ぷの
2024-09-06 10:16:51
2348文字
Public レイチュリ
 

レイチュリワンウィーク - 無意識

🛁が無意識に🦚に守られてくつろぐ話。

「教授、レイシオ教授!」
 後ろから大きな声で名前を呼ばれて、思考の海に沈んでいた頭が水面にぷかりと浮かんだ。立ち止まって振り向くと、駆けてきたトパーズがレイシオを見上げ、腰に手を当てて口を尖らせる。
「一人でスタスタ歩かないで、ちょっと加減してください」
 トパーズの後ろから歩いてくるジェイドはマイペースを崩さない。歩くのに向かない靴を履いている彼女に合わせていたはずが、ぼんやりしているうちに自分の速度になってしまったようだ。
「すまない」
 今日は珍しくジェイドとトパーズに同行している。アベンチュリンが長期プロジェクトで遠くの星系に出張中なので、戦略的パートナーの立場も開店休業中だった。たまに顔見知りのジェイドやトパーズに呼ばれて仕事をすることはあるが、カンパニーに呼ばれる時間は格段に減っている。その分本業に比重を置いていて、論文をまとめて仕上げようと準備しているせいか、仕事中以外はつい思考に沈みがちだ。
「二人とも待っていてくれてありがとう。ふふ、坊やに言われていたことを思い出したわ」
「アベンチュリンが?」
「教授が上の空の時は後ろを歩かせるといいって。こういうことだったのね」
 それを聞いたレイシオの脳裏に、アベンチュリンに同様のことを言われたときの光景がよみがえった。

『そんなにぼんやり歩いて、車道に突っ込んだら車に申し訳ないよ。僕と腕を組んでエスコートされるか、そのヒラヒラをリードにするか、お供よろしく後ろを歩くか、どれがいいか選んで』
 アベンチュリンは後ろから小走りで追いついてレイシオの腕を掴んで止めると、嫌味たっぷりにそう言った。二人で歩くのは数回目で、まだ並んで歩くちょうどいいペースが掴めていない頃だった。消去法で後ろを歩くのを選んだのは、レイシオ自身だ。
『さては君、子どもの頃からそうだっただろう。手を繋げってよく言われなかった?』
 目線のやや下の方にある金髪がくすくす笑って揺れ、振り返って見上げてくる。揺れる前髪の奥から覗くネオンカラーの瞳が、レイシオの思考への没入具合を推し測っていた。
 改めて後ろを歩いてみると、アベンチュリンの肩の薄さと背中の小ささに驚いた。コンパスが違うから当たり前だが、歩幅も小さい。
 そのやり取りの後、アベンチュリンは必要以上に話しかけてこなかったので、レイシオは思う存分ぼんやりと歩くことができた。わずか数分から数十分、道順もすれ違う人を避けるのも前に任せて、何も意識せずに普段よりゆっくり歩く。適度な刺激をゆるやかに受けるその時間は、より深く思考の海に潜ることができて快適だった。レイシオは間違いなくこの時に味を占めた。
 その後も、レイシオが同じように頭のリソースを他所に取られていると、アベンチュリンが前を歩くようになった。そんなときはアティニークジャクもどこかに引っ込んでしまう。何度か繰り返すうちに、アベンチュリンの方がレイシオの頭の中を的確に見極めるようになっていった。後ろを歩いてと言われることが減り、ふといつもと違う位置で揺れる金髪を認めて、自分が上の空だったことに気づかされることが増えた。
 潜水を打ち切って大きく一歩踏み出して隣に並ぶと、アベンチュリンはいつもレイシオを見上げてひょいと眉を上げる。
『おかえり、教授』
 いい時間を過ごせたかい? そう聞かれているような気がするから、レイシオはいつも頷いて返す。それを見たアベンチュリンは満足げに笑うのだ。
 そして、戻ってきたアティニークジャクがさえずり始める。そんなときは、喧しいはずの声が不思議と心地よかった。

「もう、またぼんやりしてる。カブ、教授についてて。遅れてたら教えてね」
 トパーズに頼まれた次元プーマンはぴょんぴょんと空間を出たり入ったりしながら、レイシオの足にじゃれつく。
「これは私が坊やの話をしたせいかしら」
「ですよね、さっきと表情が違いますもん」
「坊やに見せてあげたいわ」
 もうレイシオの頭は現実にフォーカスしていたが、前から聞こえる会話に混ざりたくなくて、黙って後ろを歩き続けた。
 先導が二人になって格段に歩きやすいはずなのに、あれほどの没入感は彼女たちの後ろにはない。あの小さな背中にそれほどの安心感を持っていたことに、不在になって初めて気づかされる。

『これを言ったら怒るかもしれないけど、教授が後ろから着いてくる時って、大きな犬の散歩をしてる気分なんだよね』
 飼ったことないけど、と付け加えてアベンチュリンはくふくふ笑う。レイシオを頭の中で犬にしているのだろう。
『君の護衛をする部下と同じ位置では?』
『緊張感が全然違うよ。どちらかというと僕が君の護衛だろ』
 アベンチュリンに同行する部下は、武装していることもあるだろうが、たしかに張り詰めた気配と威圧感がある。
 一般人のレイシオと戦闘訓練を受けたアベンチュリンを比べると、優位なのは膂力くらいのものだ。武器の取り扱いや索敵や戦術は門外漢であるし、小さい体の利点と弱点を熟知しているアベンチュリンは体格差を埋める立ち回りも上手い。心理戦ならば互角にやれるかもしれない。
『では君が番犬か?』
『わん!』
『訓練を受けた犬が無駄吠えをするものか』
『細かいなあ、教授は。愛嬌があっていいじゃないか』
 愛玩動物でもあるまいし、愛嬌なんてあってどうなる。

「わん」
 前を歩いていたトパーズがぎょっとして振り返った。ジェイドの肩が小さく震える。レイシオはすいっと目を逸らして、話しかけるなと壁を作った。
「やだもう、早く帰ってきてほしい」
 トパーズがぼやいて、レイシオの足元のカブがキュウ!と賛同するように鳴いた。