長い長い迷路の先にいたのはお前だった。もう二度と、戻れないと思っていた私を引き上げてくれたのはお前だった。そう、私にはお前しかいないんだ。この世には、お前しか。
ベッドで睦みあったあと、カブルーと酒を飲むのが私は好きだった。くたびれた身体に染み入る酒が美味かったのと、お互い芯から分かり合えない一抹のさびしさを忘れさせてくれる気がして、私――いや私たちはよく酒を飲んだ。もちろん強い酒を飲むのじゃなく、寝酒程度の軽いものを嗜む程度だったが。
酒が入ると彼は少し饒舌になり、私を子どものように口説いた。もうお互いに何もかも知っているというのに、彼はまるで初めて会ったときのように慎重に、私を探っていった。それも私が情事のあとに酒を好んだ理由の一つで、私たちは冷静になるために煙草を吸うのじゃなく、酒でさらに理性を飛ばしたのだった。
今日も、私たちはあらかじめ用意したウィスキーを水で割ったものを舐めながら、これまであった出来事を語り合っていた。カブルーは何かと自分に構うヤアドやマルシルについて、そして今も魔物に惹かれているライオスについて、私は先日潜った自然迷宮でのフレキのおかしな放言などを喋った。
私たちは時折笑っては語らい、最後の方には連絡用妖精が部屋中をくるくると飛び回るのを見ては、彼の翅が部屋に差し込む月の光に輝くのに感嘆し手を握り合った。ベッドの天蓋から伸びるカーテンをめくると部屋には穏やかな月の光が満ちていて、それから力を得る妖精は、心底心地よさそうに飛んでいた。もう冬が近いというのに、あたりは静かにあたたかかった。それはカブルーのぬくもりのおかげなのだろう。
「本当に、この妖精ってミスルンさんに似てますね」
「そうか? よくいるエルフが作った妖精にしか見えないが……」
「あなたが血を分け与えたんだから似てるに決まってますよ。かわいいな、あぁ……」
私は連絡用妖精をただの道具としか思っていなかったがカブルーは違ったようで、それが飛ぶのを眺めては手を振り、こちらにおいでと言った。すると妖精は教えてもいないというのにその通りに飛び込み、キャンディーをねだったのだから面白かった。
連絡用妖精は月の光や私の血などを必要とするが、人間の好む菓子なども食べる。私が使っていたそれは特にキャンディーが好きな個体だったらしく、彼が持ち込んだ小さな、口に入れればほどけてしまう菓子を嬉しそうに頬張っていた。
私はそんな楽しそうな彼らに気をよくして、思わず懐かしい歌を口ずさむ。乳母が子守唄にしてくれた、懐かしい歌を。するとカブルーは不思議そうに私を見て、もっと歌ってくれと言った。もしかしたら、ミルシリルから同じようなそれを聞いたのかもしれない。
――静かにねんね、坊や、こぬれの上、風がわたり、ゆりかごが揺れる、風折れの枝、ゆりかごを散らす、坊や、ゆりかご、落ち葉のように。
白樺の皮で作られたゆりかごで眠る子ども、それを揺らす風。
私はそんなふうに乳母に育てられた。何も知らなかったころ、自分にすべてが許されていたころの懐かしい記憶だ。
「めずらしいですね、普段なら女王を讃える歌くらいしか歌わないのに」
「……カナリア隊に入ってからは、そっちを聞く方が多かったから染み付いているんだ。でもたまにこの歌を思い出す。懐かしいよ。乳母がどうなったのかは気にもしていないのに、懐かしい気持ちになる」
「へぇ、じゃあ俺も歌おうかな。母さんが歌ってくれた歌。あなたが覚えてくれたら、俺が死んだ後にも残って永遠になる気がするから」
そう言って、カブルーは次のような歌を口ずさんだ。少し残酷なもの言いに、私はしばらく固まっていたけれど、それも彼の歌が溶かしてゆく。
――おやすみ、おちびちゃん、おやすみ、おやすみ、私のかわいい子、おやすみ、小さなお星さま、朝の小さなお星さま、ねんねんよ、ねんねんよ、おやすみ、小さなお星さま、朝の小さなお星さま。
それは闇の中に染み入るように広がり、彼の手のひらに乗ってキャンディーを舐めていた妖精がうとうととし出す。カブルーはそんな妖精をベッドサイドのテーブルに置いてある籠に、そっと移す。私はそれをくすくすと笑いながら聞き、彼に口付ける。するとカブルーはちゃんと聞いてましたかってほほ笑みながらも私をにらみ、そっと触れるようにキスをしてくれた。
私たちはまたベッドに寝転んで、お互いの肌を探り合う。後戯まで完璧な若い恋人にはやきもちを焼き、彼のかつての恋人たちのことを思って悔しくなってしまうけれど、それが今や私の男、私の男だと思うと、嬉しくもあった。
さっき彼が歌った、聞いたこともないのに懐かしいメロディーは、やっぱり私にも染み入ったようだ。酒のせいか、彼の歌のせいか、眠気がやってくる。私たちは布団を蹴って、互いに肌をくっつける。絶対に離れないと言わんばかりに、強く、強く。
「……どんな人だった?」
「母ですか?」
「あぁ。お前を産んだその人は、優しかったか?」
「はい、とても。あなたと同じくらい」
驚くくらいの賛辞だ、私はそう思う。でも、それが自分にふさわしくないことも分かっている。
そう、最初こそ彼と自分を同一視していた私だが、カブルーは確かに母親に愛されていたのだった。彼は私が望んでも得られなかったものを持っていた。失ってしまっても、彼はそれを得たことがあった。私が持っていないものを、彼は懐かしむことができる。
それがさみしくも嬉しく、私はカブルーを抱きしめる。誰かに愛され大切にされた人が自分を愛してくれていることに、私はどうしてか喜びを覚えていた。
「ねぇ、ミスルンさん。ごめんなさい、つらかったですか?」
「いいや」
「あなたは母親に」
「しっ……。いいんだ。さっきの歌は永遠に忘れない。永遠なんてものがあるのなら、私たちに永遠てものがあるのなら、絶対に」
私がそう言って口を閉させると、カブルーは真剣な顔をして私を抱きしめ返した。私たちは繰り返しキスをして、繰り返しお互いの肌を探る。もう熱は過ぎ去ってしまっているというのに、私たちはそれを長引かせるようにキスをする。
連絡用妖精は、ベッドサイドのテーブルに置いた小さな籠でいつの間にか眠っている。私たちの、特に彼の優しい子守唄がきいたのかもしれない。
私はカブルーのことが好きで、カブルーも私を愛してくれていて、私は別れを告げることに億劫になっている。彼を思うのなら、いつか置いてゆかねばならないと分かっているのに、カブルーは私に永遠の愛を誓い、私も思わず彼のそれにすがってしまった。
でも、世の恋人たちはみんなそうじゃないだろうか? 私は長命種で、彼は短命種だが、誰だって最後まで愛しい人と一緒にいられるわけじゃない。別れはいつか来て、そして優しさだけを残して去ってゆく。それが多分、人が人を愛するってことなんだろう。
「また何か考えてません?」
「……お前のことを考えていたよ」
「本当に? なら嬉しいな。ねぇ、もっと俺のことを考えてください。悲しみよりもずっと、俺に向き合ってください。そうしたら絶対にあなたを離したりしないから」
カブルーが私にキスをする。唇を吸う。私たちはそうやって重なり合い、きっと朝を迎えるのだろう。
なぁ、カブルー、お前はいつまで私の隣にいてくれる? 星のようにまたたいてくれる? 嵐のように私の前に現れたお前は、いつまで私のとなりにいてくれる?
カブルーが、また子守唄をささやく。おやすみ、おちびちゃん、おやすみ、おやすみ、私のかわいい子、おやすみ、小さなお星さま、朝の小さなお星さま、ねんねんよ、ねんねんよ、おやすみ、小さなお星さま、朝の小さなお星さま――。
私はそれにまぶたを閉じる。その繰り返される歌は、やがて私の中で永遠になることだろう。お前が去っても、私は思い出すのだろう。
カブルーが私を寝かしつける。私は静かに息をして、泣きそうになりながら唇を噛む。
長い長い迷路の先にいたのはお前だった。もう二度と、戻れないと思っていた私を引き上げてくれたのはお前だった。そう、今の私にはお前しかいないんだ。
「ミスルンさん? 寝ちゃったんですか?」
カブルーが私に尋ねる。私はそれに返事もしないで、甘く香ばしい体臭のする彼の胸に頭をこすりつける。
彼の歌は私の中に染み入る。そしてそれは決して、消えはしないのだ。
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