メリニと他国の辺境伯が治める地域の境界線で、珍しく小競り合いが起こった。原因は通行証を持たない商隊が通過しようとしたことで、以前から新興国でありながら大国である西方エルフと協力関係にあったメリニをよく思っていなかった辺境伯は、それを理由に我が国の民たちを拘束した。そしてこれも我が国の国境警備隊に警告し、俺はそのいさかいを王命によりおさめるために国境に出向くことになったわけだった。
しかし些細な誤解から始まった戦闘(と呼べるほどのものではなかったが)はすぐに集結を迎え、メリニと争った辺境伯たちとの間では国境線の確認が行われた。その妥協点を探るのには苦労したが、まぁ、よくあることといえばよくあることで、真実を隠したやり取りをするのには手を焼いたものの、俺は交渉を成功させて国に戻ることになった。でも、黄金城に戻る最中の宿で、俺は思ってもみなかった人に出会うことになる。そう、ミスルンさんがやってきたのだ。わざわざ、俺のことを心配して。
俺とミスルンさんが再会したのは、多分黄金城を離れてから、一週間ぶりくらいだったと思う。地図を書き換えないでよくするために尽力したとはいえ、辺境伯との国境線の確認に手間取って、それほどの時間がかかってしまったのだった。
でも、彼が訪ねてきたことにはびっくりしてしまった。文を飛ばしていたとはいえ、今夜宿に泊まることは連絡していなかったから。街道が整備されているとは言いづらい場所で、たった一つの宿屋街は俺たちが泊まっていた場所はなかったけれど、それだって言ってみれば賭けだった。そんな賭けに飛び込むくらい俺に会いたかったのだと思うと、自然とにやけてしまったのだから宰相補佐としても、彼の恋人としても格好がつかなかったけれど。
「思ったより大丈夫そうだな」
夕闇が太陽を飲み込む中、ミスルンさんがくたびれた馬から降りて言った。彼はマントにまとわりついた埃をはらい、ゆったりと俺に近づいてくる。
俺はというと恋人がやってきたことにびっくりしてしまって、どういうわけか何も言えなかった。ただ宿屋の主人が扉を開けてそろそろ夕食ですよと声をかけてきたので、それに生返事はしたけれども。
「どうしてミスルンさんが?」
「期待はずれだったか?」
俺の質問に、ミスルンさんは珍しくじゃれた質問で返した。俺をからかうような、そんな言葉だ。もちろんミスルンさんへの返事はノーだった。あなたが来てくれて嬉しくないわけがない。そう思うけれど、どうしてあなたがここまで来たのかは不思議でしたよ。
「……女王の命でな。国境を書き換えられたらあの人も困ってしまうから」
ミスルンさんが言う。俺はそれに、そういえば西方エルフはメリニの協力国であり同盟国であったことを思い出し、でも、それならばパッタドルがやってくるものではないかとも思った。それとも、ことを記録に残したくなかったのだろうか? この厄介なやり取りを公にしたくなかったのだろうか? そうだろうな、剣をおさめてくれた辺境伯を刺激しないためにも、西方エルフがやってきたことは秘密にしておく方がいい。
「俺はちゃんと仕事をしましたよ。メリニ国は安泰です。辺境伯も最後は苦々しい顔をしながらも納得していたようですし」
領土争いはいつの時代も過酷だ。だがそれも過ぎ去ったことで、領土の書き換えは起こらなかった。大事にならなくて良かったと思う。この人の出身国ををわずらわせることもなかったし、ライオスさんが頭を悩ませることもなくて良かった。
「さすが私の男だな」
ミスルンさんが俺に近づき、護衛たちの前で俺に手を伸ばす。そのまま頬を探って、俺の髪を撫でる。何事かと最初は思ったけれど、それは口付けの代わりのようだった。人の目を気にしないたちのこの人も、俺の立場を分かっているようだ。もっとも、今俺を守ってくれている兵士たちは親しいものばかりだったから、二人の関係がバレたとしてもそれほどのダメージはないのだけれども。
「そうです、あなたの男は頑張りましたよ。寝床で褒めて欲しいくらい」
だから俺は声をひそめてだが、ミスルンさんに向かってそうささやいた。でもやっぱり、ミスルンさんは顔色すら変えない。自分をよく見せようとか、恥じらいとかがない人だから、まぁ、仕方がないといえば仕方がないのだが、俺の言葉で恥じらってくれたら、それほど嬉しいことはないのだけれども。
「お前も言うようになった」
ミスルンさんが珍しく笑う。そして俺の肩に片手を伸ばし、つま先立ちになって耳元に唇を寄せる。護衛たちはいつの間にか姿を減らして(俺たちは、もうメリニ国に入ってたから、彼らも安心し、油断していたのだろう)、俺たちを見つめるものはほとんどいなかった。そんな中、ミスルンさんは俺に身を寄せて、こう言ったのだった。
「今日はお前の部屋に泊めてくれ。準備もしてきた」
「え……」
「なんだ、喜ばないのか? 私からの褒美だ。今夜は何をしたって……」
「わー! わー! わー! そろそろ夕食です! ご飯を食べに行きましょう!」
俺が始めたからかいとはいえ、いきなり何を言い出すんだこの人は。
俺は恋人のびっくりする言葉にひっくり返りそうになって、でも、彼の言った言葉を甘く感じて、もう何が何だか分からなくなった。ミスルンさんは基本的に素直な人で、裏がない。人を騙す必要もなく強いからだ。交渉ごとの場では冷静な人なのに、俺に対してはやっぱり驚くくらい素直だった。ということは、あの言葉にも裏がないってことだろうか? そう思うと嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。俺が望んでいた一番を悟られたようで、どうしていいか分からなかった。
「夕食か。まぁ、焦らされるのもいいさ」
「あなた、本当に俺をからかうのが好きですね」
俺はため息をついて、ミスルンさんとともに宿に向かう。出迎えた主人に一人客が増えたから食事を増やして欲しいこと、部屋は今のままで充分であることを伝えると、彼は商売人らしく笑顔でそれを受け取ってくれた。
宿屋で食事をとったら、彼は自分が言った通り寝床で俺を褒めてくれるんだろう。でも何をしたっていいって何ごとだ? そんなに一週間離れていたことがさびしかった? 俺もまぁ、さびしかったけれど、あなたにしたいことは、やっぱり普段と変わらないんです。
俺はそんなことを考え、明かりがともる宿屋に入る。ミスルンさんの灰色がかった銀の髪がオレンジのそれに照らされ、甘く輝くのを見ながら、この人がまた自分のものになるのだと、俺にとっては大それたことに、腹の底から喜びながら。
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