第2の聖地クレスクントからフギオーへは穏やかな旅路になった。初めて見る海を背に一本の川に沿って歩き、ごく低い山を通り過ぎたころ。木々が並び立つ森をキャンプ地にしたオーギュストとアスレイは早めの夕飯を用意することにした。
メインは昨日狩ったウサギ肉。クレスクントから保存した根菜が少々と、アスレイが発見したキノコ類。塩と黒胡椒にスパイス。それらを指輪の力で黄金にした雪のまな板やら鍋を使ってシチューにする。女神から借り受けた神聖な力の使いどころとしては微妙だが、これによって食器や調理器具を持たずに旅ができる点では非常に実用的であった。
元々趣味にしていただけあって手際よく料理するオーギュストを、行儀よく座った神子が興味深そうに眺めている。ホッとするような温かさと香り。食べられるキノコや植物の種類を覚え、小動物を狩って食べるという行為にはじめは慣れなかったアスレイも、今ではそれを日々の糧とすることを受け入れつつあるようだ。
ただ、彼女はいつも熱心に祈っている。
野宿中のメニューとしては上出来といえるシチューを木製のボウルに入れ、神子に向かい合ったオーギュストは、それに倣って黙祷を捧げた。それからすぐに切り上げて優雅にスプーンを手に取り、ゆっくりと口に含んだ。
「うん、いい味だ」
「おいしいです、今日のごはんも」
「それは良かった。……実を言うとね、最近はめっきり食事前の祈りを忘れてしまっていたんだよ」
「えっ!」
嬉しそうにシチューのキノコを味わっていたアスレイは驚いて目を丸くしている。話半分に聞かされたその事実は、人生のほとんどを祈りに過ごす神子にとっては想像できないのかもしれない。朝露のついた葡萄のように丸く煌めく瞳に見つめられ、オーギュストは軽く肩をすくめて弁明する。
「子供の頃は今よりもずっと祈りに時間を割いていたものだが、あいにく忙しくてね」
「それは……とても忙しいんですね」
「まあ、自分で望んでやったことだが、確かにずいぶん疎かになってしまっていたな。四六時中も仕事のことを考えていると、季節もあっという間に過ぎてゆく」
ぱちぱちと燃えて揺れる焚き火のそばで、雪と樹木に囲まれて二人きり。食事のときに限らず、旅の話し相手はお互いだけだ。役立ちそうな知識に、自然のこと、生活のこと、友人のこと、家族のこと───オーギュストとアスレイは何度も火を囲んで語りあった。
とはいってもやはりよく喋るのは話題の多いオーギュストだ。護衛官になる前は実業家として休む間もなく働いていたという彼の話は、どれをとってもアスレイには新鮮だった。こうして社交の場でも華となっていたのであろう軽妙な口ぶりに、つい笑ってしまうこともある。耳をくすぐる子供の笑い声は、やはり不思議と語り手の気分を良くさせた。
「だが最近はこうしてゆっくり考える時間が増えたから、色々と考えるわけだ。たとえばそうだな───女神はどんな姿か」
「アルビオンさまのおすがたですか?」
「前話したろう? 私の友人に女神を好んで描く芸術家がいてね。彼のものは……まあ参考にしないにしてもだ」
不真面目な宗教画家。オーギュストの旧知の友人が描く女神は、幼い少女にありのまま聞かせるには艶やかすぎる。おそらく彼と関係を持った女性たちをモデルにしたいくつかの女神像を頭から追い払い、首をかしげるアスレイには輝く笑顔でごまかした。
アルビオン正教において、かの方の姿かたちは定められていない。ただ女神であるということ以外は聖堂にすらその尊顔をみせないのだ。教皇であればもしかすると知っているのかもしれないが、ともかくアルゲオの国民たちは信仰する女神の装いすら知らなかった。
神子であるアスレイも例外ではないらしく、ううんと悩んでしまった彼女に、オーギュストは絵本を読み上げるかのように楽しく声を弾ませる。
「聖堂では挿絵は使わないのかな」
「そうですね、あまり考えたことがないかもしれません」
「では一緒に空想してみてくれ」
アスレイは硬くなったパンを小さくちぎってスープに浸しながら、ぼんやりと炎に照らされる雪をみた。聖地やアルゲオを守ってくれるこの深い雪は、女神アルビオンによって加護を受けているという。オーギュストはその様子を見ながら笑みを浮かべ、自分もふさわしい姿を想像してみる。
「きっとうつくしい方ですね」
「そうだな、かの方は冬の守護神だ。肌は白いかもしれない。雪のような毛皮を纏っていて、服装は君のようなケープだとか」
「アルビオン様とおそろい?」
「そう、教皇猊下はご存知かもしれないな。たっぷりとした白銀の髪か、それか金髪の婦人かな。優しく人々を見守る美しい女性で……だがきっと厳しいところもおありだ。なら凛々しい眉目をお持ちかもしれん」
「……それってなんだか」
たっぷりした金髪に白い肌と毛皮、凛々しい眉目。白いケープは着ていないが。いくつか当てはまる容貌の持ち主を目の前にして、アスレイは一瞬くすりと笑ってしまいそうになったが、慌てて少しぬるくなったシチューを一口食べてやり過ごす。別に意地悪な理由ではないにしろ、大人の男性に言うには失礼になるかもしれないと思ったからだ。
気分よく言葉を並べたてていたオーギュストはアスレイと同じようなタイミングでふと口を噤み、顎に手を当てて考え込む。それからたてがみのような髪を手でかきまぜてため息をついた。どうやら誰かの苦い言葉を思い出しているようだ。
「いかん、母に似てきた」
「んっ、ぐ……、」
「おや、大丈夫かアスレイ?」
ついにこほこほと軽くせき込んだ神子の小さな背を叩き、いい加減食事を済ませてしまおうと男はウサギのシチューを頬張った。アスレイも慌てて暖かいシチューに向き合う。彼が尊敬していたという両親の、特にオーギュストに似た美しい女性。
少女もそのときばかりは秘めていた羨望も忘れ、きっとそっくりなのだろうなと、スプーンに口元を隠してくすくすと笑った。
(宗教画家アスガイル・クリムトによる定説―――アルゲオ人の多くの女神像は理想の女または母親に似る)
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.