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yoqips
2019-05-04 02:33:03
5914文字
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子に常春を
覚書:オーギュスト・ブラントの半生について/生誕~13歳
窓から見える、神の手遊びのように切り出された白い小山。黒褐色の土にはいつも分厚い雪がかぶさり、そこには耳が痛いほどの沈黙がある。けれど地平線から太陽が昇る瞬間、世界が明るい金色と青に染まる。
焼け付くような丘陵。
温かい部屋から見えるアルゲオの雪。輝く夜明けの光。なにもかもが自分のものだった頃。光景はすばらしく残り、過ぎ去った日はいつもむごい。でなければ誰もこの夢を終わらせることができないからだ。
----------
ブラント家は教皇庁から少し離れた丘のそばに私邸を構える一族で、他の富裕層と同じく所有する土地からの収入が主である。豪華絢爛とまではゆかずともアルゲオにおいて標準以上の資産を持ち、地主として周囲にそれなりの影響力を持っていた。
妻マルグリットは子供を身籠ったと同時に、会計士でありながら武芸ばかりに秀でた夫オクタヴィアンから帳簿をもぎ取り、先代の当主が亡くなってから傾きかけていたブラント家の財政状態を瞬く間に回復させた。夫は妻のすばらしい才能と美貌に心酔しており、助言に耳を傾けてよく家を守った。彼は自身を武と狩猟の達人であり、戦乱の時代であれば英雄になっていたと自負していたので、それを醜聞とは特に考えていなかった。
オーギュスト・ブラントは、そんなブラント家に待望の長男として生まれた。
裕福な暮らしながらも親類が既にこの世にいない夫婦にとって、その子供はまさに宝物だった。母は息子にふさわしい教養を与えようとあらゆる分野の勉強をさせ、愛情深くも鬼のように厳しく教え込んだ。もちろん彼らもアルビオン正教の信徒であったので、それらを常識として教え祈らせた。父はそんな妻によく似た息子が可愛くて仕方ないのかこっそりと助け舟を出してはいたが、こと武芸と狩猟に関してはまったく手を抜かなかった。
オーギュストは母に似て真面目でもあったし、父に似て要領もよかった。時には勉強から抜け出して家庭教師に捕まえられることもあったが、両親の愛や慈しみをたっぷりと肌で感じていたので、苦痛ではなかった。だがこのやんちゃで抜け目ない子供が一番懐いていたのは、叔父のジュリアス・ブラントであった。
オーギュストの叔父ジュリアスは、まだ年若い母の弟だ。姉マルグリットとオーギュストにも似た、野性味のあるハンサムな青年である。古美術商を営んでいて普段は国内を渡り歩いているが、たまに仕事と近況報告を兼ねて姉夫婦の家であるブラント邸に泊まりにくるのだった。
オーギュストは彼のどこか冒険者のような雰囲気が好きだった。来ると聞けばいつも今か今かと待ち構えて、会うたびに旅先の話をせがんだ。知らないものを追い求める叔父は、姫を助ける勇者や財宝を探す海賊のように、甥にとっての英雄だった。
だからその彼が───両親の反対を押し切って国外に出ると決めて、二度と戻れない道を往くといったとき、少年だったオーギュストはどうしてもかの叔父に会わねばならないと憤慨した。
「ぼくも行きたい、連れてって!」
「おや、見つかったか」
9歳。暖かな日和の朝だった。
叔父は普段の立派な毛皮のついたマントをとは違う簡単な装束で、すこし決まりが悪そうに振り返った。彼は姉夫婦に別れの挨拶をして、きっと懐いていた甥には黙って行こうとしていたのだろう。それをなんとなく分かっていたオーギュストは、屋敷の裏口から出ていこうとした叔父を必死に追いかけた。
もちろん「自分も連れて行け」というために。
誤解のないようにいえば、オーギュストは厳しく優しい両親を愛している。今の生活に不満もないといえば嘘になるが、出ていきたいわけではない。家に大事なものもたくさんある。それでも憧れである夢の冒険に、どうしてもついて行きたかった。子供なりに旅支度を整えてきたオーギュストの前に、叔父はいつもの調子でかがんだ。
「行きたいのか?」
「うん、ぜったい行く」
「でも私は連れていけないぞ。姉さんは許さないだろうしな。お前が大人になってまだ行きたかったら、今度は自分で行くんだ」
「そのとき行くなら一緒じゃないの?」
「いいや、オーギュ。よく考えるといい。なにがお前にとっての幸福なのかを」
ジュリアスは何よりも自由を愛する男だった。だから受け継いだ商家も売り払い、祈っていた神を捨て、唯一の肉親である姉をも振り切って国外に行くことも厭わない。もちろんいくら懐いているとはいえ、姉の命ともいえるブラント家の跡取りを旅の供にするほどの命知らずでもない。ジュリアスはこの気位の高い甥が苛烈な王子になるか偉大な獅子となるかをほんの少し見届けたくもあったが、若い彼にもまた求めるべき道があった。
オーギュストは納得がいかないという表情で唇を曲げていたが、それでも彼をこれ以上引き止めることができないと悟って肩を落とす。叔父はまるで仕事にでも行くような気軽さで、しょんぼりとした子供にあっさりと別れの言葉を告げる。
「じゃあ、元気でな」
「
………
うん」
空はおぼろげに青くなっていた。
手を振る影はどんどん遠くなっていく。ちょうど東の空が白く燃え、オーギュストが手を空にかざしているうちに、彼の背はけぶった朝靄のなかに消えていった。寒々と光る雪の丘が、やはり焼け付くように明るかった。
叔父の持ち物のいくつかは、甥にも形見分けとして渡されることになった。オーギュストは寂しい気分で、英雄の肩を飾っていた立派なマントを譲ってもらうことにした。どちらにせよ二度と戻れない人間のことを、この国では故人と呼ぶのだ。それはなんだかすべてが嘘のような話だった。
----------
12歳。壮絶な家庭教育を終えたオーギュストは、パブリックスクールの寄宿舎に入ることとなった。幼少期のほとんどを家と丘、父親に連れられた狩り場で過ごしたオーギュストにとって、はじめての学舎はとても面白い場所だった。専門分野の教師に勉強を教わることや新しいことを知るのは楽しかった。
学校には色んな種類の人間がいる。オーギュスト話しかけられれば誰とでも喋るが、わざわざ友人を作ることもまたしなかった。それは元来の気位の高さにも由来するが、本人の分としては「興味をそそられる相手がいない」という理由だった。大人に囲まれて暮らしていたオーギュストは、同世代の少年たちのなかで今さら不安になることもなかったし、必要のないことに時間を取られるのはわずらわしいとも思った。
さらにいえばオーギュストはこの頃からときどき、誰もが自分よりひどく稚拙に見えることがあった。なぜこんな簡単なことができないのか、彼らは本当に頭で考え生きているのだろうかと不思議になるほどにだ。
彼は天才ではなかったが、あきらかに秀才だった。努力すれば当然のようにすべての授業で好成績を修め、華やかな容姿とぴんと背筋の伸びた少年はどこにいても目立った。はじめは歩み寄ろうとしていた周囲の生徒たちはだんだんと遠巻きにただ羨望するようになるか、または彼の高飛車な態度を嫌うものに二分した。
「オーギュスト・ブラント?」
「ああ」
「きみのこと、呼んでほしいって言われたんだけど」
入学して半年たった頃。
寄宿舎をうしろにした噴水のベンチに座り、オーギュストは分厚い本に視線を落としたままおざなりに返事をした。どこか霧の向こうにあるようなやや掠れた声には聞き覚えがない。優秀さゆえに高慢さに拍車をかけた少年は、もはや名乗らない相手にまともに返事をすることすら止めていた。もったいぶるように紙をめくる指越しに、ダークレッドのスラックスと革靴が見える。
「どこにだい」
「寄宿舎の西の空き部屋に」
「誰が、何のために?」
「えっと
……
分かんないけど、上級生っぽかったかな。4人くらい
……
」
「ふうん」
オーギュストはぴくりと片眉を吊り上げた。そして分かったと手短に返事をすると、伝言役の少年は満足したようにその場を去って聖堂のほうへと歩いて行く。少年は残りわずかなページを読み終えたあと、パタンと本を閉じて立ち上がり、ゆっくりと寄宿舎のほうに歩いていった。
西日射す外通路を歩き、指定された空き部屋へと向かった。静かな廊下に自分のドクドクという心臓の音が響いてしまいそうで気が引ける。神子のいる主聖堂と似た造りになっているというこの学舎は、ただ白壁に古さばかり目につき、神聖さよりは閉塞的な空気があった。オーギュストが使われていない教室のドアを開けると、積まれた椅子と机の前に上級生が数人座っていた。
「ようブラント。よく来たな」
「
……
これは決闘か?」
「いいや違う。ただお前、目立つぜ」
にたにたと笑って言われた台詞。
オーギュストは彼らの話など聞いていなかった。10cmほど上から投げかけられる視線のなかで、一歩下がって笑うだけの中央の男だけを見据える。"群れ"のなかで丁重に扱われる存在。万が一野生動物に囲まれてしまったときの対処法が、このときばかりは厳しい父の声で再生される。
少年は深呼吸をする。そして不意をついて真っすぐにリーダーらしき人間の足に組み付き、馬乗りになって彼を本で殴りつけた。
一瞬の出来事だった。あまりのことに呆然としたほかの3人が慌ててオーギュストを止めようとする。しかし小柄な少年はなおも男の顔を殴り続ける。勢いよく飛び散る鼻血に青ざめたリーダーの男は、ほとんど悲鳴のように謝罪を口にした。
「止め、やめて、悪か
……
っ」
「謝罪か? なんの謝罪だ!はっきりしろ!」
「わるかった! お前が生意気だから、ただ、ちょっと小突くつもりで、
……
謝る! 悪かった!もうこんなことしない!」
「貴様らはどうなんだ!」
来るのか来ないのか。
低い位置から睨みつける少年の猛獣のような凄まじい眼光に、上級生たちは迫力の上で負けていた。もともとそれほど酷い暴行をする気はなかったのだろう。結託すれば袋叩きにはできるだろうが、それに諦めずに仕返しをしてきそうな嫌な気迫があった。
オーギュストもった血まみれの本。すすり泣きの声。沈黙が空き部屋に響き渡り、彼らは一歩後退する。
「
……………
」
オーギュストが勝利を確信して立ち上がると、3人はすぐにほうほうのていで男を回収して去っていった。
「勝った
………
」
ふー、と深く息を吐いて怒りとわずかな怯えを振り払う。うつむいたのもつかの間、何を恥じることがあるのかとすぐに背筋を伸ばして堂々と部屋を出た。勝つことに夢中になって血に汚れてしまった服と本が、西日に痛々しく照らし出されている。
さてこれをどうしたものかと頭を悩ませていると、ちょうど角を曲がったところでひょっこりと顔を出した黒髪の少年が「あ」と声をあげた。オーギュストはそれが先ほどの伝言役の少年であることにすぐ気が付いた。
「きみ、傷があるな」
ひどく端的な感想。
真っ先に口をついて出たのはそんなことだった。切れ長のブルーグリーンの瞳の上下に走る切り傷は、そのほかのどんな特徴よりもよく目立つ。人によっては怒りだしそうな指摘を受けた彼は、殻を割れば卵が出てくることを認めるように、ごく普通にそうだなと頷いた。
オーギュストは彼の口止めをするか考えた。喧嘩が公になれば処罰を受けるだろうし、自分が空き部屋いたことをこの少年だけが知っている。方向的に怪我をした彼らともすれ違っているだろう。しかし相手が複数の上級生だと知らせてくれたおかげで、先手を取れたのも事実だった。オーギュストは少し間を開けたあと、腕を組んで尊大にブルネットの少年に問いかける。
「いま何を考えてた?」
「え。どっちが勝つかなあとか、あれは痛そうだなとか、きみが勝ったなとか
……
」
「それは考えじゃなくて感想だろ」
オーギュストは彼の答えに呆れて大げさにため息をついた。ケンカなど誰も関わりたくはない。しかし血の気の多い者や告げ口をしたくて堪らないものは食いつくかもしれない。しかしこの騒動の関係者である彼は、質問が自分にかかわりあいのあることだとも思っていないらしかった。
何ということだろう。彼は今まで会った人間のなかでも最高峰の「考えなし」だ。オーギュストは数秒頭のなかで葛藤する。そして思いついた妙案ににやりと小さく笑った。
「
……
きみ、部屋はここから近いか? だったら服を貸して欲しいんだけど」
「なんで?」
「僕の部屋は2階だし、寮長に知られるとまずい。この血まみれの服を見られたら騒ぎになってしまう」
「あー、いいよ」
少年がよく考えもせず頷いたのを見て、オーギュストは今度こそ笑い声を漏らしてしまった。これでもう彼は証拠隠滅にかかわった共犯者だ。きっと上級生の呼び出しも自分に不利益がかかることも気付かずに頷いたのだろう。幸か不幸かその迂闊さが、オーギュストの助けになったわけだが。
それに、彼とは並んでも見下ろされないのがいい。汚れた本を衣服をベストの中に隠しながら、2人の少年が廊下を歩き出す。
「僕はオーギュスト・ブラントだ。君は?」
「アスガイル・クリムト」
「ふうん、わりに詩的な名前だな。アスガイルか
……
愛称なんてあるのかい」
「エスガとかかな」
「エスガ。僕のことは親しみを込めてオーギュと呼ぶといい」
「オーギュ? ん、わかった」
エスガは不思議そうではあるが、不愉快そうにはしなかった。タイの色から同学年だとは思うが、目を丸くすると表情がとてもあどけない。オーギュストはともかくこの顔に傷のある少年の、流されるままに漂うところがやけに引っかかった。まるで白いテーブルクロスに並んだカトラリーが、誰かの手で無遠慮にばらばらにされているのを見たときのような気分だった。
人は誰かに迎合するとき、いくつかを他人に明け渡したり、取り繕ったりするものだ。彼のカトラリーは不揃いなまま、なにか他のことにかかりきりかのように感慨薄くそのままにされている。ならいっそひとつの善行に免じて自分が揃えてやろうかという、天から降ったほんの軽い気持ちだった。
───それを受け入れた迂闊さの犠牲として、この少年が青年になるまでの間、オーギュストによって十数年振り回され続けることになろうとは、女神アルビオンでさえ知る由もない。
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