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ぷの
2024-09-22 09:39:10
7181文字
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レイチュリ
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レイチュリワンウィーク - ぬいぐるみ
ぬいぐるみを遠い世界の幸せだと思ってる🦚の話。
なにかいる。
外出からオフィスに戻ったアベンチュリンは、自分の席に座っている存在に気づいて、そっとポケットに手を忍ばせた。ディスプレイの影になっていて姿はほぼ見えない。
足音を消してゆっくり近づくと、姿を現したのは巨大なクマのぬいぐるみだった。人間ほどの体長で、体毛は明るいブラウン、つぶらな焦げ茶色の目、糸の口はにっこりと弧を描いている。前足をデスクの上に置いて、ちょっと傾いた力の抜けた姿勢でディスプレイに向かい、のんきに仕事をしているふりをしていた。
「総監、おかえりなさい。これは今日うちの娘にあげる誕生日プレゼントなんですけど、抱いて玄関をくぐれと妻に言われていて
……
」
慌てて飛んできてクマをどけようとする部下を、彼の上長が追いかけてきて止めた。アベンチュリンも手で制した。
「娘さんのお友達を連れて帰るていだね、いいじゃないか」
「私が面白がってそこに置かせました」
「君はすぐ人で遊ぶんだから」
後輩や部下をからかうことが大好きな上長はにやりと笑った。実際はそれだけじゃなく、置き場所に困っていたぬいぐるみを部下に気を遣わせずに避難させたのだろう。アベンチュリンは少ししたら会議のためにまた席を外す予定だ。クマが退勤するまでには戻らない。
「僕はまた出るから、このまま座らせておいていいよ」
「ありがとうございます
……
!」
クマの横から手を伸ばしてキーボードを奪い、社内ツールで簡単な決裁を片づければ、ここでの用は済んだ。
改めて後ろから丸い後頭部を眺めて思うに、アベンチュリンの代わりに席に座っているにはどうにも飾り気がない。リボンの一つも付いていないのは、顔立ちやフォルムを優先して選んだらそうなったのか、着せるアイテムを自作したい派なのか。
アベンチュリンは着替えを置いているロッカーを漁り、持っていることを忘れていた落ち着いた柄物のストールと花型のブローチを発掘した。ストールをざっくり捻ってクマの首に巻き、ほどけないようにブローチで留める。
「それはいつぞや女装をしていたときの」
「その記憶は消したはずだ」
部下二人は顔の前で手を横に引いて、ジャッと口のチャックを閉じた。
うーん、まだ物足りないな。けれどもう時間切れだ。アベンチュリンはロッカーから帽子を取ってきてクマの頭に乗せた。胸に差していたサングラスのつるを開いて前足に引っかける。
「不要品で悪いけど、ストールとブローチは僕からのプレゼントだよ。写真を撮ってアップしてもいいかい?」
「いただけません、なんかキラキラしてますし! 写真はいくらでもどうぞ」
「大丈夫、安物だから。要らなければ置いてって」
ブローチそのものが小ぶりだし、花弁にあしらったクリスタルは全部人工だ。小さい女の子がちょっと背伸びして身につけても違和感はないはず。
少しだけ着飾ったクマ総監を写真におさめる。明日になったらSNSにアップしよう。
「じゃあ、会議に行くね」
ぺこりと二人から会釈で見送られた。ドアが閉まる寸前に「クマから総監の匂いがする!」と叫び声が聞こえてきた。失敗した、今日は外だったから香水を強めにしていたんだった。不用意に近づかなければよかったと申し訳なく思った。
「それで、このチンピラみたいなクマが誕生したわけね」
「君は素直に褒めるってことを知らないのかい?」
会議の待ち時間にクマの写真を見せたけれど、トパーズはあまり興味がなさそうだった。それもそうか、彼女はぬいぐるみの上位互換をいつも連れている。今は会議のため別の場所にいるようだけれど、呼べば瞬きの間に駆けつける。
「君のお節介が娘さんの好みに合うといいね~。安物だなんて嘘までついちゃって。経費?」
「私物。知っての通り、経費で落ちる価格じゃない。とはいえブランドの名前についた価値だから、改造した時点でないも同じさ」
このブローチが高価だったのは、元は名のあるブランド物だったことと、中に高性能の盗聴器を仕込んでいたからだ。中身を取り出した今は、どちらの価値も失っている。
「私、人からぬいぐるみをプレゼントされたことがないんだよね」
机に頬杖をついて、トパーズはぽつりと呟いた。どうやら、興味がないわけではなかったらしい。反応が悪かったのは、感傷に浸っていたからだった。
トパーズにはかなり熱狂的なファンがついているから、額面通りの意味ではない。プレゼントして欲しい相手から貰ったことがないということだ。
「僕もないよ」
トパーズがどう受け取っても構わないが、アベンチュリンのそれは本当に額面通りだった。
アベンチュリンはここまでの人生に欠けが多い。なかでも一番大きな穴には基石が鎮座していて、その他の足りないところは小石混じりの粘土を詰めたようないびつな形になっているだろう。形式的な付け届けや、相手の機嫌を取る煌びやかなプレゼントの手管なら、必要があって学んだ。けれど、人の心を温める柔らかい贈り物には慣れていない。
個人的な贈り物は、相手が必要としているものか消えものが関の山。高価ではなく、消えものでもなく、なんの役にもたたず、その上かさばるぬいぐるみなど、難しすぎる。最初から選択肢にないのだ。
けれど、そういうものに憧れる気持ちはある。もし自分にとって大切な人からプレゼントされたとしたら、一体どんな心地がするものなのか。未知の領域に踏み込まれるのを恐れながら、興味を抱いている。何かをして欲しい相手なんて、一人しか思い浮かばないくせに。
「でも、傷の舐め合いは嫌だろう?」
「やだやだ、ゾッとする」
アベンチュリンとトパーズは、こういう時にお互いを利用するには近すぎた。お互いが今誰を思い浮かべているのかも手に取るようにわかってしまう。
「余計なことしないでよ」
「君もね」
長引いた会議が終わって端末をチェックすると、クマを連れ帰った部下から写真付きのメッセージが届いていた。大きなクマを抱きしめ、頬を染めて満面の笑みを浮かべる小さな女の子は、誰にも文句のつけようがない幸せそのものの姿だった。小さな手で作ったぎこちなく感謝を伝えるハンドサインに、アベンチュリンからも思わず笑みがこぼれた。
『ありがとうございました。総監の移り香を気に入ってて、ずっとクマから離れないです』
その言葉通り、他のプレゼントを開ける写真も、料理を食べる写真も、女の子に寄り添うクマが写り込んでいる。うっかりしでかしたことが大切な思い出の邪魔にならなくてよかったと胸を撫で下ろした。
『ブローチを一目見て妻が飛び上がってました。覚悟してください』
メッセージはその一文で締めくくられていた。誕生日おめでとう、似ているだけの安物だから気にしないで。そう返して、アベンチュリンはクマ総監の写真をSNSにアップした。
SNSのタイムラインからクマの写真が流れて久しく、すっかり記憶からも消えた頃。なんの脈絡もなく、アベンチュリンはレイシオから綺麗にリボンをかけられたギフトボックスを渡された。
「なんだい、これ。誰かに届ければいいのかい?」
「君宛てだ」
貰ういわれがない。困惑してレイシオの顔を見上げれば、なぜか渋面である。それはどういう感情なんだい。
「知らない誰かから預かった? それなら、開ける前に危険物かチェックした方がいいね」
今いるのは大学のレイシオの研究室である。部屋の主を筆頭に、万が一爆発物で吹っ飛んだら大損害になるものしかない。薬物や細菌類や汚物なんかをばらまかれても困る。ピアポイントに持ち帰れば、探知機とスキャナーにかけた上で準備をして開封できるから安全だ。
「待て、危険物ではない」
「差出人もわからないのに?」
「それは中を見ればわかる。今は僕を含む有志とだけ言っておこう」
レイシオが関わっているなら、安全面は問題ない。が、中身を知っていて黙っているのはなぜなのか。しかもまだ続く渋い顔。
「今ここで開けてくれ。僕はコーヒーを淹れてくる」
レイシオはそう言うと、アベンチュリンの返事も聞かずにソファに座らせ、部屋から出ていってしまった。
テーブルに置いたギフトボックスは一辺が肘から指先くらいの立方体で、重いものではなかった。自分宛てのものを開けろと言われたのだから、拒む理由はない。そう思うのに、束の間指が躊躇った。これを受け取る理由がわからず、中身の想像がつかなかったからだ。
金の縁取りがついたピーコックグリーンのリボンをほどき、チャコールグレーの箱の蓋を持ち上げる。ちらっと見えたものが何かわかった瞬間、思わず蓋を閉じた。
ねえ、有志って誰だよ。心臓が口から出るかと思った。ドコドコと激しい動悸で暴れている。
まだレイシオは戻ってこない。インスタントではなく豆を挽いてコーヒーを淹れているのか。アベンチュリンをわざと一人にしたのであれば、半システム時間は戻らないつもりかもしれない。
深呼吸。十の石心ともあろうものが、こんなことで手が震えるなんて情けない。蓋に手を掛けて目を閉じる。持ち上げて、横に置く。これで目を開ければもう逃げられない。そうか、逃げたいのか。
息を止めて恐る恐る目を開いたら、こちらを見上げるつぶらな瞳に射貫かれた。
それは小さなクマのぬいぐるみだった。体長は二十センチほど。白い体毛に赤い目、糸の口はややシニカルに弧を描いている。青と白の二色の布を体に巻いて、太陽のような意匠のピンで留めている。左耳の付け根に月桂樹の飾りまでつけて。
「ふはっ!」
笑いが出るのを押さえられなかった。そりゃ笑うだろう、クマのレイシオだ。どうしてこんなことになったんだ。ただ、レイシオの渋面の理由はわかった。アベンチュリンの反応を予想していたからだろう。
箱の中にカードを束ねたものがあるのを見つけて、一枚ずつ読んでいく。
『たんじょうびプレゼントありがとうございました。おれいにおともだちのクマさんをおくります』
まだ書き慣れていないたどたどしい文字だったけれど、共感覚ビーコンはちゃんと仕事をした。よく見れば、この小さなクマはあの日のクマと顔立ちがそっくりだ。お友達というのはレイシオのことだろう。アベンチュリンの友達筆頭に挙げられたこともさることながら、ぬいぐるみのモデルにと指名されて、さぞ戸惑ったに違いない。
『総監の香水を教えてください。緩衝材代わりに実家の洋菓子のサンプルを入れておきます。手土産にいかがでしょうか』
香水を娘さんに送りたいんだな。ちゃっかり宣伝しつつ、期限がある食べ物を入れて、プレゼントボックスがアベンチュリンの手に一日でも早く届くよう狙った。配達を任されたレイシオにはとても有効である。
『ブローチは娘が価値を理解したら使わせていただきます。彫金のご用がありましたらお申し付け下さい』
こちらは達筆だ。感謝の言葉に続いて、太陽のピンと月桂樹の飾りに使った材料の一覧が書き添えてある。良くできたミニチュアのアクセサリーは、まさかの手作り一点もの。あの日の『覚悟してください』という脅しめいた言葉が思い出された。このカードを書いたのが彼の妻で、おそらくプレゼントボックスの発案者。たったあれだけのことで一人の才能に縁ができてしまった。
『大役を仰せつかり、誠に光栄だ。君の驚く顔を楽しみにしている』
最後の一枚は、そんなことを書いておきながら、アベンチュリンに気を遣って席をはずした男のもの。
それから、カードはないが、もう一人噛んでいる人間がいる。レイシオに話が持ちかけられたのは、誰かさんが余計なことをしたからに決まっている。報復を首を洗って待っているといい。
アベンチュリンは箱の中のクマの前足を軽く握り、写真におさめた。
その柔らかさに触れてしまったら、もう限界だった。端末を置いて、両手で顔を覆ってうずくまる。心臓が暴れっぱなしで、息苦しい。
こんこんと湧き出る喜びを、とてもじゃないが受け止めきれなかった。おまえには不相応だとお馴染みの劣等感が喚いている。けれど、アベンチュリンに宛てたものだとこれだけ固められてしまったら、そんな反発はすっかり相殺されて余りあった。
この世にたった一つしかない、アベンチュリンのための贈り物。元はなんてことのないぬいぐるみが、山盛りの付加価値を付けられて、一目見たアベンチュリンの感情をがたがたに崩した。一生のうち一度だって手に入らないと思っていた幸せを具現化したものが、手の中に来てしまった。
ふわふわ憧れていた数分前までのアベンチュリンに教えてやりたい。特別な贈り物はとんでもない火力なのだと。こんなものを小さな頃から浴び続けていたら、そりゃあ強靭な自己肯定感が育つだろう。今のアベンチュリンにはこれを受け止める土台がない。いつになったら相応しくなれるのか、途方もなく遠くて見当もつかない。
アベンチュリンは物がないところで生まれ育ったから、着の身着のままで食べ物も満足になかった。奴隷に落ちたら自分の体すら自分の物じゃなくなった。そこを抜け出したと思ったら、今度はカンパニーの所有物だ。もとから女神に握られていた生に加え、カンパニーに死を握られた。とうとう命すら自分の物ではなくなったのだ。
ろくに自分というものがないのに、どうして自分のためのものが得られる? 空き家には安いチラシも投げ込まれない。ごみ溜めになるのがせいぜいだろう。しかも今のアベンチュリンは、見せかけだけなら、大抵の物が手に入る権力と財力を持っているのだ。誰が自分より裕福な奴に何か恵んでやろうと思うだろうか。
そんなわけで、アベンチュリンは自分の物をほとんど持っていない。生きるのに必要なものと、仕事に必要なもの。それからあと一つ、特別な一人に向ける、複雑で扱いに困る気持ちを抱えているだけ。
浅い呼吸で持ちこたえていたら、大きな感情の第一波がゆっくりと引いてきた。
よし、と気合いを入れて、顔を上げた。クマの額を軽く小突く。つぶらな瞳と目が合った瞬間に、返したり捨てたりなんて考えられないほど執着が生まれてしまった。ならば、この存在を側に置いて、何度も噛みしめて慣れるしかない。
「この顔、なんだか腹が立つなあ」
こうも絶妙にレイシオの皮肉な笑い方を再現するなんて上手すぎる。まるで本人が目の前にいるみたいだ。
端末を手にとり、『新しい家族ができたよ。どこかで見たような?』とコメントをつけて、SNSに写真を投稿した。すぐにレイシオから反応がついた。人の状態をそこで監視するのはやめてほしい。早くコーヒー持って来てよ。
それからトパーズに『お先に!』とリプを飛ばした。ジェイドならこれで察する。あとでこのぬいぐるみの来歴をお茶請けに差し出して完了だ。余計なことをした後悔を噛みしめて、その時がくるまで怯えて待てばいい。期待してやったことなら、それでもいい。いずれにせよ、ジェイドから何かを引き出すと痛い目を見ると知ることになる。
一仕事終えると、箱からクマと個包装のお菓子を取り出した。サンプルにしてはずいぶん詰め込まれている。ゆっくり休憩を楽しむ時間もプレゼントの一部というわけだ。
やがて、マグカップを二つ持ったレイシオが戻ってきた。テーブルにカップを置いてアベンチュリンの横に座ると、ふところから細いものを取り出した。レイシオ愛用のチョークを模しているがやや短く、中ほどに切れ目がある。左右に引くと本体と蓋に別れた。
「アトマイザー?」
頷いたレイシオは、カードの束から自分のものを取り上げて裏面に一プッシュ吹きかけた。軽く振ったあと、カードを手渡される。
それはよく知っている香りだった。こんなフレッシュな状態で至近距離でかいだことはないけれど
……
ちょっと良からぬことを想像して、顔に熱がこもる。まずい、今の状態では隠しきれない。カードを遠ざけて、嗅覚を戻すふりをして顔を逸らした。
「僕を想起させる香りが絶対に必要だと注文されたのだが、僕は普段香水を使わない。それで、使っているボディーソープと同じ香りを作った」
「わざわざ?」
「ないものは作るしかない。箱詰めには間に合わなかったが」
拘りとそれを実現する熱量がおかしい。この有志の集まり、誰も彼もどうしてここまで気合いが入ってるんだ。
「そんなことまで
……
巻き込んでごめん」
「なぜ君が謝る? 僕は巻き込まれたのではない。手を上げて参加したんだ」
レイシオはアベンチュリンの手からカードを取りあげて、鼻先でひらりと振った。濃厚なソープの香りがして、またアベンチュリンの脈が乱れる。
「この香りを好ましく思うか? 君がそれを教えてくれるなら、僕から渡せるものがもう一つある」
ドッと心臓に血液が流れ込んで、また肋骨がきしむ。絶対に赤くなっている顔はもうどうしようもない。レイシオの手に促されるまま向き合って、すぐにいたたまれなくて目を伏せた。覗き込んでくる瞳が強すぎる。
「それはまた今度にしてくれ」
「なぜ?」
「そろそろ致死量なんだよ」
「まだ大丈夫だ」
頸動脈に手を当てて断じるが、手袋越しにわかるわけがない。薮医者はアベンチュリンの耳元に口を寄せて、甘い囁きを一滴垂らした。
だから、無理だって言ったのに。
胸を押さえて倒れ込む体をレイシオに抱き込まれた。その身にまとう香りもまた致死量だ。とうとうアベンチュリンの脳は焼き切れて、飛び出しそうな心臓の代わりに、心のうちをありのまま吐かされた。
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