2024-04-04 12:44:07
1809文字
Public 龍如
 

傷痕(ハンイチ)

※傷痕の話。8クリア後の閲覧推奨。何でも許せる人向け。

設定を解除し忘れたスマホのアラームで春日は目を覚ました。寝転がったまま、手探りで自分の頭上で音を出すそれを掴むと停止ボタンを押す。同じ場所にスマホを戻して一息吐くと、春日は自分の隣に目を向けた。一緒に寝ていた筈の恋人が居ない。自宅のベッドより余程広いホテルのベッドに横たわっているのは自分一人だけだ。コミジュルから急な呼び出しでもあったのだろうか、と考えながら身体を起こしたところで、浴室の前に立っているハンと目が合った。手櫛で掻き上げた銀髪は湿っており、ボトムスだけを着用した身体は微かに赤みが増している。
「おはようございます」
「おう、おはよう。居ないから呼び出し食らったのかと思ったぜ」
「すみません。シャワーを浴びてました」
隣に居ない事を気にしてくれた恋人に気を良くしながら、ハンはベッドに乗り上げて春日に口付ける。キスは好きだが、またハンの性欲に火が付かれると流石に困る春日はそっと恋人の肩を押した。至近距離にあった顔が離れていくにつれて、春日の手はハンの肩から腕に滑り落ちていく。無意識に地雷の破片が裂いた腕の傷に触れてしまい、春日は手を引っ込めた。
「どうかしましたか?」
恋人の大袈裟な動きで大方の事情を察したハンが態とらしく尋ねる。気まずそうに春日は視線をさ迷わせた。
悪ぃ、触っちまって。痛くねぇか?」
ハンの左腕に生々しく残る傷痕に罪悪感が募る。あの時、自分がもっと用心していたら、自分なんかを庇わなかったら、恋人は負傷する事など無かったのに。普段は穏やかな口調で話すハンの、制止を促す血相を変えた声がまだ耳に残っている。負傷後も些事だとでも言うように振舞っていたが、出血は酷かった。動かさずとも激痛が走った筈だ。それなのに最後まで共に戦ってくれた恋人に、春日は感謝してもしきれなかった。
「ええ。もう何ともありません」
自分の言葉を証明するように、ハンは傷痕を指でなぞる。出血は勿論既に止まっているが、白い肌に残る赤黒い痕は、皮膚が裂けていた事をはっきりと示していて痛々しい。彫刻のような均整の取れた身体に余計な傷を付けてしまった事を改めて思い知らされた。
「俺のせいで、すまねぇ!」
頭を下げ謝罪する恋人に、ハンは困ったように小さく息を吐いた。顎を掴んで顔を上げさせると有無を言わさず再びキスを落とす。
ハンにとっては本当にかすり傷だった。早く手当て出来たおかげでもあるだろうが、直ぐに文字通り腕を振るえた上に後遺症も残っていない。春日は知らないだろうが、こんな傷よりもっと──それこそ死にかけるような重傷を負った事もある。その時より断然マシだった。慰めの言葉には向かなそうなので流石に言わないが。
「そんなに気にしないでください」
ハンにとってはあの場で春日を喪う事の方が恐ろしかった。想像するだけで背筋が凍る。もし、そうなれば自分は怒りに呑まれて島内の人間を皆殺しにしたか、廃人になってただ立ち尽くしたかもしれない。忠誠を誓った主を既に喪っている自分が、愛する人まで喪っては耐え切れる気がしなかった。
「私は貴方が無事だっただけで充分なんですよ」
この言葉に嘘は無い。だが更に本音を言えば、罪悪感とはいえ恋人が自分だけに感情を向けてくれる事が嬉しかった。自覚のある濁った独占欲が満たされていくのを感じる。気に病まないでと言いながら、春日の心を繋ぎ止められるものが出来たと内心ほくそ笑んでしまう。
「う、おぉっ...!?」
ハンは春日を抱き締めると、腕に力を入れてそのまま恋人ごとベッドに寝転んだ。ぼすん、と音を立てて弾力性のあるマットレスは二人の身体を受け止める。
「ですが...どうしても心苦しい、と言うのなら...そうですね...」
春日の背に腕を回したままハンは恋人と額同士を合わせる。あまりの近さに春日は思わず頬を赤く染めて目を瞑った。
「もっと私と一緒に過ごして頂けませんか?」
こちらの手どころか目すら届かない場所で、春日は仲間を増やし、何処の馬の骨とも分からぬ人々とも交流を深めていたのだ。時間の取れた今くらいは恋人の事を構って欲しい。
「...そんなんで良いのか?」
「ええ」
薄目で恋人の様子を窺いながら、それではいつもと変わらないとでも言いたげな春日に、ハンは満足気に微笑む。
「"そんな事"が、私にとっては堪らなく嬉しいんです」