ぷの
2024-07-31 23:23:38
3089文字
Public レイチュリ
 

トイピアノ

ピアノを弾く🛁の話。(2025/3/29改稿)
体の大きな人が前屈みでチマチマ何かやってるのかわいいよね。

 会議から戻ったアベンチュリンが自分のオフィスのドアを開けると、薄い金属を打ったような高い音が聞こえてきた。銃声のような緊張感はなく、まろやかで暢気な響きだ。気持ち早足で音の方に向かえば、応接セットの辺りに部下が数人集まって何かを覗き込んでいる。
「そんなところに集まってどうしたんだい?」
 後ろから声をかけると、バッと部下たちは直立した。
「お戻りでしたか、総監」
 開けた視界の先では、レイシオがソファに腰掛けてローテーブルに鎮座した小さなピアノを拭き掃除している。ミニチュアのグランドピアノ型で、鍵盤は三十二個。
「いらっしゃい教授。会議が長引いてすまないね」
「いい暇潰しがあったから問題ない」
 こんなものどこから出てきたんだろうと部下たちに目で尋ねると、一人が答えた。
「うちの子が祖父母から貰ったトイピアノです。知らない内に私と妻の親両方にねだっていて、ほぼ同時に二つプレゼントされてしまって。返すのもなんですし、一つ持ってきました」
 アベンチュリンのオフィスは元々は殺風景だった。一人の部下から絵のひとつでも飾りましょうと提案されて軽い気持ちで「好きにしていいよ」と言ったところ、みるみるうちに部下たちが持ち寄った私物で賑やかになった。これもその仲間に加わるのだろう。
「へえ、かわいいね。結構古そうだけど弾けるの?」
「教授がメンテナンスしてくださって、綺麗な音が出るようになりましたよ」
 レイシオは黒い塗装の表面を丁寧に拭きあげて艶を出し、満足げに頷いた。
「こんなものだろう」
「君にできないことなんてあるのかな、ありがとう教授。ねえ、せっかくだから誰か弾けるなら一曲頼むよ」
 アベンチュリンの呼び掛けに、持ち込んだ部下も、その他の部下も、ふるふると首を横に振った。
「もちろん僕も弾けない。残念だなあ、観賞用としてもよくできてるとは思うけどね」
 細かな傷はあるものの、黒いボディは磨かれたおかげでつやつやだ。いっちょまえに蓋を開けて止められるようになっており、経年劣化で少し黄ばんだ白鍵はなにやら風格を醸し出している。
 部下たちはじっとレイシオを見ている。メンテナンスできる人間なら多少は弾けるだろう、そう期待するのは素人考えだろうか。レイシオは無言の期待に応えるようにいくつか鍵盤を叩き、先ほど聞こえたのと同じ響きが空気を震わせた。隣の鍵まで叩いてしまいそうな大人の指が器用に綺麗な和音を鳴らす。おもちゃにしては澄んだ音が出る。良い品物なんだろうか。
「教授は弾けるの?」
「簡単なものなら」
「聴きたいな! 公演料は払うよ」
「では、今日の会議の内容を」
「お安いご用だ」
 取引が成立したのでアベンチュリンはレイシオの隣に腰かけた。部下たちはアベンチュリンの声が聞こえないところまで離れた。階級に相応しくあれ。カンパニーで先輩から後輩に教えられる処世術である。あの場所なら、聞いてはならない情報は届かないが、良く通るトイピアノの音は聴こえるだろう。


 アベンチュリンは鍵盤にふわりと置かれた整った指先を目の端に捉えてから、正面を向いて目を伏せた。
 小さな声で一つ目の議題について呟く。ある星間貿易航路で最近活発になってきた海賊を討伐するため、部隊を送るという話だった。レイシオの方は見ない。これは独り言、口に出して頭の整理をしているのだ。あくまで情報漏洩ではない。
 アベンチュリンが口を閉じると、レイシオは軽やかに行進曲を奏でた。作曲家は反戦主義者として知られる。その選曲に込められた武力行使への皮肉に苦笑した。そうは言うけど、海賊どもには全然話が通じないんだよ。資金を入れている組織は特定できているそうだから、担当者はそろそろ本格的に潰すか取り込むかするだろう。
 二つ目の議題は部外の人間には聞かせられないから飛ばして、三つ目の議題について呟く。ある緑化事業で、持ち込んだ外来植物によって現地の生態系に悪影響があり、自然保護団体が激しく反発している。が、どうも騒動は煽動されて起きた疑いがあるので、背景を調査をするという話だった。
 次に選ばれたのは花の名前の曲だ。可憐な見た目で育てやすく、ブーケや寄せ植えで定番の花だけれど、野生種はたくましい生命力で外来植物の代名詞になっていたりもする。これは数多あるその花を題材にした曲の内でもとりわけ有名で、アベンチュリンもこれまでいろんな演奏家の音で聴いたことがあった。中には名演もあったはずなのに、たった一度のレイシオの生演奏にすっかり塗り替えられてしまった。そうなった理由は優劣ではない。よりアベンチュリンという環境に適応したから、つまり淘汰である。
 四つ目の議題がレイシオの訪問の目的だろう。戦略的パートナー枠の拡大について。博識学会からの招かれざる客がなにやら演説をぶち始めたが、聞いていたのは客を会議室に入れた人間くらいで、演説のターゲットにされたアベンチュリンを含め他は誰も相手にしなかった。あれはレイシオのための一点物の肩書きだ。どんな思惑があるのか知らないが、ない枠は広げようがない。場の冷えきった空気に負けてあっという間に尻すぼみになった発言者の一言一句をそのまま口調まで真似したら、レイシオはふん、と小さく鼻をならした。もうあんな無駄な客は来ないことを願いたい。
 三曲目はアベンチュリンの知らない静かで優しい曲だった。
「これはどんな曲なの?」
「古い子守歌だ」
「なんだか落ち着くね。うちの子たちにも聴かせたいな。録音させてもらえばよかった」
 レイシオの大きくて繊細な手が奏でる音は、あまりにも耳に心地いい。一音一音を染み込ませるような柔らかいタッチに撫でられてとろんと瞼が落ちそうになり、アベンチュリンは膝に頬杖をついて顎を支えた。その眠気を追い払うように同じメロディをコミカルなテンポでリピートし始めたレイシオは、弾きながらアベンチュリンの耳元に口を寄せて囁いた。
「君が覚えて弾けばいい」
「教えてくれる?」
「授業料をもらうぞ」
「なんでも払うから言って」
 こそこそとさらに潜めた声で囁かれた内容に、アベンチュリンは「いいよ」と答えて髪に隠れた耳を赤く染めた。


 演奏を終えて鍵盤から指を離すと、レイシオは用は済んだとばかりに立ち上がった。部下たちにぱらぱらと拍手を送られ、オフィスから出ていった。
 アベンチュリンはピアノを持ち上げてくるりと回しながらひとしきり眺めると、テーブルに戻してぽん、ぽん、と小さな鍵盤を叩いてみた。レイシオの出した音と違ってどこか味気ない。それは技術の問題かもしれないし、聞く側の気持ちの問題かもしれない。
 アベンチュリンもよくある電子ピアノなら教養のために触ったことがある。子どもや年寄り受けの良い童謡を数曲覚えさせられたので、上手くはないが弾くこともできる。
 トイピアノを片付けにきた部下のマスクの下に隠れた澄まし顔に向けて、アベンチュリンはニッと笑いかけた。
「さすが僕の部下」
「教授も気づいていましたよ」
「それでいいんだ」
 古びたトイピアノは彼が子供の頃に使っていたもので、底には彼の名前が刻印されていた。隅々まで掃除していたレイシオの目に止まらないはずがない。彼の名前は知らなくとも、由来と使用感から元は誰の物だったか想像するのは簡単だ。
「良い時間だったね。ありがとう」
 嘘つきの上司の労いに嘘つきの部下は軽く頭を下げ、棚に用意した新しい定位置にトイピアノをそっと収めた。