yoqips
2021-08-17 04:25:02
1905文字
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古巣に蛇

猛獣主従/古家の日常


 明るい光が頬を撫でている。
 与えられた屋敷の一室で、ほとんど真上から射してくる陽光にくすぐられ、水蜜は大きくあくびをした。豊かに重ねられたシーツの上で蛇の姿となった下肢がのたうち、尻尾の先がベッドサイドに置かれた呼び鈴をチリーンと鳴らす。すると古家のメイドたちがいそいそとすぐに現れ、目を覚ました水蜜のそばに暖かい湯の入った盆をかかげた。

「おはようございます、ミツ様! ちょうどお呼びしようかと思っていたところです」
「ああ、食事の時間か。ふぁ~あ……
「今日のお召し物はどうしましょう」
「銀の刺繍が入った服が来ただろう、漢服風の!あれがいいな、今日は天気もいいことだし」
「間違いなくお似合いですわ!」

 湯で顔を洗ってタオルで拭ったあと、水蜜はすぐさまはっきりを意識を覚醒させてメイドと服についてあれこれと楽しげに話した。食事といってももう朝ではなく昼食の時間だ。トトやニックあたりはいつも早朝に起きているし、ジークも流石に活動しはじめているだろう。水蜜に至っては主人であるシェリー・クーに言いつけられた用事のない日はこうして昼まで惰眠を貪ることも珍しくなかった。
 白地に銀色の糸でびっしりと見事な刺繍の入った服を着ると、その上からたっぷりとした薄い生地の広袖の上着を羽織る。通常の漢服よりはずいぶん長く裾をとっているのは、水蜜の半獣姿に合わせてのことだ。窓から入る明るい太陽が白銀の髪や刺繍をそれは煌びやかに仕立て、水蜜とメイドは満足げに広間への廊下を歩く。

 水蜜は古家の屋敷を気に入っていた。
 つるりと磨かれた床はいつも従者たちの手でチリひとつないよう整えられ、半身が蛇の姿で移動しても鱗が汚れることはない。闇オークション会場の「見世宝石」として売り出されて欲望と賞賛の目に晒されるのも悪くはなかったが、ああいう後ろ暗い施設というのは大抵ほこりっぽいものだ。
 戦場で味わう不道徳と血生臭さは嫌いではなかった。ステカーとして生まれた者の本能であろう。だが飽き飽きするほどの不衛生さはいただけない。目が痛くなるほどの土埃や硝煙に体も洗えない行軍。頭の悪い上官に当たると拠点地での略奪のみならず火を放つことすらある。人の住む街が燃える臭いの悪さは、まさしく他に比べようもない。
 それでも水蜜は軍人だった。敵は喜んで何百と殺し、女子供の残ったキャンプの井戸に素知らぬ顔で毒を入れたこともある。だからこそ戦争が終わった途端に自由と人権というものが与えられたときも、浮かれて研究所から出たりはしなかった。酸鼻をきわめるほど残酷に殺すのも、夢物語のような慈悲を与えるのも、水蜜のよく知る人間の特性だ。都合よく生み出したものがまずくなれば都合よく切り捨てるに違いない。

 水蜜は「ステカー」だ。
 命令を聴くのはいい。
 聴くに値する相手なら。

 この冷徹な蛇にとってマスターという存在は、人間ほどの愚かさに浸からず、獣ほど理性を失くさぬようにするための手段だった。それが自分に汚れ仕事ばかりさせて鞭打つような無能でないのなら、尚更飼われているほうが都合がよい。
 獅子のようにそれほど人を愛せる気はしないし、犬のように恭しくふるまう気もなければ、狼のように忠実でもないが。

「おはよう諸君、実にいい朝だ!」
「おはよう水蜜」
「朝って時間かよ」
「シェリー様がお待ちだ」

 バンと大仰に扉を両手で開け放つと、大きなテーブルを囲んだ男たちが真っ先に反応する。トトは落ち着いた様子で油断なく目を走らせ、ジークは粗暴にテーブルに肘をつき、ニックは興味なさげに一瞬だけ視線を寄越した。中央には黒髪の小さな少女が人形のようにちょこんと座って水蜜を見上げ、何度か可憐に瞬きをする。いつも凪いだ泉のように黒く潤んだ瞳に、蛇の遊色がかった銀がちらちらとまぶされていた。

「もう起きてこないと思ったわ」
「まさか、わたしがそんなに薄情に見えるかね?まあそれはさておき、この素晴らしい衣装をマスターに見せたくてな。どうだ、美しかろう?」
「眩しくてチカチカする……
「そうか、気に入ったか!」

 大蛇は満足げに輝きを振りまき、鼻歌でも歌いそうな様子で席へするすると腰を下ろした。清潔に整えられたテーブルと白い皿。美しく飾り付けられた美食たち。きらびやかな衣装に真珠の首輪。戦争からは遠く決して暴力と無縁ではない屋敷。
 水蜜は古家を気に入っている。彼の主人が宝物を愛でることを怠らず、床にチリひとつないよう磨かれて、ベッドで見る夢が退屈にならないうちは、きっとここにいるだろう。