柚子子
2024-11-08 19:41:05
8845文字
Public ベリーベリー
 
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相澤先生とふたり(+8)

爆豪長編『ベリーベリー』の番外編。本編最終話のネタバレを含みます。

苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字苗字「来月、雄英に行くことになったんだよね」
 夜、就寝前のストレッチをしながら爆豪くんにそう伝えると、タブレットをチェックしつつ、片手間で私の前屈を手伝っていた爆豪くんが「あ? なんで」と視線を画面からこちらへ向けた。そのはずみに、ぐっと背中を強く押され、私の足の筋が悲鳴をあげる。
「いたたたたたたた痛い痛い痛い」
 慌てて身をよじって逃げると、爆豪くんは「雑魚」と短く私を罵る。
 このストレッチは、日頃あまりに運動不足な私が爆豪くんに頼んで手伝ってもらっている、最近始めたナイトルーティーンだ。爆豪くんはやるならやるで手抜きなし、補助にも一切手加減はない。
「なんか、進路指導の一環としてサポート科のOB訪問があるらしく……、私もそれに同行することになった」
 過度の負担をかけられた腿の裏の筋肉をいたわりつつ答えると、爆豪くんはさらに訝しげに眉根を寄せる。
「おまえ雄英のOBじゃねえだろ。学歴詐称か?」
「してないって」
「俺ァ悪事の片棒担ぐ気ねえぞ。事によっちゃ摘発したる」
「だから学歴詐称はしてないってば。事務所内の事業を分かりやすく説明するにあたって、うちの部署からもひとり連れていきたいってことになったんだって。うちって少人数で回してるし、そもそもうちの部署は雄英OBいないし。その日に都合つくのが私しかいなかったんだよ」
「あっそ」
 説明の途中でどうでもよくなったのか、爆豪くんの返事はそっけなかった。こちらとしても事務連絡をしているだけなので、伝わりさえすればそれで問題はない。
 私が勤めている「ライトリーラボ」は、雄英サポート科OBを発起人として立ち上げられたサポートアイテムデザイン事務所だ。その事務所の新事業の研究員として、私は別畑から引き抜かれた、というか飛び込んでいったわけだけれど、今回のOB訪問ではおもに、そちらの別事業についての説明を任されることになるらしい。
 装具開発自体はサポートアイテム開発の技術の転用でも、そこに至るまでの研究はアイテム開発とはまったく別ものだ。場合によっては、普通科からも希望を取って、今回のOB訪問の聴講をみとめることになるらしい。なんだか大ごとだけれど、仕事である以上やるしかない。
「それで、そのOB訪問が金曜だから、その日はそのまま実家に顔出して一泊してこようかなって思ってるんだけど、いい?」
「好きにすりゃいいだろ。どうせ俺ァ仕事だ」
「だよね。たしか日程が……、あ、爆豪くんカレンダー開いて。たしかスケジュールに入れたはずだから」
 ちょうどタブレットを開いていた爆豪くんに頼み、スケジュール管理アプリを開いてもらう。何かと多忙な爆豪くんとのスケジュールを合わせるため、結婚してからはスケジュール管理アプリを共有で使うようになっていた。爆豪くんの仕事柄、詳しく書けない仕事もあるけれど、そういう場合は詳細はぼかすなりして、予定だけ共有しておくことにしている。
 開いてもらったアプリの画面を、私も横からのぞきこむ。来月の二週目の金曜、と自分が入力した予定を探したところで、同じ日に爆豪くんも別の予定を入力していることに気が付いた。日々の業務であれば、わざわざここに入力することはない。
「あれ、爆豪くんもその日何か予定入ってるね。えーと、『特別講師』って書いてあるけど、これ何かって、私が聞いていいやつ?」
「雄英のヒーロー科で講師頼まれてるやつだろ。そういや、その辺の日程だったな」
 爆豪くんが通常業務にくわえて、学生や新人ヒーローを対象とした講義の講師を、ときどき頼まれていることは知っている。「ギャラが安い」と文句を言いつつ断らないのは、爆豪くん自身、上の世代に目をかけて育ててもらった自覚があるからだと思う。特に雄英には、爆豪くんの恩師であるイレイザー・ヘッドと、幼馴染の緑谷くんが教員として在籍している。よほどのことがない限り、断ることはないだろう。
「じゃあこの日、爆豪くんも雄英なんだ。時間もかぶってるみたいだし、次の日休みだし、合流して一緒に実家帰ろっか」
「なら、ババアに連絡しとけよ」
「自分ちの親には自分で連絡しなよ。別にいいけど」

 ★

 教え子がプロデビューしてからというもの、特別講師を招く頻度が増えたような気がする。
 通常、講師を招く場合はまず学校側から依頼するのが普通なのだが、なにせ雄英卒業生は愛校心がつよめのやつが多い。頼んでもないのに「そろそろ講師いきたいです!」と、隙あらばわらわら寄ってくる。
 とはいえ俺は無理の利く身体ではないし、緑谷にしても現在は無個性。本邦最高峰のヒーロー科での実技指導の手本としては、いささか特殊すぎる。そういう事情も踏まえると、年々外部から講師を招く頻度が増えているのも、致し方ないところではあった。
 今日の特別講師である爆豪と、パワードスーツを片づけにいった緑谷を更衣室に見送ってから、俺は先に応接室へと向かった。
 緑谷はともかく、爆豪に会うのは久しぶりだ。授業前に話す時間もなかったから、授業後に少し時間をとることになっていた。あの聞かん坊が「俺ァ忙しい!」ともいわず了承したあたり、爆豪も大人になったと思う。それに、話がまったくないわけでもないのだろう。
 校舎に戻り、応接室のドアに手をかける。と、ドアをがらがら開いた瞬間、室内から「わぁっ」と若い女性の声がした。
「失礼。先客がいたとは思いませんでした」
 開けたドアを、ぴしゃりとそのまま閉じようとする。が、それより先に「お久しぶりです、イレイザー・ヘッド」と室内から声が飛んできた。先ほど驚いた声をあげたスーツ姿の女性が、応接室のソファーから立ち上がって、こちらに寄ってくるところだった。
「ご無沙汰しています、あの、私のこと分かりますか」
 問われ、俺はその場で目を細めた。
 視力が悪いわけではないが、目の前の女性に見覚えは、あるような、ないような。年のころは二十代なかばだろうか。学科が違えど卒業生なら分かるはずだから、おそらく卒業生でないことは分かる。が、卒業生以外にこの年頃の女性の知り合いなど、思い当たらない。まして、こんな場所にいる人間。
 失礼にならない程度に、しばし沈黙して記憶をさかのぼる。そうして思考すること数秒、ようやく俺は目の前の人物の素性に見当がついた。
「きみは……、もしかして、苗字さんか」
 俺の言葉に、目の前のひとが嬉しそうに頷いた。よかった、と内心胸をなでおろす。何せ直接会うのは数年ぶりだ。そもそも会ったというのだって、二回ほど顔を合わせて言葉を交わした程度のもの。少し前に彼女のうつっている動画や写真を見ていなかったら、絶対に正解できなかっただろう。
「覚えていていただけて嬉しいです」
「それより、どうしてきみがここに」
「勤めている事務所の先輩が、雄英サポート科のOB訪問に呼ばれてまして。それでその先輩の補助として、私も同行しているんです。今はOB訪問が終わったので、ひとまずここで待機しているところです」
「OB訪問? そういえばそんな話をパワーローダーから聞いたような……。いや、だがきみはOBじゃないだろ。それに、そのサポート科のOBが見当たらないようだが」
「その辺りはいろいろとありまして」
 そうして苦笑すると、苗字さんはかいつまんで事情を説明してくれた。
 無事にOB訪問を終えたものの、一緒にやってきた先輩とやらは、
「パワーローダー先生に会いにいってきます! え? いえ、別に先生に挨拶というわけではなく、先生が先日発表されたアイテムに、私なりの独自の開発を加えてみたので、見ていただこうかと! それにうちの開発室に置ききれなくなったぶんのベイビーたちが、今日このあと運ばれてくる予定なので、置かせてもらう場所を確保しにいかないと……。あ、あなたはもう帰っていただいて結構です! どなたか知りませんが、ありがとうございました!」
 とだけ言い残し、苗字さんを置いてさっさと行ってしまったらしい。その時点で先輩とやらが誰なのか、察するものがあったのだが、それはともかく。
 応接室の場所だけは事前に聞いていたおかげで、どうにかここまでひとりで戻ってこられました、と言って、苗字さんは笑った。あまりにもな話に、俺は内心で溜息を吐く。苗字さんが無害だったからいいものを、部外者がひとりで校舎内をうろつけるというのは、さすがに平和ボケしすぎじゃないだろうか。
 ともあれ、事情を説明し終えた苗字さんは、そこで改めてこちらに視線を向けた。立ち話もなんだということで、俺と苗字さんは応接室のソファーに向かい合って座っている。
「イレイザー・ヘッドのおかげで今の私があるようなものなので、いつかお礼をとは思っていたんです。今日お会いできてよかった」
 ありがとうございました、と苗字さんが座ったまま、深々と頭を下げた。向けられた苗字さんのつむじに、俺はなんとも言い難い決まりの悪さを覚える。
 自分の教え子ならばともかく、いやたとえ自分の教え子であろうと、こんなふうに感謝を表明されてしまっては、かえって恐縮してしまう。もっとはっきり言えば、受け取り方に困る。
 たしかに進路指導をすることも、俺の仕事の一環ではある。が、最終的に将来に向けて努力するのは生徒たち本人だ。本人らの努力の先に望んだ未来があったなら、それはその本人が掴んだものであって、間違っても俺の成果などではない。
「俺は別に……、頑張ったのはきみだろう」
「頑張ったらやれないことないって思えたのは、イレイザー・ヘッドのおかげなので」
「いや、だからそれは社交辞令みたいなもので」
「その社交辞令を受け取った側が励まされてるんだから、結果としてはイレイザー・ヘッドのおかげと言ってもよいのでは」
……きみ、結構頑固だな」
「まれに言われます」
 あはは、と今度は声を立てて笑った苗字さんに、俺はそっと溜息を吐いた。
 とはいえ、ほんの些細なかかわりかたであろうとも、自分がかかわった子どもがこうして立派になって、活き活きしているところを見られるというのは、まあ悪いものではない。開きっぱなしのドアをちらりと確認してから、俺は苗字さんに尋ねた。
「それで、今日は爆豪待ちか?」
「あ、はい」
「なら、もうじき来るんじゃないか。茶のいっぱいでも出すから、着替えたら応接室に来るよう言ってある。まさか先客がいたとは思わなかったが」
 と、そこまで言ったところで、対面の苗字さんが何やら顔を赤くしているのに気付く。その顔を見て、俺は肝心なことを伝えていないことに思い至った。
「そういえば、今更だが、結婚おめでとう」
「えっ、あ、ああ。はい。ありがとうございます」
 苗字さんがいっそう顔を赤くする。「知ってるのか」とは聞かれなかったが、言うタイミングを微妙に外してしまったせいで、なんだか妙な感じになってしまった。
 学生時代、苗字さんと爆豪が付き合っていたことを、俺はもちろん知っている。こっちが知っていることを、苗字さんも知っている。
 であれば、結婚の話を知っていることだって、取り立てて驚くようなことでもないのだろう。が、それはそれとして、改めて話題にあげられるとなると、照れる話ではあるらしい。
「爆豪にもさっき伝えたが。パーティーの写真やら動画やら、緑谷に見せてもらったよ。なんというか、よかった」
「あはは、よかったですか?」
「よかったよ。風の噂できみたちが別れたと聞いたときには、正直、若干……まあ、思うところもあったからな」
 俺が言うと、苗字さんが首をかしげる。
「どうしてイレイザー・ヘッドがそんな……あ、そうか。私の進路か」
「いらん背中を押したのかと思った」
「おい。なんの話をしてんだ」
 ちょうどそこへ、着替えを済ませた爆豪がやってきた。完全に私服姿の爆豪は、俺と苗字さんを交互に見た後、苗字さんの横にどかりと腰をおろす。ヒーロースーツが入っているのだろうボストンバッグを足元に置くと、爆豪は苗字さんに「余計なこと言ってねえだろうな」と凄む。それを苗字さんは「さあ、どうだろうね」と受け流している。
「俺のいねえとこでいらん話すんな。先生もこいつに話合わせなくていい」
「爆豪くんが来るの遅いからだよ」
「しゃあねえだろうが、教員用更衣室が無駄に遠いんだわ。これでもそこそこ急いで来た」
「急いでくれてありがとう」
「チッ」
 卒業して結構な年数が経つのに、舌打ちの癖がいまだに抜けない爆豪に、思わず指導を入れたくなる。しかし爆豪も今や立派なプロヒーローだし、隣には苗字さんもいる。いつまでも生徒扱いしては悪いかと、喉元まであがってきていた小言はどうにか飲み込んだ。
「爆豪も来たことだし、お茶いれようか」
 お湯の入ったポットは、応接室にそのまま置きっぱなしになっていた。ポットのそばに、急須と伏せた湯のみが盆にのせて置いてある。
「あ、ありがとうございます。すみません」
苗字なんか、その辺で汲んできた水道水でも飲ませときゃいい」
「爆豪くんならともかく、普通の人はそんなことしないんだよ」
「俺ならどうって話じゃねえ。おまえにはその程度でいいって話だろ」
「というか相手が誰であろうと、外部からの来客にそんなにぞんざいな扱いしてたら、さすがに神経疑うからね」
「来客なんて上等なもんかよ、おまえ」
「訪れて来た客なんだから来客でいいでしょ」
「来んな」
「来んなっていうか、いるんだよ。もう私ここにいるから。爆豪くん私のこと見えてない?」
「うるせえ」
「うるさくはないよ」
 俺がお茶をいれている間にも、爆豪と苗字さんはやいやい言いあっている。言いあうというか、爆豪がつっかかるのを苗字さんが打ち返しているといった感じだろうか。
 無視することも適当に流すこともせず、一個一個にコメントをつけて打ち返しているのだから、なかなか見上げた付き合いのよさだ。これがこのふたりのコミュニケーションなのかと思えば、なるほど、納得できるものもある。
「仲がよくて大変よろしい」
「ハァ!? どこをどう見てそのコメントだ」
「今のくだり、まるっと見た感想」
「働きすぎておかしくなってんぞ、先生。もっと休んだ方がいいぜ」
「ご忠告どうも」
 ふたりの前にいれたお茶を出す。「ありがとうございます、いただきます」と苗字さん。「どうも、いただきます」と爆豪。微笑ましいかぎりだ。
 それにしても、目の前のふたりが今や立派に夫婦をやっているのだと思うと、なかなか胸に来るものがある。教え子がヒーローとして立派に活躍している姿は、これまでにも多く見てきた。が、所帯を持った教え子というのはそう多くない。まして、こんなふうに二人そろって俺の目の前にいるというのは、ほとんどはじめての経験だった。
 そんなことを考えつつ、俺はふと、
「そういえば、結婚したのにまだ苗字で呼びあってるのか」
 その場で思いついた問いを、何も考えずに口にした。先ほどの会話で、苗字さんと爆豪はたしか、お互いを苗字で呼び合っていたはずだ。結婚後も別姓なのかもしれないが、それはそれとして夫婦になったにもかかわらず、お互いに苗字で呼び合うとは、俺が言うのもなんだか他人行儀な気もする。
 何か特別な事情か、あるいは呼び方に思い入れでもあるのか。そう思ってふたりの顔を見たが、どういうわけか苗字さんと爆豪は、そろって驚いたような顔をして俺を見つめ返していた。
「言われてみれば、たしかに……?」
……
 苗字さんが「気付いてた?」と爆豪に問いかけ、爆豪が舌打ちを返す。そのリアクションの差から察するに、苗字さんは今この瞬間までその問題について、特に考えたことがない、爆豪は考えはしたものの特に問題はないと判断したか、あるいはどうでもいいと判断した、といったところだろうか。いずれにせよ、確たる事情があって苗字呼びをつらぬき通している、というわけではなさそうだ。
……いや、別におまえら夫婦のことにどうこう口出す気はないんだが」
 野暮なことを言った、と発言の撤回を試みる。「いえいえそんな」と苗字さんが首を横に振った。
「ただ、今まで誰からも突っ込まれずにここまできたので……、全然考えもしませんでした」
「そうなのか? 俺がおかしいのか……?」
 今時の若いもんたちは、呼び方ひとつにいちいち拘泥しないんだろうか。いや、しかしヒーロー名という、いわば二つ目の名前を持つ職業についているからこそ、この業界では呼び方ひとつで特別な関係にあることがバレる、などという話も往々にして聞く。誰もかれもがこのふたりのように、呼び方に頓着しないというわけではないのだろう。
「あ、でも爆豪くん、うちの親の前では私のこと名前で呼ぶよね?」
 苗字さんが思い出した、というように言うと、爆豪は湯呑から口を離して、
「おまえはうちの親の前でも呼ばねえけどな」
 と、ぶすっとした顔で返す。
「それはだって、光己さんと勝さんのことを名前で呼んでるから、爆豪くんのことは『爆豪くん』で通じるし」
「逆だろ普通は!」
「それを言ったら爆豪くんが私のこといつまでも旧姓で呼んでるほうが、よっぽどおかしいからね」
「仕事で旧姓使ってんなら別にいいだろうが」
「え、いいの? いいのかな? うーん……。絶対それは違うと思うのに、あまりにも爆豪くんが自信満々だから、ちょっと分かんなくなってきた」
「自我ねえのか、クソ雑魚。論破。俺の勝ち」
「こ、子どもすぎる……! さすがにやめなよ、聞いてるこっちが恥ずかしいよ」
「俺の発言をてめえが恥じるな!」
 話がふたたびわき道にそれている。が、もう面倒なので俺はそのまま放置した。
 正直に言えば、爆豪が果たして結婚生活をうまくやれているのか──本人の性質の問題だけでなく、職業上のプライベートを守る困難さ、高負荷な環境で心身のバランスのコントロールをする難しさ、その他もろもろの要因を考えて、多少不安に思うところがあったのは事実だった。
 俺は爆豪がいい生徒でありいいヒーローになったことを知っているが、それと所帯を持ち安定した生活を営むこととは、まったくの無関係だ。エンデヴァーの例を引き合いに出すまでもない。オールマイトだって、かくいう俺だって、ここまでの半生で結婚はしていない。
 それでも目の前にいる爆豪と苗字さんは、ひとまずのところは仲睦まじく幸福そうに見えた。このふたりにとっては、互いの呼び方なんて、些細な問題だということなんだろう。そんな関係でもなければ、そもそも爆豪が結婚に踏み切るとは思えない。
「イレイザー・ヘッドはどう思われますか?」
「そこで俺に振るのか」
 爆豪の挑戦的な目つきと、苗字さんの面白がるような視線。そのふたつを一身に受け、俺はがりがりと頭をかいた。話を適当に聞いていたせいで、このふたりが今、いったいどんな話題でもめていたのかまったく分からない。が、どうせ大した話ではないだろう。じゃれあっているだけだ。
「まあ、夫婦のあいだのことだから、よく話し合って決めたらいいんじゃないのか」
「ほら。爆豪くん、話し合いなさいって」
「誰がてめえと」
「イレイザー・ヘッド、爆豪くん話し合ってくれなさそうなんですけど」
「爆豪……
「つーかなんでもかんでも先生にチクってんじゃねえ!」
「チクるっていうか、立ち会っていただいてるからね。目の当たりにしてるよ」
 とどまることのないやり取りを、俺は微笑ましい気持ちで眺めた。
 ずいぶん前、まだ爆豪が学生だったころ、俺は一度だけ爆豪に「ガキみてえなマネするな」と注意したことがある。あれはたしか、爆豪たちが入学してきてすぐのことだっただろうか。
 結局、こいつらの学年はそれから目まぐるしく事件に巻き込まれ続け、「ガキみてえなマネ」をする機会をどんどん失うことになった。親元を離れ、否応なしに成長することを余儀なくされ、生き残るには進み続けるしかなかった。良くも悪くもこいつらには、それができてしまうだけの素質と環境、それに根性があった。あるいは、因縁。執着。
 そうして気が付けば、彼らが子どもでいられるだけのゆとりや隙間は、ヒーロースーツを脱いだあとの時間、生活からすら、ほとんど見えなくなっていた。
 大戦後はようやく普通の学生らしい生活に戻れたが、だからといって失ったものすべてが戻ることはない。時間も成熟も、こいつらにとっては不可逆なものだ。大戦で深手を負った爆豪にとっては、特に。
 だからこそ、思う。爆豪が「ガキみてえなマネ」を躊躇わない場所ができてよかった。今更あの頃に得られなかったものを取り戻すことはできなくても、失ったものを失ったまま、そのままにしないでおくのは大事なことだ。
 むろん賢い爆豪ならば、失ったままでもそれなりに生きていくのだろう。しかし元担任として、俺は元教え子にそんな人生を歩んでほしくはない。

 少し雑談をしてから、爆豪と苗字さんは雄英を後にした。別れ際、ちょいちょいと手招きをして爆豪を呼び寄せ、
「こういうことは、俺が言うことでもないんだろうが……、まあ、仲良くやりなさい」
 そんな月並みな激励の言葉をかける。
 爆豪はなぜか少しだけふてくされたような顔をして、それから一言、
「わーっとる」
 いつまでたっても学生みたいな口調で、ぶっきらぼうに返事をした。