桐子
2024-11-05 00:37:59
3434文字
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嘘でもいいからそばにいて③(父水♀️)


それから一週間、水木の調子は最悪だった。仕事もミスを連発するし、家でもゲゲ郎とうまく接することができずにいた。

今夜は珍しく、鬼太郎が帰ってきたので久しぶりに三人で食卓を囲む。今夜はゲゲ郎が味噌汁と芋の煮たもの、焼魚を作ってくれていた。
「水木も鬼太郎もたんとお食べ」
「はい」
大盛のご飯をよそわれた鬼太郎はこっくりと頷いた。反対に水木は笑いながらそれを辞退する。
「俺は少なめにしてくれ。最近、ついた肉がなかなか落ちなくなって困ってるんだ」
「ふむ、水木はもう少しふくよかでもよいと思うがのう。その方が抱き心地がよいし」
……っ!」
思わず箸を取り落とした。鬼太郎が慌てて拾ってくれる。
「大丈夫ですか?」
「ああ……悪いな」
動揺しているのを悟られないよう平静を装ったが、顔が赤くなっているかもしれない。そんな水木の心中など知る由もなく、ゲゲ郎は心配そうな視線を向けてくる。
(抱き心地がいいって言ったよな、今)
まるでこれから水木を抱く予定があるような口振りだ。いや、そんな馬鹿な。ゲゲ郎には奥さんがいる。そんなことあるはずがない……
「水木、顔が赤いぞ? 熱でもあるのではないか?」
ゲゲ郎が近づいてきた。額に手を当てられる。
「父さん、駄目ですよ。女性に体型のことを言うのは失礼です」
「む、そうか。すまぬ水木。悪気はなかったんじゃが」
鬼太郎の助け舟でゲゲ郎の手は離れていった。しかし、まだ額が熱い。きっと真っ赤になっていることだろう。
「だ、大丈夫だ。ちょっとびっくりしただけだから」
水木は誤魔化すように笑い、話題を変えようと鬼太郎に矛先を向けた。
「そういえば鬼太郎、最近忙しそうだな」
「はい……ちょっと依頼が増えてきまして」
鬼太郎は困ったように笑った。妖怪ポストに届く手紙や相談事は、年々増えているらしいのだ。
「でも、ねこ娘たちも手伝ってくれるから大丈夫です」
「そうかそうか」
ゲゲ郎は嬉しそうに相好を崩した。ゲゲゲの森に住む妖怪たちは鬼太郎たちにとって家族も同然だ。彼らが鬼太郎を手助けしてくれていることは水木にとっても嬉しいことだった。
……水木さんは、最近お困りのことはありませんか?」
その言葉にドキッとした。
「い、いや。特にないな」
水木は慌てて取り繕うと、焼き魚に箸を伸ばした。だが、幽霊族の親子は、よく似た顔でじいっと水木の挙動を見守っている。
「本当に?」
問われ、水木は渋々というていで口を開いた。
「実はな、最近仕事に行き詰ってたんだ。納期が迫ってるのに作業が進まなくてな。でも、働いてりゃそのくらい日常茶飯事だよ」
それは本当だ。だが、ゲゲ郎は「水木」と静かに名前を呼んだ。
「それは、おぬしが本当に悩んでいることか?」
思わず言葉に詰まる。そんな水木に、ゲゲ郎は諭すように言った。
「わしらの前でまで無理に強がることはないぞ」
優しい口ぶりに胸が熱くなった。だが、お前が好きだ。本当の夫婦になってほしいなんて、そんな厚かましいことは言えない。
「別に本当に何も悩んでねえよ」
水木はそう答えるしかなかった。ゲゲ郎と鬼太郎の視線が痛い。これ以上追及されないように、急いで食事をかきこんだ。


風呂の中で一人になり、やっと落ち着いてきた水木は、ふと先ほどのゲゲ郎の言葉を思い出した。
(もし、本当にゲゲ郎が抱きしめてくれるなら)
水木はごくりと唾を飲み込んだ。湯から上がり、くもりかけた鏡を見る。大きいばかりで邪魔な胸も、うっすらと脂肪ののった腹から尻にかけてのラインも、女を強調しているようでずっと嫌だった。恋人もつくらず、肌を重ねる相手もいない。このまま女としては枯れていくばかりだと思っていた。
ーーーでも、もしもこの体を愛してもらえるなら。
「あるわけないか」
水木はすっかり曇ってしまった鏡を見て苦笑した。髪も短く口調も気性も男のままで、顔や肩には前世の名残の痣が残っている。彼の奥さんとは比べるまでもない。ゲゲ郎にとって水木はただの同居人で、相棒で、ただそれだけだ。
「馬鹿なこと考えてないで寝よう」
髪を乾かし、浴衣を着て寝室へ向かうと、居間の襖が半分開いて月明かりが漏れている。
「ゲゲ郎?」
声をかけると、濡れぶちに座ったゲゲ郎が振り返った。一升瓶とおちょこが二つ用意されている。
「見事な月じゃ。寝る前に一杯だけどうかのう」
確かに満月が煌々と輝いている。そういえば今夜は中秋の名月だった。近辺には民家や高いビルがないので、夜空を遮るものがなく、月がよく見えた。どうやら月見酒としゃれこむつもりらしい。
「明日も仕事だから、一杯だけな
二人で乾杯し、酒をあおった。風呂でほてった体に、冷たい酒がしみわたる。
「うまいな」
思わず呟くとゲゲ郎は嬉しそうに笑った。その笑みを見て、つい胸が高鳴った。
日中はまだ暑いが日が沈むと涼しく、虫の音がどこかもの悲しく響いている。
水木はゲゲ郎とともに月を見上げながら、ぽつりとこぼした。
……俺は幸せ者だ」
「なんじゃ突然」
「いや……鬼太郎もいて、お前もいて、こんな幸せなことってないよなって思ってさ」
前世では、赤ん坊の鬼太郎がいて、ゲゲ郎がいて、毎日大変だったが幸せだった。貧乏暮らしで御殿や車、美食にはとんと縁がなかったが、こうして酒を酌み交わすだけでも満たされていた。
その生活がまだ続いていることが嬉しかった。
「そうか」
ゲゲ郎は静かに笑い、酒を注いでくれた。水木もそれに倣って酒を注いでやる。一杯だけのつもりだったのに。転生してからどうも、この体はあまり酒に強くない。昔と同じ感覚であるとつい飲み過ぎてしまう。
「ああ……これ以上望んだら、バチ当たりだよな……
口をついて出た本音に、ゲゲ郎は首を傾げた。
「お主、なにか望みがあるのか?」
「いや」
「隠し事はなしじゃ。夫婦なんじゃから」
夫婦。その言葉が胸に突き刺さる。
……夫婦なら」
水木はゲゲ郎に向き直り、その目を見つめた。あぐらをかいた膝の上にあったゲゲ郎の手をとり、自分の胸に押し当てる。浴衣越しに彼の体温を感じる。ひやりとした大きな手だ。

「俺のこと抱いてくれるか」

ゲゲ郎の目が見開かれた。その瞳には動揺の色が見て取れる。
ーーーしくじった。
水木はさっと青ざめた。言うつもりなどなかったのに、酔った勢いでつい口を滑らせてしまった。
「悪い、忘れてくれ」
水木はゲゲ郎の手を放し、慌てて立ち上がる。
「水木」
「もう寝る。お前もほどほどにな」
逃げるように寝室へ行き、布団に潜り込んだ。心臓がバクバクと鳴り続けている。
「馬鹿か俺は……
さっきのゲゲ郎の顔を思い出して、水木は頭を抱えた。あきれられただろうか。欲求不満を手近な男で解消しようとする淫乱だと軽蔑されたかもしれない。前世で男だったやつがなにを言っているんだと、気持ち悪いなんて思われたらーーーこの家から鬼太郎をつれて出ていくなんて言われたら、どうしたらいいのだろう。
水木は頭から布団を被り、きつく目をつぶって寝ようとした。だが、目を閉じて浮かぶのはさっきのゲゲ郎の顔ばかりだ。

(失敗した)

言うつもりなかったのに、ゲゲ郎があんまり優しい顔をするから、ついぽろりとこぼれてしまったのだ。
でも、ゲゲ郎が向けてくれる優しさは相棒としての水木に向けたものだ。彼にとっての妻はいつまでも彼女一人で、水木はただの友人にすぎない。女として見られることはこの先もずっとないだろう。悶々としているうちに夜は更けていったが、水木はなかなか寝付けなかった。



翌日から、水木は徹底的にゲゲ郎を避けた。どんな顔をすればいいかわからなかったし、拒絶されるのが怖かったからだ。ゲゲ郎は何か言いたげな顔をして水木を見たが、結局何も言ってこなかった。
「父さん、水木さんになにか言ったんでしょう」
見かねた鬼太郎が父親を問いつめる場面を目撃してしまい、水木はますます申し訳なく思った。
「いや、その……
ゲゲ郎は困った顔をして鬼太郎の追及をかわそうとしている。水木が席を外している隙を狙って問い詰めているようだが、このままの状態が続くと鬼太郎にも迷惑をかけてしまう。

ーーーもう潮時なのかもしれない。せっかく手に入れた穏やかな暮らしが、自分のせいで崩れてしまったことに、水木は深い悲しみをおぼえた。