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yoqips
2020-09-09 23:31:26
3959文字
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萩の上露
浮舟萩の覚書----三年前の出来事について
波の立たない水面のような人生だ、昔から。
白いベッドに眠る入院着の少女は、首に大きなギプスが嵌まり、青藤色の髪がこぼれる頭部の包帯が痛々しい。だが目を背けたくなったのははじめの一日だけで、人は眠ったままでも傷が治ってゆくのだなと、減っていくガーゼの厚みに感心するほどに慣れてしまう。
ここ一週間──いや正確にはここ数年、ずっと慌ただしかったものだから、物言わぬ姪の見舞いが心休まる時間になってしまった。涼しいそよ風が白いカーテンを揺らし、点滴からぽたぽたと雫が落ちていく。誰も萩の名前を呼ばず哀悼の言葉もない。薄情だとは思うが、それが気楽だった。
----------
学園都市五社は、実質的にこの国の中心といってもよい場所である。神殺しを生業とする学びの都を卒業とともに去り、あの戦いを欠片も知らぬ様子の人々を見て、萩はやっとあの場所の特異性に気がついた。
五社の玉兎地区で生まれ、学園で戦って、酷いときには学友を失って。それでも萩は他の生徒たちに比べてずいぶん怠けていると思っていた。だがそれも違ったらしい。
外の者は戦うことをしない。
いや、戦いがあることすら知らない。
五社という異界を遠巻きにして見た日から、萩の心は血なまぐさい戦いから離れきっていた。波はあってもそれはさざ波であって、生きるか死ぬかの瀬戸際ではない。あの日々は夢だったのかと思うほど、「外」は平和そのものだった。
萩が五社に戻るようになったのは、それからわずか三年のことだ。高齢の両親が体調を崩し、二人でひょいと出かけるように死んでしまったのである。
「萩くんこんなに帰ってきて大丈夫なの」
「有給も使ってなかったから平気だよ」
「まったく、二人仲良く旅立つことないのにねぇ。お盆に一緒に帰って来れるんだからさ」
「まあ、まあ」
家族のある姉に任せきりというのも申し訳なく思い、休みを利用して葬儀の手続きやら実家の片付けやらを手伝った。義兄と姪も帰省した萩を歓迎してくれた。
玉兎の浮舟家というのは、年代だけはそれなりに重ねた古い家だ。当主とその妻の葬式ともなると、知らせる相手も膨大になった。そのわりに近い親戚や人手は少ない。喪主の姉のほうが忙しかったとは思うが、顔も知らない相手に何度も神妙に頭を下げていると疲労で涙も引っ込んでくる。
「この度はご愁傷様でした」
「突然のご不幸で
……
」
「何か手伝えることがあれば
……
」
じゃあ代わってくださいとも言えない。
萩は成人した長男として立派に務めを果たしたといえた。浮舟家の人間は全員疲れはてて、お互いの健闘を称えあい、一週間の忌引きもすぐにあけて元の日常へと戻っていった。
それも長くは続かない。
ほっと一息ついたのもつかの間。両親が居なくなったのだと気持ちの整理がついてそれほども経たないうち──姉家族が大きな交通事故にあったと連絡があったときは、さすがに萩も眩暈を起こして倒れそうになった。
「
……
すぐに向かいます。ええ、12時頃になるかと。近くまで行ったらまた連絡します」
それは木曜日の夕方のことだった。秋にさしかかり風も涼しくなってきた自室で病院からの電話を切り、そのまま上長に連絡したときの反応は何ともいえなかった。さもありなんと萩はソファで両手足を放り出してぼんやりと宙をながて、息を殺す。それからおもむろに立ち上がって、のろのろと準備をしはじめた。船の予約をしなければいけない。
着くのは真夜中になりそうだった。
いっそ便が無ければ、とも思った。
玉兎にある大きな大学病院に到着したのは、やはり空も真っ黒になる真夜中であった。ある程度明かりの落とされた病院のインターホンを鳴らすと、看護師の女性が病室へと案内してくれる。薄暗い病院の廊下は不気味だったが、今さら怯える気にはならない。
「──手術は無事完了しています。車内で頭部を強く打って裂傷があります。今のところ脳に損傷は見られていません。首・背中にも打撲がみられます」
「そうですか」
「ともかく命に別状はありません。身体にも深刻な後遺症は残らない見通しです。リハビリは必要だと思いますが」
「それは良かったです」
不幸中の幸いというやつだろう。深夜にも関わらず丁寧に説明をしてくれる男性の医師に頭を下げ、萩は改めて病室を見た。四つ並んだ白いベッドのなかで、使われているのは一つだけだ。
カーテンが開けられた瞬間、ベッドで眠っているのが姉に見えて萩は一瞬動揺した。今まであまり似ているとは思わなかったが、包帯で覆われて眠る小町の姿はそれほどに面影があった。しかし違う。萩は電話で既に聞いている。
二人は即死だった。
彼らは既に霊安室に運ばれている。
「浮舟さん、葬儀社にお心当たりがなければ、病院から紹介もできますが
……
大丈夫ですか?」
「ええ
………
ええ、はい。大丈夫です。お世話になったところがあるので。遅くまでありがとうございます」
「本日はどうされますか」
「一度家に戻ります」
「それがいいですね。では、また明日に」
「はい」
淡々と進む会話がありがたかった。病院に泊まり込んでも萩にできるのは祈ることだけだ。葬儀社には移動中に連絡を入れているし、夜中にこれ以上やることはないだろう。それならばただ家に帰って横になりたいという一心で、萩は病院から暗闇の道を歩いた。
誰もいないがらんどうの家。
門構えだけは立派な日本家屋も、今日はとっぷりと沈んでいる。朝まで誰かが生活をしていた気配の残る家の鍵を開け、一番近い部屋に布団を敷いて眠った。生まれた家だというのに住む者の変わった家からはどこかよそよそしい匂いがした。
----------
それから。
葬儀を終えてからもやることはてんこ盛りだった。とにかく動ける人間が萩しかいなかった。一日で手が痛くなるほど住所と名前を書いたし、声が枯れるほど電話をして、夜はばったりと倒れるように眠った。
病室へ行けたのはずいぶん経ってからだ。
電話で医師に説明は聞いていたが、すっきりした包帯の量に少し安心する。彼女のまだ意識が戻っていないことが、忙しさに追われている萩にとっては救いだった。話を終えた担当医が音を立てないようそっとドアを閉めていなくなり、萩はようやく、深く息を吐いた。
「なにも二人仲良く旅立たなくても
……
」
不謹慎すぎる呟きもまろび出る。
こんなことなら五社での親戚付き合いを真面目にしておくんだったなと、萩はくたびれて俯きながら後悔した。面倒を嫌って両親や姉任せにしていたツケだ。これほど早くお鉢が回ってくるとは夢にも思っていなかったが、人生は何が起こるか分からない。
なんだか泣くひまもなかった。
出棺のときには胸にこみあげてくるものがあったが、頭のなかで「今泣いている場合ではない」とどこか冷静な己が語りかけてきた。それは五社での戦いのなか──非常の際にも感情と現実を切り離す術を学んだ弊害なのかもしれない。いや、その冷徹の素養はきっと昔からあったのだと思う。ことここにきてそれを強く実感する。
波の立たない水面のような。
それは人生ではなく心の問題だ。
両親が死んだときも悲しみはあった。だがそれは身も世もなく泣き崩れて、食事も喉が通らないようなものではない。誰よりも尊敬していた姉とその夫の死ですら、眠りを妨げるほどの情動ではなかった。萩が考えていたのは、ただ二度目になる葬式の効率的やり方だ。
親不孝者で薄情者。
泣こうと思えば泣けただろうが、それもどこか白々しい。涙の一つでも見せたほうがいいと思ったのなら拭ってみせただろうが。しかし果たさねばならない責任が先立ち、それも立ち消える。煙のようなものだ。
「
…………
」
萩は鞄のなかに詰め込まれた書類のなかの、一通の封書を持ち上げた。奇しくも2人の通夜のさなかに届いたそれは、白地に青の封筒。赤白の水引に包まれた五社学園からの願書は、宛名を「浮舟小町」と記されている。
それが吉であるのか凶であるのか。
いくら萩が情に薄い人間であっても、両親を失った姪を放り出す気はない。するとやはりこの五社に少なくとも三年は腰を据えることになるだろう。ここには思い出が多すぎる。萩は三年間戦いのなかにいながら、特定の誰かと契約を交わすことはなかった。それについて教師や友人からも尋ねられたこともある。
何故か。何ゆえかと。
「縁がありませんでした」
嘘ではない。
「契約は私には荷が重いので」
嘘ではない。
「相手の死の責任を負うなんて恐ろしい」
これも嘘ではない。
だが萩が心の底で本当に恐れていることは別にある。生死を隣り合わせた輝く絆。五社から逃れても一生切れない縁。その唯一無二の存在がもし失われたとき、もしも──自分になんの衝撃も与えなかったとしたら。
それは恐ろしいことではないかと。
若い頃にはぼんやりと感じていたことが、今更になってはっきりと胸に去来する。まだ得ぬものへの幻想だとも思う。頭を抱えるほどの悩みではない。ただ寂しいのだ。
萩は座った膝に両腕を置き、体の前でぐっと手を組んで祈った。ぽたぽたと点滴が落ち、カーテンが揺れる。秋は悲しみの季節だとはよく言ったものだ。がらんどうに隙間風が拭く。姪はまだ眠っている。
「小町、あなたが起きて、私を罵ってくれたらどんなにいいでしょうね」
だがそれも叶わないであろうと、萩は分かっていた。だから本当に心の底から、ただ彼女の無事を祈ることにした。
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