ぷの
2024-08-13 23:04:12
6760文字
Public レイチュリ
 

レイチュリワンウィーク - 夢

夢でお別れされる話。
※夢の中で死にますのでご注意ください。
※ブラック社畜の言うことを信じてはいけません。

『すまないが、君のところに泊めてくれないか』
 何の前触れもなくレイシオからそんなメッセージが飛んできて、アベンチュリンは思わずこう返信した。
『誰かと間違えてないかい?』
 そのまた返信はメッセージではなく、通話の着信で返ってきた。
『こんな時間に起こしてすまない。今話せるか?』
 時刻は深夜を通り越して明け方近い。アベンチュリンがピアポイントにいると知っているとき、レイシオが時差を気遣わずに連絡してくることはなかったので、意外だった。アベンチュリンがこんな時間に活動しているのは仕事のせいだ。まあ、それ以外にこんな時間に起きている理由なんてないけれど。溜めてしまった書類仕事に昨日からせっせと取り組んでいたものの、日付が変わって休日に突入した今もカンパニー本社の自分のオフィスで絶賛仕事中だった。
「起きていたから大丈夫だよ。泊めるのは構わないけど、何かあった?」
『実は……
 レイシオが今いるのはカンパニー本社敷地内、技術開発部の研究棟の一つ。一システム時間ほど前、とあるチームが建物のエネルギー供給網をうっかり爆破し、一部が不通になった。物理的な被害は大きくなかったが、一部のブロックのエネルギー供給が断たれてしまった。不運なことにレイシオたちの研究室が被害を受け、すべての機材がダウンした。復旧は未定。夜通しやる予定だった実験は失敗し、後日仕切り直すことにして解散となった。しかしこの時刻である。車通勤の者は帰宅、仮眠室が使える者はそちらへ。公共交通機関の始発を待つ者は外のベンチでおしゃべりなどしながら数システム時間を潰すという。レイシオの話し声が途切れたところで、カラスの鳴き声が聞こえた。哀れを誘う演出まで彼の味方をしている。
 うっかり爆破ってなに。そもそも今の話は部外秘なのでは。そう思ったが、他所のことなので追求するのはやめた。レイシオがだいぶお疲れで頭が回っていないらしいことは察した。
 レイシオは実験が終わったらピアポイントを発つつもりだったので、休む場所を確保していなかった。予約してあるシャトルは昼の便。他に当てもなく、ダメ元でアベンチュリンに連絡してみたそうである。
 困ったときに頼る先として選ばれたことが、アベンチュリンはとても嬉しかった。時間など些細なことだ。レイシオの声はいつになくしょぼくれていて、手厚くおもてなししたい気持ちがむくむくと湧いてくる。
「それは大変だったね。場所のご希望は?」
『仮眠が取れればどこでも』
「なら僕のオフィスでいいかな。ちょうど今いるから来るといい。お迎えに行こうか?」
『今いる……? いや、助かる。ありがとう。迎えは不要だ』
 こんな時間に働いていることへの説教が出かかったようだが、今はお互い様である。
 通話が終わると、しばらく使っていなかったオフィス奥の自分専用の仮眠室の空気を入れ換えて、ベッドを使えるように支度した。レイシオの体格では狭いが、ギリギリ足は伸ばせる。内から施錠できる小部屋なので応接セットのソファより安心だろう。小部屋の中には少々物騒な調度品が置いてあったりするが、急だし細かいところには目を瞑ってもらう。
 本当は、高級幹部の権力をちょちょいと振るって本社ビル内のゲストルームを押さえることもできた。そこら辺のホテルのスイートルーム並みに設備が整った、セキュリティもばっちりの客室である。広いベッドも広い風呂もキッチンもある。レイシオのためを思うならそうすべきだった。けれど、アベンチュリンは自分のテリトリーでレイシオを休ませたかった。レイシオの判断力が鈍っているおかげで、まんまと誘い込むことに成功したのだった。狭くて風呂もなくて、セキュリティだけは宇宙一の小さな部屋に。
 というわけでちょっと浮かれ気味のアベンチュリンは、共有の冷蔵庫でミルクを発見し、マグカップで温めて蜂蜜を落とした。コーヒーは起きたらがいいだろう。タオルを濡らしてこれも温めた。
 ややあって、レイシオが到着した。なんということでしょう、とてもくたびれているではありませんか。伏せられた目は充血していて、ややむくんで青ざめた顔にはうっすら髭が生えており、動作も緩慢だ。
「こんばんは教授」
「寝かせてくれ」
 挨拶も抜きで要求が簡潔。らしからぬ態度から察するに、すでに一晩か二晩徹夜済みのご様子である。アベンチュリンの浮かれ気分は即終了した。余計なことを言わずにまっすぐ仮眠室に案内して、鍵の説明をし、蜂蜜入りのミルクとホットタオルをその手に押しつけた。
「何時に起きたい?」
「三システム時間後に」
「わかった。寝て」
「ありがとう」
 アベンチュリンが出ると、小部屋の中はすぐに静かになった。


 レイシオを迎えてから二システム時間を過ぎた頃。仕事が一段落したので、アベンチュリンは眠気覚ましに顔を洗って歯を磨き、身形を整えた。それから朝食を買いに出た。もちろん一人なら食べないけれど、今日は哀れな客人に付き合うことにする。
 カンパニー本社の社員食堂は年中無休で早朝から開いている。追加料金を払ってサンドイッチの具を増量してくれと言うと、気のいい従業員は包み紙がパンパンになるほど詰めてくれた。信用ポイントを使えばいろいろ融通がきくのがカンパニーのいいところである。サンドイッチを待つ間に見渡した食堂には案外ひとけがあった。休日のこんな時間に特別安くも美味しくもない軽食を食べている人間は二種類いる。今から休日出勤をする社畜と、朝食を終えたら寝る泊まり込みの社畜である。自発的にここまで移動して食事をしているなら余力がある方だろう。虚無顔の働き蟻たちに幸あれ。
 オフィスに戻るとちょうどレイシオが指定した起床時間だったが、小部屋からは何の物音もしなかった。ノックしても返事がなかったのでドアを開けた。案の定、錠はかかっておらず、照明もつけっぱなしだった。
「教授、朝だよ」
 声をかけて、横を向いて丸まっている背中を揺さぶる。反応がない。枕元に携帯端末が転がっているから、アラームをかけられずに寝落ちしたのだろう。サイドテーブルに置かれたミルクのカップは空になっていた。朝食を用意して良かったみたいだ。
「起きないといたずらするぞ~」
 手袋を外してレイシオの首筋に指を当て、体温と脈拍を確認する。呼吸も穏やかなもの。睡眠が不足しているだけで体調を崩してはいない。眉間の皺が深いのは、もしかしたら頭痛があるのかもしれない。よしよしと額を撫でてやると少し和らいだ。しかし目を覚ます気配はない。
 何回か……まあそこそこの回数一緒に寝て知ったのだが、ちょっとした物音や気配ですぐに目を覚ますアベンチュリンと違って、レイシオは少々の物音では目覚めない。そんな彼にしてもずいぶんと深い眠りだ。研究者なんて生き物は一日置きに徹夜をしているようなイメージがあるけれど、レイシオはそれに当てはまらない。今回これほどくたびれるまで無理をしたのは、自分の限界を把握できていないせいかもしれなかった。不規則な生活には慣れとテクニックが必要だと経験者なら知っている。褒められたことではないが。
 起こすには忍びないほど熟睡していても、約束は約束である。時間的にはレム睡眠のはずだ。心を鬼にして毛布を剥がそうとしたら、レイシオに強く引っ張り返されてしまった。これまで起こしたときは手がかからなかったので、抵抗は予想外だった。さて、これは起こせるのだろうか。
「おーい、時間だよ。サンドイッチを買ってきたから食べようよ」
 ベッドに片手と片膝を突いて毛布にくるまった蓑虫に覆い被さり、胸の前で毛布の端を握りしめている手を開かせようとトントン叩く。ふ、とレイシオの呼吸が寝息から変わった。
「あ、起きたかい……わっ」
 突然強く手首を掴まれた。丸まっていたレイシオが体を開いて仰向けになり、半分だけ開いた瞼の奥からぼんやりと揺らぐ視線がアベンチュリンを捉える。空いている方の手がアベンチュリンの背中に伸ばされて、ぐっと力強く引き寄せられた。片手では踏ん張れずにぺしゃりとレイシオの体の上に落ちてしまう。
「教授?」
……
 レイシオはかすれた声で小さく何かを呟いたが、アベンチュリンには聞き取れなかった。人ひとり上に乗せたままぎゅうっと抱き込んで重くないのだろうか。
「寝惚けてるのは可愛いけど、今じゃなくてまた今度見せてよ」
……可愛いのは君だ」
「わあ、寝惚け方のたちが悪い」
 体を起こそうとしても、回された腕は全然弛まない。掴まれた手首もそのまま。受け答えしたからそのまま目覚めると思ったのに、呼吸はまた寝息のようになってきた。
「レイシオ、離して」
 声をかけて身じろぎする。アベンチュリンもまた徹夜明けなので、この姿勢が続くと眠気を誘われてしまう。レイシオの腕の中は安心していい場所だと刷り込まれてしまったから、とても危険だ。こら、寝惚けて背中を叩くのをやめろ。寝かしつけるな。
「アベンチュリン」
 あまいあまい声がアベンチュリンの動きを止めた。耳元で恋い焦がれているとでもいうように名前を呼ばれれば、そりゃあ息の根も止まろう。顔に熱が集まる。
「生きていてよかった」
 すりすりとほおずりをされると髭がちょっと痛い。少々不穏な寝言が飛び出して、ずいぶんはっきりとした夢を見ているらしいなと思ったところで。
「最後に、会えて、よかった」
 さいご。最後ってなんだ。途切れ途切れの言葉はどことなく息苦しそうになってきて、だんだん語気が弱まっていく。苦しそうに唸って、額に汗まで滲んできた。これは悪夢にうなされている、起こさなければ。
 けれど、アベンチュリンは間に合わなかった。レイシオは浅い呼吸を数回繰り返して息を止めると、感情を殺した声で言った。
……さよなら」
 ふう、と細く息を吐いて、先ほどまでの苦しそうな様子が嘘のように静かになった。腕の力がすうっと抜けて、アベンチュリンの体から滑り落ちていく。
「レイ、シオ」
 密着している体から温かさが失われていく錯覚を否定して、レイシオの呼吸と鼓動を追いかける。自分の心臓がうるさくて邪魔だ。震える指で首筋を再び確かめた。大丈夫、現実じゃない。
 レイシオが死んだのは、彼の夢の中でだけ。
 さっき背中を叩かれたのは寝かしつけられていたんじゃない。おそらく、聞き分けなくレイシオを救おうとする夢の中のアベンチュリンを、もう手遅れだとなだめていたのだ。レイシオはアベンチュリンのことをよくわかっている。事実、レイシオを死なせないためなら、なんでもする自信がある。
 死ぬ夢を見るのは不可抗力だ。アベンチュリンにだってよくある。問題は、死の間際にあんなに簡単に、悪あがきもせずに、別れの言葉を告げられたこと。絶対に、そんなもの、聞きたくなかったのに。
 たかが夢でこんなに打ちのめされるとは思いもしなかった。人をこんな気持ちに叩き落としておいて、レイシオは暢気に寝ていやがる。すやすやと眠る姿は、苦しみから解放されて安らかそのものだ。
 レイシオは起きても夢のことなんて覚えちゃいない。アベンチュリンに何を言ったか記録を見て知ることはできても、そのときの気持ちはもうどこにもない。アベンチュリンが受けたショックも、得た悲しみと怒りも、ぶつけるあてはない。自分で消化するしかない。
 アベンチュリンは体を起こすと、物騒な調度品の中からリボルバーを一丁取り出した。シリンダーを振りだして空になっているのを確認し、一瞬悪い考えが過ったが振り払って、そのまま戻した。安全装置を外して撃鉄を起こし、グリップをレイシオの手に握らせて胸の前で構えさせ、銃口を自分の心臓の上に当てて、動かせないようにのしかかる。はは、いつぞやを思い出すね。あの時と違って弾倉は空だけれど、それはレイシオにはわからないことだ。
「起きろ!」
 腹の底からドスのきいた声が出た。
 ビクッとレイシオの体が揺れる。目が開いてゆっくりと焦点が合う。複雑な感情がぐらぐらと踊るごった煮になっているアベンチュリンの目を見て、レイシオは突然の異常事態に目を見開いた。
「おかえり、レイシオ。天国から引き戻された気分はどうだい?」
 拳銃を握らせたレイシオの手を上から両手でがっちり包み込んで、二人の間にあるものを意識させるように、肋軟骨が鈍く痛むほど力をかけた。
「なんだ、これは」
「約束のモーニングコールさ。さあ、君が鳴らしてくれ」
 引き金にかけさせた指をゆっくり押す。レイシオの目線が胸元の鋼鉄の塊とアベンチュリンの顔を往復する。みるみる眉間に皺が寄って少々の抵抗をされるが、体勢で優位なアベンチュリンには敵わない。
「冗談はよせ。やめろ」
 包み込んだ手が震えている。可哀想なレイシオ。徹夜で疲労困憊のところにトラブルに見舞われて、夢見が悪かったうえに目覚めたらこれ。同情はするけど、こうでもしないと気が済まないんだ。ごめんね。
 もし目の前でレイシオの命が風前の灯だったら、本当はひとりで死なせたりしないで、アベンチュリンも命の幕を一緒に引きたい。幸運が邪魔をするのはわかっている。復讐を道半ばで捨てる葛藤の末に死にきれないかもしれない。それでも、結果がどうなるとしても、一方的に決別を突きつけられるのではなく、一緒にいてくれと乞われたかった。レイシオにあっさり置いていかれたのがあまりにも辛かった。せめてあの一言から悔しさや悲しみや未練が感じられたら違っただろうに、レイシオの優しさはあらゆる感情を全部隠してしまっていた。
 夢のアベンチュリンは一人残されて泣いただろう。生きろと言ったくせに、こんなに的確に人の心を殺していくなんてひどいやつだと罵っただろう。
 レイシオはわかっていない。アベンチュリンがどれほどレイシオに心を傾けているかを。死にかけた自分をアベンチュリンが必死で生かそうとすることはわかっているくせに、肝心の死に際にくれるべき言葉はわかっちゃいない。胸の内を知らせないことを選んだのはアベンチュリンで、それを察してレイシオは暴かないことと自らも明かさないことを選んだ。そんな気遣いと優しさに、アベンチュリンが勝手に傷ついている。
 だからこれは、最低の八つ当たりだ。
 ガチッ。
 撃鉄が空の弾倉を打つのと同時に、アベンチュリンはレイシオの肩に頭を預けた。用済みの拳銃を手放してレイシオの手ごと横に転がし、お互いの胸をぴったりと合わせる。
 伝わってくる鼓動が激しく打っているのを感じて、頭に昇った血がすうっと下がっていくのがわかった。くっつけた体を離し、充血した目尻からこぼれ落ちた涙を舐めとる。目の前のアベンチュリンが夢か現実かをまだ確定できずにいるレイシオににっこりと笑いかけた。
「おはよう教授。目が覚めたね」
 半端にかかっていた毛布を剥がして、手を引いて上半身を起こしてやる。呆然として力が抜けているレイシオの髪をわしわしとかき混ぜて撫でつけた。抱きしめてぽんぽんと背中を叩くと、のろのろと抱き返してくる。こんなされるがままの生き物になっている姿なんて二度とお目にかかれないだろう。正直とても離れがたいけど、ほどほどにしなければ。
「顔を洗っておいでよ。シャワーを浴びたいなら案内する。その後で朝食を一緒に食べよう」
 体を離してレイシオの全身をざっとチェックしたら、下半身で存在を主張しているものに気がついた。アベンチュリンがそうっと手を伸ばしてそこを優しく撫でると、レイシオは面白いくらい素早く後ずさった。
 レイシオの顔に表情と血色が戻ってくる。唇を噛み締めて、思い浮かぶ文句を我慢しているに違いない。すごく怒っている。怒ってくれている。それが嬉しかったから、アベンチュリンは嬉しさを隠さなかった。それでますますレイシオは怒った。からかわれたと思っているのだろう。
 ニヤニヤ笑って物欲しそうな顔を作り、レイシオの前であぐらをかいて頬杖をついた。目線を元気な下のレイシオに固定して。
「うーん、間違えたな。撃たれるならこっちがよかった。やり直していい?」
「この馬鹿、二度めはない!」
 毛布で下半身を隠しながら怒っているレイシオが可愛くて、アベンチュリンはお腹を抱えて笑いながらベッドに転がった。


 このときの薬が効きすぎたのか、あれきり二度と自分が死ぬ夢を見なくなったと後にレイシオは言った。言葉通り、二度めはない。アベンチュリンにとって僥倖である。