ぷの
2024-07-22 20:42:05
9248文字
Public レイチュリ🍰
 

レイチュリワンウィーク - バスタイム・よっぱらい

創造物たちで丸くなる話。(初出 2024/07/22)
※Xのアンケート結果を受けておまけを追加しました。(2024/07/23)

「この子達はどうやって清潔にしたらいいのかな? ここではどうしてるのか教えてくれないかい」
 つい先日引き取ることになった創造物たちのお世話について、製造者に聞くのが一番だろうと考えたアベンチュリンが間違っていたのだろうか。宇宙ステーション「ヘルタ」を訪れて案内された先で、製造責任者二人に今一番の悩みを相談したのだが。
 ヘルタ曰く。
「ルアン・メェイに聞いて」
 開拓者曰く。
「食べないなら汚れてても平気じゃない? 材料がゴミの子もいるよ」
 ルアン・メェイに会えるものなら話が早いが、相手は人付き合いの薄い気まぐれな天才だ。まず無理だろう。開拓者に至ってはとても生物についてのコメントとは思えない。もしかして、食べようとしたのはこの子なのか。それでアスター所長は「食べないように!」なんて規則をあえて明文化したのだろうか。『ルールは破るためにある』という台詞が頭を掠めたが、振り払った。今のところ、歯形のついた子を見かけたことはない。
 怪しい材料でお菓子のような生物ができるなんてどうかしてる。ましてやそれを食べようとするなんて。いや、そもそもこの謎生命を培養できるのがおかしい。アベンチュリンは自分の常識の物差しがぶれていたことを反省した。
「水につけるのはよくないかな?」
「餡はともかく、皮はぶよぶよになるかも」
 餡に皮。アベンチュリンはひきつりそうになる頬の内側を噛んだ。
「この子たちはお菓子じゃないんだろう?」
「そうなの? じゃあ水洗いしても平気なのかな」
 お菓子じゃなく生き物だろう、と問うたつもりだった。しかし通じていないにおいがぷんぷんする。創造物に対するアベンチュリンと開拓者の温度差は気体と固体くらい違うようだ。
 なるほどわかった。この子はただ作るのが楽しかっただけだ。創造物たちの原理や生態にはさっぱり興味がないし、生み落とした後の責任なんてまるで考えちゃいない。そんな子どもに命を生み出す機械を与えるなんて、ここの大人たちはどうかしている。
 とはいえ、アスター所長は現在きちんと人員と資源を割いて創造物たちの面倒を見ている。いち里親のアベンチュリンが口を出すことではない。
 不思議そうに首を傾げた開拓者は、唐突に忘れてた!と手を打つ。なにやらごそごそと荷物を漁ると、アベンチュリンに茶色の塊を手渡した。
「これ、アベンチュリンのために作ったんだ。脱酸素パックにしたからそこそこ日持ちすると思うけど、なるべく早く食べてね」
 まさか、これを、食べろだって? 手のひらに残された豆沙餅は、死地に赴く戦士の顔をしている。本物よりずっと小さくて動きやしないが、細部まで凝った作りで、家にいる三匹とそっくりだ。食べ物だというなら、もっとデフォルメするべきでは。何を考えてこんなに精緻に作ったの。
 唖然とするアベンチュリンの心情にはお構いなしで、開拓者はもう一つ同じものを取り出して重ねた。
「レイシオに会ったらこれ渡しておいて」
 この子、本当に血も涙もないんじゃないかな。
 なんの情報も得られないまま、アベンチュリンは宇宙ステーションを後にした。



 精神に少々のダメージを負って帰宅したアベンチュリンは、玄関先まで迎えにきてぽよんぽよんと弾んでいる三匹の創造物たちを順番に撫でた。
「おかえりアベンチュリン」
「おかえりなさい」
「じょうずにおるすばんできたよ」
 創造物に対応した共感覚ビーコンの拡張機能を入れてあるアベンチュリンは、舌っ足らずな三匹のおしゃべりに心を和ませる。
 可愛い子たちの明るい表情を見ていたら、捨てることも食べることもできずに持ち帰ってしまった硬い表情の豆沙餅を思い出して罪悪感に苛まれた。つらい。
 改めて三匹の様子を確かめる。外側はさらっとした感触だ。もちもちしていてよく伸びてすぐ戻り、きめが細かく毛穴はない。体から甘い香りこそすれ、お菓子のペイストリーとはまったく違って粉や油分もない。一方、猫のような中身は短い毛が生えている。こちらはたぶん濡れても大丈夫だろう。たまにペロペロと足や尻尾を舐めて毛繕いをしている。
 中身と外側の境目に手を入れて中を確かめようとしたことがあるけれど、みっちり詰まっていて奥まで入らなかった。くすぐったかったのかヤダヤダと逃げられて、前足でぺしぺしと叩かれた。差し込んだ指先が温かくてちょっと幸せになった。
 アベンチュリンの家で過ごし始めて数日、三匹はあちこちの隅っこに潜り込んで探検している。掃除が行き届かない場所にも潜っているようで、埃で外側が薄汚れてきた気がする。特にお腹。中身は毛繕いしているようだし、背中はお互いに身繕いをしているようで少しマシだった。
 ひとまず濡れタオルで拭ってみようか。でも染みができたりしたら可哀想だ。擦って表面から何かがポロポロ取れたりしたらどうしよう。たぶん泣く。
 アベンチュリンはしばらくそんな考えごとに意識をやっていた。無意識にずっと抱っこしている一匹を撫でながら。すると突然、抱っこされている子に別の子ががぶりと噛みついた。噛みつかれた子は怒ってぺしぺしと前足で反撃をしている。
「わっ、何してるの!」
「だっこ」
 噛みついた子のうるうるした瞳からぽたりと涙が落ちる。
「だっこして」
 可愛いやきもちにぎゅうっと心臓を鷲掴みにされたアベンチュリンは、三匹まとめて膝に上げて抱きしめた。そこでもう一滴こぼれた涙が別の子の背中に落ちて、染み込まずにつるりと滑り落ちるのを見た。

 というわけで、バスタイムである。アベンチュリンは三匹を抱えてバスルームに入った。
 濡れタオルで擦ると痛みを感じたり表面を痛めるかもしれない。ぬるま湯を手でかけて優しく撫でて汚れを落とし、吸水性の高いタオルで拭き取ることにした。
 背中からそっとお湯をかけられた創造物は最初こそビクッと体を縮めたけれど、すぐに気持ち良さそうに目を細めた。お腹にお湯をかけても抵抗しない。たらんと垂れた尻尾と前足も揉むように洗う。一匹ずつ洗っては水気を拭いて、脱衣場に出した。そこでペロペロと毛繕いをしている。濡れると少し甘い香りが強くなる気がした。
 三匹とも嫌がったり暴れたりしなくて助かった。
 とそのときは思っていたのだが、嫌がらないどころの話ではなかった。三匹はバスタイムが気に入ったらしく、翌日アベンチュリンがシャワーを浴びようとするとついてきて、バスルームの中に入れてと訴えたのだ。
「昨日洗ったからまだ綺麗だろ。今日は時間がないからだーめ」
 そうやって突っぱねたら、どこで見つけたのか埃をかぶってきた。きみたちをモップ代わりに引き取ったわけじゃないんだけどなあ。ぼやきながら再び洗ってやることになった。次の休暇でちゃんと家の掃除しようと思っていたのに、その前に隙間という隙間が綺麗になりそうだ。



 創造物たちの初めてのバスタイムから数日後。カンパニー本社に来ていたレイシオに偶然会ったので、ことの顛末を話した。創造物たちの里親になったのはレイシオ経由で話がきたからである。彼なりに気にかけてくれているらしく、話を聞いて風呂好きとは気が合いそうだと感心している。専門ではないが念のため診察しようかと尋ねられたので、ありがたく往診をお願いすることにした。
 ただ診察のために家に呼ぶのは申し訳ないので、一緒に寄り道をして夕飯とつまみと酒を調達した。酒を飲んで面倒になったらそのまま泊まってくれていいし、帰りたいなら位相霊火がある。
 帰宅すると、レイシオのことを覚えていたらしい創造物たちはぽよんぽよんと彼のことを歓迎した。診察はなにごともなくスムーズに終わり、では晩酌タイムを始めようと創造物たちを寝室に運ぼうとしたが、レイシオに懐いて離れない。
「僕はこの子らがここにいても構わないが。人間の食べ物を口に入れようとするか?」
「好奇心はあるみたい」
「わかった、気をつけよう」
 わあ、この気遣い落ち着くなあ。創造物たちの話を聞いてくれたり、健康状態を見にきてくれたり、そばにいて構ってやったり。レイシオの対応にアベンチュリンは目頭が熱くなってきた。宇宙ステーションの人でなしに触れてささくれていた心が癒えていく。
 よし、豆沙餅は丹恒くんに引き取ってもらおう。そして二度と受け取らない。こんなに優しい男にあれを食べさせるなんて罪深すぎる。アベンチュリンは固く心に誓った。

 二人で空けるには、ボトルが多かったかもしれない。はっと居眠りから目覚めたアベンチュリンは、自分がソファに寝かされていることに気づいた。飲食のあとは片付けられていて、部屋の灯りはついたままだがレイシオはいない。
「帰っちゃったのかな」
 寝てしまった自分が悪いのに、寂しく感じるなんてわがままだな。次に会ったときに謝ろう。
「ごめんね、きみたちも眠いだろ。寝室に行こう」
 そこら辺にいるはずの創造物たちに声をかけたが、見える範囲に姿はなく、返事もない。レイシオが寝室に入れてくれたのかな、そう思って寝室を覗いたが、やっぱりいない。
 まさか、脱走。寝起きでふわふわしていた頭がすうっと冷える。
 慌てて玄関に向かう途中で、バスルームから音がするのに気づいた。脱衣場を覗くと、ぽよんぽよんと少ししっとりした創造物が一匹寄ってくる。
「おふろはいったの」
「他の子たちは?」
「なかにいるよ」
 バスルームを覗くと、邪魔になる装飾品を外して袖と裾をまくり、創造物を優しく洗っているレイシオと目が合った。
「起きたのか、ギャンブラー」
「うん。お風呂に入れてくれたんだね」
「一匹が皿に残っていたソースをひっくり返した。気をつけていたんだが、すまない」
「いいよいいよ、三匹を一人で見てたら目が届かないって。僕こそ寝ちゃってごめん」
 脱衣場に座り、洗い終わった二匹目をタオルを構えて受け取る。体を拭かれながら、ほわあと幸せそうにゆるんだ顔で欠伸をした。一匹目もうずくまってアベンチュリンに寄り添い、小さく揺れている。その横に拭き終わった二匹目を置いて、三匹目を受け取った。この子もとろんとほとんど目を閉じてしまっている。
「君たちすっかりおねむじゃないか。さあ、寝室に行こう」
 アベンチュリンはバスローブとタオルを出すと、バスルームの片付けをしてくれているレイシオに声をかけた。
「教授も入るならこれ使って。その間に着替え買ってくるよ」
「今日はだいぶ飲んだから、シャワーだけ借りたい。着替えは今着ているものを洗わせてくれ」
「了解。あるものはなんでも使って」
 三匹を寝室のケージの中に運んでから、予備の毛布を取り出してリビングのソファに運ぶ。いつだか仕事で江戸星に行ったときに付き合いで買った浴衣があることを思い出して、冷えている水のボトルと一緒に準備した。
 お願いしたら、泊まっていってくれないかな。アベンチュリンはもう少しレイシオと話したかった。いや、話がしたいというより、同じ空間にいたかった。
 今日は創造物たちも一緒にいたおかげか、皮肉や刺のある言葉をお互いに使わなかった。穏やかなやり取りが心地よくて、うっかり眠って物音で目覚めないほど心がほどけてしまった。レイシオとそんな時間を過ごせるなんて思ってもみなかったから、二度とないであろうこの機会をもう少し引き延ばしたくなったのだ。

「教授、出た?」
「ああ」
 脱衣場でバスローブ姿で髪を拭いているレイシオに水を渡す。当たり前だけれど、アベンチュリンの家のソープの香りがする。そんなことに胸がざわめくのはどうしてだろう。
 服の洗濯と乾燥が終わるまで残り数分。どうやって引き留めようか。いつもは瞬く間にいろんな言葉をシミュレートできるのに、今は何一つ思い浮かばない。
「あのさ、よかったら、朝まで一緒にいてくれない?」
 結局口をついて出たのは、ただただ素直なお願いだった。創造物たちは側にいないのに、ほどけてしまった心は簡単には戻らなかった。アベンチュリンの常にない様子に戸惑っているのか、レイシオはぱちぱちと瞬きをした。
「君は」
 レイシオは何かを言いかけて、飲み込んだ。アベンチュリンが首を傾げて続きを促すと、口を引き結んで難しい顔になる。なぜだ。アベンチュリンはなんの裏表もない自分を見せているのに、それがかえってややこしくしているのだろうか。まあ、日頃の行いが悪いから仕方ないか。
「あは、そんなに悩まないでよ。ごめん、まだ酔いが冷めてないみたいだ。忘れて」
「待て、そうじゃない。それを言うなら僕もまだずいぶんと酔っているようだ」
 レイシオは残りの水を一息に呷ると、はあ、と熱い息を吐いた。
「今日は泊めてくれ。君もシャワーを浴びるといい」
「うん! これ着て、サイズにゆとりがあるから」
 アベンチュリンの嬉しさは全部態度に出た。満面の笑みでレイシオに抱き締めていた浴衣を渡す。飾らない好意を正面からまともにぶつけられたレイシオは、ぐぅっと呻いて黙り込んだ。
 レイシオの気が変わらないうちに。アベンチュリンは頓着せずにぽいぽいと服を脱いでバスルームに入った。レイシオが慌てて顔を背けたのには気づかなかった。
 乾燥終了のメロディが鳴る。下着を身に付けてもそもそと浴衣に着替えたレイシオは服が皺にならないようにハンガーにかけながら、小さく「よっぱらいめ」と呟いた。
 もちろん、バスルームで鼻唄を歌っているアベンチュリンには聞こえない。



【おまけ】

 脱衣場からレイシオが出て行った。数日ぶりに一人でゆっくりできるバスタイムを迎えたアベンチュリンは、曇りガラスのドアの向こうになんの気配もないことが急に寂しくなった。たった数日脱衣場にわちゃわちゃする三匹がいただけなのに、もうそれが当たり前になり始めていたなんて。
 鼻唄をやめたら、あまりにも静かで肌寒さすら感じる。換気扇が回る音、洗った髪からお湯が滴る音、体に滑らせているボディソープの泡が潰れる音まで聞こえそうだ。こんなに寂しい時間だったっけ、今まで気にしたこともなかった。体を洗う手が急ぐ。早くここから出たい。出たら、寂しくなくなる。
 本当にそうかな?
 レイシオはまだいてくれてるんだろうか。普段とは様子が違うアベンチュリンを宥めただけで、とっくに帰ってしまったんじゃないか。曇りガラスの向こうに目を凝らす。うん、レイシオの服の青が見える。
 アベンチュリンがお願いしたとはいえ、どうして泊まっていってくれる気になったんだろう。
 酔っているからか。本人はそう言っていたけれど、あんまりそうは見えなかった。アベンチュリンは酔いが表に出ない方だけれど、レイシオもなかなかだ。酒を飲み始めてからおよそ四システム時間、そろそろアルコールが抜け始める頃だ。かなり飲んだから、全部抜けるには朝までかかりそうだけど。
 では酒が飲み足りなかったか。片付けられたキッチンに飲み残しのボトルはなかった。アベンチュリンが寝落ちしてから一人で残りを空けたと思われる。明日、といってももう数システム時間後だが、二人とも朝から仕事である。今から飲んでいたら確実に差し支える。レイシオは仕事をないがしろにするタイプじゃないから、もう飲まないだろう。
 それなら帰るのが面倒だったか。それはない。なにせ彼には位相霊火がある。絶えずオリジナルが火焔の末裔を残しているため入手は難しくない。霊火を使って思い通りの物体を思い通りの位相に移行する方法が特別なのだ。レイシオはそれを使うところを極力人に見せないし、理論も明かさないと決めているようだ。そんな使い方が確立されていると知る人間は片手で数えるほどだろう。彼にはそんなふうに絶対に表に出ない功績がどれほどあるんだろう。
 あー、アルコールに邪魔されて思考が脱線している。ええっと、なんだっけ。とにかく、レイシオは帰ろうと思ったらすぐに帰れる。ということは、そこに服があっても安心できないか。うーん。
 いやいや、そこを疑っていたら前に進まない。よし、レイシオはリビングにいることにしよう。条件を固定する。考えるべきは「レイシオと朝まで何をして過ごすか」である。
 さきほどのレイシオの顔を思い出す。何かを言いかけてやめた。てっきりアベンチュリンのお願いの断り文句を探していると思ったのに、それは否定された。レイシオは酔っていて、普段なら言わないことをうっかり口にしそうになって、やめた。アベンチュリンに何か希望があったんだろうか。今日の会話にヒントがあっただろうか。
 だめだ、全然思い当たらない。今日はいつものように話しかけなかったから。子どもの頃に読んでいた本の話とか、飼っていたペットの話とか、庭に植わっていた木の話とか、レイシオが創造物たちを撫でながら穏やかに話すのを聞いていた。アベンチュリンはたまに質問を挟むだけで、あとはほとんど口を開かなかった。
 泡を流して、バスルームを出た。タオルでがしがしと拭いてパジャマを着る。
 仕方ない、寝よう。とても健康的でいいじゃないか。明日の仕事のためにもそうするべきだ。だけど、アベンチュリンはきっと寝つけないだろう。寝ているレイシオを眺めて朝を迎える気がする。
 だって、今日のアベンチュリンは、今日のレイシオがとても好きなのだ。何にも隠されていない優しさがすごく特別だった。創造物たちのおこぼれにあずかって、もっといくらでも味わいたかった。一方で、半分くらい夢かなと思っている。夢にしておく方がいいと思っている。強すぎる幸せは毒のように後遺症を残すから。
 レイシオを寝かせてあげて、朝になったら見送り、数十分仮眠して頭をリセットする。そうすればうるさくて口が悪いアティニークジャクが甦る。それがいいと、自分に言い聞かせた。

 アベンチュリンがドライヤーとブラシを手にリビングに戻ると、レイシオはソファに座って本を読んでいた。紐で綴じた珍しい装丁の古びた紙の本が、浴衣姿にとても似合っている。
「教授、髪を乾かしてあげるよ」
「自分でやる」
「やらせて?」
 やってみたいんだ。それだけを込めてお願いすると、レイシオは本を閉じて脇に置いた。伸びた背筋とソファの間に潜り込んでソファの背もたれに腰かけようとしたら、「危ない」と言ってレイシオが前にずれた。ソファを降りてラグに座った大きな体を両足の間に挟むようにして、アベンチュリンは温もりの残る座面に腰を下ろした。
 藍色の髪を手櫛でほぐしつつドライヤーで風を入れていく。つやつやで腰がある栄養状態の良い髪から白くて血色のよい地肌が覗く。普段はふんわりボリュームがあるけれど、しっかりブラシで伸ばしたら雰囲気が変わるだろうか。
 無心で乾かしていると、レイシオの体がビクッと震えた。
「あっ、もしかして眠い?」
「いや」
「我慢しないで寝ていいよ」
「大丈夫だ」
 ほんのり赤くなっているレイシオの耳に気づいて、風が熱かったかな、と少し遠くにドライヤーを持つ手を離した。
 しっかりブローしたつもりだった。いつもよりボリュームのない後頭部の形が美しく、髪の手触りも素晴らしくて、完璧な仕上がりだと悦に入っていた。パジャマのポケットからグリス状のトリートメントを取り出して指先でひと掬いし、手のひらで温めて伸ばす。ふわりと香りが立つとレイシオが小さく首を傾げたので、手のひらを彼の鼻先に近づけた。
「これ付けるよ。におい嫌じゃない?」
「ああ」
 しっとりさらさらの髪にそっとトリートメントをつけていき……アベンチュリンはこみ上げる笑いを我慢できなくなった。くつくつ震える体を不審に思ったレイシオに軽く膝を叩かれる。
「どうした?」
「ブローしてまっすぐだったのに、いつもみたいにくるくるしてきた。なにこれ面白い」
「そういう髪質なんだ」
 その声には長年の格闘の末の諦めが感じられた。全体に薄くつけたトリートメントで艶を増した髪は、すっかりいつものボリュームに仕上がってしまった。イメージを変える作戦は惨敗である。
「完成!」
「それじゃ交代を」
「待って待って」
 動こうとする体を膝を締めて拘束する。アベンチュリンはレイシオの頭を両手で包み、しっとりした髪の中に鼻を埋めてすうっと息を吸い込んだ。
「不思議。ほんのりスパイシーだ。自分に付けたときと香りが違う」
 すはすはと何度もかいでいたらレイシオの体がぐぐぐと前に丸まって三角座りになり、顔も手も届かなくなってしまった。大男の三角座り、広い背中が可愛いじゃないか。
「君は」
「なんだい?」
 今度こそ呼び掛けの先を捕まえたくて、美しい後頭部を見つめて返事を促す。ちらっと振り返って横目でアベンチュリンを見るレイシオの目尻が化粧をしたように赤い。可愛くて色気がすごい。そんな目で睨まないでほしい。鳥肌が立ちそうだ。
「君は……誘っているのか?」
「えっ」
 信じてもらえないかもしれないが、弁解しよう。アベンチュリンにそんな意図はなかった。そういう手管を知らないなんて純粋ちゃんを気取るつもりはないが、今このときレイシオ相手に誘惑をしているつもりは全然まったくひと欠片もなかった。ただ、やりたいことをしていただけ。
 もし今日じゃなかったら、アベンチュリンは笑ってからかってレイシオを苛立たせて、この空気を無惨に散らしただろう。そもそもレイシオがこんな赤裸々な聞き方をしてきたのも今日だから。今後のためには一夜の夢にしてお互いに忘れるべきだ。
 でも、できなかった。アティニークジャクは創造物たちに囲まれてすやすやと幸せそうに眠っている。
 今日だけは、皮肉も棘のある言葉も使わないで、ほどけた心でありのままいたい。
 レイシオの眼差しと問いかけによって自分の中に灯ったものが何か、確かめたい。
……うん、そうかも」
 レイシオに逃げられて宙に浮いていた両手を伸ばす。笑顔は作れなかった。拒絶されたらどうしようと思う気持ちがそのまま顔に出てしまったから。
「だっこして」
 可愛い生き物に教わった言葉は、誤解も曲解もされずまっすぐにレイシオに受け止められた。アベンチュリンの体は願い通り大きな熱い体に抱きしめられる。それだけでほとんど答えは出てしまった。滲んだ涙をレイシオの肩にすりつけたら、さらにぎゅっと力を込められた。
「まずは君の髪を乾かそう」
「うん」
 それから朝まで、アベンチュリンはレイシオに甘やかされるままに身を任せていた。たまに熱のこもった掠れ声を挟むだけで、あとはほとんど口を開かなかった。