。しかしその表情は少しだけ青ざめているように見えた。

……!なんでこんなとこにあっいや、そのありがとう!」
君はこの子は、一体
「あぁ俺が産んだんだ!」
「っ!」
「それじゃあな!」
「待って」

 子を片腕に抱き上げたまま去ろうとする青年の腕を咄嗟に掴み、藍忘機が混乱しながらも二人を連れて歩き出す。周りの人だかりは首を傾げながら、奇妙な3人を視線だけで見送った。
 3人はしばらく歩いていたが、人の群れが途切れた所で青年が身動ぎ、藍忘機の腕を振り解こうとする。しかしびくともせず、大きく溜息をついた。

「なぁ、綺麗な龍のお兄さんもう離せってば
「今この手を離したら、もう二度と君に会えない」

 藍忘機は温苑を怖がらせないように、手首を掴んでいる手をずらして青年の手を握る。指を絡め取られるような握り方をされて、術で隠していた青年の魏無羨の尻尾と狐の黒耳がふさふさに逆立った状態で露わになってしまった。

「ふぁっ!何だよ!」
やはり魏嬰だったか」
「くっ人の姿なら隠せると思ったのに含光君、こいつの前ではその流石に
「せんにいちゃん、大丈夫?」
「嗯。私は彼の知り合いだ。君たちに危害を加えることは無い」
「あっ!もしかしてにいちゃんがだいすきな”綺麗なにいちゃん”?」
「なっ……こらっ!と言うかおまえたち何時の間に
「急に私の足にしがみついてきて私のことを父親だと」
「えぇっ⁉そんないや、待てよ
「あのね、せんにいちゃんが」
「苑ちゃんたのむそれ以上は駄目だ

 しどろもどろになりながら、魏無羨は藍忘機の顔を盗み見るように見つめた。そしてふと、温苑が手に持っている紙の固まりのようなものを見る。折り紙のように見えるそれに見覚えのあった魏無羨は、途端に嬉しくなって頬を緩ませにんまりと笑った。

あれ?もしかしておまえ、まだ持ってたのか」

 藍忘機は耳の先を朱色に染めて、ふいと視線を逸らしてしまう。

「なぁ、含光君?藍湛?」
見ないで」
「え?」
「あのねー、きれいなにいちゃんがこれを僕にくれたんだよ!むかし、優しいひとがくれたんだって」


 魏無羨はわざと藍忘機の手を深く握り直し、親指で彼の手の甲をなぞる。
 どうしても彼の表情が見たくなってしまって、魏無羨は藍忘機の顔を追い掛けるように足を一歩前に出した。

「藍湛?どうしたんだよ」
「どうもしていない」 
「ははっ!照れてるのか?かわいい奴だな……それじゃあ、これから一緒に昼餉に行こう。俺が奢ってやるよ」

 なぁ?と温苑と目を合わせ、魏無羨が藍忘機の手を引いた。引っ張られ、一歩前に足を踏み出した藍忘機の横に魏無羨が並ぶ。

「君は
「もう逃げも隠れもしないって!だからさ

 あの日のように、一日きりだとはもう言わない。
 これから何度でも会えるよと、魏無羨はにこやかに笑った。