まるで冷凍庫の中に迷い込んだような、冷えて渇いた夕暮れだった。建物の隙間から見える細長い空は残酷なほど美しく、澄み切ったグラデーションを描いている。耳朶の感覚はとうになく、ただ身を切るような風をやり過ごして目的地―我が家へ辿り着くことだけが今の御幸の全てであった。
大した距離を歩いているわけでもないのに、寒さに耐える呼吸は浅く、少し荒い。そうしてようやく到着した、見慣れた扉の前。この寒さでは手袋は無いよりはあった方が良い程度の役割しか果たさず、かじかんだ指でポケットから鍵を取り出すのに少しもたついた。
「御幸?おかえり」
扉を開けた瞬間に舞い込む向こう側のほわりと暖かい空気。無意識に込められていた全身の力が抜けて、ただいまを言うタイミングが少し遅れた。
室内のクリスが寒い思いをするだろうと、そそくさと玄関に入り扉を閉める。靴を脱いでリビングに上がると、ようやく深く呼吸ができた。
「ただいまっす‥さっっっみぃ今日‥‥」
「だろうな、お疲れ様」
クリスが近寄って御幸の左頬に掌を当て、右頬にキスを落とした。
「ふぅ」
「本当だ、すごく冷えてる」
ついでのように耳朶をかぷりと咥えて、温めるように指で揉む。クリスの体温がやわらかくて暖かくて、抱きつこうとしたら「こら」と窘められた。
「冷たいだろう」
そう言うと甲斐甲斐しく御幸のコートのボタンを外し、肩からコートを滑らせ腕を抜いた。ハンガーラックにコートを掛けようと踵を返したクリスの背中に、御幸は遠慮なく抱きついた。
「御幸」
「もうコート脱いだからいいでしょ」
「よくない、まったく人がせっかく‥‥なら自分で掛けてこい」
「あとで‥」
「みーゆーき」
「‥‥‥‥‥ッス‥‥‥‥‥」
名残惜しそうに腕を離し、コートを受け取ってのそのそとハンガーに掛けに行く。戻ってくる時も同じくのそのそと歩いて、律儀に待っていたクリスに「もうくっついていいでしょお~」と訴える。これが、その甘く精悍な顔立ちで女性達の心を掴み、隙のないプレーとゲームメイクでチームを支える扇の要だとは‥‥、イケメンスター、有望株、若き天才、小悪魔スマイル(笑)、眼鏡の王子様(抱腹)‥‥‥今まで数多と称された華々しい形容詞が聞いて呆れる。
「ほら」
「!」
ぎゅっと抱きしめるとふにゃりと笑うのが空気でわかった。
「ちゃんとやることをやって休む方が、気分が良いだろう?」
「はい!」
わかっているのかいないのか、とりあえず返事だけは良い。
「先輩、さっきのやって」
「さっきの?キス?」
「はい」
片頬を掌で包んで、反対側にキス。今度は逆も。やわらかくて冷たい頬が、ゆっくりと熱を取り戻す。
「ん、耳も」
「‥‥変な声出すなよ?」
「さー、どうでしょう」
何とも小憎らしいその返事に、そっちがその気なら茹でダコになるまでキスしてやろうと、御幸の耳元へ唇を寄せるクリスであった。
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