ぷの
2024-08-22 10:39:24
5170文字
Public レイチュリ
 

レイチュリワンウィーク - おうちデート・ラブレター

🦚が不運にまみれる話。

 アベンチュリンは遅めの昼の会食で勧められた食前酒を一口飲んだ瞬間、ピリッと舌に触る刺激を感じ、頭の中で鎮魂の鐘が鳴るのを聞いた。
 これは明日の朝くらいまでダメかも。
 少量を口に入れただけで確実に効くように何の偽装も手加減もなくガッツリと盛られている。味と臭いと症状から何種類かの薬に絞り込めたものの、特定まではいかない。よし、とりあえずこの席は今すぐ蹴って、水を飲もう。そして吐こう。
 目の前で端末を操作して相手の会社を手早く乗っ取った。準備していた通りに詐欺罪他で起訴、全財産でも払いきれない損害賠償を被せる。アベンチュリンお抱えの悪辣な弁護士が尻の毛まで全部むしるだろう。債権回収終わり。
 後ろに控えている部下はアベンチュリンの行動から察して、会食の相手を牽制して退室のサポートをしてくれた。席を立つ際に食前酒が入っていた小さなグラスを掠め取ってジャケットの内ポケットに入れる。割らないように気をつけないと。
「歩けないなら抱えますが」
「そこまではいかない。水ちょうだい」
 キャップを外して差し出されたボトルの水をがぶがぶと飲み干す。視界は暗いが足はふらついていない。でも三半規管がおかしいから、車は酔いそうだ。
「ちょっと吐くね。水のおかわりが欲しい」
 ちょうど通りかかったトイレに立ち寄って、胃の中のものを全部出した。ああ、最悪だ。

 なんとかステーションまでたどり着いてカンパニーの専用艦に乗り込み、ピアポイントを目指す。
 救護室のベッドに放り込まれ、左腕に点滴の管を差し込まれて、水のボトルを山ほど用意された。その頃には頭がぐらんぐらん揺れていたので、横になれて助かった。
 目を開けると酔うので、アイマスクをもらって着けた。眠れるものなら寝てしまいたかったけど、動悸が激しくて神経が尖っている。
 頭を、撫でてほしいな。あの大きくて重たくて温かい手に髪をとかされながら撫でられたい。くるくると指で髪を巻いて遊ばれたい。うなじの髪を分けられて首の骨を辿られたい。
 どうしようもなく弱ったときに一番効く特効薬は、遥か遠くにある。明日久しぶりに合う予定だから、今日は忙しくしているはずだ。
「総監、起きていらっしゃいますか? グラスから成分がわかったので、中和する薬を打ちますよ」
「ありがと」
 右腕を取られ、注射針を射し込まれる。早く効いてくれ。効け。効けよー。頭の中でぶつぶつと唱えている内に症状が薄れて軽く眠ったようだ。意識が戻ったときには、だいぶ体のコントロールを取り戻していた。
 起き上がってアイマスクを外し、水を飲む。ふう、と息をついたところで、けたたましい警告音が鳴り響き、レッドランプが点った。アベンチュリンの目が据わる。
『現在、当艦は所属不明艦から攻撃を受けています。総員戦闘配置についてください。繰り返します』
 点滴の針をむしり取ってベッドを下り、服についた皺を払う。サイドテーブルに置いてあるインカムを装着して一言吹き込んだ。
「報告」
 規定通り順番に上がってくる報告を聞きながら、新しい水のボトルを掴んで救護室を飛び出した。

 めんどくさくなったから、所属不明艦は問答無用で撃沈した。生存者ゼロで何の情報も得られないだろけど、ちまちま調査したり交渉したりするより、始末書を書いた方が楽で早い。再発防止? そんなのしてもしなくてもどうせ狙われるから変わらない。じっくり構ってほしいならこちらが暇なときに来いと言いたい。
 ピアポイントに到着した専用艦はちょっと外装がへこんだり焼けたり剥がれたりしてたので、カンパニー専用の臨時滑走路に誘導されてそのままドッグ入りした。ご苦労様、元気になって帰っておいで。
 カンパニー本社への車の中で軽食を摘まもうと売店を物色していたら、銃声が鳴り響いた。部下たちが素早くアベンチュリンの周りを囲み、インカムに速報が入ってくる。吹き抜けの二階から一階を見下ろすと、自動小銃で武装しているへっぴり腰の男が拳銃を天井に向けて持ち、キョロキョロと周りを威嚇しながら何かを喚いているのが見えた。
『単独犯、爆弾はなし。薬をやってます』
「避難は警察に任せて。犯人を射殺しろ。絶対に見つかるな」
『了解』
 三分ほど待ったところで、犯人の体が崩れ落ちた。うちのスナイパーは腕がいい。アベンチュリンはふふんと鼻をならした。
「警察に捕まる前に撤収」
『了解』

 避難する一般人でごった返すステーションから裏口などを駆使してなんとか車にたどり着き、カンパニー本社に向かう。時刻は午後八時すぎ。空腹で胃袋が泣いている。腹の虫が鳴いてるどころじゃない、胃液でじんわり焼けている感触だ。手持ちは水しかないので飲んで薄めるしかない。
 車の中から報告書と始末書をちゃちゃっと作って関係者に投げた。しっかり作っていたらやっと収まってきた目眩がぶり返して酔うから、なるべく手短に。
 作業を終えて座席に体を預けたら、パァンと景気のいい音がしてガクンと車体が傾き、車がスピンした。
「タイヤを撃たれました」
「うん、そうだね。対ショック姿勢」
 アベンチュリンは神に悪態をついた。僕の幸運をどこにやったんですか、今日は仕事をサボってるんですかマザー。
 車は中央分離帯に当たって逆回転し、路肩の壁に車体を擦って止まった。外側は多少へこんだがフレームは歪まない頑丈な車だ。基石のバリアを張り、ドアを開けて車から降りる。
「犯人どこ?」
『上です』
「ヘリか」
 その移動ルートをじっと目で追う。中から身を乗り出した人間がアベンチュリンに向けて発砲し、バリアが弾いた。腕は悪くないが、狙う相手が悪い。つまり三流だ。
「んー、あっちに行くなら、川の上で落として」
『了解』
 川幅は狭いけど、うちのなら上手いことやるだろう。絶対に人を巻き込んだりはしない。少々の問題が起こっても始末書を書くことに躊躇いはないと開き直った。
 パトカーが近づいてくる音が聞こえる。辺りを見渡すと、堂々とそびえるカンパニー本社ビルが見えた。ほとんどのフロアで照明が煌々と輝いている。命を燃やして光っているのだと思うと、胸が熱くなる。嘘だ、なるわけがない。仕事なんてほどほどにして帰って寝なよ、と巨大なブーメランを投げた。
 頭の中のマップを辿って、これから張られる交通規制の範囲外に代わりの車を呼ぶ。そこに向かって部下と連れだって歩きながら、とあるドラマのテーマ曲が思い浮かんだ。
「なんかさ、こういうドラマあったよね。主人公が次から次へと荒っぽいトラブルに巻き込まれるの」
「ありましたねえ」
 代わりの車が迎えに来るまでに水を飲み干してしまった。胃がしくしくする。

 カンパニー本社ビルに到着したのは約二システム時間後だった。ああ懐かしのマイオフィス、やっと帰ってきた。
「君たちもお疲れ様、帰っていいよ。僕は明日休暇だから、報告書は明日中に出してくれたらいい。休暇の申請は日付が変わるまで受け付けよう。あまり時間がなくてすまないね」
 デスクに座って急ぎの作業だけ片付ける。人が不在にしているからって締め切りが近い仕事を滑り込ませてきたやつ、名前覚えたからな。普段なら見逃してやるような不備を突いて差し戻す。まあ一度きちっと追求してやろうと思っていたし。それが今日になったのは人の機嫌を損ねる仕事ぶりが悪いのだし。
「明日の午前中の半休を申請したので確認お願いします」
 デスクまでやってきた今日の同行担当の一人が、チョコレートを挟んだビスケットのお菓子と水のボトルをアベンチュリンの前に置いた。優しさが沁みる。
「承認したよ。お腹空いてたんだ、ありがとう」
 にこっと笑いあって、お疲れ様と手を振った。
 もらったお菓子をちびちび齧りながら、明日中の仕事を片付けていく。丸一日ぶりに食べ物を口に入れたせいか、急速に眠くなってきた。そういえば昼に一服盛られて体力を削られていたんだった。なんだか長い一日だったな。
 全員帰ったし、あとはもう持ち帰りでいいか。そう思って片付け始めたところで、携帯端末が鳴った。そういえば、今日はずっと見ている暇がなかった。通知を確認して、珍しさに三度見した。
 レイシオからの未読メッセージが五件。こちらから返信どころか既読も付けていないのに、五件も!
 なんだろう、もし明日の予定がダメになったなんて連絡なら見たくない。心をへし折られて家に帰る気力すらなくなりそうだ。しかし見ないわけにはいかないので、えいやっとメッセージを開いた。

 一件目は、お昼のメッセージ。
『たまたま外に出る用事があり、立ち寄った店で貴重なコーヒー豆を見つけた。何年か不作で価格が高騰していたのだが、少量だけ入荷したそうだ。久しぶりに飲めて嬉しい。明日淹れるから、君にも味わって欲しい』
 二件目は、そのすぐあと。
『古書店で探していた稀覯本を見つけた。今日はとても運がいい』
 三件目は、仕事を早く切り上げたと書いてあり。
 四件目は、実家から届いた荷物にずっとアベンチュリンに食べさせたかった故郷の特産チーズがあったこと、それから、アベンチュリン宛の手編みの腹巻きが入っていたとある。
 そして五件目。
『明日と言わず、今から来ないか? 迎えにいってもいい』
 今日一日の出来事でガサガサに荒んでいた心が浄化された。どうして今こんな場所にいるんだろう。今すぐ迎えに来てと言えたらいいのに。
 一件目の自分のことを勘定に入れてくれているところにぐっと感動した。
 二件目の報告せずにいられなかった浮かれた心中がとても可愛い。そのくせ頭の半分は本のことを考えているから作文がおろそかだ。これはすぐ読みたくて、メッセージを送ったあと喫茶店にでも立ち寄ったに違いない。
 その後も、レイシオの頭の中はアベンチュリンのことばかり。愛おしさで爆発しそうだ。なんだ腹巻きって。勝手に人が腹を冷やしたエピソードを話したのか、会ったこともないレイシオの家族に。
 脳内麻薬でも出たのか、薬の残りと眠気でぼやけていた頭がしゃっきりとした。心なしか体も軽い。スイスイと返信を送って、急いで家に帰ることにした。
『今仕事が終わったよ。急いで帰るから、うちまで迎えに来て』
 返信は瞬く間にやってきた。
『すぐに行く』
 レイシオの拙速は愛の証だ。じっくり準備する質の彼からこれを引き出すと本当に興奮する。
 そして、帰宅の道中にふと気づいたのだった。今日のアベンチュリンの不運はすべてレイシオの小さな幸運と交換されていたことに。
 レイシオの幸運はアベンチュリンにも幸せをもたらしたので、交換は全然構わなかった。不運のわりに幸運の量が小さい気がするけど、それでもいい。むしろ、マザーにしては気の利いたことをすると感激したくらいだ。いいぞ、もっとやれ。
 アベンチュリンは幸せなメッセージと前倒しになったおうちデートを獲得して、最高に浮かれ気分で家に着いた。ハイテンションで玄関ドアを開けたら、青い炎の残滓を纏って愛しの人がそこにいた。アベンチュリンを迎えるために広げられた腕の中に飛び込もうとしたとき、残っていた薬のせいで足がよろけ、レイシオの顎に頭を打ちつけた。
 ちょっとマザー、最後までちゃんと面倒見てよ!
 目の前で星がチカチカ瞬いたのは二人一緒だったと思う。けれど倒れ込んだアベンチュリンをしっかり受け止めて抱き込んでくれたので、レイシオを巻き込んで床にダイブする羽目にはならなかった。体幹を鍛えててくれてありがとう。
 脳みその揺れから立ち直ったのもレイシオの方が早かった。アベンチュリンの前髪をそっと指先で左右によけて、打ったところに傷ができていないか確かめている。
 恋しかった逞しい体にぎゅうっと抱きつくと、昼に欲しかった手が頭を優しく撫でて、ぽんぽんと首筋をあやすように叩いた。これ。これだよ。これをもう一回味わうまでは死ねないと思ったんだ。アベンチュリンの心の蛇口が一気に開いて、レイシオへの気持ちが滴り落ちそうなほど染み渡る。
「ごめん、今日いろいろあって疲れてて」
「よく頑張ったな、おかえり。このまま連れて帰っても?」
 レイシオの家に行く前にしようと思っていたことが何かあっただろうか。わからない。頭がなんにもはたらかない。全部後でいい。
「連れてって」
 返事の代わりに頭のてっぺんにキスが落ちてきて、覚えのあるひんやりと魂を炙る心地がした。レイシオの胸から顔を上げたら幻想的な青い炎が見えただろう。だけど今は、髪の毛一本分たりとも離れたくなかった。