ミズト
2015-05-14 21:27:54
3918文字
Public ◆A
 

もう少し、この傘の中で

雨の日の両片思いクリ御文。

 鉛色の雲から、細い雨粒がぽつり、ぽつりと落ちてきた。傘を持たない沢村は「マジかよ」と小さく零した。
 ちょっとそこまで買い物に行くだけだから、その間だけでも空模様は曇りを保ってくれないかという希望に懸けて傘を持たずに出てきたのだが、どうやら敗北を喫したようだ。仕方ない、急いで帰るか、と、駆け出そうとした時だった。
「沢村?」
 聞き慣れた小さな声が名を呼んだ。声のした方をぱっと振り返るとそこには尊敬してやまない先輩の姿があった。
「クリス先輩!」
「偶然だな。――どうした、傘を持っていないのか」
「あー‥はい。ちょっと出掛けるだけだから大丈夫かなーと思ってたんスけどね‥‥」
 たはは、と笑いながら頭を掻く沢村に、クリスはすっと自分が差していた傘を傾けた。
「?」
「半分入れ」
「いいんですか⁉」
 驚きと喜びの入り混じる沢村の声に、クリスはふっと微笑みひとつで返した。
 二人で何やかやと話しながら――と言っても沢村の言葉にクリスが相槌を打つというやりとりがほとんどだったが――歩いていると、あっという間に寮の門が見える場所までたどり着いた。するとクリスは自分が持っていた傘の柄を、沢村に押し付けた。
「クリス先輩?」
「差して帰れ」
「えっ‥でも、クリス先輩は」
「男二人で相合傘なんて、からかわれたくはないだろう」
 そう微笑んで言い残すと、沢村が何か言う間もないままクリスは雨の中を駆けて寮の門をくぐった。


***


――ということがあったんスよ!」
 興奮気味に語る沢村の話を、御幸は頬杖をついて聞いていた。
「いやーあの去り際の颯爽とした背中に俺はもう一生ついていくという決意を新たにした次第!」
 御幸は相槌も打たず沢村の語るに任せていた。どうせこいつは喋りたいだけで、俺は適当な案山子みたいなもんだ。
「聞いてるか御幸ー?羨ましいだろ!なっ!」
「‥俺先輩な」
 本当に突っ込みたい点はそこではなかったが沢村の語りに自慢が入り始めたのは聞き捨てならなかった。というより見事に図星を突かれてうっかり返事をしてしまった。ああ羨ましいさ羨ましいよわかってんならそのよく回る口を閉じろ‥‥!とまではさすがに口にはしなかったが。
「お前のせいでクリス先輩が風邪でも引いたら、‥‥覚えとけよ沢村ぁ‥‥」
「ヒッ‥!‥‥つか、前から思ってたけどクリス先輩が絡んだ時の御幸怖すぎじゃねぇ!?」
「たりめーだろーが、クリス先輩とお前なんか天秤にかけるまでもねぇんだよ!」
「いや、それを抜きにしても‥‥確かにクリス先輩はすげぇお人だし、御幸みたいな性格悪い眼鏡が尊敬する気持ちもわかるけどな!」
「性格悪いはともかく眼鏡は意味わかんねぇよ沢村(バカ)」
「バカって読むな!」
「バカはバカだろ、そもそもお前に語られるまでもなく俺のほうがシニアの頃からクリス先輩のことはよく知ってんだよ、何をエラッソーに」
「時間の長さは問題じゃねぇ!クリス先輩を尊敬する気持ちは誰にも負けねぇ!」
「‥‥。へーへーそうかい、張り合うようなことじゃねぇけどな‥‥クリス先輩を尊敬する気持ちは俺だって負けてるつもりは微塵もねぇぞこのバカ!」
「俺がどうしたって?」
 比喩でなく心臓が一瞬止まったと思う御幸をよそに、沢村は突然訪れたクリスに太陽のような笑顔で挨拶をし、ぺらぺらと御幸との一部始終を語り始める。
――そしたら御幸が、俺の方がクリス先輩のことシニアの時から尊敬してるだとか言い出して、つか御幸ってクリス先輩のことになるといきなり怖くなるっていうか大人げないっていうか」
「‥‥。‥‥‥‥えっ、って、ちょ、オイちょっとオイバカ!このバカ!」
「ぐえっ!?」
 ようやく我に返り、沢村にとんでもないことを暴露されていることに気付いた御幸は動揺のあまり沢村のシャツの襟を思いっ切り引っ張った。
「こら御幸、加減しろ」
かなり本気で力がかかり苦しむ沢村の様子に、クリスは御幸を窘めた。
「あっ、‥‥わ、わり‥‥‥」
「あーしぬかと思った‥‥」
「どうしたんだ御幸、らしくもない」
 沢村の自慢話に嫉妬して、大人げなく張り合って、その内容をクリスに暴露され、慌てたところをクリスに窘められ不審がられ、もはや御幸の頭はわやわやであった。
「っ‥‥。‥‥‥~~~すみませんでしたっ!おやすみなさいっ!」
 半ば叫ぶように言い捨てて御幸は食堂を出て行った。残された二人は首を傾げながら、その後暫く話をした。


***


 鉛色の雲から、細い雨粒がぽつり、ぽつりと落ちてきた。傘を持たない御幸は「マジかよ‥‥」と小さく零した。
 ランニングの際には邪魔になるし、ところどころ晴れ間も見えているからと、甘く見ていたのが悪かった。おそらく通り雨だろうが、間もなく雨脚が強くなることは容易に想像できた。このままだと寮に戻る頃には濡れ鼠だろう。
 仕方がないと諦めて、ランニングのペースを上げようとした時だった。
「御幸?」
訊き間違えようのない小さな声が名を呼んだ。声のした方をぱっと振り返るとそこには大好きな人の姿があった。
「クリス先輩」
「ランニングか?――お前、傘は」
「あー‥‥邪魔になるし、ギリギリ降らないかなーと踏んでたら‥‥」
 へらりと笑って御幸が言う間に、クリスは距離を詰めて自分が差していた傘を御幸へ傾けた。
「半分入れ」
 その言葉に御幸は目を丸くして呆然とする。
「御幸」
「!‥‥あ、はい」
「行くぞ」
 促すように半歩踏み出すクリスは、御幸が濡れないよう傘を傾けたまま。何が起きているのか理解できぬまま、御幸はゆっくりと歩き出した。


***


 無言のまま歩く二人の周りに、傘や地を打つ雨の音だけが響く。気まずいような沈黙を破ったのはクリスだった。
――昨日沢村が」
 昨日。沢村。その二つのキーワードだけで御幸は今すぐ雨の中を走って逃げてしまいたかった。アイツ今度はどんな余計なこと喋ったんだ。
「御幸が俺のことを、――その、シニアの頃から尊敬しているとか、――俺が絡むと怖いだとか、少し聞かせてくれたんだが」
「ああ、はい、まぁ俺クリス先輩のこと尊敬してますから!野球強いし一回も勝てないし!」
 一刻も早くこの話題を終了または転換したくて、御幸は自分でもよくわからないまま適当な返事を被せた。
――何だその適当な言い方は‥‥」
 クリスの眉間に皺が寄る。御幸はいよいよ雨に打たれて頭を冷やしたい衝動に駆られた。
「‥‥すみません、そんなつもりは」
「謝るようなことじゃないだろ、‥謝られても困るし」
 そして再び沈黙が訪れた。せっかく好きな人と肩が触れそうなほど近くで相合傘なんてできてしまっている状況なのに、どうしてこんなに泣きたいようなやけっぱちな気持ちなのだろう。御幸はクリスの顔もまともに見られず、項垂れるしかなかった。
 やがて寮の門が見える場所までたどり着いた。ああ、こんなに近くに居られるのももう終わりか、どうしてちゃんと話せなかったんだろう俺、勿体ないことしたなぁ、と御幸が悔やむ間にも寮の門は近付いてくる。クリスが傘を譲ってくる気配は、ない。
 ―――あれ?
 沢村の話を聞いた限りでは、そろそろクリスが傘を押し付けて去って行きそうな頃合いなのだが。
 疑問と戸惑いに目をしばたたかせていると、ついに相合傘をしたまま寮の門をくぐってしまった。廊下を歩く寮生が、二人をちらりと一瞥していく。
 ―――ほら、こんなところ見られたら絶対からかわれますって。先輩どうしてやめないんですか。俺はいいけど、先輩は。
 部屋に続く廊下まで歩いて、傘が必要なくなってようやく、クリスは差していた傘を畳んだ。
――少し濡れてるな」
 少し傘からはみ出していた御幸の肩の水分を払うように、クリスは軽くそこをはたいた。
「‥‥あっ、‥‥‥ありがとうございました」
 ようやく礼を言うことに考えが及んで、御幸は慌ててそう言った。
「いや、‥‥気を付けろよ」
 わずかに微笑んだクリスに、御幸は思わず尋ねた。
「先輩、あの、‥‥恥ずかしくないですか、男と相合傘とか、その‥‥人に見られるの」
 クリスの微笑みがゆっくりと消えて、御幸は今日何度目かになる「しまった」を心の中で呟いた。これでは相合傘を嫌がっていたようではないか。雨に濡れないようにというクリスの厚意を無碍にするような失言だったと気付き、言い訳を試みる。
――悪い、考えが及ばなかった」
「い、いやっ、俺は別にいいんですけど先輩はいいのかなって!」
 ――考えが及ばなかった?沢村の時と様子が違う。御幸の中の疑問が増えていく。
「俺は別に気にしないから。お前も気にするな」
「そ、れならいいんですけど、はは、沢村んときと違いますね先輩、まぁそういうときもありますよね!」
 そう言った途端、クリスの頬がさぁっと赤く染まった。―――え?
「先輩?」
「さっさと着替えろ、風邪ひくぞ」
 そう言ってクリスは足早に部屋へ戻ってしまった。呆然としたまま御幸も自分の部屋へ戻り、湿った服を着替え、一息ついて、
 ――――――え?
 寮の中まで続いた相合傘。考えが及ばなかった?人に見られても気にしない?沢村の時と違う。あの赤い顔はどう見ても。
「‥‥‥‥‥えぇ~~~~~~‥‥‥‥」
 どうしよう先輩、俺、自分に都合の良いことばかり考えてしまいそうです。今度は自分の顔が赤くなるのを自覚しながら、御幸はベッドの上でごろごろと転がるしかなかった。