いさき
2020-07-19 23:22:19
2619文字
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「Hiro」という少年の話 1

ベルスコベルになる予定

「Hiro」という少年の話1

目が覚めると、見慣れない白い天井が視界いっぱいに広がった。ここはどこだろう。生活感のないにおいがする。部屋を見渡すために動かそうとした体はやけに重く、節々が固まったように動かない。ゆっくり首を回すと、長いブロンドヘアがさらりと落ちるのが見えた。
「あら、やっとお目覚めかしら?」
そこには、悪魔のように美しい女性が微笑んでいた。

*

ゆっくり起こした体は、まだ多少重くは感じるものの、特別違和感があるわけではない。ブロンドヘアの女性が言うには「丸三日眠っていただけ」ということらしいが、どうにも納得できない。
なぜなら、俺は———
服の上から確かめるように左胸に手をやると、女性がクスリと笑った。
「傷も残ってないわよ、組織の試薬のおかげでね」
試薬とは。ぞくり、と背筋に悪寒が走る。訝しげに見つめると、彼女はフッと微笑んだ。
「そのままよ、あなたは薬の作用で生き返ったの。運がいいのね」
そんなこと信じられない、がしかし、自分の記憶を辿れば、ビルの屋上でライに追い詰められ自分の左胸を撃ち抜いたところから暗転、急にこのベッドの上だ。薬? どうして?
「おかしな顔ね。たまたま私が試薬を手に入れていて、そこに新鮮な死体が転がり込んできて、それが以前そこそこ使えた男だったから試してみただけじゃない、悪い?」
彼女は俺を見下ろして満足そうに微笑む。
「でも良かったわ、タイミング良くあなたが死んでくれて。成功例はなかったんだけど、万が一、他のどうでもいい人間が生き返っても意味ないじゃない?」
……誰なんだ、あんたは」
楽しげに笑う彼女はまるでおもちゃを見つけた子供のような目で俺を見た。透き通るような碧色の瞳は、俺の体を意識ごと縫い付けるように鋭く光った。
「スコッチ、あなたには何度か頼み事をしたことがあるわ」
わざとらしくゆっくり動く唇が紡ぐ言葉を見逃すはずはなかった。
ベルモット———
組織の幹部としてコードネームは耳にしたことがあるものの、男か女かすら、年齢すらわからない、正体不明の存在だったベルモットからは、何度か仕事を押し付けられていた。一方的にメールで送られてくる仕事内容は、関連性のわからない雑用ばかりだったが、幹部との接点を作る機会だと思い、何度か受けたことがある。
まさかこんなに若い女性だったとは。
表情を作るのを忘れて、驚きに口を開けていた俺に、ベルモットは美しく微笑んだ。
「あなたのことは割と買っていたのよ。真面目なところは大嫌いだけど」
ベルモットは俺の顔をじっと見つめると、部屋の扉を指さした。
「髭を落として来なさい、ここは出るわ」
ベルモットが俺に背を向ける。体も随分動かせるようになった。逃げ出すなら今のうちか、とも考えたが、もう少し状況を理解してからの方がいいかもしれない。死に損なったのか本当に生き返ったのかわからないが、大人しくしておいたほうが身のためだろう。俺はゆっくり立ち上がって、少し躊躇った後に言われた通り髭を剃り落とした。

***

それからはベルモットの影のように動いた。別人になる最低限の変装術を教えられ、情報収集に駆り出された。頼まれるのは大体面倒事が多かったが、プライベートのお使いまで様々だった。
俺の死体はライとバーボン、その他数人がによって確実に心臓が止まっていることを確認済みらしい。ということは降谷から、警察の方にも俺の死は伝わっているだろう。組織内でもNOCであるスコッチは死んだことになっている。こうやって生き返っていることはベルモットしか知らないという。普段は死体になど興味すらないベルモットが進んでスコッチの死体を引き受けたということで、ジンはベルモットのことを怪しんでいたらしいが、今は時間が経つにつれてその疑いもなくなっているようだ。俺は顔を隠すために前髪を伸ばした。黒いパーカーを目深に被り、メイクも少し施した。そうやって、ベルモットの正体不明の部下として、あわよくば日本警察に有利になる情報を掴めないものかと、まだこの組織に残り続けている。
ベルモットはなんだか掴めない女だった。得意の変装術で、潜入なんか俺より上手く立ち回るくせに、面倒だとか言って全部俺に任せてくる。彼女からの連絡には必ず即座に返事しなければならないが、急な呼び出しは大抵買い物の荷物持ちか運転手代わり。用無しになった紙袋はホテルの床に放り投げられている。
せっかく組織の幹部であるベルモットがアメリカで女優として活動していると分かったのに、降谷たちに報告する前にあっさり引退してしまった。最近のお気に入りは米花町に住む眼鏡の小学生。何やら事件に首を突っ込むのが得意な少年のようだが、ベルモットはなんだか少年の肩を持っているようで、ジンに疑いの目を向けられていた。俺としては少年が居候している探偵事務所を営んでいる元捜査一課の男性の方が気になっている。彼の周辺をうろついて、万が一にも変な形で俺の存在がバレなければいいが。

ある日ベルモットから「面白いものが見れるから」と誘われた。その日はベルモット手ずからメイクを施され、念入りに顔を変えた。声を変えて話せと強要された。変装した彼女と、まるでカップルのような装いで訪れたのは例の探偵事務所の下の喫茶店で。いらっしゃいませ、と耳に馴染む声が聞こえて、思わず動きが止まったのをベルモットに小突かれた。注文を取るペンの握り方、癖のない整った字はわざと崩して、昔のようによく笑う。キッチンに立つ時の楽しそうな表情は作り物ではないとわかる。頼んだサンドイッチは、俺のオリジナルをアレンジして、最高にウマイ出来だとみんなに振る舞ったあの味がした。懐かしさに満足に咀嚼も出来ず、飲み込めないサンドイッチを口に含みながら、視界が歪むのを必死で堪えた。店を出てからも、ベルモットは何も言わなかった。嫌味を言うわけでもなく、慰めるでもなく、ただ黙って車の助手席に座っていた。俺も、胸が痛くて苦しくなるほどに降谷のことを考えた。
それからは目に見えて米花町へ向かわされることが多くなった。俺がいつ降谷にコンタクトを取りに行くのかと、ベルモットに遊ばれているようだった。実際何度か迷って、しかしそのまま引き返したこともある。降谷と連絡は取らなかった。
多分その時からもう、俺は変わっていたんだ。