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yoqips
2019-07-05 04:18:19
2352文字
Public
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1.OPEN
エンマサマサマー/大黒ヒルコ
統治者は言った。
嘘を吐いてはいけない。
他を傷つけてはいけない。
人を害してはならない。
……
その他禁止事項。
そう、人間が住む場所だから決まりは必要だ。たとえ候補者がたった一人になり、投票というものの意味がなくなったとしても、住むものには関係ない。ここは穏やかで平等で優しい街だ。街中に咲く赤い花。常に晴天で、雨も降らず、風も吹かない。
望ましい安心なら長く続いてほしいと思う。変わることは億劫で恐ろしい。傷から自由になるときだ。幸福を望むこと、それ自体が罪になることなどないのだから。
午後18時45分。
商店街、奥まった場所。
床は赤茶色のウッドデッキ風タイル。コンクリートをくぼませて作った壁に、ネオンでカクテルバーの看板が光る。ワイン瓶を積み上げ続けている棚。ひときわ目立つ大きいガラスのついた真っ赤な扉。年代物のアイリッシュパブのように装飾するのも良かったが、どうせ管理ができないので造りはシンプルにした。
「シカゴ」と名付けたバー。
円玖にも酒場はいくつかある。カクテルバーならもっと上等な店も、美味しい食事のでる場所も。ここに来るのは静かな店内で強い酒を飲むのが好きな、賭博好きの人間ばかりだ。ろくでなししか出てこない映画のタイトルにはふさわしい。
(テネシー、テネシー、テネシー
……
)
開いたジャックダニエルの瓶を取り出して氷をひとつ、琥珀色の液体をロックグラスになみなみ注ぐ。一口飲めば凍った心も溶けるような優しい甘さと香ばしさが体に染みわたる。いつもチョコレートが欲しくなる味だ。
閉店直後はヒルコ自身も酔っていることが多いので、簡単な片付けと在庫のチェックだけ済ませて帰宅する。グラスを揃えてのんびり氷を砕いていると、鍵を開けたドアがキィ、と音を立てた。
「まだ準備中」
「長くはかからんさ」
堂々とした明るい声に顔をあげると、沈みかけた夕日の炎を背負った大きな影が見える。生まれてこの方一度も切ったことがないようなうねる黒髪に、裾を引きずった長い羽織。
シルエットだけで誰だか分かる。
この街で唯一無二の支配者。
あらわれた男───エンマは相変わらず豪快に口を開けて笑みを浮かべ、ゆったりと歩みながら、金の腕輪が光る腕をカウンターにつける。
「さて、子供にお酒を飲ませたって?」
「誰のことかな」
「この酒場に来る住民はたくさんいるようだ。閻魔庁でも名前を聴くよ」
「その中に獄卒衆がいた?」
「まさか」
そうだろうな、とヒルコは内心で頷いた。治安を維持する彼らの多くは赤ん坊のような喃語しか話せず、商店街にまで来て店を利用しているのは見たことがない。あの陽気なシャロンですらそうなのだ。両手両足を拘束されている姿では何をするのにも手間がかかるだろう。
彼らの働きによってこの街には暴力がない。犯罪もない。だから彼らが出動したことは"一度もない"。
だが、こうして直接お叱りを受けることもある。エンマは言葉どおり長居するつもりはないのか、カウンターの高椅子に腰かけることなく仁王立ちをしている。怒ってみせているつもりなのだろうか。ヒルコはロックグラスを手に取り、落ち着きはらって煙草のけむりをくゆらせている。
「あたしバーに来る奴に歳なんて尋ねない。ここが何をするための店か見ればわかるからな」
「しかし、俺にこんなふうにいちいち文句を言われたくないだろう」
「ま
……
どうぞ一献」
磨いたロックグラスをエンマの前に置き、開けっ放しの洋酒をたっぷり注ぐ。エンマは困ったような顔をしたが、やがてグラスを傾けてアルコール度数40度のテネシーウイスキーを、喉を上下させて一気に飲み干した。
良い飲みっぷりを見たヒルコは息を吐くエンマにぱちぱちと拍手をして、自分で食べようと開けたチョコレートを彼のグラスと交換する。エンマの菖蒲の花のような鮮やかな瞳が子供っぽく輝き、それから軽く咳払いをした。この統治者の好きな食べものはそれなりに有名だ。
「
……
ヒルコはこの街が気に入ってる、ほんとに」
「それは嬉しいな」
「だから反省しとく。お叱りじゃなくてもまた来て、エンマさま」
「ああ、そうしよう!」
エンマは躾に悩む父親のような表情を、素直な生徒を褒める教師のようなものに変えてにっこりと笑った。太陽というよりはやはり炎が似合う男だとヒルコは思う。大柄な体に青く光るような黒髪が、ひとつ動くたびに踊る。この街の人間なら誰しも彼に褒めてほしいと思ったことがあるだろう。
我々のたった一人の統治者。
他人を自分の都合のいいよう支配したがる人間はいる。掃いて捨てるほどいる。だが街や国を統治したいという者はとても少ない。どんな人間は少なからず誰かに支配され、安心することを望んでいる。そして人は安心を得るためなら、時に方法は問わないからだ。
エンマが去ったあと、バーの店主はグラス磨きを再開する。散らかっているのは構わないが水回りや口をつけるグラスが不潔なのは望ましくない。ドアのガラス越しには既に空の朱色が青く染まりつつあった。
この街の空はいつも高く、花は艶やかに赤く、風はなく雨もない。穏やかな不変を誰が拒めるのか。なにかを得るにはなにかを失わなくてはならないとしても。それでもここは皆が求めた場所ではなかったか。弱いもの、足りないもの、持たないもの、誰しもが幸福を手にする。ヒルコもまたそうした幸福を賄うために、毎日飽きずに酒を作っている。
午後19時。
真っ赤な扉を開け放つ。
ようこそ、バー「シカゴ」へ。ルールを守るなら、どうぞ好きなだけ飲んで。
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