yoqips
2019-05-04 02:34:30
4792文字
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友に叡知を

覚書:オーギュスト・ブラントの半生について/18歳~27歳



 18歳。雪に花咲く春。
 スクールを卒業したのち、学業での優秀さから将来を期待されたオーギュストは、定職にも就かず気ままにふらふらと過ごしていた。友人から友人へと交友を広げ、社交の場には必ず顔を出して美女と踊る。猟師たちとともに狩りに出かけたかと思えば、出版社の友人に頼まれて執筆業をしていた時期もある。
 絵に描いたような放蕩息子になったオーギュストに母マルグリットはカンカンだったが、そんな時期があってもいいじゃないかとオクタヴィアンが諫める間は友人の家に転がり込んでうまく雷を避けた。そして仕事らしい仕事を終えたあとは花束とともにそれを携え、母の機嫌を取るのを繰り返していた。
 二十歳すぎにもなればツンと取り澄ましていた表情も、威風堂々とした強気な笑みになる。少女のようだった目鼻立ちも凛々しさがまし、彼はすらりとした若獅子と成長していた。このいかにも婦人に好まれる美男子は友人と遊び回ることに忙しく、特定の相手と身を固める気はないようだった。

「ダン、お祖父様たちは鹿狩りに行くそうだぞ。狐でも狩りにいくか?」
「いいのか? 行きたい、狐はじめてなんだ!」
「ああ、一緒に行こう」

 酒と娯楽には事欠かない日々だ。学生時代からの付き合いであるアスガイル・クリムトとつるんでいないときは、とりわけアンダーノフ一家の三男ダニールと遊ぶのがオーギュストのお気に入りだった。父親が懇意にしているダニールの祖父は腕の良い猟師であったが、流石にまだ小さい末孫を連れていくわけにもいかず、世話役を任されたのが暇なオーギュストだったのだ。
 ダニールは父親仕込みの狩りをひとつ見せるたびに喜び、付き合いのよいオーギュストに懐いた。職人気質の祖父を陥落させた小生意気であどけない三男坊の前では、一人っ子で子供に慣れないオーギュストなどひとたまりもなかった。ダニールの自然のなかでのびのびと育った率直さと、そのへんの猟師よりも手慣れた銃やナイフの扱いのギャップも面白くなってくる。
 保護者を伴っていれば鴨や兎などの小さな動物を獲物にするのは構わないということだったので、子供が迷子になって慌てたりしながら、のんびり山や森で過ごすことも多かった。

「なあ、オーギュ、次はいつくるんだ」
「次はすこし先かな。暫く忙しくなるから」
「えーっ」

 いつも遊んでくれていた兄貴分の言葉を聞き、とたんに行くな行くなと足元にまとわりついてくるダニールを笑いつつ、オーギュストは明日からの忙しさを想像した。投資家の目途はついているし、設備を揃える手筈も整っている。弟子入りするのも部下になるのも想像がつかない。自分は年上に嫌われる性質だから、きっと上手くはいかないだろう。
 もとより実家にいつまでもぶら下がっているつもりはない。オーギュストは寂しがるダニールにしゃがんで視線を合わせながら、自信たっぷりに笑みを浮かべた。

「まあそう言うなよ、3年以内にはダンも嫌ってたウールのタイツより、もっといいものを私が作ってやるからさ」

 かくしてその宣言通り。
 オーギュスト・ブラントは既に独占状態にあった市場に割って入るように、独自の伝手で綿製品会社を設立。最新鋭の工場設備をそろえ、十数人のわずかな従業員からなる環境で多大な利益をあげ、若干23歳にして繊維工業界の仲間入りを果たす。
 下積みを経験しない豪胆な若造。彼は本人の危惧するとおり大手商会たちにとって紛れもなく邪魔者だった。だが子供や女性人気の高い商品を揃え、勢いも資産家たちの覚えも良いオーギュストは、次第に誰も無視できない存在になっていったのだった。





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 23歳。骨も凍るような冬。
 会社を経営するようになってから、オーギュストを取り巻く環境は大きく変化した。同時に良きにしろ悪しきにしろ自分自身も変わったと言われることが、オーギュストにとっては意外だった。確かに真面目な少年が暫しのあいだ遊び回って、人生に目覚めて起業に乗り切ったようにみえるかもしれない。
 だが学業も社交も遊びもオーギュストにとってはそれほど違わない。新しいものを学んで知るための準備期間というだけだ。アルゲオは防寒具に関する企業は多いが肌着などの綿製品企業はそれほどない。子供向けの標品は常に需要があるし、農家に伝手もある。そしてオーギュスト自身が、子供の頃ウールのタイツが嫌いで仕方がなかったからだ。
 趣味としての狩猟も好きだったが、人生をかけるなら多くの価値を求め与えられたかった。己の時間は激減してもただ夢中だった。


 それからもう一つ。
 アルゲオという閉鎖した社会において、オーギュストは自分がとても恵まれているということをスクールの頃以上に痛感していた。この国にはアルビオン正教の影響か階級制度や男女による職業差も単純な向き不向き以外はあまりない。そうなれば何で差がついてゆくかといえば個の能力であり、社会で求められる能力のほとんどは教育によって培われるものだ。したがって各家庭の経済格差が教育のレベルに影響し、それがさらに生涯年収に反映されることは想像に難くない。
 結局のところ、富裕層は代々裕福で、そうでない家の子供は早いうちに学習を終えて稼ぎに出なくてはならない。両親がともに働いている家庭でもそうなのだから、親のない子供たちの生活はいかばかりであろうか。いくら女神アルビオンの元に人は平等であるといっても、自分の蓄えを削ってまで人にパンを分け与える者は稀である。
 少なくともオーギュストから見えるアルゲオとは、平和でありながらゆっくりと衰退への道を歩んでいるようにも思えた。

 つまり、仕組みが必要だ。
 餓えた者にパンを分け与えるのもいいが、富の分配など行えばおそらく皆働かなくなる。だからきっと彼らが自らの日々の糧を獲得できる環境がより重要だ。教育と教養だけが貧困から己を救ってくれる。そのきっかけを作ることがオーギュストの役割の一つなのだろう。使命などというつもりはない。ただ成功を収めるにつれて、彼はなんとなくそれを肌で感じるようになった。

「アタシ、なんでもするから! 雇って! ここじゃないどこかへ連れてって……!」
「狼のせいで羊が傷つくばかりで。けれど、猟師のかたにお願いするお金はないんです。せっかく来ていただいたのに、ごめんなさい」
「俺、力仕事とかは得意です! すこしでいいんです、お仕事もらえませんか?」

 孤児院から飛び出してきたキールという少女に泣きながらそう乞われれば、彼女に必要なだけの教育を施した。獣の被害に悩んでいるというイエスマン家の子息ジェドには握手を求め、友人の手助けという形で駆除を請け負った。幼い兄弟達のために働き口を探しているというロランには、将来の労働の約束手形と少しの食料を与えた。
 それらはオーギュストの生業の傍らにある、まったく損にならない範囲での慈善に過ぎなかった。だが世間の子供たちは想像よりもずっと困窮している。すべてを救うのは神の仕事なのだから、手が届く範囲にだけ集中すればよい。オーギュストは自身の傲慢さに気付いてはいたが、誰かの問題を解決することに単純な小気味よさも感じていた。アルビオンが罰しないのであれば、きっとそれが答えなのだろう。




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 27歳。肌寒い春のことだ。
 オーギュストは一通の手紙を受け、とても久しぶりに実家へと戻っていた。丘へと行く馬車の同行者は荷物だけで、青年は焦りを隠しきれずに何度も窓枠を指先で叩いていた。
 だんだんと見慣れた屋敷が近づくと、オーギュストは居てもたってもいられずに馬車を降りて走り出す。驚いた様子の使用人たちの横を突っ切ってマルグリットの寝室へと大股で急いだ。
 そしてドアの前でわずかに乱れた息を整え、ギィ、と重い扉を開いた先は、四つの飴色の柱がついたベッドに横たわる母と項垂れる父の姿があった。

「ジュリアス……?」
「っ母上、今戻りました」
「ああ、ごめんなさい。オーギュ、貴方なのね」

 母が呟いたのは叔父の名前だった。
 所在ない少女のようなか細い声。彼に譲られたマントを着けているから、確かに一瞬そう見えたのかもしれない。だがオーギュストはいつも毅然としていた母が、既に居ないはずの彼と自分を間違えたことに酷くショックを受けた。シーツに垂らされた黄金の髪は綺麗にまとめられている。しかし頬の肉が削がれたように細まり、肌の色艶が失われ、エメラルドのような瞳だけがなおキラキラと光を透かしていた。
 沈痛な面持ちの父に促され、オーギュストは静かにベッドサイドの椅子に腰かける。古いがよく手入れされた白い壁と床板。塞がれている暖炉の奥には、彼女の両親の肖像画が飾られているのも変わりない。確かに仕事が忙しかったせいで家に顔を見せる回数が減っていた。それでも数か月前に会った母はいつもどおり送り出してくれたはずだったのに。
  

「原因が分からないんだよ、何度医者に診せてもね」
………感染症ではないのですか。私にも医師の友人がおります。今は研究が進んでいて新しい薬もあると言っていましたし、それに……!」
「オーギュ、いいのよ」

 もういいの。
 言い募ろうとする息子を穏やかな声が遮った。そこには深い疲労と諦めが滲んでいて、オーギュストは唇を噛み締める。彼女を世界で最も愛している父が、思いつく限りの治療を試みなかったはずがない。病状が回復しない今も入院せずに自室にいることが、他ならぬ母の望みなのだろう。
 どうして、と何度も口をついて出そうになった。何故もっと早く知らせてくれなかったのか。医療が発展しつづけている今の時代に、なぜ母が不治の病を患うのか。この家で誰よりも敬虔に祈り続けた彼女がなぜ。浮かぶ言葉のすべてが、深い思慮をもって悩み抜いたであろう両親を責めるようで声にならなかった。

「オーギュ、貴方は本当に立派になったわ。新しくなっていく時代では、きっとオーギュのような人が必要になると思う。だから善いと思うことは、なにもかも挑戦するのよ」
「はい」
「けれど、ひとつかみの麦のために戦わないで。すべてを誰かのために、明日のために生きなさい」
…………はい」

 それは明らかに遺言だった。父は震える指先を必死で押さえながら、彼女の一挙一動をひとつも見逃さないように、じっとその横顔を見つめている。やがて言葉が終わると、部屋には再び沈黙が走り、父の吐くような痛ましい嗚咽が混じった。
 オーギュストも大声で泣いて、子供のころのように母に縋りつきたかった。思い出に馴染んだこの部屋では、瞬きをするたびに面影がよみがえる。しかし最愛の妻を失った夫の悲しみがより大きく渦巻いているのを見て、うまく一緒に泣くことができなかった。



 母の葬儀は粛々と執り行われた。
 魂が抜けたように意気消沈してしまった父親の代わりに喪主を務めたオーギュストは、彼を心配してしばらく家に戻ると言った。父は息子にすべて任せてしまったことを謝ったあと、これ以上お前の仕事を邪魔したくはないと断った。いつになく強い態度の父にどこか違和感を覚えながらも、オーギュストはその言葉に甘えることにした。
 もともと休みなく働いていたこともあって、家から戻った数十日は戦争のように忙しかった。従業員たちはオーギュストに気を遣ってくれていたが、母を喪った事実に身を沈めているよりは、仕事に追われているほうがましだった。

 そして少し業務が落ち着いた数週間後───オーギュストのもとに父の急逝の知らせが届いたのだった。