【SS】蝋燭の火には贖いも要らない

四宮椿お誕生日おめでとうSS
さけはしろみさん宅の比奈上京さんに登場していただいております。事後報告で申し訳ありません。🙇


登場人物紹介

四宮椿
バースデーガール。心臓外科医、総合診療医。
『レゾン・デートル』の主人公。
好きなケーキはムースケーキ。

嘴馬遼士郎
椿の師匠。天才心臓外科医。
好きなケーキはロールケーキ。

大河カレン
椿の監視を担う螺旋捜査官、魔術師。
好きなケーキはピスタチオを使ったチョコケーキ。






カチリ、カチリ、プラスチック製の安いアナログ式時計の秒針の音と己の心電図の波形が偶然重なることがある。
その度に私は己が誰によって生かされたか、誰を殺したかを実感していた。

今日は弟が普段拠点にしているカナダから帰ってくる__とあって、父と母には「絶対にうちへ来なさい」と二人分の圧力が私の双肩にかかっている。しかしそうも呑気にはいられないのが実情だった。
宿直室のベッドからのそりと体を起こし、その辺の椅子へ放り投げていた皺くちゃの白衣へ袖を通す。テーブルの上に乱雑に積まれた医学書、インスタントコーヒーの粉が入った瓶、机にそのまま貼り付けられた走り書きの付箋。私はそれらを一瞥して机の左側へ視線を移す。そこには小ぶりのタブレット端末と、東都医科大学附属病院のIDカード、聴診器が投げ出されていた。私は白衣のポケットへそれらを突っ込み足早に宿直室を出る。
院内用のスマートフォンにはつい先程、移植用の心臓が到着したという連絡が入っていた。

「運が味方したみたいだな」 己が師である心臓外科医__嘴馬遼士郎がいつも通りの笑顔で言った。「わかっちゃいるとは思うが、執刀医はお前なんだ。頼むぞ、椿」
「無論」

私は短く返答するに留めた。臓器移植コーディネーターが運んできた心臓は、体外に己が出されている事を知らぬまま、人工的に拍動をさせ続ける装置に繋がれ、健気にも拍動を繰り返している。
すでにドナーの命は尽き、空の肉体が残るのみ。
それを見てふと過ったのは、本来私の肉体にあるべき魂のあり方について。

(いや__止そう)

どうも誕生日が近づくたび無駄に感傷的になり、論理的思考を己の意思で捻じ曲げている嫌いがあった。
事実に即せば単純な事で、一年間のサイクルを誕生日とすれば、ただ歳を重ねるという事に過ぎない。

だがそうだとしても、未だ未練がましく深く根を張る私は、この世界にとって拭い去れぬ夜の一部である__という事は明白な事実だった。

手袋をナースに付けてもらい、フットスイッチを足で押して手術室の内部へ入る。私は麻酔導入されて手術台に寝かされた青年の姿を視界に入れた。規則的な呼吸音、拍動に合わせて波形が弱々しく動き、ピ、ピ、と電子音を鳴らしている。血圧は問題ない。手術室の隅に置かれた移植を待つ心臓もまた、血液循環を強制的に行わせているので新鮮さを保っていた。

「メス」

私が手術台に立つのとほぼ同時に、嘴馬が手術看護師__大河唯へ声をかける。彼が差し出した手へメスの柄がぴたりと収まった。
銀色の刃が胸の中心線を極めて軽やかになぞり、赤い線を一筋作る。じわりと滲むA型の血液を第二助手__比奈上京が拭き取る。
胸骨を割り、心臓を覆う心膜を切開し、そうして心臓へ手を伸ばす。人工心肺装置を装着して体外循環に切り替えれば、この病巣に侵された心臓を体の外へ出してしまえる。

「メッツェン……、ピンセット」

体外循環へ完全に切り替わったのを見計らい、私は唯へ器械を要求した。腫瘍によって血液循環を大いに妨げられた心臓の動脈、静脈を切り取り、そして完全に体から外す。
京が大きな銀色のトレーの上へと心臓を乗せる。血液の生温かさが残るそれは、先ほどまで生きていたはずの肉塊だった。一度体から取り出してしまえば途端に無機物のように変わって見えたのか、京は少し複雑そうに視線を彷徨わせた。

……心臓摘出完了。移植術を始める」





心臓移植が終わったのは午前三時を回った頃だった。お疲れ様でした、とても勉強になりました、と言う京に自販機のホットカフェオレを手渡して早く寝るように言いつける。そう言っても勉強熱心な初弟子は、ノートにしっかり纏めて納得するまで眠らないのだろう。
私はドクタースクラブのズボン__右側に突っ込んだままにしていた私用のスマートフォンの通知バイブに気付き、数十秒間の呼び出しを面倒に思いながら、漸く重い腕をポケットへ突っ込み、電話に出て左耳へ当てがった。

「やァッと出やがったし! 何回電話したと思ってンですか!?」

声の主は螺旋捜査官の大河カレンだった。深夜も深夜であるというのに無駄に元気が良い。
ごうごうと風の音に混じって船の汽笛が電話越しに聞こえる。この時間帯であれば医学特区に船は入らない。三時台に入港及び出港があるのは博多港だけだ。つまりカレンは医学特区の外にいる。
私は逡巡しつつ、面倒にも思いながら口を開いた。

「先日伝えたはずだ。心臓移植のオペが最優先だ、と」
「そりゃあ勿論そうですけどォ。でも夜中になる事ってあります?」
「臓器が到着すれば何時であろうとオペを始めるに決まっているだろう」

以前教えたはずだが、と付け加えてカレンの反応を伺った。しかし彼女はそうでしたっけ? とあっけらかんと言う。

「して、何の用件だ。火急の解剖や病理鑑定はもうこの時間は請け負かねる。明日に回すように螺旋捜査部へ言いつけろ」
「ち、が、い、ます〜! そんな事のために連絡したンじゃねえし。日付、見た?」
「日付?」 何の話だと私は頭を捻る。「確かにオペを始めたのは二十三時を回っていた。とうに日付なら変わっているが」
「ハァー、マジでありえねー。自分の誕生日忘れるか? 普通。本当そういうとこッスよ、椿。誕生日おめでとうございます」
「それを言うためにわざわざこんな時間に電話を?」

私は半ば呆れていた。そんなものいつでも言えるではないか、と思いながら自販機横に置かれた長椅子へ腰を下ろす。

「くだらなくて悪かったですねェ。でも一番に祝いたかったの。ね、今日はもう終わりでしょ。実家早く帰った方がいいンじゃないっすか」
……おい、何故知っている。逃げ切ってやろうと思っていたのに」
「沖田先生と話したも〜ん。絶対椿の事だから何か適当な理由を付けて帰ろうとしないから、って」

電話の声と廊下から聞こえてくる声が重なった。廊下の向こう側からスマホを掲げるカレンが私に手を振っている。空間転移してきたらしい。服装から察するに先程までは神秘秘匿執行官としての職分をこなしていたようだ。私は通話を切ってスマホに入っていた電子決済アプリを開き、自販機でカレンが好んでいる甘ったるい紅茶を買って投げ渡した。

「あざ〜す。ゴチでーす」
「私を迎えにきたのか? 父さんに頼まれて」
「いいえ? これ」 カレンは金色の杖をさっと一振りして虚空から白いコンビニのレジ袋を取り出した。「右、左。どっち」
「右を」
「あーッ! 私の好きなやつ取りやがった!」
「冷蔵庫でも毎度毎度右に好きな食品を詰めがちな自覚がないらしいな」
「えっ嘘、嘘でしょ!? そんなに私って分かりやすいンですかァ!?」 じゃあ私の冷凍カルボナーラ食べたのって、とカレン。
「明白な事実ほど誤解を与えやすい。時には結果についてさえも」
「ちょ、どういう意味ですかそれ! しらばっくれてますね!? カルボナーラ食ったろ!」
「ああもう喧しい、だから食べていない。咲良が温めていたところは見たぞ」
「あの男!!」

ぎゃいぎゃい騒ぎながらカレンは私の後ろをついてきた。ピスタチオとティラミスならば悪くない。居室へ戻ればコーヒーマシンがある。まだネスカフェは切らしていないはずだ。
窓の外で瞬く街灯は白く、一層医学特区の景色がモノクロに見えた。だがほんの少しだけ、今日は光が温かく見える。
電波塔にかかる満月が、揺らめく蝋燭の火のように__朧げに浮かんでいる。


【10/31 Tsubaki Shinomiya Happy Birthday】