2024-01-21 15:37:54
2507文字
Public 龍如
 

夢現(7ハンイチ+6ハン桐)

※ハンイチのハンは7以降の方。ハン桐のハンは6の方。8発売前ですが8時空。矛盾が出る前にと思って書き上げたもの。何でも許せる方向け。

なるべく音を立てないように気を遣いながら、春日は貼り紙だらけの少し狭い階段を昇る。三十分ほど前だ。少し休む、とだけ告げた桐生が二階へ向かった。絡んでくるチンピラの前では勿論、春日たちの前でさえ弱った姿は見せない桐生が少し、疲れているように見えた。やはり患っている大病は確実に桐生を蝕んでいるのだろう。
まさか倒れていないだろうか。いや桐生に限ってそんな事は。そう自問自答を始めてすぐ、春日は様子を見に向かった。考えている暇があるなら動くべきだ。どうせ大した距離でも手間でも無い。別に平気だ、と突っ返されるかもしれないが、それならそれで良い。桐生は冷たいのではなく、言葉足らずなだけである事はもう分かっている。
「桐生さ...」
カーテンの端からソファに寝転がる桐生の足が見える。横になるほど具合が悪いのか。小声で呼び掛けながら部屋に入ろうとして、春日は息を止めた。
横たわる桐生の顔を至近距離で覗き込むように──いや、覗き込むと言うよりはまるでキスでもするように、傍でしゃがみ込む男がいた。それが全く知らない後ろ姿なら春日は硬直などせず掴みかかって行っただろう。だが、その後ろ姿はどう見ても。
「ハ...ハン・ジュンギ...?」
春日の恋人であるハンだった。
外出していた筈の彼がいつ戻ったのか。一階の入口からは入って来ていない、という事はわざわざ二階から侵入したのか。そこまでして彼は桐生に何をしていたのか。何一つ分からない。
春日の声に気付いたのか、ハンは特に慌てた様子もなく立ち上がって振り返る。高価そうなスーツのジャケットを大胆に開けさせ、鍛えられた上体を見せ付ける姿に春日は違和感を覚えた。合流してからこんな服装をしているハンを見た事がない。衣服だけではない。春日に向けられた目も、誰か他人を見るような視線に感じた。
「...あんた」
拳を握り、構えながら問い詰めようとする春日に対して、スーツを着たハンは口の端を上げると人差し指を唇の前に立てる。静かに、とでも言わんばかりの動きに春日は思わず口を噤んだ。
ハンらしき男が少しソファから離れると、春日の位置からも桐生の顔が見えるようになった。瞼は閉じられ規則正しく胸が上下している。どうやら眠っているらしい。危害を加えられた様子も無い。確かにこの場で騒ぎを起こすべきでは無さそうだ、と春日は構えていた腕を下ろした。
「春日さん?」
「どおぅわああぁぁ!?」
背後から掛けられた声に、春日は飛び上がりそうなほど叫んでしまった。一気に手から汗が吹き出し、心臓が騒ぎだす。つい先程まで静かにしなければと思っていたというのに。
勢いよく振り返ると春日ほどではないが驚いた様子のハンが立っていた。桐生の傍に立っていたハンとは違い、黒のシャツを着用している。職業柄、ハンが気配を消した状態で話し掛けてしまい、驚かせてしまった事は今までもあった。が、これほどの大声を上げさせてしまった事は無い。
「す、すみません。立ち尽くしていたので、どうかされたのかと...」
「い...いや、悪い。ちょっとな」
桐生の小さな呻き声がして春日は慌ててソファに顔を向ける。傍らに立っていた筈のスーツを着たハンは居なくなっていた。バルコニーへ続く扉が開いた様子は無かったというのに。
「...何だ春日。デカい声出して」
「すんません!桐生さん!」
眉間に皺を寄せながら掠れた声で咎められ、春日は頭を下げて謝罪する。本当に罪悪感を感じているのだろうが、先程に負けず劣らずの大声に桐生は小さく溜息を吐いた。身体を起こして何度か肩を回すと関節がパキパキと音を立てる。
「...通るぞ」
律儀に告げると桐生は春日たちの横を通り抜ける。仮眠を取る前より顔色は良くなっているように見えた。桐生が階段を降りる足音が小さくなっていき、完全に聞こえなくなったところで春日は口を開いた。
「...なぁ、ハン・ジュンギ」
「はい?」
「あんた、今帰ってきたばっかだよな?」
「ええ」
リボルバーに戻って直ぐに、ハンは春日の所在をマスターに尋ねた。桐生と上に居る、というマスターの少し言葉足らずな説明に妬きながら屋根裏部屋へ急いだのだ。
「春日さんに少しでも早く会いたかったので」
嫉妬で焦燥に駆られていた事などおくびにも出さずにハンは春日の頬に触れ、そのまま指を滑らせ唇を撫でる。
「そんな長い時間離れてねぇだろ...」
また始まった、と赤面しながら春日は顔を合わせれば直ぐに口説いてくるハンの手を掴んで窘める。やはり、先程のハンは見た目こそ似ていたが、目の前の恋人とは別人なのだろう。自分に向けられる視線がこんなにも、違う。
春日さん」
どこか上の空な恋人の名を呼び、捕まっていない左手で春日の顎を掴む。強引に自分の方を向かせるとハンは顔を寄せ、唇を重ねた。
「ん、ッ...」
柔らかい唇に吸い付き、春日の薄く開いた口に舌を押し込む。角度を変えながら舌同士を触れ合わせると、耳まで犯すような唾液が絡まる音が響く。名残惜しそうにハンがゆっくり唇を離すと、少し息を乱した春日と目が合った。
「...はぁッ、な、んだよ...急に...」
「...春日さんが他の事に気を取られていたようで、つい」
「つい、じゃねぇよ...」
口元を押さえながら、恐る恐る春日はもう一度ソファの方に目を向ける。やはり誰もいなかった。

──妙な夢を見た。そう思いながら桐生は階段を降りていた。寝ていた筈なのに誰が近付いて来たか、何をされたか、何故か鮮明に覚えている。最初は春日の恋人による悪ふざけかと思ったが、あの真面目で一途な男はこのような何の得もない悪戯を仕掛けて来ない、と思い直した。仲間に対しても嫉妬心を向けてくる男だ。わざわざ自らの口でこちらの口を物理的に塞ぐなど、有り得ない。とすると、あの夢が暗示しているのは──。
「...迎えが近ぇ、って事だろうな」
なにせ夢に現れた相手は目の前で死んだ筈の男だ。それ以外の発想が無かった。他者からの好意に疎く、大病を抱えた桐生には。
どこからか溜息が聞こえた、気がした。