戴天に呼び出されたのは、平日の午前だった。忙しくこのような時間指定になってしまったと詫びるメッセージだが、よく読むと有無を言わさず来いと書いてある。理由は書いていない。書けない理由があるか、探るための罠か。
どちらにせよ俺は激しい雷雨の中、仮面カフェのVIPルームに足を踏み入れた。
先に待っていた戴天は俺を見てニコリと微笑む。本物の笑みではない。仮面の笑みだ。俺は頷き返して、ソファに座る。運ばれてきた、二人の時にしか飲まない日本酒を唇に運びながら、戴天が言葉を切り出すのを待った。
戴天が白ワインのグラスを置く。意を決したようにこちらを振り向いた。
「宗雲さん、今回は」
その視線が、突然がくりと下がる。勢いよくテーブルの下に隠れたかのように。驚き、動きを止めた俺は、戴天の席に残されたベージュのスーツを見る。服を残して消えた。
服の山が、もぞもぞと動く。小さな動物がいる。子猫か、ネズミか、その程度の大きさの。
「……縮んでしまいましたね」
シャツの襟から顔を出し、言ったのは戴天だった。小さな両目で、豊かな布の中に埋もれている。成人男性の姿をそのままに、人形のようなサイズに縮んでいた。
俺はとりあえずシャツごと戴天を拾い上げる。両手のひらに収まる戴天は、ずり落ちるシャツを懸命に押さえて裸体を隠そうとした。
「本当に縮んだのか? 何かのトリックでは」
シャツを剥ぐ俺の指を小さな手が振り払おうとする。白い裸体が暴れていた。
「やめてください、人を呼びますよ!」
「説明に困るのはお前だろう。小さくなった原因は?」
「黙秘します」
硬質な声。それだけで悟るものがあった。
「また何か実験をしているのか……」
「あなたには関係のないことです」
戴天が顔を背ける。小さい分、表情が読み難い。俺は戴天のスーツを探り、ハンカチーフを取り出す。シルクのそれを戴天にかけ、サイズオーバーにも程があるシャツを抜き取る。戴天はサリーのように体へハンカチーフを巻き、俺の手のひらの上で座る。小さくため息を吐いた。
「どうする気だ」
「もともとはゴルフの予定でしたが、天候で流れました。休日ですので、問題ありません」
俺は戴天をテーブルの上に降ろす。戴天は裸足で恐る恐るテーブルに立った。けれど声は凛としている。
「二十四時間経つ頃には治るでしょう」
「そうか。では問題ないな」
「ええ」
平坦な返事に俺は腕を組む。問題がないはずがない。戴天の無茶をどう言いくるめるか。いっそエージェントに丸投げするか。
「飲み物……」
戴天は小さく呟いて、きょろきょろと周囲を見回す。チェイサーの水を見つけ、ハンカチーフがめくれないよう静かに近寄った。細い水のグラスは、戴天の背と同じぐらいの身長だ。当然、持ち上げて飲むことはできない。つま先立ちをして水面を覗き込む。ハンカチーフの裾から、白いスネが見える。両手をかけた瞬間、グラスが大きく傾く。俺は咄嗟にグラスを押さえた。
「おい、気をつけろ。迎えに来てもらったらどうだ。雨竜はどうしている?」
「今日は習い事で遠方に出ているので……」
「……そうか」
二人の間に沈黙が訪れる。
俺は唇を噛んで、戴天と戴天の衣服を持ち帰ることにした。
ポケットから戴天を取り出す。手のひらの上に乗せて、リビングを見せた。
「ここが……宗雲さんの自宅ですか」
「言っておくが、情報は無い。どれも自宅以外の場所に分散して隠してある」
「用意周到ですね」
戴天は冷たく言う。期待外れだとしても仕方ない。どこまで高塔を調べているかなど、本人に知られては意味がないからだ。
ひとまず戴天をソファに座らせる。移動するなと念を押し、テーブルの上にクロスを引いた。タオルを折りたたみ、椅子兼ベッドを作る。貰ったクッキーの缶をテーブルにし、ペットボトルのキャップに水を注いだ。
戴天をつまみあげ、即席の「部屋」に降ろす。察したのか、ぺたぺたと裸足でタオルに歩み寄った。
「床を歩かれると踏みかねない。基本的にこの範囲を出るな」
「これはどうも」
タオルの上に腰掛ける。嫌に落ち着いているのは、大企業の社長だからか。あるいは。
「スマートフォンをください」
「ほどほどにな」
戴天の服からスマートフォンを取り出し、テーブルに置いてやる。指紋認証は反応せず、手のひらでパスワードを入力していた。盗み見ると体で隠された。
俺は紙箱を見つけ、大きさを揃えるためにハサミで切る。隠れ場所がないと小さい生物は落ち着かず、ストレスになると聞いていた。戴天も隠れ場所が必要だろう。プライバシーのためにも。
プライバシー。俺はふと、戴天に尋ねた。
「トイレはどうする? ペットシーツでも買ってこようかと思うが」
「……一応伺いますが、ペットシーツとは?」
戴天は動物を好まない。飼育用のグッズを知らなくてもおかしくない。
「犬猫を排泄させるために使う吸水性に優れたシートだ。その上に座って……」
「人間のトイレを使わせてください」
俺の言葉を遮り、戴天が首を振る。嫌なようだった。紙箱にペットシーツで簡易トイレを作ってやろうかと思っていた俺は、首をかしげる。
「しかし、その身体でどうやって……」
「人としての尊厳があります」
戴天は意固地になる。俺は渋々、戴天をつまみあげた。
「試してみるか?」
(戴天社長の尊厳のために中略)
「うう……」
ぐったりとした戴天を、トイレから連れ帰る。屈辱と羞恥と命の危険に疲れたらしく、皮肉も攻撃的な言葉も飛んでこない。タオルの上に寝かせてやった。シルクのハンカチーフが、ボディラインを透けさせる。足が長い。昔より少し太ももに肉がついた気がする。
「必要になったら呼べ。一人では絶対に無理だ」
「はい……」
戴天はもぞもぞと起き上がる。タオルの端をめくり、体に絡めた。俺の視線から隠すように。
「しかし……服がないのが落ち着きませんね」
「寒いか?」
充分に空調は聞かせてある。裸でも凍えないように、温度は高めに。
「いえ。暖房をありがとうございます。落ち着かないのは……視線で」
戴天がじっとりと俺を見上げる。覗き見をした男を見るように。俺はため息を吐きながら否定する。
「……言っておくが、見ているのは保護のためだ。転がり落ちたりしないかの確認だ」
「ほー、そうですか」
戴天は信じない。疑われるような人生を送ってきた自覚はあるが、これはまったくの濡れ衣だ。性欲ではない。本当に。
「違う。俺が本気になったらお前は今頃顕微鏡の上だぞ」
「し、信じますが……」
戴天はよりタオルを握りしめる。怯えさせてしまった。性欲だと思われるよりは恐れられたほうがまだいい。俺に続けて問いかけた。
「まだウィズダムに行く時間ではありませんよね。謝礼は後々支払いますので、服を買ってきていただけませんか?」
百貨店のおもちゃコーナーは、平日の昼間とはいえ賑やかだった。合体ロボやソフビ人形の横を抜け、店員の女性に微笑みかける。子持ちとも思えない風体の俺に、店員は少し驚いたようだった。安心させるよう、穏やかな声を出す。
「失礼。頼まれものを探しています。十五センチほどの人形用の衣服をみたいのですが……売り場はどちらでしょう?」
店員は頼まれものというフレーズに安心したのか、俺をパステルカラーの売り場に案内する。頼んだのが高塔エンタープライズの社長だとは思うまい。
「なるほど。ありがとうございます」
笑顔で礼を言い、売り場を眺める。
レインちゃんお洋服セット。パステルパープルのドレスだ。肩も背中も出ている。レインちゃんお料理セット。エプロンのついたピンク色のドレスだ。エプロンは機能的だが、戴天が着るにはロリィタすぎる。レインちゃんニジローコラボおでかけセット。可愛らしいぬいぐるみの帽子や手袋がついたミニスカートの衣装だ。おそらくだが、これを持ち帰れば戴天に殴られるだろう。男物を探すが、レインちゃんシリーズの弟、幼稚園児のものしかない。仕方ない。レインちゃんのお母さんのお洋服セットである、白いニットと黒いロングスカートの落ち着いた組み合わせを手に持つ。下着は白とピンクの組み合わせのレディースの一択しかない。靴は見つからなかった。レジに向かう。
反応が面白そうなのでパステルパープルのドレスも買った。自腹を切るつもりで。
紙袋から衣服を取り出して、パッケージから外して並べる。戴天は安心したように近寄り、訝しむように睨みつける。
「なんですか、これは」
「人形用の服は男物がろくになかった。靴も見当たらない」
「だからといってこれは……」
紫のドレスを持ち上げる。オーガンジー生地がキラキラと輝いた。案の定、言葉に困っている。久々に見る、困惑の表情。
「似合うぞ」
「そういう問題ではありません。まぁ……こちらならまだ、許されるか……」
二択にすると片方の選択肢を選びやすくなる、拒絶し難くなるというテクニックに戴天は見事にハマる。普段であれば選ばないであろう黒いロングスカートを渋々手に取る。
「ありがとうございます。後に金額を教えてくださいね」
頭を下げて、紙箱の影に消えていった。
「少し落ち着きました。服の形をしているだけありがたいですね」
「似合っている」
「それは別にいいですから……」
戴天が紙箱から出てくる。髪留めのない髪を白いニットの胸に垂らし、フレアタイプのロングスカートを抑えながら。脱いだハンカチーフを引っ張り、畳もうと試行錯誤している。
「下着は着けたのか?」
俺は疑問を投げる。戴天は返事をしない。指を伸ばし、スカートを捲り上げた。
はいていなかった。
白い足と尻を見てしまう。よほどの友人だとしても銭湯にいかなければ目撃しないものを。いや、戴天の裸を見るのが初めてかというと、それは別問題なのだが。
そっとスカートを下ろす。戴天がゆっくりと振り返り、無の形相で俺を睨み上げた。
「……すまなかった。いや、着けていないお前が悪い」
「めくる人間がいるとも思えませんでしたので」
冷淡な声の奥に怒りが沈んでいる。ここで負けてはならない。俺は腕を組み、唇を曲げた。
「なぜ着けない?」
「レディースだからです! ……諦めました。着けます。二度とめくられてたまるものか」
「それがいい」
戴天はまた紙箱に消えていく。その間に、俺はきちんとハンカチーフを畳んだ。
「次は昼飯か……」
俺は時計を見る。朝食をきちんと摂るタイプの戴天で助かった。ばたばたしている間に、あっという間に昼が近い。戴天は指を握っては伸ばしている。
「手の汚れないものがいいのですが、この身体にあうカトラリーは無さそうですね」
「となれば、パンか米。握り飯か」
戴天の手にあう、小さな箸もフォークも存在しないだろう。手で握れるものがいい。かつ、噛み切りやすく食べやすいもの。複雑そうに俺を見る戴天の視点から逃れるように立ち上がる。
「買ってくる」
「ありがとうございます」
忙しい戴天は手が汚れるのを好まない。今は仕事をしようもないのだから、諦めてもらおう。
戴天は、体の半分ほどもあるおにぎりの隣に座り、ぼんやりと見上げた。茶色い鳥五目のおにぎりと、ペットボトルのキャップに注いだ緑茶。
「まさか炊き込みご飯のおにぎりとは」
「俺なりに考えたのだが」
自分の分の梅かつおおにぎりと昆布おにぎりを取り出しながら俺は呟く。
「何がですか?」
「具が小さく、まんべんなく味がついているので、一口が小さくても味がバラつかない。途中で満腹になっても満足感がある。海苔は噛み切るのが大変かもしれない。頭ほどある梅干しを食べるのは大変だろう」
「奇策妙計……!」
戴天は悔しそうに言うと、手をあわせて「いただきます」と言う。俺も小さく続けた。
ちら、と戴天を盗み見る。彼にとっては巨大なおにぎりをむしり、小さなおにぎりを作って食べていた。一口一口がとても小さい。齧った痕などミリ単位だろう。真面目に食べている。ちびちびと減っていく様が、小動物のようだ。
「ハムスターのようだな」
俺の一言に、戴天はしばし考える。いやに真剣な表情で聞いた。
「……好きですか、ハムスターは」
「あぁ。猫がいたので飼えなかったが、可愛らしいと思うぞ」
「……そうですか」
ウェットティッシュを出してやる。戴天は目をそらし、小さな両手を拭いていた。
「照明と暖房はつけておく。飲水はそのグラスと、ボトルのフタを使え。あとは……トイレはそのゴミ袋に」
「最悪だ……ここまで大変とは」
「災害時だと思え」
俺が言うと戴天はため息を吐く。予想以上の生活に、困難を感じているようだった。
「ウィズダムに行ってくる。早めに帰るが、それまで無理はしないように」
「……はい」
戴天は疲れた様子で肩をすくめる。退屈にはなるだろうが、多忙な社長にはいい薬だろう。
ウィズダムで接客しながら、ふと思った。もし戴天が、高塔が自在に大きさを変える技術を擁していたら。小さくなって戻れないというのは演技で、今頃元の大きさに戻り、俺の部屋を物色している可能性がある。機密情報こそ他所に隠してあるが、その情報につながる足がかりは皆無ではない。
俺にしては迂闊な真似をした。浮足立っていた。
戴天に頼られたということを、嬉しく思っていた。
店を閉めるのを任せ、急ぎ帰宅する。照明はついたままだ。鍵はかかっている。部屋の中に踏み込み周囲を見回す。人影はない。テーブルを見下ろす。
タオルに包まって眠る、小さな戴天がいた。静かに、聞こえないほど小さな寝息を立てて。俺は安堵し、指を伸ばす。
「人形のようだな」
髪を指先で撫でる。すべらかな髪越しに、頭皮を、骨を感じる。長く伸ばした髪は、戴天を守るように流れていた。
「……もう、この寝顔を見ることもないと思っていた」
俺は、呟く。戴天の眠りは深いので、絶対に聞こえていない。
翌朝、雨竜からのメッセージで目覚めた。事情がわかったので、兄を連れ帰りたいとのこと。待ち合わせ場所を決め、支度をしていると戴天が目覚めた。
「おはようございます……」
「起きたか」
「ふぁい」
言いながらタオルから立ち上がり、こちらに歩いてこようとする。テーブルから落ちないように手のひらで受け止めて、顔の近くまで持ち上げる。まだ状況が把握できていない、とろんとした表情。
俺は言った。
「今なら素直に話すか?」
「はい……?」
「何が目的で、俺の前で小さくなった? タイミングが良すぎる。仮面カフェで何か飲んだな」
ぼんやりとした戴天を、刺激しないよう優しく囁く。俺の手が温かいのか、うっとりと目を細めながら言う。
「……ん……ウィズダムに、どこまで機密がもれているか……気になって……」
「あとは?」
促すと、小さな唇は素直に口走る。催眠術にでもかかっているかのように。目を開けるのもやっとといった仕草で、言った。
「少し……あなたを困らせたくて……」
ふぁあ、とあくびをする。戴天は俺の手のひらの上で横になり、くぼみに合わせて丸くなる。
「お前に困るのは、慣れていた」
言うつもりでない言葉が、戴天の寝顔にこぼれた。
仮面カフェの中で、雨竜はそわそわと周囲を見回していた。出されていたカフェオレにも手をつけられていない。俺は静かに近づくと、隣に座る。
「っ、今回はありがとうございます……!」
早口で言いながら、雨竜は立ち上がる。頭を下げる雨竜を止めながら、俺は紙箱を渡した。白い取っ手のついた紙箱の中に、タオルに包まれた戴天がいる。
「この中だ」
「なぜケーキの箱に……?」
「ちょうどいい籠がこれしか……」
本当に、呼吸のできるちょうどいい籠がなかった。スイーツを持ち帰りたいお客様のために試しに買ってみた紙箱のストックがあって助かった。雨竜は受け取り、さっそく覗き込む。丸まって眠っている戴天を見て、仮面越しの表情をほころばせた。緩んだ笑顔を、久々に見ることができる。その笑顔のまま、雨竜は俺を見る。
「ありがとうございます、保護していただいて」
「いや、いい」
俺は首を否定に振る。
「楽しかった」
雨竜は不思議そうに首をかしげる。これ以上の真実を、教えるつもりはない。
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