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yoqips
2022-05-16 00:00:41
4036文字
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雨よ降らないで
第四次大規模検閲がひと段落して/小鳥遊月美
3月1日より創務省で開始された「検閲強化掃討作戦」は各勢力に対し一定の成果を上げていた。強硬的なやり方に非難の声もあがったが、公的機関である創務省の権限は今なお強く、検閲課においても何人かの職員が「検閲官」として現場へと向かっていた。
月美に割り当てられた仕事はすべてが順調だ。一ヶ月かかるはずの仕事のなんと現状八割は終わっている状態だった。これも実力と言いたいところだが、薄荷珈琲店の無抵抗な逮捕劇をはじめ、運のいいことに別件もすべてスムーズに検挙が進んでいるのが大きい。
運のあるなしは存在する。生まれ持ったものというよりは誰にでも巡ってくる周期みたいなものだ。遅刻寸前の朝に限って信号や嫌な上司に捕まる日があるように、誕生日からなにかと怪我続きの運のない男もいる。
「センパイったら怪我するのが趣味なんですかぁ?」
「あなたに言われる日が来るとは
……
」
「たしかにいつもと逆か」
夕陽が暮れなずむ医務室。山口木蓮は仰々しく包帯を巻かれた手をだらんとソファに投げ出している。彼の担当したアジトは断トツの逮捕者を出した大捕り物になったらしく、創務省と無免連が入り乱れての戦闘の最中に職員を庇って負傷したとのことだった。
そうだろうなと月美は内心で頷く。
木蓮は月美と比べて戦闘負傷率がはるかに低い。薙刀という射程範囲の広い武器特性に加え、長物のわりに細身で小回りがきき、本人も動きに無駄と手抜かりがなかった。彼が深手を負わされるのは、だいたい差し迫った状況で市民や他の者を庇うときだ。
実際──彼の手を貫いた矢は強力なマキナ製で、悪辣なことに酸のようなものが塗り込まれていたらしい。運が悪ければ致命傷になる危険なものだ。
「いやぁ助かってよかったです。命あっての物種ですね」
「山口センパイのそういうところ超~~嫌い」
「心配してくれてたんですか?」
「うるせ~~~~っ! そんなに早く死んだらすごいイケメンと結婚して木蓮くんのことなんてさっさと忘れてやるから」
「あはは」
腹の奥でイライラしながら月美が放った暴言も木蓮はいつもの笑顔で曖昧に受け流した。もちろんそう答えるほかない。そんなことは承知していたが思わず頬を引っ叩いてやりたくなる。それでも彼は怪我人だったので、わずかに血が滲んでいる包帯を見て月美は珍しく我慢することを選んだ。
終業より少し早く、木蓮と月美は同じ家に帰宅した。
見慣れたマンションの扉を開け、スーパーの袋を下げた月美が家主のようにどうぞと木蓮を通してやると、彼は恭しく頭を下げて玄関に入った。月美はこのよくよく整理整頓された恋人の部屋にほとんど転がり込んでいて、数日間泊まれる程度の洋服や私物は置きっぱなしにしている。
だからそうでなくてもここに戻った気はするが、利き手が使えないとなると相当不便だろうと、月美は食材を買い込んでしばらく付き添うつもりだった。別に口に出してわざわざ宣言はしなかったが、彼もきっと分かっているのだろう。
「ご飯食べる元気ある?」
「手以外は元気なので大丈夫ですよ」
「んじゃビビンバでも作るかぁ~」
いつもは木蓮が立っている小奇麗なキッチンに自分が立つのは不思議な気分だった。食事を作るといってもそれほど手の込んだものはできないが、一人暮らしの社会人なりに出来合いのものを使ったりスープを用意したりはできる。
几帳面に小分けに冷凍されたご飯をレンジして、味付けされた小松菜やもやしのナムルや肉そぼろを乗せ、最後は真ん中にぽとんと温泉卵をトッピングする。粉末の中華スープにお湯を注いでスプーンを置けば完成だ。ちょっとは野菜も摂るかという気になったときに作る簡単な献立だが、木蓮は大げさなくらい感動して喜んだ。月美は辛味噌をたっぷり乗せ、彼は風味付け程度につけて美味しそうに頬張っている。
「月美ちゃんは料理が上手ですね!」
「そ~~お? んふふ」
もちろん褒められて悪い気はしないので、月美はにっこり笑ってそう返した。普段と変わりばえしない夜だ。食事を終えた木蓮は片手しか使えないにも関わらず器用に工夫するので、月美は包装シートから薬を出したり水をそそいだり、こまごました彼の頼みごとをこなすくらいしかやることがなかった。
しかしさすがに入浴は難しいだろうか。洗濯をするにはやや遅い時間。食器を洗い終えると横並びにソファに座ってぼんやりテレビを流す。木蓮がふと隠しきれない痛みで微かに顔をしかめるたびに、月美はそれに気付かないふりをしながら彼の腕を指の腹で撫でた。
空気が湿気ている。
雨が降るかもしれない。
木蓮が膝の上に乗せた掌の包帯から、じわりと真っ赤な血が滲んだ。
「あっ」
「あ
……
すみません、替えてもらえますか?」
「座ってて!」
月美は慌てて立ち上がると救急セットと薬を手にソファに戻る。医者曰く、貫通するような刺し傷は縫合するには小さすぎ、さらに酸のようなもので皮膚や神経が溶かされていて処置が難しいという。経過をみるために入院しても良かったが、基本的には自己治癒を待つばかりだと言われ、木蓮は住み慣れた自宅へ戻ることを選んだ。
月美は手際よく包帯とガーゼを外すと、目の当たりにした傷跡にうっと小さく呻いた。ぽっかりと開いた傷の周りはケロイドのように焼き爛れ、真新しい血がまだ溢れてしまっている。思わず視線を逸らしたくなるほど痛々しかったが、傷に異常がないかじっと観察したあと血を拭い、清潔な新しいものに取り換えた。しばらくはこの繰り返しだ。
これが胸や腹だったら。
月美は頭をよぎった考えに背筋がゾッとして、なんでもないようにしながらも、木蓮の右手に巻く包帯がじんわりとぼやけてくるのが分かった。指が震える前に端を処理して、気が抜けた瞬間に涙が睫毛から落ちる。木蓮が驚いたように月美の顔を見た。
「死んだらヤダ
……
」
今更こんなことを言うつもりはなかった。
創務省に勤めて没を相手にしていれば常に付き纏うリスクを、月美はよく知っている。研修でも耳にタコができるほど聞いたことだ。だが命の危険が迫った状況になれば木蓮はまた同じことを繰り返すだろうし、今回は大丈夫でも次はそうとは限らない。
縋りたくなんかなかった。どうにもならないことで泣くような、聞きわけがない鬱陶しい女になりたくなかったのに、木蓮の顔を見ると胸が詰まって堪らなくなった。過ぎ去ったはずの嵐が胸に吹き荒れて、最初の涙がこぼれてしまうと、あとはもうとめどなく滑り落ちていく。必死に息を整えようとする月美を見て、木蓮は感情が複雑に絡み合った、なんとも形容のできない、彼にしては不出来な表情になった。
「
……
すいませんでした」
「
………
、
………
まだ痛い?」
「あなたのおかげでずいぶん癒えましたよ」
まだ笑みの名残を片付けかねているような曖昧な顔で、木蓮はいかにも女を泣き止ませるためだけに作られたような陳腐な台詞を言った。月美はたいしたことはしていないし、痛みが癒えているのは単に食後に飲んだ鎮痛剤が効いているだけだ。だが適当に宥めすかされているとは思わない。木蓮がこういうことを口にするときは、それがどれだけ嘘っぽい響きでも彼の真実なのだ。
呼吸がすこし落ち着く。
時計を見るともう夜の10時を回っていた。月美は目のふちを赤くして秒針を眺め、濡れたまつ毛で瞬きをしながら、真っ白な包帯の巻かれた手を傷に障らないよう優しく撫でる。
「寝れそう?」
「フフ
……
やっぱりまだ心配かもしれませんね。そうだ、明日もご飯を作りに来てくれませんか? もしよければ、ですけど
……
」
「うん、明日もこっちに来る。休みだったらよかったのになー
………
」
木蓮は傷病休暇が下りたが月美はそういうわけにもいかない。むしろ同部署の彼が復帰したとき忙殺されないためにも業務を進めておく必要があった。月美自身にも抱えている仕事がある。無理に傍にいると言ってもきっと困らせるだけだろう。
月美はしばらく木蓮の肩にくっついて首筋に顔を埋めたあと、ぱっと顔を上げて彼を立たせた。痛みがぶり返さないうちに眠ってしまったほうが良い。月美がちょこまかと周りで世話をしながら寝支度を整えるのを木蓮はくすぐったそうに見ている。いつもよりずいぶん早くベッドに入ったころには、窓の外からぽつぽつと小雨がベランダの手すりを叩く音がしていた。
「雨ふってるし」
「道理で冷えるはずですね」
「ん、いや、木蓮くんこっち」
「はいはい」
ついいつもの癖でベッドの右側に入りそうになって、月美はハッとして木蓮の左腕側にもぞもぞと移動した。寝ぼけて怪我した右手を蹴飛ばしそうで怖い。いっそ別々に寝たほうがいいとも思ったが、木蓮が肌恋しそうに身体を寄せたので、月美も巣にこもる動物のように丸まって隣におさまった。
たしかに少し寒い。
彼のお腹の上に置かれた右手が呼吸で上下し、月美の指が労わるように親指をなぞる。小さく呟いたつもりの声は思いのほか切実に響いた。
「半分うつってほしい」
「
……
優しいですね」
木蓮のなかば眠っているような浮いて掠れた声。それに応えることなく、月美はただ黙って冷えた肩に唇を寄せて体温を移そうとする。彼の左手はほんの少し恋人の髪を梳いたあと、ゆっくりとベッドサイドの照明を落とした。
雨の音と深くなる呼吸。
月美はちっとも眠くはなかった。けれど何をするでもなく、暗闇のなかで瞬きをし、木蓮の少し青ざめた横顔を眺めていた。穏やかに閉じられた瞼。耳をそばだてなければ聞こえないような静かな寝息。雨音でかき消されてしまいそうだ。意味なんてないのは分かっている。それでも彼の寝顔が痛みに歪まないよう、ただここでじっと見守っていたかった。
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