ゆい
2024-11-10 21:30:31
4422文字
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【宗みか】かみさまにきらわれたい

しゅうくん誕生日前夜の話。
しゅうくんに大切にされて少しだけ図太くしたたかになったみかちゃん。

「影片くんお疲れ様!今日もすごく良かったよぉ!」
「んあっ、‥んと、ありがとうございますぅ」

 小走りでスタジオの出口に向かう背中を突然親しげな大声に呼び止められる。躓くように立ち止まり、怪しまれない程度の間を取って呼吸と表情を整理した。取ってつけた声でお礼を吐きつつ振り返れば、今日お世話になった二人が背後に立っている。咄嗟に腕の時計では無くてスタジオの壁の時計を盗み見た自分を心の中で褒めながら、数分前より随分砕けた雰囲気と向かい合う。

「お客さんの反応も上々だったしトークも面白かったよぉ。ドラマの番宣への流れもスムーズだったね」
「お二人が沢山助けてくれたお陰です。次があればまたよろしくお願いします」

 昔より楽に吐けるようになった決まり文句を唱えながら、ぺこぺこ忙しなく頭を下げる。痩せぎすの身体に派手なスーツを纏って今夜の司会を務めた男の人は、普段と変わりない筈のおれを嫌味にならない程度で大袈裟に褒めてくれる。朗らかに周囲を笑い笑わせるのが何時も上手で、理想の父親ランキングに毎年食い込んでいるのも納得だった。あれもこれも良かったと続ける司会者の後ろからちらちらとこちらを覗いているのは、助手として話とアイコンタクトを多めに振ってくれた女優の卵さんだ。収録中から何か言いたげな顔をしているなと思ってはいたけれど、カメラの止まった今は露骨に口を挟みたそうな顔で真っ直ぐおれを見つめている。不躾な視線には大分慣れたけれど、受け取るか無視するか決めるのはおれだ。そう教えてくれた声を思い出す度、きんと張り詰めた緊張の糸が少しだけ撓む。自分に向けられた感情の処理も出来ないようじゃ、数多の思惑を自在に纏って光るアイドルや注目を支配してなんぼの芸術家なんて務まらない。おれを操って良いのはこの世にたった一人だけ、それ以外はおれに選ばれるまで血眼になって待っとれば良い。
 頬や鼻先に鬱陶しさを覚えながらも、今話し掛けてくれる司会者さんの額辺りにピントを暈して集中するフリをする。嘘でもお世辞でも見た目じゃなくて、トークや立ち振る舞いを取り上げて持ち上げてくれる。こういうところも業界で生き抜く為には見習うべき美点なのだろう。頭では正しく理解しているのに、浮かべた笑みが乾いていくのを止められない。さっき盗み見た感じだとまだ明日までは三十分以上残っていたし、下には既にタクシーも呼んである。十五分もあれば到着出来る道程の内に電話でもすれば余裕で間に合うことだって、言い聞かせなくても知っている。それでも、身体はやっぱり心配性で、指先からは血の気が引き、反対に背中や首筋には汗がじわりと滲み始めてしまう。喉の奥にもひりつくような痛みを覚えて唾すら上手く飲み込めないと焦る内に、目の前の雑音がふと声のトーンを更に上げる。

「そうだ!これからスタッフの皆と打ち上げ行くんだけどさぁ、影片くんも一緒にどう?」
「えっ?あっ、今日は‥」
「行きましょうよぉ!アイドル活動のお話とか聞きたいですぅ!影片さんってお裁縫得意なんですよね?あたしのおばあちゃんもやっててぇ、あっ!今まで作ったものの写真とか見たいなぁ!」

 撒かれた餌に群がる鯉のように突如生き生きと話し出す様があまりに健気で笑ってしまう。運悪く表情を崩す俺に何を勘違いしたか更に目を輝かせて言い募る相方に、先程まで流暢だった菫色のネクタイが気圧されたように口を噤む。本当に存在するかも分からない祖母の話より、素敵な色と生地のそれをどこで買ったかの方が聞きたい。今年はもう遅いけれど、来年に向けて次会った時にでも教えてもらおうかしら。
 水を得た魚と面食らうネクタイ、それと吹き零すおれの組み合わせに通りかかる人が何事かと目配せを送ってくる。うっかり罅割れた愛想笑いが中途半端に頬に残って、強張っていた口角も良い具合に解れてくれた。失笑と一緒に胸のつかえも取れたのか、空気も何だか吸いやすくて乱しやすい。今日の最後に少しだけ面白かったなと思いつつ、もう明日には覚えていない可笑しさを最後まで味わっておく。すいません。標準語のイントネーションが少し混じり始めたことばで立て板に垂れ流される声に割り込めば、夢から醒めたみたいに二人がさっと息を呑む。 

「お気持ちはありがたいんやけど、今夜は大事な予定があるんでもう帰らんといけないんです。機会があればまた誘って下さい」
「‥あっ、そう、なんだ‥。じゃあ仕方無いね!次は空けといてよぉ!」
「はい、失礼します」

 深く頭を下げて拒絶を纏うおれから先に立ち直ったのは、流石司会者さんの方だった。数秒のまごつきなんて勢いで誤魔化して、何事も無かったかのように明るくおしまいを告げてくれる。もう一度、今度は心ばかりの謝辞を口にしてゆっくりと起き上がれば、少し寄った眉間で無理に笑ってくれる顔と、まだ何も飲み込めず固まる顔が左右綺麗に並んでいた。あまり目を見開くとアイラインの引きの甘さが目立つから止めた方が良い。今まで断られたこと無かったんやろか、運が良くて羨ましい限りだ。必死にかわいこぶってくれてたのに申し訳無いかなとちょっと思うけれど、ここで情けをかけて追い縋られても困るし。どうせ次回は新しい助手さんが来るし、最低限の礼儀と愛想は尽くしたつもりだ。畑違いな二人に最後と決めて微笑み、続く返事もリアクションも振り切ってくるりと踵を返す。――「汝、愛せよ」。明らかに自分のせいで空気が白けたり疎かになる時は何時も、昔読んだどこぞのかみさまの言葉が脳裏を過ぎる。神があらゆる者を愛するように、人間もたとえ敵であっても愛するべきだと、顔も名前も知らない誰かのかみさまは説く。実現可能かどうかは置いといても、正しさで言えばこれに勝る教えも無いだろう。舐められても損なわれても造花に徹して笑うような生き方を選べたら。否定と肯定を等しく喜んでみせるしおらしさをもっと上手く装えたら。蟻地獄みたいな博愛を望まれて、なけなしの自尊心を切り売りするばかりの日々にも、もっと素直に馴染めたのかもしれない。だけど、あのひとだけは、そんな呪いを下らないと吐き捨ててくれた。誰を愛して、誰に愛されるかを決めるのは自分自身だと声高に示す、この世で一番美しくて強いひと。その光に目も心も焼かれてしまったから、盲信に過信を重ねても絶対おれの神様にしようと決めた。正しいとか間違っているとかは生憎だけど手遅れなのだ。他のかみさまなんて思い出しても縋ってやらない、おれの選んだ神様に文句があるなら滅ぼしてやる。
 走り出さないように気を付けて入り口をくぐる時、背後で何か喚くような笑うような声がしたけれど、もう脇目を振っている暇は無い。一番近いエレベーターの「下」のボタンを連打しながら、やっと携帯を取り出して火急の連絡は無いか確かめる。収録直前にこちらから送ったメッセージがまだ未読のままだから、あのひとはもう電源を落としてしまったかもしれない。一応、「終わった」と、無駄でも蛇足でも一言送って小さく息を吐く。寂しいような仕方無いような宙ぶらりんな気持ちで開閉音を浴びながら一歩踏み込むのと、いきなり暗転した画面に『斎宮宗』の三文字が浮かぶのはほぼ同時だった。

「お師さん!?」

 時間も場所も配慮出来ない大声が長い廊下にきちんと響く。後ろで驚いたり振り返ったりする気配を感じ、慌てて全方位に頭を下げながら転がるように無人のエレベーターに乗り込む。閉じた世界の中でも警告音は軽やかに鳴り、おれが息を整え終えるのを今か今かと急かしている。会いたいのは本当だけど、滅茶苦茶なタイミングで主張されるとまだまだ心は追い付かない。こっちはずっと片思いを拗らせてるんだ、両思いになったって惚れた弱みがあり過ぎる。
 ときめいている内に切れてしまったら大変だから、一つ深呼吸をしてから受話器のボタンを強く押す。急いで耳に押し付けた画面の向こうからぶつんと二人が繋がる音がして、すぐに待ちくたびれた声に変わる。

「影片?仕事は無事に終わったのかい」
「おん!これからテレビ局出るから、今日中にはお家に着くで」
「急いでも仕方ないから、とにかく気を付けて帰っておいで」
「そんなことあらへんよぉ。おれ、絶対お師さんの誕生日に一番乗りしたいもん」

あんまりつれない言葉に子供みたいな本音が途方に暮れて溢れてしまう。年に一度しか来ない祝日なのに、敬虔たる信徒のおれが出遅れてなるものか。毎年そう息巻くおれをお師さんは何時も困ったように呆れたように笑うばかり。今だってきっと回路の反対側で焦るおれを想像しながら憎たらしい笑みでも噛み殺しているのだろう。地面を目指す低い唸り声は単調でも澱み無くおれをお師さんの元へと運ぶ。だけど、今はその浮遊感すらまどろっこしくて、当たり前に閉じる扉とのんびり変わる数字までおれを試しているんじゃないかと疑ってしまう。思わず唇を噛みかけるおれを知って知らずか、こほんと一つ気取った咳が恭しくおれの鼓膜を揺らす。

「一番だろうが最後だろうが、僕の唯一は君だけだから良いだろう」
……その手には騙されへんで。唯一が一番も独り占めしたってえぇやん」 
「随分と欲張りになったものだねぇ。ならば、なりふり構わず息を切らして駆けておいで。バースデーケーキの前で花を抱えて待っていてあげよう」

 最早含み笑いも隠さない声が高らかに宣言を吐いて、余韻も残さず電話が切れる。ぽかんと切断音を見送るおれの目の前でデジタル数字がやっと『1』を刻み、足元の揺れがゆっくりと止まる。貴方の魅力で誑かしても良いのはおれだけなの。そんなことを言ったら、また強欲だと笑われるだろうか。傲慢で尊大で格好付けたがりのおれの神様。この先のおれにどんな罰が当たっても構わないから、貴方もどうかこれ以上信者を増やさないで。おれの信仰に敵う奴なんてどこを見渡しても存在しないで欲しい。貴方に狂って良いのも救われて良いのも、お誕生日を真っ先にお祝いすることを期待されるのも、全部おれじゃなきゃ許せない。
 重く開いた扉の遠く向こうには、恐らくおれが呼んでおいたタクシーが一台。ぶわりと吹き込んできた外に近い空気が熱い頬を冷やしてくれる。今から走って行き先を告げ、家に着いたらベッドの下に隠した花束を掴んで大きな声で愛を叫ぶ。やることが一杯なようで結局は一つしかない理由の為におれは走る。自然と綻び出す口元も一気に血が巡り始める指先も、貴方のせいだったよと早く伝えて怒られたい。貴方だったら何でも良いの、おれは貴方に殉じたいの。
 どの道の先にもお師さんがいてくれたら、こんな幸せな悪路は無い。殆ど確信めいた思い付きにまた頬を緩ませて、本能に任せて飛び出した足で一目散に一人を目指した。