まだまだ寒さは通り過ぎない二月の末の日本。空調が完璧にコントロールされた暑くもなく寒くもない部屋で、バロンが夜食にとコーンポタージュをちびちび飲んでいる時であった。
ジリリリリリリリ…………
家の電話が鳴った。こんな時間に電話がかかってくるなんて珍しいと、黒く光る受話器を取った。
『もしもし?』
一番聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「ジン?」
『ああ、久しぶり』
「生きてたのか」
『お前な……』
この頃ではお決まりの挨拶だった。ごくたまにしか連絡を寄越さないジンに、もっとマメに連絡を寄越せと小言を言うのは随分前にやめた。どうせ聞きやしないと諦めたのだ。それに対するちょっとした意趣返しだ。
「元気か」
『ああ。そっちは?』
「相変わらずだ」
短く近況を説明し合うと、ジンが尋ねた。
『そっちは今日何日だ?』
突拍子もない質問に疑問符を飛ばしながら、「2月28日だが」と返す。
『ふーん…。あれ』
「どうした?」
『2月28日ってお前の誕生日じゃなかったか?』
「ああ、そうだが」
『もう祝うような歳でもないかもだけど、一応おめでとう』
「まったくだな」
『祝い甲斐のない返事だなー。誰かに祝ってもらったか?』
「ああ、生徒たちに。カイト君から話が回ったようだ」
『へぇ。よかったじゃないか』
「ああ」
生徒たちはこうしてくれた、こんな風に祝ってくれた、そうか、よかったなぁバロン、本当によかった。他愛無い会話を重ねるうちに、相棒として普通に話しているときの感覚を思い出し、舌の滑りも良くなってくる。
『せっかくだし、何か欲しいものあるか?』
「……。今更特に無いな」
『お前は昔から物欲無さすぎだ』
欲しいものは何かと自問すれば物ではなくいつも同じ人が浮かんでくるのに、まさか本人にそれを言えるわけもなかった。幼い子供ではないのだ。甘い雰囲気に強引に流されでもしない限り、むき出しの本心をさらけ出すのは難しい。
「それにしても、お前、俺の誕生日なんてよく覚えていたな」
『はは、お前俺のことめちゃくちゃ好きだからな。俺に祝われるのが一番嬉しいだろ』
「黙れ」
照れ隠しにつっけんどんな返事をするものの、否定しないあたり図星を認めている。あははとジンのからころした笑い声が受話器から響く。
『都合が付けばまたそっちに帰るよ。じゃあ』
「ああ」
『泣くなって』
「泣いてない」
『………なぁ、…おい、本当に泣くなって……』
呼吸の乱れをこらえても、声の震えは隠しきれなかった。想いを募らす相棒の不在が、悲しいとか、淋しいとか、そんな感情はとうの昔に当たり前のものになっていて、今更涙を誘うなんてありえないと思っていたのに。こうなりゃヤケだと、バロンは感情のままに言葉を羅列した。
「お前みたいな、今どこで何やってるのかちゃんと生きてるのかわからないような奴から、思い出したように電話で誕生日を祝われるのが一番嬉しいなんて、俺が今どれだけ悔しい思いをしてるかわかるか」
『なぁバロン、嬉しいのか悔しいのかはっきりしろよ』
「黙れ。笑うな」
何千キロも離れた受話器越しの無言の空気からでも、バロンはジンの口元が緩む空気を感じ取ることができた。伊達に相棒やってない。自分ばかりが尽くしているようで悔しいが、しかしこれも己の意志だ。
『あのなぁ…。いい歳したオッサンに、そういう可愛いことされると反応に困るんだよ俺も』
「お前から電話しておいて気持ち悪いとは何だ」
『誰も気持ち悪いなんて言ってないだろ!可愛いって言ってんだよ、人の話聞いてたか?』
幼い頃から頭脳明晰、その怜悧な眼差しで人の何歩も先を歩んできたバロンは、およそ「可愛い」などという形容をされたことがない。ジン以外には。
ジン以外の人間が「可愛い」などと自分を形容すれば、おそらくまったく理解できず何の感情も抱かないか、もしくは軽んじられているのでは、と不快にしかならない。しかし。
『あーもうあんまり慣れない事言わすな』
ジンを可愛いと感じるこの感情に似た様なものを、おそらくジンは自分に感じているのだろうと心でわかるから、彼からそう言われるのは、悪い気はしない。勿論気恥ずかしさは尋常ではないが。
『えーっと、なんだ、一応プレゼント送っておいたから。明日届くように。ちゃんと受け取れよ』
「お前ついさっき俺の誕生日思い出したように言ってなかったか」
『あー、……うん、そう、あれだ、プレゼント送ってから電話するまでの間にすっかり忘れてた。そういうことだ』
何の誤魔化しにもなっていない言い訳に、バロンはくつくつと笑いを零した。涙は引いて、今は頬に一筋の名残が残るばかりだ。
「楽しみにしてるよ。ありがとう」
『おう。元気でやれよ』
「お前もな」
『ああ。それじゃ』
ぷつりと、やけに耳につく尖った切断音が素っ気なくはじけて、バロンは受話器を下ろした。
さっきまでの時間が嘘のようにしんと静まる空気。おかしいな、この部屋はこんなに冷えていたかと気付いて、火照った頬に手の甲を当てた。
「…………好きだって言ってやりゃよかったかな……」
電話を切る間際に。
受話器を持って立ち尽くすバロンはさぞかし面白いだろうなぁ。そんなことが流れ星のように頭を掠めて消えていく、実はけっこうロマンチストなジンであった。
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