ぷの
2024-09-15 10:05:06
7006文字
Public レイチュリ
 

レイチュリワンウィーク - いじっぱり・お昼寝

ご都合奇ブツで🦚が子どもになる話。
拙者も一度煎じておきたかった。

 ちょこん。
 床に座る自分に擬音をつけるなら、そんな言葉になるのではと思う。アベンチュリンは今、小さな子供の姿になっていた。技術開発部のレイシオの部屋に届けものがあって、少しかさばる荷物を置く場所を作ろうとデスクの上の物をちょっと動かしたら、それが奇物だったらしい。みるみる体が縮んだ。荷物を取り落とさずデスクに置けたのは我ながら偉かった。
 驚いて少し呆然としてしまったけれど、いつまでも着ていた服に埋もれて床にへたりこんでいるわけにはいかない。下着の口を縛って落ちないようにして、ブカブカのシャツだけそのまま着て、残りは畳んで一ヶ所にまとめた。小物はジャケットのポケットに突っ込み、ピアスも重たいから外した。シャツの胸元の穴は心底いらないと思った。お腹が寒いので手で握って閉じる。
 ソファに座ると、地面に足が届かなかった。ポケットから取り出した小さな鏡に自分を映すと、見覚えがあるようなないような姿かたちだ。子どもの頃は身の回りに鏡なんてなかったので、水やガラスに映った歪んだ自分の像しか知らない。髪の長さは今のまま。首にコードもある。棚に並ぶ本の背表紙も読めた。体の時間が巻き戻ったのではなく、縮んだだけらしい。
 現状確認をしていると、部屋の主が戻ってきた。
「やあ、お邪魔しているよ教授」
 片手を挙げて挨拶すると、レイシオは入り口で固まった。見た目どおり声も幼い。こんな声だったっけ? そうかもしれない。このくらいの歳の頃に話す相手はほとんど姉だった。言葉遣いが違えば印象も変わる。
「君のデスクに置いてある奇物に心当たりは?」
 アベンチュリンが問いかけると、つかつかと大股で歩いてきてデスクの上の奇物を見つめたレイシオは、それを無造作に手に取った。可愛らしくデフォルメされた小さなトカゲのぬいぐるみだった。
「触っても平気なのかい?」
「今はな」
 手渡されたぬいぐるみの両目は眠そうな瞼に半分覆われている。不思議なことにアベンチュリンと同じ色のつるりと丸い石だった。掴んだお腹の奥に何かの手触りを感じたので軽く押すと「プキュウ」と間の抜けた音が出た。ついもう一回押した。
 それから端末を手渡されて、表示されている奇物の説明を読んだ。この奇物に触れると体が小さくなり、奇物は目覚める。起こした者が眠ると奇物も眠り、体が元に戻る。それだけ。さほど害はないかと思いきや、奇物から目玉を取り出すと元に戻れなくなると書かれている。写真のぬいぐるみは目を閉じていた。なるほど。人によってはくりぬきたくなる綺麗な石になりそうだ。アベンチュリンの色は希少性だけは折り紙つきだが、需要があるかは微妙な気がする。
 レイシオに両方返すと、奇物は貴重品を運ぶ鍵付きのケースに納められた。固定用のクッション材に挟まれて苦しいだろうけど、何かの拍子にぽろりと目が取れたら大事故なので、我慢してもらいたい。
「管理が杜撰だった。申し訳ない」
「教授がそんなへまをしないのは知ってる。ここに出入りできるうっかりさんの仕業だろ」
 大学のレイシオの研究室と違い、貸し出されているだけのこの部屋に鍵はない。このフロアに入る権限さえあれば誰でも立ち入れるのだ。
「眠気は?」
「ないねえ」
 まだ就業開始時刻にもならない早朝。睡眠時間は短かったが徹夜明けではなく、立て込んでいる仕事を片づけたくてたまたま早く来ただけ。とても元気だ。
 この姿を見られると面倒だし、眠れるように安全な場所に移動しようということになった。スケジュール上は外出の予定にしておく。できる限り仕事を捌いておきたい。
「窮屈だろうが、少しの間我慢してくれ」
 足を折り畳み、頭から爪先まですっぽりブランケットに包まれて抱き上げられると、奇物と荷物とともにレイシオの車に運ばれた。搬送される途中、体に合う服を調達しようと提案されたが断った。元に戻れば不要になるものをわざわざ買う必要はない。レイシオは不満そうだったが引き下がった。しかし、アベンチュリンの家に送ってくれと言うと拒否された。
「寝れば戻るなら、自分の家で大人しくしていればいい。君に付き合ってもらう必要はないよ」
「そういうわけにはいかない。迷惑をかけたうえに不便を強いたくない」
 レイシオはかたくなだった。こうなったレイシオ相手に小さなアベンチュリンが抵抗できるはずもなく、初めてのお宅訪問と相成った。といっても、ピアポイントでの仕事が増えたときだけ住んでいるセカンドハウスで、少々手狭なのだそうだ。入っていい場所を案内された限りでもアベンチュリンの家より部屋数が多くて広いが、手狭とは。
「腹が痛いのか?」
 ずっとシャツの前を握っているアベンチュリンを見て、レイシオは尋ねた。そういえば、今着ているシャツはお腹が無防備なのだった。
「悪いんだけど、シャツだけ貸してくれないかな」
 パッと手を離して見せるとレイシオは納得して、Tシャツを一枚出してくれた。生成りの無地の綿素材で肌触りがいい。丈が膝まであるし、厚手で透けないから助かった。さすがレイシオ、たとえ部屋着でも、アベンチュリンのように何かの景品やおまけで貰った謎の柄のペラペラシャツなど着ないのだ。


「朝食はとったか?」
 首を横に振ると、腹を満たして眠気を誘ってみようということになった。
 材料を買いに出掛けたレイシオを玄関先で見送って、アベンチュリンはリビングのソファで軽く仕事をすることにした。頭を使って疲れれば眠気を呼ぶ助けになるだろう。小さな手に合わせてバーチャルキーボードを小さくすると、おもちゃみたいだ。
 それからしばらく。集中していてレイシオの帰宅に気づかなかったらしい。キッチンから呼ばれて顔を出すと、カウンターの椅子に座れと手招きされる。座面には案内された時にはなかった平たく高さのあるクッションが乗せられていた。よじ登って座ると、たくさんの野菜と肉団子が入ったミルクスープと、ふわふわの白いパンが出てきた。
「食べられるだけ食べろ。残しても構わないし、おかわりもある。熱いからふーふーして……よく冷まして食べるように」
「んふっ!」
 吹き出したアベンチュリンは悪くないと思う。咳払いをしてふいっと顔を背けたレイシオは、スープの横に林檎のジュースを追加した。
「美味しい」
 一口食べると、スープの感想が素直に口をついて出た。味覚が鋭くなっているのか、野菜の甘味を強く感じる。レイシオは軽く目を見開いてから優しく笑って、アベンチュリンの頭を撫でた。アベンチュリンが上目遣いで見上げると、しまったという顔をしてばつが悪そうに手を引っ込めた。
「すまない。子どもになったのは見た目だけだと頭ではわかっているんだが……
「いいよ、僕も今の自分は可愛いと思う」
「ああ、たった今君が君だとしっくりきた」
 レイシオは開き直ったらしい。カウンターに寄りかかって、せっせと食べるアベンチュリンをずっと眺めていた。完食するとまた頭を撫でられて、たくさん食べたことを褒められた。完全に子ども扱いだ。
 あ、ねむい。
 食べ終わった直後は腹八分目だと思ったのに、パンがお腹の中で膨らんで満腹に近くなった気がする。内側から温められた体が消化のための休息を求めてきた。子どもってすぐ眠くなるんだな。瞼が落ちてきて、今にも意識を刈り取られそうな強い眠気に襲われる。
「ベッドに行こうか」
 そんな直球の言葉でこんなに健全に寝室に誘われたのは初めてで、なんだかおかしかった。椅子から抱き上げられても抵抗感はまるでない。全身の力を抜いてくったり寄りかかると、とんとんと優しく背中を叩かれた。これはいけない、あたたかくてきもちよすぎる。
 寝室に運ばれてベッドに下ろされ、顎の下まで毛布を掛けられた。離れていく熱が寂しい。けれど毛布の下に丁寧にしまわれた手を出して伸ばすのは、優しさを無下にするようで嫌だった。もぞ、と動いてしまった手を握りしめて目を閉じる。大丈夫、寝てしまえばこんな一過性の寂しさなんてすぐになくなる。
 そう言い聞かせたけれど、ダメだった。レイシオが出ていってドアを閉めたのを合図に、ぱちりと目を開いた。頭も目もすっかり冴えて、静かな部屋に一人で横になっていることが辛かった。時計の針の音がうるさく、暖かい毛布を拘束具のように重たく感じる。
 子どもってすぐ感情が昂るんだな、忘れていたよ。この奇物の厄介なところは、小さくなった体に心が引っ張られることだと気づいた。柔らかく、弱く、無防備になる。感情のコントロールが難しくて、上手く隠せている気がしない。
 ぐっと唇を噛んで、かつて自分に言い聞かせてきたことを思い出した。泣きたいときほど目を開け。現実を見ろ。涙を流しても喚いても何も変わらない、ただのエネルギーの無駄使いだ。
 ふーっと深く息を吐き出したところで、寝室のドアが開いた。ヒュッと息を吸い込んでドアを凝視する。
 現れたのは、パジャマ姿のレイシオだった。
「起きていたか」
 レイシオは当たり前のようにベッドに上がって、アベンチュリンの隣にうつ伏せに寝そべった。
「教授も寝るのかい?」
「絵本を読もう」
「は?」
 アベンチュリンにも見える角度で持ってきた端末を枕に立て掛けて支え、レイシオはそこに絵本を表示した。表紙には、なんだかわからないぐにゃぐにゃした生き物と赤い林檎と黒い穴が描かれている。
「これは僕が幼い頃気に入っていた絵本らしい」
 ベッドに運んだ時、あんなに眠そうだったアベンチュリンが眠気を失い、無理して寝ようとしていることに気づいた。打つ手なしと判断したレイシオは、母親に連絡してどう寝かしつけたらいいか相談したそうだ。子どもにはスイッチがついていて、ベッドに寝かせるとなぜか元気になる。最初にそう諭した彼の母親は、絵本を読み聞かせることを提案した。そこで何冊か挙げられたタイトルを端末に入れてきたという。
 情報量が多い。独身の息子に突然そんな相談をされて、彼の母親はどう思ったことだろう。犯罪や隠し子だと誤解しないでくれるといいんだけど。レイシオはそんな誤解をされる心配なんて全然していない様子だ。母親も相談に乗ってくれたようだから、上手いこと説明したんだろうか。この信頼関係は未知の世界だ。
「えっと、教授は読み聞かせしたことある?」
「初めてだ。下手かもしれないが、コツは聞いてきた」
「僕も読み聞かせされるのは初めてだよ。上手い下手なんてわからないから安心して」
「それはなにより」
 レイシオはひとつ咳払いをすると、ゆっくりと絵本を読み始めた。最初はぎこちなく、やがてなめらかに。講義でならした滑舌よく聞き取りやすい声で語られるのは、なんともいえない話だった。
 なんだかわからない生き物が何事かを閃くと、その度に赤々とした林檎が天から降ってきて、ぽこんと頭らしきところに当たって転がり、地面の穴に落ちる。何か閃く、林檎が当たる、穴に消える。ページをめくるほどに、林檎に傷が増えていく。へこみ、割れて半分になり、突然現れたネズミにかじられる。あまりにもぼろぼろになった林檎は、しまいには少し転がるだけで穴に届かなかった。その次の見開きページが本の最後だった。なんだかわからない生き物が閃いて、けれど天は応えない。なんだかわからない生き物は首らしきところを傾げた。ぼろぼろの林檎は後ろに落ちたまま気づかれない。
 アベンチュリンはレイシオを見た。レイシオは複雑そうな顔をしている。
「好きだったの?」
「記憶にない」
 もしかしたら、レイシオが気に入っていたというのはストーリーではなく、読み聞かせると絶対に寝ついたという意味かもしれない。なぜなら、早速アベンチュリンの眠気が帰ってきたから。
「別のを読もうか」
「うん」
「眠いのか?」
「ううん」
 ねむくないったらねむくない。首を振ってぱちぱちとまばたきをすると、レイシオの指がアベンチュリンの目にかかりそうな前髪を横に流して落とした。
「寝ないと戻れないぞ」
「嫌だ」
 戻れないのが? それとも戻るのが?
 戻りたいのは本当。働けなければ死刑執行が待っているアベンチュリンにとって、文字通り死活問題だ。ただ、今の時間が惜しくて戻りたくないのも本当。
 石膏頭か無愛想で皮肉混じりにアベンチュリンを咎めるレイシオとは対極の、笑っていて易しい言葉遣いでアベンチュリンを褒める面倒見のいいレイシオ。彼にこんな一面があると知ってしまったら、もう忘れることなんてできそうにない。この姿の今しか与えられない、まやかしで得た優しさなのに。
 もう少しだけ、この時間に浸っていたい。満足するまで待ってほしい。
「まだ寝ない」
「素直に寝ればいい。なぜ意地を張る?」
 君が優しくしたせいだ。浮かんだ言葉を口に出すのはさすがに憚られた。レイシオには何の非もない。ただ、アベンチュリンが駄々をこねているだけだ。今のレイシオはアベンチュリンを子どもと見なしているから許すだろうけれど、実際のところ中身は大人のままなので沽券に関わる。うやむやにしたくて、話を逸らした。
「どうしてパジャマを着てきたんだい」
「母が言うには、寝かしつけには自分も寝落ちする覚悟が必要だと」
 寝過ごしてもいいように可能な限り支度を整えてのぞめ。言葉のチョイスに血を感じた。
「ふはっ! ねえ君、母親似だって言われない?」
「よくわかったな」
 吹き出したアベンチュリンは悪くないと思う。眠気は一発で吹き飛んだ。
「僕、君のお母さん好きかも」
「今の君に言われたら、母はひとたまりもないだろうな」
 結局、レイシオはさらに三冊の絵本を読んでくれた。そしてなんと、アベンチュリンを置いて先に寝た。横向きでこちらを向いてすやすやと眠る大男の呼吸こそが、なによりの睡眠導入剤になった。
 もぞもぞと近寄って、上下する胸に額をつける。体の脇にあった腕がアベンチュリンに回されて、ぽんぽんと背中を叩いた。
 ありがとう、おやすみ、さよなら。夢みたいだったよ。
 最後にぐりっと額を胸に押しつけると、アベンチュリンの意識は溶けるように眠りに落ちた。


 ぱちりと目が覚めると、頭がとてもすっきりしていた。これはとてつもなく長い時間寝たときの感覚だ。
 目の前に転がっている自分の手は元通りの大きさになっている。腰を探ると、下着の結び目はなくなっていた。寝苦しくて無意識にほどいたんだろう。
 時刻は午後三時。昼寝なんてせいぜい三十分もとれば足りるのに、夜と同じくらい寝ている。そりゃすっきりもするわけだ。なんなら今晩は眠れないかもしれない。レイシオは先に起きたようで、寝室に姿はなかった。なぜかパジャマの上だけが残されていた。
 リビングに顔を出すと、テーブルの上に奇物を収めたケースが置かれていた。鍵はかかっていない。まさかと蓋を開けると、目を閉じて眠るトカゲのぬいぐるみがいた。そのお腹を押して間の抜けた鳴き声を聞きたい衝動を追いやって、ケースの蓋を閉じた。
 元の服に着替えて、元のアベンチュリンを取り戻す。シャツに皺がついていて完璧とは言いがたいが、気持ちは立て直した。指輪がひとつ足りないのは、デスクの下にでも転がりこんだんだろう。そのうち探しに行かなくちゃならない。
 携帯端末をチェックして、いくつかメッセージを返した。直帰にしていたスケジュールを戻り時間未定に変更した途端に決済書類が届き出して、笑うしかない。
 靴を玄関に置き、借りたシャツと置き去りにされていたパジャマの上を持って家主を探す。キッチンにその姿はあった。いつもの服装に戻っていて、いつもの無愛想。だったはずが、アベンチュリンを見た瞬間その顔は緩んだ。もう子どもの姿ではないのに。
「仕事に戻るのか?」
「ああ、うん。面倒をかけたね」
「それはこちらの台詞だ。奇物のことは厳重に注意しておくし、対策もとる」
 レイシオはアベンチュリンの手から服を受け取って、入れ替わりに紙袋を乗せた。
「なんだい?」
「朝食の残りだ。一人では食べきれないから、持っていって夜食にでもしてくれ」
 紙袋の中を覗くとスープジャーが入っていた。あの野菜の甘味の記憶は忘れてしまいたかったのに、そうさせてはくれないらしい。大人の味覚では褪せていることを願うしかない。
「ありがとう」
 ふーふーして食べるよ。
「そうしてくれ」
 口には出さなかったはずなのに、レイシオは笑ってそう言った。だけでなく、アベンチュリンの頭に手をやりかけて、すぐに慌てて引っ込めた。
「君ねえ」
「すまない。厳重に注意するし、対策もとる」
 片手を挙げて裁判の宣誓のように厳かに誓うと、レイシオはすっとアベンチュリンから目を逸らした。
「君も、今後はくれぐれも油断しないでくれ」
「何言ってるんだか」
 落とした指輪を取りに行くことと、その時スープジャーを返すことを約束して、アベンチュリンはレイシオの家を出た。
 玄関ドアを潜るときのたまらない名残惜しさは、唇を噛んでやり過ごし、深呼吸で洗い流した。